ゾンビマン
2ch「SF新人賞総合スレ」にて開催された「第5回SS祭り」の参加作品です。
県立罠美高校二年B組下田錬は、改造人間である。
錬は五歳のとき、夏休みの旅行先で川遊びの最中に深みにはまり、死亡した。
医者が臨終を宣告した後、あきらめられなかった両親は、疎遠となっていた錬の祖父を頼った。頭にマッドの付くサイエンティストだった祖父は、その奇行が何かと評判になってはいたが、可愛い孫の命を救うためには、その手腕の限りを尽くしたのである。
祖父は先のゾンビパンデミックを終焉させた手柄で知られており、その原因たる細胞内寄生体を特別に生態研究する権限を得ていた。
一旦は死亡した人間を蘇らせる唯一の方法として、錬は寄生体に感染させられた上、停止した心臓を人工心臓と交換された。
人工心臓が動作を開始すると、宿主が死体ではないと判断した寄生体はただちに活動を停止し、その際、律儀なことには、壊死を始めていた体細胞まで健康な状態に復帰させたのである。
こうして、幼い錬の命は救われた。
しかしそこはマッドサイエンティストの業、ただ孫の命を救うのみでは飽き足らず、任意で通常状態と死亡状態を行き来できる装置を開発し、錬に持たせたのである。
変身ヒーロー「ゾンビマン」の誕生であった。
腕時計型の装置に「変身」と音声入力しつつその文字盤を叩くと、錬の人工心臓は停止する。そして宿主の死亡を察知した寄生体が活動開始し、錬はゾンビ状態となる。
このとき錬は、ゾンビならではの耐久力と怪力で、あらゆる攻撃を受け付けず、素手でクマでも倒すことのできるスーパーヒーローとなる。
改造された寄生体は血液脳関門を通過できないため、錬は精神までゾンビ化することはない。
さらに、今時のゾンビなので、当然ノロノロ歩くなどということもなく、跳んだり駆けたりも自由である。
肉体上唯一の急所である頭部には、祖父が特殊合金製の装甲を手術で埋め込んだため、およそ無敵と言っていいチート状態である。
残された弱点と言えば、ゾンビ状態でいる間は身体の腐敗が進むので、時間が経つとその体を補うため生肉に対する強烈な飢餓感に襲われることである。錬は冬場なら三十分、盛夏の昼間では五分程度の間、変身して活動することができる。
新しい命と共に手に入れたゾンビの力で、錬は正義のため戦うのだ。
県立罠美高校二年B組浅川瑠樺は、改造人間である。
瑠樺は理知的ですっきりした顔立ちにすらりと高い背丈、平均を超えて発育した胸といった容姿からよく芸能人やモデルと間違えられるが、いたっておとなしく真面目な性格をしていた。
世間を襲う不況の波に耐えられず両親が共に失職したとき、親孝行な瑠樺は家族のため働くことを決意した。
両親の求職活動がモノになるまでの間、一家の家計を背負って立つには、それなりの高給を取る必要がある。しかし、高校は卒業したかったし、性格柄風俗業は避けたい。
そんな厳しい条件の中、彼女がたどり着いたアルバイトが、国際犯罪組織のエージェントであった。
「身体改造していただく必要があります」
女性の面接官に言われたとき、そこまで世間知らずではなかった瑠樺は、そんな好条件ばかりのアルバイトがあるわけはないと思って納得した。いや、やっぱり世間知らずだったかもしれない。
動物や古今東西の妖怪をベースにした改造人間のリストを見せられた瑠樺は、バンパイアを選んだ。クモ女やトカゲ魔人よりは妥当な、女の子らしい選択と言えよう。
「いい選択ですね。コウモリになって飛べるから、終電を逃したときは便利ですよ」
終電すぎての夜遊びなど経験のない瑠樺には、ピンとこなかった。
「何か質問は」
「バンパイアだと、昼間は出歩けないってことにはなりませんか」
「今時のバンパイアですからね。当然デイウォーカーです」
面接官は再び促した。
「他の質問は。改造してしまってからでは遅いですからね」
もじもじとためらってから、瑠樺は思い切ったように訊いた。
「あの、バンパイアになってからだと、その、仲間を増やすのは人間の血を吸ってとか、そういうことになるんでしょうか」
何を考えているのかよくわからない小さな目で瑠樺を窺ってから、面接官はまさに求めていた答えを返した。
「男の子とエッチして子供を作ることもできます」
「生まれた子供は」
「普通の人間ですよ。あなたか他のバンパイアが噛まない限りはね」
「やります。改造してください」
浅川瑠樺十七歳。将来の夢は、「好きな人のお嫁さん」であった。
身体改造手術を受けた後、瑠樺に最初の任務が与えられた。
組織の活動はこのところ、ゾンビマンの妨害により、深刻な問題を抱えていた。
「幼稚園バスのジャックなんだが、何度実行しても阻止されてしまうのだよ」
瑠樺の上司となった黒ずくめスーツの紳士は、腕組みをしながら深刻そうに頷いた。
何のために幼稚園バスをジャックするのかという質問が口まで出かかったが、訊いてはいけないような気がしたので、瑠樺は黙っていた。
組織はゾンビマンとの直接対決をあきらめ、搦め手を取ることにした。
謎とされているその正体を暴き、近縁者を人質に取るなどの方法に切り替えたのである。
悪の組織らしさという点では、なかなか適切な判断だと言える。
「ゾンビマンは、罠美高校の関係者ではないかというところまで絞り込むことができた。そこで君に、潜入調査の任に当たってもらいたい。年齢も合っているし、最初の任務としては、情報収集というのは適当だろう。いきなり戦闘では、荷が重いだろうからな」
任命を受け部屋を辞そうとする瑠樺を、上司は呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ。これを渡すのを忘れていた」
手渡されたのは手のひらに乗るほどの黒い箱で、スイッチが一つ付いていた。
「これは?」
「携帯電話の妨害装置だ。スイッチを入れると、これを中心にして半径三十メートルの範囲ですべての携帯端末が圏外になる」
そう言って上司は頷いた。
「きっと必要になる。常時携行するように」
「わかりました」
「いや、思い出してよかった。危うく突っ込まれるところだったよ」
「ええと、誰が誰に突っ込むんですか?」
「ああ、すまん、気にしないでくれ。こっちの話だ。しかし、急いでうpしなくて本当によかったなあ」
悪の組織ともなれば、入ったばかりのバイトにはわからないことがあっても無理はないと思い、瑠樺はそれ以上追及しないことにした。
帰宅した瑠樺は、さっそく転入の手続きに入った。
条件のよいバイトと学業を両立させるためアパートを借りて転校する、という件の承諾を何とか両親から取り付けると、一連の手続きをすべて自分一人で行った。
引越しも含めハードスケジュールでこなした結果、予定の転入日には間に合ったものの、瑠樺は寝不足状態で初登校の朝を迎えることになった。
それでもシャワーを浴び着替えを済ませた時点では時間に余裕があったため、パンを焼いて朝食の用意をした。トーストにバターを塗り口に運ぼうとしながら時計を見たが、まだ時間が余っていた。まるで、時計が止まってでもいるかのように……。
瑠樺は、携帯で時間を見た。
「ぎゃああああああああああああああああす」
鞄を掴み、部屋を飛び出した。
このとき、トーストは口に咥えたままであった。
物心付いたときから家事を手伝い、就学後は言いつけられるままに帰宅後の勉強を欠かさなかった瑠樺には、テレビドラマや漫画に興じる習慣がなく、これが引き起こす可能性のある危険(マジ!)について想像が及ばなかったのも無理はない。
さて、終電を逃した際には頼りになるとされているコウモリ形態への変身能力は、この場合使うことができなかった。この能力は、変身の解除時には着衣の状態も変身前に戻るという便利なものだったが、さすがに荷物の学生鞄は口で咥えていく他はなく、そんなコウモリが朝から往来を飛行していたのでは目立ってしまって仕方がない。
その代わりに瑠樺は、バンパイアの身体能力を使い、学校までの道のり約二.五キロメートルを百メートル十一秒フラットのペースで汗もかかずに走り抜いた。
この全行程を監視している者がいたとすれば奇異に思われてしまうだろうが、追い抜いたりすれ違ったりする通行人からすれば単にあわてた元気な女子高校生が走っていったとしか見えないはずで、問題はないと思われた。
学校までかなり近くなり、安心したのだろう。瑠樺はつい油断して、交差する道を同じように駆けてきた少年に、出会いがしらに衝突する直前まで気づかなかった。
彼に気づいてから衝突するまでの一瞬で、瑠樺は身体能力のすべてを発揮して自らの体を減速させた。これに失敗していたら、少年の体を交差点の反対側まで跳ね飛ばしていたはずだった。
減速して少年を守ることを最優先としたため、バランスを失った瑠樺は、通常の人間の少女と同じようにその場に尻餅を突いていた。
目の前にパタンと落下してきたのを見てようやく、自分がまだトーストを咥えたままだったことを思い出した。
一つ間違えば無関係の一般人を殺していた、という考えに呆然自失となった瑠樺は、相手の少年が立ち上がり目の前まで歩いてきたときになって、やっと我に返った。
「大丈夫? 気をつけないと」
同じ学校の制服を着た少年に手を差し伸べられて、瑠樺は自分の状態に気づいた。
思い切り両足を開いて座り込んでいた。
新しい学校の制服のスカートは超のつくミニで、確かに可愛いことは可愛いのだが、それでも駅などの階段で鞄で隠すという自意識過剰っぽい行動を自分も取らなければならないのかと思うと、瑠樺は憂鬱になったものだ。
「きゃっ」
あわてて足を閉じ、乱れたスカートを手で押さえつける。
見上げると、少年は誠実そうな笑顔を浮かべており、その部分を見られはしなかったようだと思って瑠樺はほっとした。
さわやかな笑顔だった。まるで変身するヒーローのような……。
彼の抱擁力を感じさせる振る舞いに、すでに瑠樺はときめいていた。
親元を離れ、一人きりの初任務に、友人も知人もいない新しい学校。
家計のために泣き言一つ言わず任務に就いたが、実のところは逃げ出したいほど心細かった。そこへ、こちらの不注意で危うく怪我をしそうになったにも関わらず、怒るどころか瑠樺を気遣ってくれる、好感度溢れる男子生徒の出現である。
彼に頼りたい、彼がいてくれれば新しい学校生活も任務もきっとやり遂げられる。そんな予感がした。
手を引かれて立ち上がると、彼の背丈は瑠樺より少し低く、それで今度は母性本能が刺激された。
もう完全に、フラグが立っていた。
ちなみに、意外と定番ではなかった「遅刻する食パン少女」については、http://www.high-octane.org/chikoku.html に詳しくまとまっているので、興味のある向きは参照されたい。
県立罠美高校二年B組藤田美紅は、学校のアイドルである。
色白でほっそりとした肢体、ぱっちりとした双眸に愛らしい鼻と唇、膝まで届こうかというサラサラの髪、通りのいい涼やかな声音、朗らかで高め安定のテンション、数メートルの範囲で常時追従する煌びやかな空気。
美紅がそこにいるだけで、老若男女を問わず誰でも落ち込んだ気分は軽くなり、楽しい気持ちは五割増しに持ち上げられるといった具合で、まさにクラスの華であった。
誰もが美紅に好意を寄せたが、特に年頃の少年たちの中からは定期的に舞い上がる者が現れ、果敢なるアプローチを試みた。
残念ながら少しばかり天然の入った美紅は、そんな彼らの恋心は察知できず、来る者すべてを友人として歓迎し、真面目に取り合い、話に付き合う。
少年の方は近くから見る彼女の魅力にますます惹かれ、誠実に話を合わせてもらって有頂天になる。
誰彼構わず希望を持たせてしまうことは、美紅の持つ数少ない問題点と言えた。
ある日、帰宅途中で錬は、美紅を含む同じクラスの女子三名が、他校のガラの悪い男子生徒とやり合っているところに出くわした。
男子生徒の一名が美紅に言い寄ろうとし、彼女をかばう女子二名が間に入って声を上げているようだった。残る男子二名は引き気味に下がっていて、釣りあわねーだろとでも言いたげな醒めた目をしている。
通りかかった錬に、女子の一人が気づいた。
「あ、下田君」
件の男子生徒が、殺気も露わにねめつけてきた。
「あんだてめー」
安手の漫画みたいな展開で気が乗らなかったが、そのまま帰るわけにもいかず、錬は肩をすくめた。
「話、俺が聞くから。ああ、その向こうでね」
女子たちを振り返った。
「君らは、ちょっと待ってて」
恋路を邪魔された凶悪漢一名と、無様なナンパを見守る任から開放されてほっとしているようなその連れ二名と共に、錬は狭い路地へ入っていった。それから数秒と待たずに、悲鳴と共に男子三名が飛び出してきて逃げ去った。
その後から悠々と姿を現した錬に、女子の一人が感嘆の声をあげた。
「すごーい、何したの?」
「別に、何もしてない」
錬は、「変身して姿を見せる以外には」を省略した。
「頼りになるね、下田君って」
女子二名に誉めそやされる錬の前に、美紅が歩み出た。
そのとき錬は初めて、間近から彼女と顔を合わせた。
それまで美紅は、錬にとって「クラスで人気のある一人の女子」でしかなかった。
「下田君ありがとう、助かったよ」
とびきりの笑顔が、至近距離から錬の人工心臓を撃ち抜いた。
変身能力を持つとはいえ、青春ただ中の一人の少年にすぎない錬は、その瞬間、他の大勢の男子たちと変わることなく、美紅の魅力の前に陥落した。
「いや、なんにもしてないんで。それじゃ、また」
女子たちにクスクス笑われながら、不自然な挨拶をしてばたばたとその場を去る。
脳内では、さっきの笑顔が無限リピートしている。
こうして、ミイラ取りはミイラになった。
ゾンビだけど。
瑠樺は戸惑っていた。
転校したはいいが、とりあえずは調査の当てもなく、成果のない日々が続いていた。
上司に相談したところ、まずは学校に慣れるのが先だから、焦らなくてもいいと言う。
それでも真面目な瑠樺は、何もせずに報酬をもらうことを良しとできず、当てがなくともそのあたりをうろうろして、とにかく何かわからないかと見て回っていた。
それで、気が付くと錬の後を付けているということが多かった。
結果として、自分がストーカーになった気がして落ち込む。
あの転入の日、錬とクラスまで同じだとわかって瑠樺は歓喜したが、それ以来特別な進展はなかった。錬は瑠樺に優しかったが、それは他の女子の同級生に対しても同じことだった。あの衝突で、錬の方が瑠樺を特別に意識したということはなかったようだ。
今日の放課後も、ゾンビマンの手がかりを探すという名目で、瑠樺はコウモリになって学校の周辺を飛び回っていた。それで錬を見つけると、例によってフラフラとその後を付けてしまった。
空から見下ろしていた瑠樺は、錬より先に、美紅たちが絡まれていることに気づいた。
組織では、改造人間の力を私用に使うことを禁じていないので、気が付くといつも瑠樺は、自分の能力で人助けをしていた。
落とした百円玉が車の下に転がって行ってしまい泣いている子供のためにその車を持ち上げて位置をずらしたり、コンビニ強盗の現場に出くわして捕まえた犯人を警察へ突き出したり、轢き逃げ犯を追いかけていって警察へ突き出したり。
組織の任務のほうはまるで進展していないので、事実上瑠樺は、正義の味方と言ってもおかしくないありさまだった。
そんな瑠樺だったので、すぐに美紅たちを助けに行こうとはしたのだが、錬の方も気になってためらっているうちに、彼らが出会ってしまった。
そして瑠樺は、錬が不良どもを追い返すその場面を空から目撃し、期せずして任務を完遂してしまったのである。
下田君が、ゾンビマンだった。まだ、お話もろくにしていないのに。じゃなくて。
これを組織に報告すれば、初手柄である。時給が上がるかもしれない。
時給も大事だが、恋する乙女にとっては、錬を危険に晒すことも看過しがたかった。
組織は、錬の家族を人質に取るなりするだろう。錬が酷い目に遭うことは確実だ。
しかし、ここで組織に反抗することも考えづらい。今度は、瑠樺の家族がピンチになる(経済的に)。
任務は急がされてはいないものの、事実を故意に隠蔽すれば、いずれは組織に知られるだろう。自分の立場を取るか、恋人の安否を取るか。雰囲気は大人っぽくても瑠樺は十七歳の少女であり、これは荷の重い問題だった。
今、一番頼りにしたいのは当の錬だったが、彼に相談するのは組織を敵に回すのと同じだ。
悩み抜いても答は得られず、瑠樺はげっそりとして登校した。
学校で瑠樺を待っていたのは、容赦なく圧し掛かる二つ目の問題だった。
錬と美紅が、楽しげに話していた。何か、二人と周囲を遮るバリヤーを感じる。
錬も美紅も、二人とも明るく人に好かれやすいタイプで、はっきり言って似合いだった。ただでさえ近づきになれなくて悩んだのに、これではトドメを刺されたようなものだ。
激怒した瑠樺はただちに組織へ連絡し、錬がゾンビマンであることを告げ、彼を破滅させて溜飲を下げ――ることはできなかった。
まるで人魚姫になったみたい、とロマンチックな方向へ現実逃避しても、それで気が晴れるわけでもない。
バンパイアだし。
何かいい方法はないものか――瑠樺はさらに考えて、一つの案に辿り着いた。
錬が、組織に入ればいい。二人で手柄を立てて、いいポストに就けば、時給も安泰である。何より、一緒にいられる。
問題は美紅だが、拉致して殺害――という手段は思いもよらず、これはどうにか疎遠になってもらうしかない。
そう言えば、クラスで変な噂を聞いた。多くの男子が美紅に接近して、ある程度までは親密になるのだが、何日かすると離れていってしまうのだと言う。詳細も信憑性も不明だが、もしそうであるなら、待っていれば錬も美紅から離れてくれるかも知れない。
そこまで考えたとき、一際大きな声で錬と美紅が笑った。いかにも気安く、美紅が錬の肩を叩いているのを見て、瑠樺の決意が固まった。
帰宅しようとしていた錬は、自分の靴箱に手紙が入っているのを見つけた。ファンシーな封筒で、ハートマークのシールで封緘されていた。
拝啓 いつもあなたを見ています。
下田君は、やっぱり、明るい女の子が好きなのでしょうか。
胸があまり大きくないほうがタイプですか。
変な書き出しですいません。本題に入ります。
下田君の仲良しの、藤田美紅さんを預かっています。
こちらの指示通りにしてもらえれば、無事にお返しします。
まずは、このことを誰にも知らせないで、次の場所まで一人で来てください。
XX町XX丁目XXビル
地下一階 七番倉庫室
いつまでも、お待ちしています。
V.G.
ラブレターかと思って読んでいたら脅迫状だったので、錬は驚いた。
教室まで戻り、残っている生徒たちに聞いたが、美紅を見たものはおらず、すでに一人で帰宅したらしいということだった。美紅の携帯に掛けたが、通じなかった。
ここまで来れば悪戯とも思えず、錬は手紙にあった場所まで急いだ。
XXビルは工事中の建物であり、錬が到着したときにはその日の作業が終わっていたらしく、無人だった。
封鎖されている柵を乗り越えて、錬は敷地に侵入した。工事中の建物を覆っている木の枠が一部破られているのを見つけ、そこから入り込む。
案内板を見て地下の倉庫室に辿り着き、縛られた美紅が倒れているのを見つけた。その彼女の猿ぐつわを外し、縄を解いていると、倉庫の扉が外から閉ざされた。中から開けようとしたが、人の力では無理だった。
不安だったからだろう、美紅がすがり付いてきて言った。
「ありがとう、また助けられたね」
「二人で閉じ込められちゃったけどね。誰にやられたんだ?」
「わからない。いきなり後ろから捕まって、目隠しされたの」
「あの連中か。何を企んでいるんだ」
「あの連中?」
「いや、なんでもない」
助けを呼べないかと携帯を出してみたが、どういうわけか二人の携帯が揃って圏外になっていた。
そのとき室内で電話の呼び出し音が鳴り、音のした場所を探すと有線の電話機が見つかった。誰かが、部屋の外から内線で呼び出しているのだ。
錬は、受話器を取って耳に当てた。
「もしもし」
『すいません、こういうことはしたくなかったんですけど』
若い女で、鼻をつまんでいるらしいがどこかで聞いたような声だった。
「何が目的なんだ」
『我々の組織に入ってください。そうしたら藤田さんにも、あなたの家族にも何もしません』
「ずいぶん汚い手を使うんだな」
電話の向こうで、相手が声を詰まらせたのがわかった。
『だって、他にやりようがないでしょ。下田君は、藤田さんとばっかり話してるし』
泣きそうな声だった。まさか非難されるとは思わず、錬は混乱した。
「僕と藤田が、何だって?」
『……こほん。そこの換気口は、塞いであります。この暑さだと、いつまでもいたら藤田さんは熱中症で倒れちゃいますよ。早めに判断したほうが、いいと思います』
「こんなところ、出られないと思うのか?」
『変身すれば、ですね。藤田さんにあの姿を見せたら、嫌われちゃうかも知れないですよ。わたしとしては大歓迎ですけど』
今一、掴みどころのない相手だったが、意図するところは理解できた。ゾンビマンの姿を間近で見れば、屈強な男でも腰を抜かして逃げ出すのである。正義の味方としてはこんな脅しに屈するわけにはいかないが、個人としての錬は、美紅を怖がらせることも、嫌われることも避けたかった。
「考えさせてくれ」
『いいですよ。考えが決まったら、XXX番までかけてください。藤田さんが倒れないうちに、ね』
電話を切った。
「誰なの?」美紅が訊いた。
「わからない。たぶん、例のバスジャックとかしてる奴らだ」
「……ゾンビマン」
どきっ。虚を突かれてたじろぐ錬の様子を、美紅が興味深げに見ていた。
「に、いつも解決されてる事件だね」
「そ、そう。それ」
「わたしがさらわれたのは下田君を誘い出すためで、それで、犯人は下田君に何の用があるのかな」
「な、何だろうな。あはは」
「下田君、わたしに何か隠してるよね」
再び、錬はたじろいだ。なぜだろう、底の浅そうな敵組織より、今そばにいる美紅の方がよほど怪しい感じがしてきた。
「何も、隠してないよ」
「ゾンビマン」
「うっ」
美紅は微笑んだ。
「わっかりやすーい」
美紅は錬が目をそらした先に回りこみ、顔を合わせてきた。
「下田君がゾンビマン、じゃないの」
「ち、違うよ。そんなわけないだろ」
「ふーん。まあ、いいか」
そう言って、美紅は錬を見つめた。
最近よく、美紅は錬をこうやって見つめる。
熱のこもった目線はどこか淫蕩な感じがして、そのたびに錬は、まごつきながらも心臓を高鳴らせる。
当初それは求愛の印に見えたのだが、何か違うように思えてきた。獲物を狙う肉食動物、と言ったほうが合っているのだ。
「あーあ、それにしても暑くなってきたね」
玉の汗を浮かべた美紅が、制服の胸元や、スカートの裾を手で持ってはためかせた。
錬は、目が強力に引き寄せられるのを必死でこらえた。
たぶん、誘っているとかそういう訳ではないのだろう。しかしどの道、このまま長時間こうしているわけにはいかない。
美紅の言動に動揺しながらも、決断を迫られた錬は懸命になって考えに集中した。
正義の味方として、悪の組織に屈服し従属するなどということは決してあり得ない。と言って、このまま待っていたら、敵の言うとおり美紅が健康を害する可能性が高い。
朝まで待っていれば工事関係者が来て開放される、という考えもあるが、敵はすでに美紅に危害を加えることも辞さないと宣言している。朝までの間に何をされるか、わかったものではない。
結局、他に方法はないようだった。ヒーローの宿命として、個人よりは多数の幸福を優先しなくてはならないのだ。
錬は、美紅との関係をあきらめることを選んだ。口止めをした上で正体を明かし、この場を脱出する。美紅はもうこれまでのように接してはくれないだろうが、ゾンビマンはヒーローであり続けることができる。
そして人の恋路を邪魔した組織は必ず、完膚なきまでに叩きつぶしてやる――と心に誓いながら、錬は美紅に言った。
「藤田、これから僕の本当の姿を見せるけど、驚かないで欲しい。それから、他の人には言わないでいてくれ」
「わぁ」
美紅は目を輝かせた。
「やっぱり、ゾンビマンなんでしょ」
どうにも正体の明かし甲斐がない状況だが、四の五の言っている時間はない。
「変身」
錬は叫んで、腕時計を叩いた。人工心臓が停止すると共に寄生体が活性化し、錬はゾンビマンになった。
「きゃあああああああああああああ」
美紅が悲鳴をあげた。
やっぱり。わかってはいても、錬の心には重苦しいものが圧し掛かって――
「かっこいい」
抱きついてきた。錬はあっけに取られた。
「は?」
「そうじゃないかと思ってた。どうして下田君がこんなに気になるのか不思議だったけど、やっぱりゾンビマンだったんだね」
「えーと、それってどういう」
有無を言わさず、美紅は錬の頬にキスをした。
一瞬にして錬の心は空高くへと舞い上がり、細かいことはすべてどうでもよくなった。
「いやぁっほおおおおおおおおおおおおう」
拳の一撃で鋼鉄の扉がはじけ飛んだ。
錬は美紅を抱きかかえて廊下を走り、階段を駆け上がり、柵を飛び越えてビルの敷地から脱出した。
周囲の安全を確かめてから、美紅を降ろす。
少女は、潤んだような目で錬を見つめていた。
「どうして、――怖くないの?」
「怖くないよ。だって、下田君なんでしょ」
そう言って美紅は、例の見つめ方をした。
「怖いって言うより、おいしそう」
錬の背筋を、ざわめきが走り抜けた。
それが恋心によるものなのか、身の危険を感じたことによるものなのかは判別しがたかった。
後日、錬は、美紅の家へ夕食に呼ばれた。
美紅は、親しくなった友人は必ず、こうして招待するのだった。
そして、情報網を持った女子たちはうまいことを言って辞退するのだが、にわかで接近した男子はうかうかと招待に応じてしまう。
美紅とその家族は、揃ってシュールストレミングが大好物であり、定期的に夕食会を開いては客人に勧める。
ほとんど腐肉そのままというその料理を、錬は苦心惨憺しながらもなんとか食することができた。
ゾンビなのに腐肉が苦手なのかって?
考えて欲しい、ゾンビは常に生肉を求めて行動するのである。腐肉でいいなら、共食い祭にしかならない。
それでも、捨てずに済んだ美紅への恋心の強さゆえ、錬は振る舞いに応じ、両親にもめでたく覚えてもらうことができた。他の男子は、一回で懲りて二度と近づかなくなるのだが。
そんなわけで、今でも錬は美紅と、両親公認の下で高校生らしい交際を続けている。
たまにふざけ半分で噛み付かれて肝を冷やしたりはしても、とりあえず頭から食べられてしまうというようなことはなく、リアルで充たされた毎日を過ごしましたとさ。
めでたし、めでたし。
「――あの、瑠樺なんですけど、それで、わたしはどうなったんですか。置いてけぼりですか。これで終わり?」
終わりです。
(終わり)