(12)『汽笛』
「で、結局これか……」
リィラと鬼塚は、俺たちが泊まった宿の近くにある酒場――昨日久遠たちと夕食を摂った店の中にいた。
「はっはっは、どうしたアルヴァレイ! ようやく顔を出したと思ったらそんな辛気くさい顔して! いや、面倒くさいか?」
「面倒くさいのはアンタらだよ……」
珍しく酔いに酔っていた。
鬼塚はというと、リィラの向かいの長椅子をその巨体で占拠して、『ぐおー』とか『ぬおー』とか大いびきをかいて寝ている。
こちらも多少酔っているのか、珍しさよりも驚きの方が先に出てくる赤ら顔だ。
そして、目の前のテーブルに置かれた大小様々の大量の酒樽。無論数えたくない。
「どんだけ呑んだんですか! 筋肉は知りませんけど、リィラさんは一応かろうじてただの人間なんですから死にますよ!?」
「その時はその時だ! はっはっはっ」
ダメだ、この人。
「それで、いくら分呑んだんです?」
「さぁ、知らん。聞いてきてくれ」
「何で俺が」
「さっきから足がうまく動かん」
「もう呑むのやめろ!?」
ぶつぶつ言いながらも、リィラと鬼塚以外の客が誰もいない店内を綺麗に掃除している昨日の(綺麗な)お姉さんに尋ねてみたところ――
「195,200アウルムですね」
ニコニコと笑いながら言えるお姉さんを一瞬尊敬しかけた。
その答えを聞いた俺はお礼を言い、すぐにリィラと鬼塚の元に戻り、お姉さんを見習って笑顔でリィラに問いかけた。
『今いくら持っているのか』と。
「あぁ?」
「面倒くさがらずに質問に答えろ」
そう言っても面倒くさそうに服の中に吊っていた金銀貨入りの革袋を取り出したリィラは、目の前でその中身を数え始める。
「87,350アウルムだな」
「働け」
港の方から聞こえてきた『ボォォォォォ――』という船の汽笛を合図にしたかのように、動物的な本能で危機を察知して全力疾走で逃げたらしい俺は、気がつくと宿屋の部屋の前に立っていた。
やっぱりあの人たちの相手なら、巻き込まれる前に逃げるに限るな。
「はぁ……。今度という今度は、今回はもう付き合わないぞ。他の人もいるからな」
実は似たようなことはこれまでにも何度かあった。その度に三人で働いて(基本的に俺は無関係だったが)足りない分の金を補っていたりしたのだが。
とはいえ元々騎士の名家のお嬢様であるリィラは皿洗いや片付けは勿論給仕なんて真似事でもやったことはなかった。
リィラが最初に見た目重視の給仕服を着た時の、言動を含めた違和感の凄まじさは言葉では言い表せないし、言い尽くせない。
ましてあの鬼塚である。
そんな状態で仕事になるわけもなく、俺がその店で働いている――もとい人質になっている間に2人が戦闘職を生かした仕事で金を稼いでくる、というような作戦でいつも何とかしていたのだが。
それをするのなら、先に金を稼いでからやれ、なんて思うヤツがいたら、ソイツはリィラと鬼塚のことを知らないのだろう。
あの二人――――さすが庶民の出ではないだけあって、自分が満足するまではあればあるだけ使うのだ。主にリィラだが。
一番稼ぎの少ない俺は立場上、強く止められるはずもない。
「あ、アルヴァレイさん、おかえりなさいです。リィラさんと鬼塚さんは見つかったんですか?」
部屋の中に入ると、ルーナと一緒に旅支度をしている途中らしいヘカテーが振り返り、微笑みながらそう言った。
「あぁ、それが――」
リィラと鬼塚のことを説明しようとした時、たったっと歩み寄ってきたヴィルアリアが突然上向き加減に目を閉じた。
その表情が、一瞬さっきのヘカテーと重なって――――柔らかな唇の感触が鮮明に蘇り、思わず言葉が詰まる。
「んー……まだちょっと匂いするけど、まぁいいかな。お兄ちゃん、どうしたの?」
「え、あっ……いや、何でも……」
顔が熱くなるのを感じて、まずいと思った俺は咄嗟に目を逸らす。
ヴィルアリアは不審に思った様子だったが、それ以上は追求することなく寝台に歩み寄ると、その上に広げていた幾つかの医療器具を鞄の中に片付けて、ぽふんっと寝台に腰を下ろした。
「そ、それで2人はどうしたんですか?」
同じことを思い出したらしいヘカテーが話題を元に戻すようにそう言った。
「あぁ、面倒なことになるから置いてく」
「どういうことですか?」
「所持金の倍以上飲み食いした」
俺がそう言うと、久遠と稲荷以外は無言で納得したように頷いた。
何処か呆れたような表情を浮かべて。
「あ、そうそう、お兄ちゃん。くーちゃんと稲荷くんも一緒に行ってもいい?」
「くーちゃん? って久遠のことか。昨日まで久遠さんだったのに急に仲良くなったな。で、何で?」
「くーちゃん、人探しの途中なんだって。それでテオドールに行きたいらしいの」
俺に要求染みた提案をしてくるヴィルアリアの後ろで久遠がおろおろとしているのを見ると、久遠はおそらく人探しでテオドールへ行く、というような話をしただけなのだろう。
ヴィルアリアはそこで気を回して、今の提案をしているのだ。ヴィルアリアと俺の立場が逆だったとしても、同じことをしただろうから特に反対する理由はないわけだが。
「船の運賃ぐらいなら手持ちでなんとかなるからな。リィラさんたちを予定外に置いてくことになったから特別予定外の出費ってこともなくなるから差し引き0だし」
「ほら決まり! 行こ、くーちゃん♪」
ヴィルアリアはくるりと振り返ると久遠の手を掴み、びくつく久遠の手を上下に振る。
昨夜一晩で随分仲良くなったのだろう。ヴィルアリアは昨日出会っただけの女の子というだけでなく、友達かあるいは親友か――――まるで自分のことのように喜んでいた。久遠の表情も戸惑いや恥じらい等諸々の感情が含まれていたが、それなりに嬉しそうに見える。
だが、それでも世話になりっぱなしというのが申し訳なかったのだろう。
久遠は、
「でも、そ、の……飛んで、いく……つもり、だった……から……」
久遠には翼がある。
その言い方から察するにあの翼は見た目通りに飛行する能力を持っているのだろう。同じく翼を持つアプリコットはあの翼で飛ぶことは(何故か)できないらしいが。
「着くのに4時間ぐらいかかりますよ?」
テオドール・ヴァニパル間の船に乗ったことのある(とは言え途中でブラズヘル軍に船ごと拉致されたのだが)ヘカテーが、具体的な時間の目安を教えて、ヴィルアリア案の後押しに入った。
随分仲よくなったんだな、女子陣。俺がいない間に。昨夜俺が部屋から出ている間に。
別に、寂しくも悔しくもないが。
「大丈夫、です……。その、疲れ、は……取れました、から……。あ、で、でもその……皆さんが……そう言うの、でしたら……あ、でもその……本当は迷惑だったら……その……」
久遠が途切れ途切れに言葉を口にする度、その視線がどんどん床の方に下がっていく。
その意見が二転三転を飛び越えて十転ぐらいした頃、痺れを切らしたらしいヴィルアリアは久遠の手を放すと、一瞬でその背中側に回って両肩に手を置いた。
そして、丸まった背中を強引に押し始める。
「……そろそろ船の時間だし、行こっ!」
「アルヴァレイさん、船の時間って後どのくらいでしたか?」
皆の荷物をさりげなく俺に預けてくるヘカテーが、そのついでとばかりに問いかけてくる。
「さっき汽笛を聞いたな。たぶんそれが15分前のだから、後10分くらいじゃないか? ここからなら港まで5分もかからないし――」
ボォォォォォ――――。
その時、俺の言葉を遮るように港の方から汽笛が聞こえてきて、ヴィルアリアと俺の表情が固まる。口元が引き攣ったような笑みのままで。その表情に何となく事態を察したらしいヘカテー・ルーナ・久遠の3人は気まずそうに黙り込んで、互いに顔を見合わせた。
今朝初めて汽笛を聞いたばかりらしい稲荷――子供は何処か楽しそうにしているが。
「――ごめん。これ、出航5分前の」
俺がそう呟いた途端、部屋の中が急に慌ただしくなった。




