#73 竜鬼あいまみえる
西方の空を舞う巨大な機械仕掛けの竜――“飛竜戦艦”の登場は、一時は窮地に陥ったジャロウデク王国を再び強者の地位へと押し戻す原動力となった。
陸戦兵器である幻晶騎士を主力とした西方諸国において、強大な戦闘能力をもって自在に空を駆ける竜は極めて強力な存在であった。
ジャロウデク王国へと侵入する軍勢を数回も焼き払えば、各国はその威力を恐れ手出しを控えるようになってゆく。領内の空を悠然と飛行する飛竜戦艦の姿は、いつしか“ジャロウデクの守護竜”として、その名が知られるようになっていった。
その日、何度目かの出撃を終えた飛竜戦艦が、ジャロウデク王国の王都へと帰還する。
空港に降り立ったドロテオと部下を、飛竜戦艦の生みの親であるオラシオ・コジャーソが出迎えた。彼は大きく腕を広げ、全身で歓迎の意図を表している。
「はは、これを受け渡して以来ですな、マルドネス卿。して、いかがでしょうかね? 飛竜戦艦の力のほどは」
「まったく凄まじいばかり、まずは見事と申しておこうか。我が国に入り込もうとする鼠の、尽くを焼き払ってきたところよ」
頷きとともに返ってきた言葉は、オラシオを十分に満足させるものだった。
これまでの飛空船は、基本的に幻晶騎士を輸送するためにあり、自前の戦闘能力は持たないものだった。そのうちに法撃戦仕様機を導入したことによりいくらかの改善が見られたものの、それも戦力を幻晶騎士に頼っていることには変わりがない。
対して飛竜戦艦は単体で高い戦闘能力を有した、まさしくオラシオの目指した“大空の支配者”、その完成形といえるものだ。
「大変、結構。これで何者にも阻まれず、大空を行くことが出来そうで。……さて、それでは参りましょうか。実は、カルリトス殿下が首を長くしてお待ちでしてね」
待ちきれずここまでやってきたついでに、彼は伝言役でもあった。ドロテオたちを先導しながら謁見の間へと歩く間、彼らは飛竜戦艦について盛んに語り合う。
「飛竜戦艦の力あれば、どれほどの幻晶騎士に挑まれたところで勝利は揺らぐまい。しかし惜しむらくは、今この時であることか。この船がクシェペルカでの王都決戦に間に合っておれば……。いや、それもせんなき話というものなのだが」
「それはまぁ、そうなんですがねぇ。そもそもこの船は、“対飛空船用”に設計したものでしてね」
彼のその言葉は、ドロテオにわずかな驚きを呼び起こす。何せそれを語るこの男こそが“飛空船の生みの親”、本人なのだから。
「貴公は、いったい誰と戦うつもりであったのだ」
「今は我々だけの専売ですが、いずれは必要になるものでしょう。ならば考えておくに越したことはないってもので。そこで純戦闘用の飛空船として必要な装甲や火力を与えるにはどうすればいいか……船のままではいけない、かと言って幻晶騎士でも違う。そこでちょっとした“ツテ”から、魔獣を模した機構について薫陶を受けましてね」
「それはまた、なんとも思い切ったことだな。しかしその口ぶりでは、この船は以前よりあったということではないのか?」
やや鋭さを増すドロテオの詰問に、オラシオはぼさぼさとした頭をかきながら誤魔化すような笑みを浮かべた。
「ええ確かに、以前より作っていたものですよ。しかしこれがいけない、何せ重くてまともに動かないわ、おかげで遠距離からの攻撃に極端に弱いわで、あえなくお蔵入りとなっていたものでして」
曖昧な表情のなか、彼の瞳だけが強い光を湛えている。そこには、飛空船を生み出した者としての確かな自信があった。
「あの国での戦いの教訓と経験は、実によくその欠点を埋めてくれましてね。強力な推進器に、さらに法撃戦仕様機まで加えたことで、ようやく飛竜戦艦は、最強の船として生まれ変わった」
「……あの戦いなくば、生まれることはなかった、か」
オラシオの言葉はもっともなものであり、ドロテオは声に落胆を滲ませる。
「だが、これからだ。いずれこの船の力をもって、殿下の仇を討ってくれようぞ」
ひと時は落ち込みかけた気を奮い立たせる。何度の勝利を積み上げようとも、ドロテオは常に仇の姿のみを見定めていた。
そのうちに謁見の間へと辿り着いた彼らを、カルリトスが待ち受けていた。以前は敗北から険しかった彼の様子も、相次ぐ巻き返しによっていくらか和らいできている。
「面を上げよ、マルドネス卿、コジャーソ卿。両名とも、大儀であった。卿らの活躍により、我が国に迫る奸賊どもの尽くを打ち払った。ふむ、これまでに積み重なった汚名も、多少は雪げたというところか」
「はっ! 恐れ多きお言葉に御座います……」
彼は深々と頭を下げるドロテオから、オラシオのほうへと視線を向ける。
「それで、コジャーソ卿よ。この飛竜戦艦とやらは十分にその価値を示した。今は雌伏のときにあるとしても、再び我が国が立ち上がるために、是が非でもこれを増やす必要がある」
「お畏れながら、殿下。飛竜戦艦をこれほど早く投入することができましたのは、以前より作りかけていたものがあったからでございまして。今後新たに作るとすれば、多くの時間と費用がかかるものと……」
元から試作品であった飛竜戦艦は、実用化のために様々な最新技術を乱雑に投入したことによって、その構造は複雑極まりないパズルと化していた。もしこれを新たに製造、果ては量産まで考えるとすれば、まずは入念な再設計が避けられないだろう。
さらにはその巨体と性能を維持するためには、相当量の資材を惜しみなく使う必要があり、建造費のほうもかなりロクでもないことになっている。
オラシオの説明を聞いたカルリトスは落胆の色を隠せない様子であり、それ以上に呆れた表情を見せていた。
「……なんだそれは。いかに強力であろうとも、まともに数もそろわぬのではな……。当面は、守護を主としてつかうしかあるまいか」
強力な手札ではあるが、失えば替えが効かない鬼札でもある。兵器としては失敗作に属する類のものであろう。とはいえ、ジャロウデク王国の置かれた現状では、それでも使わないという選択肢は存在しないのであるが。竜と黒騎士の守護により、ジャロウデク王国はクシェペルカ王国への侵攻失敗から徐々に立ち直りつつある。
そんな時であった。東方の地より彼らの元へと、とある報せがもたらされたのは。
デルヴァンクール奪還戦よりおよそ三ヶ月の時が過ぎる。
かつてジャロウデク王国に占拠された三枚砦の上空を、一隻の飛空船が通り過ぎていた。この船の銘は“ストールセイガー”。元ジャロウデク王国軍旗艦であった船、そのものである。
デルヴァンクール奪還戦において稼動状態で鹵獲されたこの船は、それまで謎の多かった飛空船の原理解明に大きく貢献してきた。源素浮揚器をはじめとした“純エーテル作用論”下の技術の多くがクシェペルカ王国へ、そして銀鳳商会へと伝わったのである。とはいえ、さすがに新規の建造がおこなわれるまでには至っていない。
そんなわけで鹵獲船であるこの船は貴重な飛空船として利用されていたのであった。
この船は、幻晶騎士をはじめとする戦力の移送以外にも、とある重要な役割をもっている。すなわち、要人の安全な移動である。
「……これが、空から見たクシェペルカの風景なのですね」
新生クシェペルカ王国の女王、エレオノーラは船の司令室から見える景色に、感嘆の吐息をもらしていた。
つい最近まで、彼女たちが知る景色は高台や城などの建築物の高さから見たものがせいぜいであった。それが遥かな高みを進むようになろうとは、誰も考えもしなかったことだ。
一時はクシェペルカ王国を滅ぼす一因ともなった飛空船という技術であるが、実際に船に乗ったエレオノーラは素直な感動を胸に抱いていた。
「この船を作った方は、このような景色をもとめて、飛空船を生み出したのかもしれませんね」
「……もしかしたらそうかもしれない。けどやっぱり、戦での価値がでかかったのがなぁ」
アーキッドは相槌を打ちながらも、思案げな表情を見せる。飛空船が持つ価値は数多あり、それはなにも戦闘に限ったものではない。
「確かに、あいつら見てたらそれも正しいかもって思えてくるなぁ」
言いつつ、司令室の硝子窓にへばりつくようにして景色を眺めているエルとアディを見たキッドが肩をすくめた。エレオノーラの小さな笑い声が続く。
「前方、ロカールの都が見えてきました」
そんな彼らの元に、兵士たちから報告が上がってくる。街道の向こうに、街の姿が見え隠れしていた。
「しかしエリ……女王陛下、ご自身が飛空船ひっぱりだしてまで向かうほどの話なんですかね」
「はい。今回、諸国連合に対しては再建のお手伝いを申し入れる予定です。比較的たやすく話はまとまるでしょう。……私は、まだまだ未熟ですから。こうして少しずつでも経験を積んでいかないといけません」
どこかおっとりとした様子は以前から変わらないが、その言動にははっきりとした意思が表れている。女王となって以降、彼女には芯とでも呼ぶべきものが出来上がりつつあった。
そのうちにストールセイガーはロカール諸国連合の都市へと到着する。
ほぼ同時に、船のあとを追うようにして陸路を進んできた幻晶騎士部隊が辿り着いた。ストールセイガーは飛空船のなかでも巨大で積載能力にも秀でているが、搭載できる機数には限りがある。この遠征は、場合によってはジャロウデク王国への威力偵察をかねているためそれなりの戦力が必要だった。勿論、王女の護衛という意味も兼ねている。
それから、ロカール諸国連合に所属する各国王族との会合の場が持たれた。
事前の想定どおり、話し合いは特に大きな問題もなく実に順調に進んだ。新生クシェペルカ王国に侵略の意図はなく、諸国連合に対してはこれまでどおりの緩衝地帯としての役目を期待している。
そもそもこの地を侵略したジャロウデク王国も、諸国連合に対してはただの通過点以上のものとはみなしておらず、王族の粛清すら行われていなかった。おかげで小国の再建はかなり容易なのである。そこに再び力を取り戻しつつある新生クシェペルカ王国からの支援は、彼らにとっても願ったりであった。
早々に歓談の場と化した会合のなか、エレオノーラはふと懸念のひとつを切り出す。
「そういえば、お聞きしたいことがあります。私どもはジャロウデク王国を追い払ったわけですが、その後彼らに何か目立つ動きはあったのでしょうか?」
各国の王たちは顔を見合わせ、やがて思い当たる節について話し始めた。
「ふうむ、それでしたら。このような噂が聞こえてきておりますな……」
「“守護竜”? 巨大強大な航空兵器でしょうか。いずれにしろただの飛空船とは違うというわけですね、それはとてもとっても興味深い」
夜、銀鳳商騎士団の面々は会合の場で出た話について伝えられていた。なかでも彼らの(主に騎士団長の)興味を引いたのは、弱体化したジャロウデク王国を狙い侵略に出た国々を跳ね返しているという、守護竜についての噂である。
旅団規模の幻晶騎士部隊を歯牙にもかけず焼き払ったという話は多少眉に唾をつけたくなるものではあったが、ともあれジャロウデクが何かしらの新兵器を配備したことは想像に難くない。
「フン。アレだけ痛めつけてやったのにまだそれだけの余力があるとは、さすが大国というべきか。しかしそうなると俄然、このまま戻るわけにはいかなくなったな! いま少し力を削ぐ必要があるだろう」
言葉とは裏腹に、エムリスは歯をむき出しに旺盛な戦意を隠そうともしていなかった。
表向きは女王の護衛として同行した銀鳳商騎士団であるが、場合によってはそのままジャロウデク王国内へと積極攻撃に出ることも考えられている。そのために騎士団の核である二個中隊をそろえ、さらにレーヴァンティアからなる騎士部隊を四個中隊、あわせて大隊規模を擁しているのだ。再建を急ぐ新生クシェペルカ王国にとっては相当に無理を重ねた戦力派遣であるといえた。
「その守護竜ですが。話を聞く限りは幻晶騎士とは思えない、どちらかというと新しい飛空船のように聞こえます。大部隊に対して強いようですし、十分な警戒が必要でしょう」
「とはいえ飛空船なのだろう? いざとなれば双子が垂直投射式連装投槍器で打ち落としてくれるさ」
それぞれ対照的な意見を見せる中隊長たちの横で、エルは周囲を見回して結論を告げる。
「ともあれ、これで進軍は確定というわけですね」
ロカール諸国連合における話し合いをまとめた後、彼らはロカール諸国連合の西端となる場所まで駒を進めることになる。
ジャロウデク王国とクシェペルカ王国の間における揉め事は、別に最近に限った話ではない。過去幾たびも剣を交えることはあったし、諸国連合が戦場になったことも一度や二度ではなかった。そのためジャロウデク王国側の国境には、諸国連合が国の垣根を越えて協力し合うことで築いた、強固な城砦が存在していた。
しかしそれも黒騎士の蹂躙により一度はその機能を失ったため、現在は再建が進められている最中だ。
旗艦であるストールセイガーがゆっくりとした速度で空を進む。その下では、陸上戦力である銀鳳商騎士団とクシェペルカ軍が行進していた。そうして、彼らが国境沿いの城砦を目前としていた時のことである。
「あの砦の使用許可はもらってきた。ひとまずあれを拠点として、周囲の様子を探ることとし……」
全体に指示を伝えようとしたエムリスは、目前の光景に強い違和感を覚える。
山間の谷間を埋めるようにして作られた城砦。山林の緑と灰がかった石壁、空の青に分かれた風景の中を、うねるように近づいてくるものがいる。城砦との対比から推測するに、相当な巨体だ。
「な、なんだアレは!? 飛空船……? にしては形がおかしい。むしろ、あれではまるで……」
渦巻く風を引き連れ、左右に大きく翼を広げて長大な尾をうねらせ蛇のごとく鎌首をもたげるそれは、どう見ても魔獣――それも“竜属”にあるものを思わせる形をしていた。
しかし同時にそれは決して魔獣ではありえない。明確に人の手によって生み出された意匠を外装に備え、翼を思わせる部位は帆布を張ったもの。ましてや全体の各所から“幻晶騎士”を生やしているとなれば、到底自然の産物とは考えられない。
「見たまえ、“口”を開いているぞ!!」
地上をゆくグゥエラリンデが指し示す。その先では、上空を旋回していた“竜もどき”が、城砦に向けてその巨大な顎門を開いているところだった。
次の瞬間、黒々とした口腔から激しい炎の噴流が吐き出される。
幻晶騎士が用いる魔導兵装とは比較にならない、極大規模の爆炎の豪雨が砦へと降り注いだ。敵を防ぐための堅牢な城壁は上空から降り注ぐ炎に対してはまるで役に立たず。どころか、壁によって囲まれた内部を炎が存分に舐め回してゆく。
瞬く間に、荒れ狂う炎が城砦の隅々までを破壊しつくした。
「馬鹿な、砦を一撃で……!?」
「あれが噂の守護竜ですか。これはすごい、噂以上の代物ですね!!」
新生クシェペルカ王国軍は、城砦が炎の中に沈む一部始終を目撃し、呆然としている。
それは銀鳳商騎士団も、ストールセイガーに乗る者たちも大差はなかった。べったりとガラス窓にへばりついて眺める団長のみを例外とする。
その間にも空を舞う機械の竜――飛竜戦艦は旋回し、次の狙いを地上へと定めつつあった。
「これで貴様らに逃げ道はなくなった……。この地で、竜の炎に焼かれて果てるがいい!!」
飛竜戦艦船首にある竜騎士像の操縦席で、ドロテオは気炎を揚げる。彼の主を倒した仇敵、クシェペルカ王国の戦力がついにジャロウデク王国へと迫っている。その打倒の命を受け、彼と部下たちは飛竜戦艦で出撃したのだ。
加えて、直後に彼はあるものを目撃し、血を絞るような言葉を吐き出していた。
「お、おおお……。なんと、あれは……ストールセイガーではないか!!」
幻像投影機に映る巨大な船が、彼に動揺を与えた原因だ。ストールセイガー、元ジャロウデク王国旗艦にして、彼の主の乗艦であった船。
それが敵に使われているという事実は、彼にとっては亡き主への侮辱以外の何ものでもない。それは老練な兵士すら激昂させて余りあった。
「おのれ貴様らぁ……頭に乗りおって! この飛竜戦艦の力をもってクリストバル殿下の仇、討ち滅ぼしてくれよう!!」
竜騎士像からドロテオの指示が轟き、飛竜戦艦はすぐさま高速戦闘形態へと移行する。
帆翼が畳まれ、尾部付近から爆炎が噴き上がった。爆発的な噴流の勢いを受け、その巨体が加速を始める。従来の飛空船とは一線を画す、飛竜戦艦の戦闘速度を目にして、ストールセイガーの司令室はにわかに蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれていた。
「あの炎、速度! まさかマギジェットスラスタをモノにしてきましたか、やりますね! キッド、アディ、すぐさま迎撃に。僕もイカルガで出ます!!」
すでに駆け出しながら、エルが矢継ぎ早に指示を飛ばす。返事もそこそこに双子がその後を追って格納庫へと向かった。
「あの炎が相手では、この船ではまずい! 急いで後退しろ!!」
エムリスが叫び、兵士たちがあわてて動き出す。
その間にも、飛竜戦艦は船体下部に畳まれていた装備を展開し始めていた。
「おおおぉぉぉぉぉ格闘用竜脚よぉうい!! その腹引き裂いて源素浮揚器を握りつぶしてくれるわ!!」
数多の幻晶騎士を引き裂いてきた、格闘兵装が凶悪な爪を露とする。図らずも、それは初期の設計思想どおり対飛空船兵器としての役目を得ようとしていた。
マギジェットスラスタを多数搭載し激しい爆音轟かす飛竜戦艦に比べ、旧態依然とした起風装置を主機関とするストールセイガーでは、いかにも鈍足だ。
破壊的な竜の爪から逃れる術はないように思われた、しかし。
「それ以上、この船に近寄らせるものかよォ!!」
「なんだかむしろ魔獣っぽいのって、むかつくし!」
法撃戦仕様機以外にも、ストールセイガーには双子のツェンドリンブルが積まれていた。積載量に優れたストールセイガーは、魔導飛槍を大量に輸送できる。そこに垂直投射式連装投槍器を組み合わせれば、空対空から空対地まで幅広い攻撃を可能とする。
ツェンドリンブルは上部甲板へと現れるなり、大量の魔導飛槍を撃ち放った。爆炎の尾を曳く鋼鉄の投槍が、強烈に加速しながら飛竜へと襲い掛かる。
「猪口才な、この飛竜戦艦がこれまでと同じ手を食うと思うてか! 雷霆防幕用意、打ち払え!」
押し寄せる投槍に対し、飛竜戦艦の各所より“生えている”法撃戦仕様機がいっせいに魔導兵装・“雷の網”を構える。
雷撃系の魔導兵装による近接防御。飛竜戦艦に装備されたそれは威力の強化を施され、さらに密集した配置をとることにより従来型を超える威力を発揮した。雷によって編まれた輝く盾が船の周囲を荒れ狂い、飛来した投槍の尽くを打ち砕く。飛竜までたどり着いた魔導飛槍は一本とてなく、まったく足止めにならなかった。
「あれほどの魔導飛槍に狙われながら、こ揺るぎもしないか! 少しまずいな、このままでは追いつかれる……」
機械の竜が備える爪は巨大で、飛空船の装甲では耐えられないだろう。もしくは炎を受けても同じことだ、ストールセイガーが致命傷を負うであろうことは容易に想像できる。
エムリスは、ちらりと司令室の一角へ視線を飛ばした。そこではエレオノーラが両手を組んで、一心に何かに祈っていた。いきなり取り乱さないだけ、彼女も成長しているといえよう。
ともあれ現状が実にまずいことになっているのは否定できない。戦闘は織り込み済みであったが、まさか飛空船がもっとも危険な場所になろうとは誰も想像していなかったのだ。
「いざとなれば、エレオノーラだけでも逃がしたいが、何か良い手はないものか……」
彼らに上空を進む船から逃げ出す手段はない。彼には、司令室に漂う空気が、急に体に纏わりつくように重さを増して感じられた。
そんななか、ただ一人元気満杯な人物がいる。それは言わずもがな。
「魔導飛槍に対する迎撃能力が上がっている! 素晴らしい、頑張っていますね……ならば、次はこれならどうでしょうか!!」
エルだ。垂直投射式連装投槍器の再装填を急ぐツェンドリンブルの隣で、激しい気流の咆哮を放ちながらイカルガが立ち上がる。
直後に猛烈な爆音が轟き、その場に陽炎の揺らめきだけを残してその姿が消え去った。いきなりマギジェットスラスタを全開で駆動させたイカルガは、そのままストールセイガーの上部甲板を端まで走りきり、一筋の矢のように宙へと飛び出す。
炎纏う異形の幻晶騎士が、あろうことか“直接こちらへ飛んでくる”という馬鹿げた状況は、激しい殺意に染まりきっていたドロテオをして驚愕を抱かせるに十分であった。
「な、なんだと。正気か、飛び移るつもりなのか! なんという愚か者だ、雷霆防幕で破砕してしまえ!」
すぐさま、雷鳴が轟いた。雷霆防幕は、単に法撃や魔導飛槍を防ぐためのものではない。近づくものはたとえ幻晶騎士であれ同じこと、雷の瀑布が全てを砕く。
そうして紫電を走らせる飛竜戦艦へと、空を駆ける鎧武者はその手に持った銃装剣を突き出した。刀身が開き、紋章術式を刻まれた銀板に夥しい魔力が迸る。それが導く強大な戦術級魔法が、朱に輝く炎弾の形をとって放たれた。
発動した雷霆防幕へと法弾が衝突する。爆炎系の魔法で作られた法弾は、雷撃と接した瞬間に炸裂し猛烈な炎の壁と化した。その威力たるや雷に抗し、相殺するほどである。
「ぬぅっ!? まことあれは幻晶騎士かっ!? 我が飛竜戦艦以外にも、これほどの法撃を放つものがいようとは!」
雷霆防幕をもってして拮抗するほどの威力を持つ魔導兵装など、まったくの想定外であった。もとより相応の魔力を消費する魔導兵装であるからして、普通の幻晶騎士ではその消費を維持できないはずなのだ。
ドロテオが動揺から立ち直る間もあらばこそ、雷の盾を失った飛竜戦艦へと爆炎纏う鬼神が突っ込んでゆく。
「さぁて! 張り切って!!」
「侮るな、近寄ったからとて!」
飛竜戦艦は飛空船でありながら、その設計思想が根本から異なる。直接格闘戦を想定した構造は高い自由度を持ち、鞭のようにしなる躯体自体が巨大な打撃武器と化した。つまり、飛竜は体当たりにでたのだ。
「おっと! さすがに巨大なだけは、ありますね!」
迫り来る巨体を、イカルガはマギジェットスラスタを全開で噴射することによってかいくぐる。鬼神と飛竜が交差し、双方が無傷のまま、すれ違い通り抜けた。
イカルガの攻撃は失敗したように見える――しかし、彼は十分に目的を果たしている。
マギジェットスラスタは高い推力を持つがゆえに、わずかな進路の変更であっても大きな距離を動いてしまう。それが飛竜戦艦の巨体であればなおさらだ。イカルガに注意を奪われている間に勢いをつけすぎた飛竜戦艦は、ストールセイガーとぶつかる進路から逸れていた。凶悪な竜の爪は何もつかむことなく、悔しげに空を切る。
竜とすれ違ったイカルガは、スラスタを噴かしながら空中で旋回していた。その操縦席で、エルは口元を笑みの形に歪めている。
「さて、まずは一撃かわしましたが……。ふふ、ふふふ。動きは速く上空にあってはなかなか追いきれず。雷の守りにより魔導飛槍も法撃も防がれ、イカルガだって迂闊には近寄れません。これはなかなか厄介で……ずいぶんと攻略のしがいがありますね!」
言いながら、エルの表情はまったく困ったふうには見えない。むしろ嬉しさに満ち、輝いて見えるほどだ。
「機械の竜! マギジェットスラスタ、銃装剣、執月之手。イカルガと僕の能力の全てをもって、挑ませてもらいます!」
竜を追い、鬼神が空を翔る。
その間にも、窮地を逃れたストールセイガーからは投槍の再装填を終えたツェンドリンブルによる攻撃が再開されていた。船から打ち上げられた魔導飛槍が、飛竜めがけて進路を曲げる。
さらにはようやく態勢を整えた地上部隊の投槍兵からも魔導飛槍が打ち上げられ、数多の投槍が飛竜戦艦めがけて殺到していた。
再び雷霆防幕が閃き、荒れ狂う紫電が投槍を焼き落としてゆく。その光景を横目に、竜騎士像のなかではドロテオが焦れていた。
「初撃を逃したからとやかましいものだ。旋回し、追撃を仕掛ける! 殿下の御船を、これ以上やつらの勝手にはさせられん!」
しかし、伝声管からは部下からの悲鳴じみた警告が返ってきた。
「隊長、魔力貯蓄量が想定より減少してます。残りが3割近い、魔力転換炉からの供給が追いつきません!」
城砦を焼いた竜炎撃咆から、さらに突撃のためのマギジェットスラスタの連続稼動、加えて度重なる雷霆防幕の使用が、飛竜戦艦の魔力を大きく消耗させていた。
“とある仕掛け”により幻晶騎士とは比較にならない魔力供給量を誇る飛竜戦艦だったが、その力も無制限ではない。そもそも圧倒的な巨体ゆえにその消費も馬鹿にならないものだ。
「ううむ、致し方ないか。……いったん仕切りなおす、高度をとるぞ! 魔導光通信機を用意、“僚船”へ伝令を送れ。陸上戦力を投入し、やつらを足止めするのだ!」
すぐさま、飛竜戦艦に備えられた魔法を利用したカンテラが光を放ち始めた。それを一定の調子で点滅させることで信号とし、遠距離での伝令を可能としている。
飛竜戦艦から放たれた信号を受け、燃え盛る城砦を越えて数隻の飛空船が現れた。こちらは戦闘艦ではなく、通常の輸送船型だ。
クシェペルカ王国軍に対して投入されたのは飛竜戦艦のみではない。支援用として陸上戦力も随伴していた。
飛空船に載せられているのは、ジャロウデク王国制式量産機“ティラントー”。さらには、重厚な黒騎士とは異なる形状を持った幻晶騎士の姿もあった。
ティラントーにも引けをとらない頑強な体躯をもち、さらには全身にくまなく剣をはじめとした数多の武装を固めてつけた奇妙な機体。ドロテオの義息、グスターボが操る“死者の剣”であった。
「義親父から合図がきたぜぇ。おうおうてめぇら、今度は不覚をとらねーようによう! 俺っちもきっちり仕上がってるからよぅ、暴れっちまうぜぇ!」
グスターボの怒号に続き、黒騎士たちの雄たけびが唱和する。
空には竜と鬼神の戦いがあり、地上では再び、黒騎士団と銀鳳商騎士団による戦闘が巻き起ころうとしていた。