#74 竜爪と剣舞
飛竜戦艦の竜の爪より、ストールセイガーは間一髪で逃げ切っていた。そのまま態勢を整えつつ、陣の後方へと退避してゆく。
そこに風を切って執月之手が飛来し、上部甲板をつかんだ。すぐに噴射音と巻き上げ音が続き、長く伸びる噴射炎を引き連れたイカルガの姿が現れる。
抑え気味に推進器を噴かし、減速しながらストールセイガーの上部甲板へと着地したイカルガを、アディとツェンドリンブルが出迎えた。
「おかえりエル君。あの竜の船、どんどん空高くにあがっていっちゃったわよ」
振り向いて確認すれば、竜の姿ははるか上空にある。魔導兵装はもとより、魔導飛槍の射程からも外れるほどだ。
「ふむ。勢いこんで突撃してきたわりには、ずいぶんあっさりと退きますね。考えられることとしては……やはり巨体ですから、頻繁に息継ぎが必要、ということなのでしょうか」
マギジェットスラスタにより消費した魔力を補うべく、甲高い吸排気音を休みなく響かせるイカルガを思いつつ、エルは腕を組んで首をかしげている。
イカルガの横槍により攻撃に失敗した飛竜戦艦であるが、その後追撃の機会がなかったというわけではない。それを捨ててでも上空に逃れるということは、それなりの理由があるはずであった。
「それに、地上のほうでも敵が出てきているようですね」
首をめぐらせれば、輸送型飛空船により投入された幻晶騎士が地上で展開を始めていた。
大地に黒の領域を増やしつつある敵の陣容を眺め、これからどうすべきかエルはわずかに悩む。
「……ストールセイガーは、このまま後退を優先してください。地上は各中隊が前に出るでしょう。僕はあの竜がこの船を追わないよう、抑えます」
「おうさ、エル。俺たちも出来るようなら、あの竜に魔導飛槍をたたっこんでやるさ!」
ツェンドリンブルの周りでは幻晶甲冑が動き回り、垂直投射式連装投槍器の再装填を進めている。
それを見ながら、エルとイカルガは頷きを返したのだった。
ジャロウデク王国の紋章を刻んだ飛空船が、すべるように前へ進み出る。
戦闘能力のない輸送型の船は攻撃を受けないよう十分な距離を置きながら、腹を開いて幻晶騎士を投下し始めた。ジャロウデクの騎士たちは、降り立つなりすばやく陣を組み始める。
部隊の中核をなすのはやはり、制式量産機であるティラントーだ。
それら重厚な黒騎士の中に、ただひとつ際立って異様な幻晶騎士があった。全身に剣のみならず、多種多様な武器を乱雑に取り付けた機体、地上部隊の隊長に抜擢されたグスターボの“死者の剣”である。
「……いくぜぇ、デッドマンズソード。もうあんときみてーな無様はさらさねーようによぅ」
強烈な力を秘めた太い腕が動き、大剣を引き抜く。綱型結晶筋肉を備えた新世代機にとっても扱いづらいであろう、大きく厚い無骨な剣だ。
デッドマンズソードはその高い出力を遺憾なく発揮し、大剣を軽々と振るう。周囲の展開が終わったのを見て取り、グスターボは剣を振り上げた。
「おら野郎ども! 養親父が戻ってくるまでに、ガッツリと奴らに痛手をあたえてやるとしようぜ!」
儀仗のごとく振り下ろした大剣にあわせ、ジャロウデク軍がいっせいに進軍を開始する。
その間、新生クシェペルカ軍はジャロウデク軍が戦闘準備を進めているのを、ただ呆然と眺めていたわけではなかった。
「竜の次は黒騎士か。どちらにせよ、やることに変わりはない。まずは奴らに一撃、見舞うとしよう……投槍戦仕様機隊、再装填が終わったものより投射用意!」
アルディラッドカンバーに乗るエドガーが周囲に指示を飛ばし、新生クシェペルカ王国軍のレーヴァンティアが軌条腕を構える。
そこで魔導飛槍の装填を終えた幻晶甲冑が、ばらばらと下がっていった。魔導飛槍による攻撃は、なにも飛空船のみを対象としているわけではない。地上、つまり幻晶騎士に対してもその威力を発揮できるのである。
「目標正面、放てっ!」
エドガーの号令にあわせ、レーヴァンティアが一斉に魔導飛槍を投射した。
炎の尾を曳き空に上がった魔導飛槍は、微細な操作を受けて方向を変えつつ急激な加速を果たしてゆく。限界に達した銀線神経を切り離すころには、それらは分厚い鋼をも貫く威力を得ているのだ。
迫り来る数多の魔導飛槍を眺め、グスターボはデッドマンズソードの操縦席で強暴な笑みを浮かべていた。致死の魔槍を前にしていながら、そこには欠片ほども臆する様子がない。
「はっ! そんな棒っきれ、何度も食らうかよぉっ! 甘ぇ甘ぇ甘ぇっ!!」
デッドマンズソードは一対の大剣を構え、降り注ぐ槍の雨から逃れようともせず、むしろ率先してその只中へと突っ込んでいった。
幻晶騎士、騎操士によって操られる鋼の巨人。それが人類最強の兵器と呼ばれる所以は、なにもその大きさから来る破壊力のみによるものではない。
猛速で飛来する魔導飛槍を、デッドマンズソードが一刀のもとに斬り飛ばした。間をおかず飛び込んできた次の槍を、もう一刀が砕き飛ばす。その次も、その次も。死者の剣がその剣を振るうたび、魔導飛槍が破砕され残骸と成り果ててゆく。
当たり所によっては黒騎士すら破壊する魔槍を、デッドマンズソードはただ圧倒的な剣技のみで退けていった。
幻晶騎士の本質は、人が持つ技と能力を何倍にも拡大して再現するところにある。剣に狂った修羅と死者の剣の力は、数多降り注ぐ魔槍すら何の障害ともしていない。
死者の剣が切り開いた道を、黒騎士たちが盾をかざして驀進してゆく。彼らはジャロウデク王国本国を防衛する、鉛骨騎士団から抽出された精兵たちであった。
彼らが持つ重厚な鋼の盾は、高い威力を持つ魔導飛槍に対しても怯むことはない。さしもの魔槍も、盾と黒騎士の鎧を同時に貫くことはできないのだ。数度の戦いを経て、彼らも情報を共有し様々な対策を講じてきた。
やがて突き進むうちに投槍の嵐は過ぎ、彼らの前には敵の姿のみが残る。
「もう打ち止めかぁっ!? なら、今度は俺っちの番だぜぇ!!」
ミシリ、とデッドマンズソードの全身から軋みのような音が漏れた。結晶筋肉が撓み、弾け、爆発的な力を解放する。
地面をえぐるほど強く踏み込み、デッドマンズソードは飛ぶような速度で駆け出した。この機体はティラントーに並ぶ膂力を備えながら、機敏さにおいて従来の幻晶騎士に引けを取らない。すぐに、集団からただ一騎突出することになる。
対する新生クシェペルカ軍は息を呑んでいた。
魔導飛槍には、とある“致命的な欠点”がある。それは再装填に時間がかかるという点だ。幻晶甲冑により手動で装填を行うという機構上、避け得ない隙である。さらには装填している間、投槍兵は動きを大きく制限されるため守備にも心もとない。
一息に距離をつめてくる黒騎士団を前に、レーヴァンティア隊の動きは鈍かった。
「やれやれ、どうにも賑やかになってきたことだ。ここは私たちが前に出る。格闘戦になるぞ、総員抜剣! 投槍兵は魔導飛槍を準備しつつ、状況に応じて動いてくれたまえ」
動揺著しい新生クシェペルカ軍をかばうようにして、銀鳳商騎士団が前に出る。先頭に立つのは当然、切り込み隊である第二中隊だ。彼らはすぐさま剣を抜き放ち武器を構え、雄たけびと共に駆け出してゆく。
その中でも中隊長機グゥエラリンデが、先陣を切って駆けていった。
両軍の隊長機が互いに突出しって駆ければどうなるか。答えは簡単だ。その距離は瞬く間に縮まり、すぐに両機共に接近する互いの姿を確認するほどになる。
「あの、嫌気のさすような装備の仕方! ああそりゃあもう覚えがある……連剣のォ! 生きていたのか!!」
渋い表情を作るディートリヒと対照的に、グスターボは興奮で今にも踊りださんばかりだ。
「はっはぁー! 双剣のォ……奇遇じゃねぇか、こんなところで会えるなんてよぉ。俺っち感動のあまり泣いちまうぜぇ!」
「やかましいよ、連剣の。私はうんざりするあまりあくびが出そうだ!」
「ふっは、遠慮すんなよぉ! ほぉらさ、デッドマンズソードもよぉ、てめぇとの戦いを待ちきれねぇってさ!!」
全速力で走りながら、デッドマンズソードが大剣を振り上げる。負けじとグゥエラリンデも剣を振るい、互いに全力を籠めてぶつかり合う。
周囲に鋼の悲鳴を響かせ、黒と紅の騎士が衝突する。そこでぶつかり負けたのは、意外なことにグゥエラリンデのほうであった。格闘向けの強靭な機体が、ただ一方的に弾き飛ばされ大きく後退する。
ディートリヒは衝撃に歯を食いしばりながら、驚愕の呻きを抑えられないでいた。
「なんという馬鹿げた膂力! どうにも、新型か。ヤツの技量に加えてこの出力、これはなかなか相手にするには厳しいものだね!」
歯を食いしばって衝撃に抗うグゥエラリンデめがけ、デッドマンズソードが繰り出す追撃の刃が迫る。
「双剣のォ! まずはてめぇに借りを返してやっぜぇ、受け取りなぁ!!」
勢いのまま突き出された大剣が紅の鎧に食い込むより早く、飛来した炎弾がデッドマンズソードの目前で爆炎を噴き上げた。舌打ちを残しつつ、デッドマンズソードが後退する。
その間に体勢を立て直そうとするグゥエラリンデをかばうように、両者の間に白き幻晶騎士が立ちはだかっていた。
「ディー。あの奇天烈なやつは、お前の恋人か?」
「ひどい冗談だ。まったく勘弁願いたいが、少し因縁があることは否定できないね」
水を差された形になったデッドマンズソードは、意外にも上機嫌な様子で排気音を高鳴らせる。眼球水晶がじろりと目前の敵を睨みつけ、急かすように駆動で熱くなった吐息を漏らした。
「へへっ。双剣のに加えて、“盾だらけ”とくるたぁねぇ。お前ら、強そうな匂いがするぜぇ、どちらも隊長騎だな? 否やは言わせねぇ、ちょいと俺っちとデッドマンズソードに、付き合ってもらうぜぇ」
言うなり、一際甲高い吸排気音を残しデッドマンズソードが再び前に出る。アルディラッドカンバーは可動式追加装甲を軽く浮かしつつ、迎え撃つ姿勢を見せた。
「投槍兵の態勢がととのわない。ここで敵を調子に乗らせるわけにもいくまい、我々でこいつを片付けるぞ」
「やれやれ、承知っと」
グゥエラリンデが双剣を構えて駆け出し、僅かに遅れてアルディラッドカンバーがそれに続く。
「はっは! いいぜいいぜぇ、どっちからよぉ、喰らっちまうっかねぇ!」
デッドマンズソードが突風を巻き起こしながら大剣を振り回す。アルディラッドカンバーの放った法弾を弾き飛ばし、その隙に斬りこんで来たグゥエラリンデを片手で退け、なお勢いおさまらぬとアルディラッドカンバーへと肉薄する。
寸でのところで展開された可動式追加装甲が大剣を受け止めるが、デッドマンズソードはただ力尽くにそれを押しのけた。
「く、装甲を!? こいつは、これまでの黒騎士とは一味違う」
後退したエドガーが視線をめぐらせれば、可動式追加装甲の一部が歪んでおり砕けた結晶筋肉が零れ落ちていた。そのままデッドマンズソードの攻撃を受け続ければ、追加装甲も関係なく破壊されかねない。
エドガーの表情に強い緊張が走った。
「はっは! この死者の剣をよぉ、侮ってっと痛い目みんぜぇ!」
警戒を強める二機の中隊長機を相手取り、死者の剣は大剣を構えなおすと再び肉薄する。黒き死者の剣の暴威に対し、白と紅の騎士が立ち向かっていった。
地上にて両軍が激突する一方、上空では十分な休息を得た竜が再び動き出していた。
しばらくの間、飛竜戦艦は起風装置のみを用いて上空を遊弋していた。起風装置は移動装置としては非力さが目立つものの、マギジェットスラスタとは比較にならないほど魔力の消費が少ない。
高い出力のおかげで魔力貯蓄量を大きく回復し、十分に戦闘に耐えうると判断したドロテオは伝声管を開くのももどかしく指示を下していた。
「頃合だ、源素浮揚器の大気希釈を始めよ。高度を下げ、格闘戦に入る」
いったん時間を置いたことで、彼の中にあった焼け付くような怒りはわずかに勢いを弱めていた。
何よりもまずストールセイガーを破壊し、敵の手より解き放ちたいという思いは未だに強く彼の中に残っている。しかし地上部隊が戦闘を開始した以上、それを無視するわけにはいかなかった。
デッドマンズソードが中心となって暴れまわっているものの、飛空船による輸送を行ったため全体としては数に劣っている。最大の戦闘力を持つ飛竜戦艦を投入せねば、すぐに形勢は不利に傾いていくだろう。
帆翼を畳んだ飛竜戦艦が、再び戦闘形態へと移行する。マギジェットスラスタが唸りを高め、その巨体を加速し始めていた。
「降下とともに格闘戦にて蹂躙する。全員、備えよ!」
伝声管から、部下たちの力強い応答が聞こえる。
源素浮揚器内へ大気が流入すると同時、余剰のエーテルを外部へ排出した。密度の低下により浮揚力場が減衰し、飛竜戦艦を空に支えていた力が弱まる。
大気を唸らせながら船体が高度を下げてゆく。その間にも格闘用竜脚が展開し、凶悪な爪が地上の獲物へと狙いを定め迫っていった。
「……投槍兵部隊! 竜が降りてきている、迎え撃つぞ!」
一方の新生クシェペルカ王国軍では、動き出した竜の姿を見咎めた兵士が大声で周囲へと伝えていた。
ジャロウデク軍地上部隊と剣を交える銀鳳商騎士団の後方に位置し、彼らは準備を進めながらずっと上空を監視していた。彼らの得物は魔導飛槍、その最大の目的は対空であるからだ。
「あの竜を近づけるな! 魔導飛槍、狙いよし、放て!」
レーヴァンティア隊が再装填の終わった魔導飛槍を構え、空に必殺の魔槍が放たれてゆく。一度大きく広げて放たれた魔導飛槍は、騎操士が操るまま飛竜戦艦めがけて収束していった。
それに対し、飛竜戦艦も近接防御火器にて応じる。船体から突き出したアンキュローサが、それぞれ“雷の網”を起動して投槍へと雷撃を放っていた。
晴天に雷鳴が轟くたび、槍が砕かれ叩き落される。
次々に攻撃を無効化されているというのに、レーヴァンティア隊に動揺はなかった。彼らにとっても迎撃が来るのは織り込み済みである。特に雷霆防幕という、強力な近接防御火器を見せ付けられた直後であるからだ。
そこで、彼らは一計を案じていた。魔導兵装による迎撃は強力だが、多くの魔力を消費するために連続発動には制限がある。それを見越して、魔導飛槍を投射するときに時間差をおくことで二段構えとしたのだ。
魔槍をかいくぐったばかりの飛竜戦艦へと、第二陣の攻撃が迫る。レーヴァンティア隊の目論見どおり、今度は魔導兵装による迎撃は間に合わず、投槍が巨体へと突き立っていった。
「魔導飛槍の到達を確認! 効果は……な、なんだと。効いていないのか!?」
観測役の兵士は、己の目を疑っていた。
確かに、多数の魔導飛槍が飛竜へと直撃し突き立っている。しかし、それらは強靭な外装に阻まれ、十分な損害を与えるにはいたっていなかった。
通常の飛空船が相手であれば、魔導飛槍が直撃すれば大きな損害となる。
しかし飛竜戦艦は、ある一点において通常の船と決定的に異なっていた。それは“魔力転換炉を搭載し、強化魔法によって船体構造を維持している”ということだ。規模こそ大きく違うものの、その考え方の基礎は幻晶騎士に近い。
さらに、一〇〇m級の巨大な船体を維持する強化魔法というものは、かなりの規模に上る。莫大な魔力の消費と引き換えに、飛竜戦艦は恐るべき堅牢さを手にしていた。さもなくば、この巨体で格闘するような真似は不可能であろう。
幻晶騎士をも貫く魔導飛槍であっても、その外装に対して有効な手段とはなりえなかったのである。機械の竜は、未だ空に健在であった。
「その程度の攻撃で、この飛竜戦艦が怯むとおもうてか。お返しに竜の爪の威、見せてくれよう。覚悟せよ」
竜騎士像が操るまま船首をめぐらせ地上を睨み、飛竜戦艦は獰猛な爪を光らせ獲物めがけて襲い掛かる。
地表スレスレまで高度を落とし、接近してきた飛竜戦艦が巨大な脚を伸ばした。推進器から炎を噴き、轟音とともに爪が大地を削り取ってゆく。
さらに各部のアンキュローサが法弾を放ち、周囲を破壊の炎で染め上げていった。
「たっ、退避だ!」
レーヴァンティア隊は魔導飛槍の再装填を諦め、盾を構え身を守りながら後退する。その周囲を、幻晶甲冑が慌てて逃げだしていた。小型で耐久性に劣る彼らにとって、法弾の一発でも十分に脅威である。
そうして幻晶甲冑たちを守って動いていたレーヴァンティアを、竜の爪が容赦なく引き裂いてゆく。巨大な爪が全高一〇mもの巨人兵器を掴み取り、力任せに破砕していった。
「ようし、竜炎撃咆の充填を開始せよ。敵は動揺している、反撃の密度が薄い間に一息に焼き払ってくれる!」
敵を破壊しながら進みぬけた飛竜戦艦が、高度を上げながら船体を軋ませつつ旋回する。
多大な被害を受けた新生クシェペルカ軍はよほど混乱しているらしく、時折散発的な反撃がおこなわれるだけだ。その程度はものともせず、竜は再び地上へと迫ってゆく。
動揺する地上へ向けて、飛竜戦艦がその顎門を開いた。大量の紋章術式を駆動し、喉の奥に爆炎の嵐を生み出してゆく。
迎撃も退避もままならぬクシェペルカ軍へ向けて、炎の噴流が放たれんとした、その時であった。
横合いより飛来した轟炎の槍が、飛竜戦艦の船体中央を直撃する。
それはただの法弾とは思えない尋常ならざる威力を持っており、噴き上がる爆炎は飛竜戦艦の防御すら貫いた。それに巻き込まれ、外部に設置されていたアンキュローサのうち一機が爆砕する。
「ぐっ、なにごとかっ!? ええい、推進器の出力を上げよ。一時離脱する!」
船首に充填されていた魔力が霧散し、ドロテオは地上への攻撃を断念せざるを得なかった。マギジェットスラスタの炎が一際激しく噴き出し、飛竜戦艦の巨躯を高速で移動させる。
「これは……あの奇妙な幻晶騎士かっ! 絶好の機会であったものを、やってくれたものだ」
先ほどの攻撃は、イカルガの銃装剣によるものであった。
イカルガはストールセイガーから発進することで、高度を維持したまま攻撃を仕掛けたのだ。地上への攻撃のために高度を落としていた飛竜戦艦は、空を行く異形の幻晶騎士に上をとられる形になっていた。
そうして慌てて速度をあげる飛竜戦艦を追いかけるかのように、空の高みより業炎の槍が続々と降り注ぐ。それには、さしものドロテオも血相を変えて叫んだ。
「まずい、これ以上やつの攻撃を受けるわけにはいかん! 雷霆防幕を展開せよ」
生き残ったアンキュローサたちが連動し、船の周囲に激しい雷の盾を展開する。そこに業炎の槍が次々とぶつかり、空中に眩く雷と炎の競演を繰り広げた。
「ぐううぬ、いったいあの幻晶騎士はなんなのだ! この出力、あるいは竜をも凌ぐほど。今一度、高度をとり逃れねば……」
このまま銃装剣による法撃を浴び続けては、早々に魔力貯蓄量が尽きてしまうだろう。さらに万が一、守りを抜け攻撃を受けても厄介である。
飛竜は船首を持ち上げ、上昇する気配を見せた。
「逃げては駄目ですよ。どちらかが墜ちるまで、僕と踊りましょう!」
それをのうのうと見送るエルではない。銃装剣と雷霆防幕の衝突により、一時的に威力が相殺された空間を突き抜け、イカルガは飛竜戦艦に肉薄する。
「なんという! こいつは馬鹿か、それとも恐れる心がないのか!? 近寄らせるな!」
すぐに、アンキュローサから牽制の法撃が放たれた。それを軽快な噴射でかいくぐりながら、なおもイカルガは接近してゆく。
飛竜戦艦の巨体は圧倒的な防御と攻撃力を持つが、小回りにおいてはイカルガより圧倒的に劣る。超高火力を有するイカルガに直接取り付かれては、さしもの飛竜も耐え切る保証はない。
悲鳴じみた飛翔音を残し、法弾幕がなおいっそう密度を増す。とにかく接近を阻まねばならない。
ドロテオの部下たちには、だんだんと鬼面を備えた異形の幻晶騎士の姿が、死神とだぶって見えつつあった。
死力を尽くす飛竜に対し、イカルガはあくまでも着実に距離をつめてゆく。
ついに射程距離に入った執月之手が宙を舞い、飛竜戦艦へと突き刺さった。ワイヤーを高速で巻き上げながら、イカルガがさらに速度を上げて迫る。
極至近距離、飛竜に抗うすべはない――次の瞬間、ドロテオは信じられない行動に出ていた。
「総員、身体を固定せよ! 船を“回す”ぞ!」
いうなり、ドロテオは操縦桿を捻り鐙を蹴飛ばし、馬鹿げた指令を船へと伝える。
ワイヤーを巻き上げていたイカルガは、意図しないところでさらに加速したことを感じ、ふと疑問を覚えた。そのまま飛空船をようく観察し、さしものエルも驚愕する。
目前に迫っていた飛竜戦艦の外装が奇妙な動きを見せていた。その全身の筋肉を駆動させミシミシと音を立てながら、恐るべきことに飛竜戦艦はその場で錐揉み回転をしてのけたのだ。
通常の飛空船には絶対に不可能な機動である。
「う、うわ。執月之手がくっついたままで……」
執月之手により船体とつながっていたイカルガは、その回転につられて振り回されていた。
天地がぐるりと回転し遠心力に弾き飛ばされそうになりながら、しかしエルは怯まない。
「凄まじいことを思いつきますね……ですが!」
乱暴な空中機動は彼にとっては日常茶飯事とも言える、得意技である。この程度の状況で混乱することはない。
マギジェットスラスタが小刻みに向きを調整しながら噴射を始めた。すぐに体勢をととのえ振り回された勢いを減らすと、彼は再び攻撃に移ろうとし。
「これで、潰れよ!」
そこに猛烈な勢いを伴って、イカルガへと巨大な竜脚が迫る。
錐揉み回転は、ただの回避行動ではなかった。ドロテオは船体の向きを変えることで直接、格闘用竜脚でイカルガを狙ったのだ。
空を舞う幻晶騎士と格闘用飛空船との戦いという未曾有の領域において、彼は空前の攻撃を繰り出していた。最新鋭技術の結晶たるこの二機の戦いは、その一手一手の全てが、これまでの常識から外れている。
一瞬はやく執月之手が船体を放し、マギジェットスラスタが最大出力で噴射を始める。吹き飛ぶような速度で離れたイカルガは、辛くも竜の剛腕から逃れていた。
間をおかずアンキュローサからの法撃が追いすがり、イカルガを追い立てる。複雑な空中軌道を描きそれをかわしながら、操縦席のエルは凄絶な笑みを浮かべていた。
「切り抜けてきますか! なんという素晴らしい判断力……いいですね、その船、騎操士! 盛り上がってきましたよ!」
落下の勢いを噴射で減殺しながら、イカルガは上空へと逃れてゆく飛竜戦艦を見送ったのであった。
鬼神の猛攻を辛くも凌いだ飛竜戦艦は、再び高度を上げていた。
ドロテオは部下より船体の状況についての報告を受け取り、渋い顔を作っていた。
「アンキュローサを一機、やられたか……」
銃装剣による強力な法撃を受け、アンキュローサのうち一機が大破していた。吸排気機構に損傷を負い、魔力の供給が不可能になったのだ。致命傷であり、この戦闘の間に修復することはかなわないだろう。
「多少の被害は覚悟しておった。しかし、あの恐るべき鬼神を相手にして、“命のひとつ”を失ったのは重い痛手よ」
幻晶騎士の十倍以上の巨体をもつ飛竜戦艦は、人が作る構造物としては巨大すぎる。それが消費する魔力も、圧倒的に莫大なものとなった。
一般的な魔力転換炉は幻晶騎士の大きさに最適化されており、竜を支えるにはまったく足りていないものである。それを補うためには、それこそかつての陸の皇のような一つで強力な心臓を用意する必要があるだろう。
しかし、ほとんどの魔獣が絶えたこの西方諸国において、そのような手段はとりようがない。
その設計者であるオラシオが、かつて経験した致命的な問題である。
しかし彼はクシェペルカ王国という戦地において、それを解決しうるまったく新しい技術と出会った。
それは法撃戦仕様機という幻晶騎士である。
法撃能力を極限まで伸ばした機種であるこの幻晶騎士は、その大きな特徴として蓄魔力式装甲により構成されたウォールローブという装備を有している。
ならば、ウォールローブ自体を複数機で共有すれば、より大きな魔力貯蓄量を利用できるのではないか――さらに飛空船の生みの親であるオラシオは、船を主体とした発想から始まり、その構想の究極ともいえる形へと辿り着いた。
飛竜戦艦の上下の左右に並んだ“アンキュローサ”に“竜騎士像”をあわせた、全十三機。
これらは飛竜戦艦という、“超巨大規模の蓄魔力装備”を共有し、ひとつの機能としてつながっているのだ。アンキュローサは重要な攻撃・迎撃手であると共に、この船を支える心臓そのものであった。
それが、この機械の竜の命を支える秘密なのである。
そして今、鬼神との戦いにおいて命のひとつが失われた。残る命は十二。それが尽きる前に、ドロテオたちはクシェペルカ軍を撃退しなければならない。
先ほどの一戦は、ドロテオにひとつの確信を与えていた。クシェペルカ軍へと攻撃を仕掛けるには、先に鬼神の撃墜は必須である。
鬼神の攻撃が飛竜戦艦をも脅かす以上、それは不可避だ。
同時に、それが如何に困難なことであるかをも、彼は悟らざるを得なかった。
逡巡はわずかな間、彼はあるひとつの決断を下す。
「……止むをえん。切り札を切る必要がある。ここで、敗北するわけにはいかないのだ。……場合によっては、“最大化戦闘形態”を使用する」
呟くようなドロテオの声に、部下たちから動揺の気配が返ってきた。
竜が船首をひるがえす。地上にあるクシェペルカ軍と鬼神をめがけ、飛竜戦艦は一気に降下を始めていた。