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Knight's & Magic  作者: 天酒之瓢
第5章 大西域戦争編
63/224

#63 新王都フォンタニエ防衛戦

 

 レトンマキ男爵領を越えて以降、ジャロウデク軍の歩みを阻むものは何もなかった。

 “汎クシェール街道ロード”の各所を遮るはずの関所は、飛空船レビテートシップの脅威を避けるために大半がすでに放棄されている。さらに各領地を防衛するはずの戦力すら、そのほとんどが引き上げられた後だ。


「ふん、戦力を一箇所に集めているのか。なるほどな、新女王こむすめは生意気にも“王都決戦”をお望みのようだ」


 この“東方領制圧軍”の指揮を執るのは、ジャロウデク軍の主力である“黒顎騎士団騎士団長“であった。彼は旗艦として定められた特別製の飛空船に乗り、部隊の最後方に位置している。

 旗艦からは、ジャロウデク軍の布陣が一望できる。整然と進軍する黒顎騎士団のティラントー、その上空で翼のような配置をとる鋼翼騎士団の飛空船団。ここにある戦力だけで中規模な国家程度であれば、制圧することすら可能であろう。いかにかつては西方諸国に名を轟かせたクシェペルカ王国といえど、多くの戦力を失い後退を続ける今となっては、その例外ではない。

 “新生クシェペルカ王国”を称しわずかに息を吹き返したものの、その実態は既に死に体。西方諸国に覇を競い合った敵国へとトドメをさす栄誉を賜ったことに、騎士団長は深い喜びを感じていた。これこそ、ジャロウデク王国最強と謳われた黒顎騎士団に相応しい役割である。


「しかし、こうも何も起こらないとは。これはこれでつまらんものだな」


 彼の発言が、飛空船の司令室に小さな笑いの波を呼んだ。いかに死に体とはいえ大国の末期として歯ごたえがなさ過ぎる、それは彼らに共通した感想だったからだ。

 彼らの進軍は、文字通りの無人の野を突き進んでいる。順調すぎて、速度に劣るはずのティラントー部隊すら想定よりも進んでいるくらいである。それからさしたる時を必要とせず、ジャロウデク軍は新王都フォンタニエの目前へと差し掛かっていた。


 元は東方領の領都であり、今は新生クシェペルカ王国の王都である、フォンタニエ。

 これ以前の地を守る戦力を引き上げたということは、周囲には塔の騎士レスヴァント・ヴィードがひしめいているはずである。完全な迎撃戦術だ。野戦で黒鉄の騎士に勝てない以上、クシェペルカ軍に他の選択肢がないのも事実なのだが。

 騎士団長は口元を不敵に歪める。レトンマキ男爵領での戦いにおいて、塔の騎士に関する多くの弱点が露呈した。ジャロウデク軍にとって、すでに塔の騎士はさほどの脅威ではない。


「ようし、全軍停止。今のうちに兵を休めておけ。やつらの終わりも、近いのだからな……!」


 大将の指示に従い、ジャロウデク軍は街道沿いに展開すると簡易の陣地を築いていった。敵にトドメをさすとあって兵士たちの士気は高いが、遠距離を行軍してきただけあってそれなりに疲労が積もっている。本格的な戦闘に入る前に、休息が必要だった。

 ジャロウデク軍には慌てる理由などない。兵を休め、十分な余裕を持ってから敵を攻め落とせばいいのだから。


 そうして築かれたジャロウデク軍の陣地の様子を窺う者たちがいた。

 陣地の周囲に広がる森林。そこに潜む、景色に紛れる配色をおこなった幻晶甲冑シルエットギア――シャドウラート。彼ら、“藍鷹騎士団”はじっとジャロウデク軍の進軍を監視してきたのである。こういった諜報活動は、まさに彼らの得意とするところだ。

 ジャロウデク軍は、自らの行動をまったく隠そうとしていない。なにせフォンタニエは暫定とはいえ王都なのだから、新生クシェペルカ王国は逃げられない。さらに言えば、この規模の軍勢を隠蔽することなど実際問題として不可能である。それならば隠し立てなどせず、敵を威圧しながら進めばいいという考えだ。

 しかし、藍鷹騎士団はじっと森に潜み、様子を窺い続けていた。

 彼らがジャロウデク軍の行動を監視し続けていたのは、その進攻速度から精密な侵攻予測を立てるためだ。ジャロウデク軍が動き出す、その時を捉えるため、間者たちは森に潜み続けるのであった。



 ジャロウデク軍はそれから一昼夜を休息にあてていた。多少なりとも休息を得た兵士たちは十分に力を蓄え、敵を倒すという指令を今か今かと待ちわびている。


「新女王はどうやら本格的な腰抜けのようだ。いや、もうろくな将が残っていないのかも知れんな」


 休息中に警戒していた奇襲もなく、騎士団長はむしろ不機嫌な様子でいた。追い詰められて牙を剥くかと思えば、新生クシェペルカ軍は依然として城壁の中に閉じこもったままである。


「大国としての矜持など、飛空船を前に吹かれて消えたか。ふん、しかし腰抜けが相手とはいえ油断するわけにもいかん。作戦は当初の通りでゆく。かかれ!」


 ようやく、騎士団長は全軍に指令を下す。ジャロウデク軍が動きだしたのは、日が沈み、夜も深まってからのことであった。

 彼らの作戦とは、緒戦においてデルヴァンクール攻略に用いたものと同様である。つまりは飛空船を使った夜襲だ。

 レトンマキ攻防戦において、塔の騎士の能力では空を進む飛空船へと法撃を当てるのは至難の業であることが判明した。しかし、フォンタニエには付近の戦力の全てがかき集められている。さすがの飛空船でも、昼間に堂々と近寄るのはためらわれた。


 そこで夜襲である。闇夜にまぎれる飛空船を狙うのは、昼間に増してなお困難だ。暗闇が、彼らに守護を与えてくれる。

 そうして接近し、ひとたび敵地への侵入を果たしてしまえば後の対処は容易である。クシェペルカのレスヴァントも、塔の騎士も近距離での戦闘能力は高くはない。十分に塔の騎士を排除した後、本隊である黒顎騎士団が堂々と乗り込み、押し潰すのだ。

 新王都フォンタニエを陥落させ、さらに敵の戦力を完全に叩き潰す。完璧な勝利の構図である。騎士団長の脳裏には早くも、フォンタニエにジャロウデク王国の旗がひるがえる光景が浮かんでいた。


「鋼翼騎士団の諸君、出番である。風を起こせ、勝利を呼び込め! 速やかに王都上空へと侵出するのだ!」


 船の両舷に備えられた黒く染め抜かれた帆が、起風装置ブローエンジンが起こした風を浴びて膨らむ。飛空船は風音とともに夜空を泳ぎ、ひっそりと静まり返ったフォンタニエへぐんぐんと接近していった。


 この期に及んで、フォンタニエには何の動きも見えない。闇夜の有利はあれど多少の反撃は覚悟していた鋼翼騎士団の騎士たちにとって、この状況は拍子抜けを通り越して不気味ですらあった。

 なにしろクシェペルカ王国は、旧王都デルヴァンクールを同様の夜襲によって失っている。警戒していないはずがないのだ。

 彼らの困惑を置き去りに、飛空船は順調にフォンタニエに近づいてゆく。多少の不信感は押し殺し、鋼翼騎士団は船の速度を落として徐々に高度を下げ、内部では黒鉄の騎士(ティラントー)の投下準備を始めようとしていた――。



 その時、地上に僅かに輝くものが現れた。

 橙の尾を引く燃え盛る炎の弾。魔法による法弾だ。まっすぐに空に向って延びゆくそれは、しかし飛空船に当てることを意図したものではない。

 この法弾には、他にはないとある特殊な仕掛けが施されていた。

 法弾の中央には、実体の“芯”が存在する。密閉された金属容器を覆うように魔法を形成して、発射されたのだ。芯となる金属容器はごく薄く作られている。それは飛翔中に周囲の炎弾の熱を受けて熔解し、一定の時間差をおいて中身と炎が接触する仕掛けになっていた。

 金属容器の内部に封入されているのは“金属粉末”。それは、術式に従い爆炎へと変化せんとする法弾の熱と炎に接触し、激しい“炎色反応”を示した。

 続々と夜空に花咲く眩い光の弾――こことは異なる世界において“照明弾”と呼ばれるものと、同様の効果を生み出したのだ。


 新王都フォンタニエを中心とした周囲の森には、あらかじめ藍鷹騎士団の間者が配置されていた。電信探知レーダーなど存在しないこの世界において、人力による探知網――“結界”を敷いていたのだ。

 間者として十分な訓練を施された彼らは昼夜を分かたぬ待ち伏せをこなし、今その任務を完璧に遂げた。クシェペルカ王国は、夜襲を警戒していなかったわけではない。逆だ、この時をこそ待ち望んでいたのである。すなわち――“先制攻撃”の機会を。




 夜空に生まれた偽物の星がまばゆく輝き、闇に潜む侵入者の姿を暴き出す。

 呼応するように、森の一角で立ち上がった者がいた。闇夜にまぎれていたのは藍鷹騎士団だけでも、ましてや鋼翼騎士団だけでもない。いまこの瞬間を待ちわびていた狩人がいる。

 魔力転換炉の吸排気音が高鳴り始めた。隠密を重視して森林と同色で染められた布を跳ね除け、その下から巨体が現れる。額から突き出た一本角を持ち、下半身が馬の形をしているためその全高は15mにも達していた。その背後に巨大な荷馬車を牽いた、人馬の騎士“ツェンドリンブル”だ。


「うふふふふふふふふふようやく来たわねこの邪魔者どもが。あなたたちへの備えのために、ここしばらくエル君と離れ離れだし! 許しはしないわ!!」


 ツェンドリンブルの操縦席では、アデルトルート(アディ)がドス黒い何かを吐き出しながら操縦桿を強く握り締めていた。

 いつ飛空船が襲い来るかわからない状況で、待機する必要があったのは藍鷹騎士団だけではない。地対空装備を搭載したツェンドリンブルと、その騎操士である彼女も同様であった。

 エルと一緒にいられないストレスを瘴気のように漏らしながら、殺気に満ちた視線を飛空船へと送っている。彼女の愛馬は主人の意思に応えるように、魔力転換炉から凶暴な嘶きをあげた。


「エル君への手土産とキッドの勝利と私の鬱憤晴らしのために、全員そろって墜ちなさーい!!」

「おーう怖い怖い。だがまぁ、墜ちてもらうってのには賛成だ。ちょっとここでの勝利は譲れねぇぜ」


 気炎を上げるアディ機の横で、アーキッド(キッド)の乗るツェンドリンブルが起動する。

 2機の幻像投影機ホロモニターには、照明法弾に照らし出された空飛ぶ船の姿がはっきりと映し出されていた。それをめがけて、彼らはツェンドリンブルの馬体の上に備え付けられた新兵器を起動する。

 多数の軌条レールを並べた、用途不明の機械の塊。そこには極めて大型のワイヤー巻き上げ機が軌条と同じ数だけ取り付けられていた。軌条の上には手投げ用の槍が並べられ、すべてがほぼ真上を向いて固定されている。


「いくわよ! “垂直投射式連装投槍器バーティカルロンチドジャベリンスローワ”、はっしゃー!!」


 ちょっとハイになりすぎたアディの叫びに続くように、軌条に取り付けられていた槍が一斉に猛烈な爆炎を噴き放ちながら、空へと飛翔を始めた。

 ほぼ垂直に飛び出した槍の周囲で、小さな炎がひらめく。微量の噴射により向きを変えた槍は、末端部から激しい炎を噴き出し、その勢いに押されて大気を切り裂くように突き進み始めた。

 その正体は、この世界の言葉で表現するなら“攻撃用大型ワイヤージャベリン”であり、地球の言葉で表現するならば“有線誘導式地対空ミサイル”というべき代物である。

 幻晶騎士が使う大型の投槍ジャベリンに、推進・姿勢制御用の触媒結晶と魔力と術式を伝える銀線神経をつなげた、有線制御の遠隔兵装。それがエルの作り上げた、ツェンドリンブルの新装備“垂直投射式連装投槍器バーティカルロンチドジャベリンスローワ”であった。



 夜空に浮かび上がった飛空船は、突如として現れた爆炎を瞬かせながら飛翔する謎の物体に気付く。

 しかし起風装置が起こす風によって動く飛空船は、直線速度はともかく小回りはまったく効かない。どんどんと速度を上げる投槍を、しかも誘導されているそれを避けるなどそも不可能であった。

 やがて投槍は銀線神経の長さの限界まで飛翔する。投槍から銀線神経が切り離され、魔力の供給を失った投槍は慣性飛行へとうつっていった。その頃には十分な速度と威力を獲得していた投槍は、中途半端に回避機動を取ろうとした飛空船の横っ腹へとそのまま突き刺さってゆく。


 飛空船の装甲は猛速で飛来する投槍に対して、まったくの無力であった。飛空船は史上初の航空戦力であるがゆえに、地上からの法撃は想定しても物理的な攻撃が飛んでくることなど一切想定されていない。

 申し訳程度の装甲板を破砕し、投槍が飛空船の内部へと飛び込んでゆく。あるものはそのまま内部に格納されたティラントーへと突き刺さり、あるものは飛空船の内部構造を蹂躙した。

 やがてそのうち一本が偶然に、飛空船の中央部にあった源素浮揚器エーテリックレビテータへと突き刺さった。破壊が吹き荒れる船内に、密閉封入されていた高純度エーテルが噴きだす。エーテルはすぐに周囲へ拡散し、大気と混ざりその密度を下げた。

 直後に船が、傾き始める。

 エーテルは高純度、高密度で集めることにより“浮揚力場レビテートフィールド”と呼ばれる上方向への力場を形成する性質がある。それが飛空船を空へと支える力の源であり、源素浮揚器の原理だ。

 機器の密閉を破壊されエーテルの密度が落ちたことにより、飛空船を空へと支えていた浮揚力場が失われていた。それまでは悠然と空にあった船体が、まるで滝から落ちるように急激に落下を始める。いくら風を起こそうとも船体を舞い上がらせることはできず、重力に導かれるまま、勢いを増して森の中へと突っ込んだ。

 己の位置エネルギーをそのまま破壊力へと転化した飛空船は、抗いようもなく地面へと接吻する。土煙を吹き上げて低く重い音が響き渡り、圧倒的な破壊力を受けた船体は原形をとどめないほど激しく損壊していた。搭載していたティラントーまで、全てまとめて粉々だ。


「ひとーつ! けっこう大変だけど、いけるわね! 次よ、次! このまま全部叩き落すんだから!」


 “垂直投射式連装投槍器バーティカルロンチドジャベリンスローワ”は基本的に、ワイヤーアンカーと同一の原理で操作されている。有線で操作が可能とはいえ、それを制御するのはツェンドリンブルの騎操士――アディやキッドであった。

 十基もの投槍器を操作するのはかなりの負担をともなうが、そこは彼らの高い制御能力の見せどころだ。逆に言えば、これは常人には扱えない類の武装なのである。


 初撃の成果に気を良くしたアディは、上機嫌で次弾の用意にとりかかっていた。

 ツェンドリンブルに搭載された大型巻き上げ機が全力で稼動し、投槍に接続するための銀線神経を回収してゆく。背後に牽いた荷馬車からは幻晶甲冑がわらわらと現れ、同じく山積みされている投槍を運びだしていた。彼らは手早く投槍を軌条へ設置し、戻ってきた銀線神経の接続部を取り付けていった。垂直投射式連装投槍器は自動装填機能など備えてはおらず、人力による再装填が必要なのである。その役目はもちろん、小回りと膂力に長けた幻晶甲冑の担当だ。

 準備を終えた幻晶甲冑は、大声で終了を告げると再び荷馬車へと戻っていった。彼らが離れるのを待って、再び爆炎の尾を引いて投槍が空へと舞う。



 飛空船の司令室は、水を打ったような有様になっていた。

 誰もが状況を正確に理解できていない。この戦争において飛空船へ与えられた初めての損害が、よりにもよって一発撃沈である。しかもその方法は彼らの想像の遥かに外側から飛んできた。空を支配していたはずの彼らは一転、狩られるだけの獲物に成り下がったのだ。理解など土台無理な相談である。

 愕然と立ち尽くす船員たちを正気に戻したのは、投槍による攻撃の第二陣であった。再び船を衝撃が貫き、貨物室は阿鼻叫喚の地獄と化す。


「ち、畜生! 畜生!! 馬鹿な……“罠”だと……なんということだ、やつらは狂ってやがる! まさかこれほどの窮地を“待ち受けて”いたのか! 船首像フィギュアヘッドへ通達急げ、急速回頭! 速度を上げてあの光の弾から離れろ!! 闇の中へ逃げ込むんだ、このままではいい標的まとだ!」


 先行していた鋼翼騎士団は、まさに混乱の極みにあった。

 地上から打ち上げられた“偽物の星”により照らし出された周囲の光景。その中で、正体不明の炎吐く槍が次々に飛空船へと襲い掛かってくる。この状況で冷静さを保つのは不可能といえよう。


「進路をできるだけ揺らせ、まっすぐに進むな! 高度も下げろ、無理矢理でもいい、ティラントーを降ろすんだ!」


 飛空船の船員たちは、思わず復唱も忘れて船長へと振り返っていた。彼はティラントーを降ろすといったのだ。待ち伏せにより危機にある状況で、それは正気の選択肢とは思えなかった。


「……地上に降りたティラントーは、あの攻撃の主を探し出し、破壊するのだ。どのみち、このままでは我々は落とされるのを待つばかり。その前に、一矢なりとも報いてやる!!」


 最初の一隻があまりにも鮮やかに撃墜されたため彼らは気付いていないが、投槍による攻撃は必ずしも飛空船を落とせるわけではない。直撃による被害は大きいのだが、落とすためには中央に備えられた源素浮揚器を破壊する必要があった。

 飛空船の構造を知らない双子は急所を狙っているわけではない。撃沈した飛空船は、たまたまなのである。


 とはいえそんなことは彼らにわかろうはずもなく。彼らの飛空船は急速に高度を落としながら、前方へと突出していた。このまま無理やりにでもティラントーを降ろし、身軽になった後は一息に離脱する。あと少しで投下の可能な高度までたどり着く――高度計を睨みながら、船員たちが祈るような気分でいたとき。


「高さを落としましたね……ようやく僕の『手』が届く範囲に入りましたよ」


 地上から、闇夜の中に黒々と浮かび上がった飛空船を眺める異形の影があった。

 怒りを湛えて歪んだような面構え、背に広がる四本の腕。銀鳳騎士団旗機、鬼面六臂の鎧武者“イカルガ”は静かに走り出す。すぐに両肩、腰のマギジェットスラスタが起動し、爆音と共に激しく鬼神イカルガを加速していった。

 真正面から飛空船へと挑むような進路。直後に、それまでは機体を前方へと加速するために使われていたマギジェットスラスタが下方へと向きを変えた。爆炎で地面を抉りながら、反動を得たイカルガの身体が宙を舞う。


 完全に空を舞うその動きは幻晶騎士としてはありえないものだったが、まだ飛空船のある高さまでは至っていない。空力的な特性を考慮していないイカルガは、スラスタの噴射力のみを頼りに上昇する。しかしそれは無駄が多く、魔力の消費はあまりにも莫大であった。

 いかに“皇之心臓”を持つイカルガとはいえ、この後に戦闘をおこなうことを考えれば無視し得ないほどだ。

 マギジェットスラスタのみでは上れる高さに限界があり、肝心の飛空船へと手が届かない。しかしエルは冷静に操鍵盤を奏でると、不敵な笑みを見せた。


「さぁ、見せてあげますよ、イカルガの“奥の手”を……内蔵型ワイヤーアンカー“執月之手ラーフフィスト”、発射!」


 エルの命を受け、イカルガの背にある四本の腕が蠢いた。手首を固定していた機構が動き、意図的に強化魔法を緩めて結晶筋肉クリスタルティシュー金属内格インナースケルトンの接続が外される。手首には銀線神経を織り込んだワイヤーがつなげられており、これもワイヤーアンカーと同様の機能をもっているのだ。

 直後、手首に内蔵された結晶筋肉を触媒として激しい噴流が発生した。大気圧縮と爆炎の組み合わせ、マギジェットスラスタと同質の噴流推進である。戒めから自由になった四器の執月之手は燃え盛る爆炎の尾を牽きながら宙を駆け、エルに導かれるまま上空にあった飛空船へと突き進んでいった。


 鋭利に作られた指先を揃え、強力な強化魔法を適用された執月之手が飛空船の装甲を貫いて突き刺さる。そのまま執月之手は元々の“手”としての機能を果たし、飛空船の装甲を握り締めて自身を固定した。


「待っていてくださいね、祭りの場所へと参りますから!」


 エルははしゃぎながら、再び操鍵盤を奏でる。指令を受けた巻き上げ機構が咆哮をあげてワイヤーを飲み込み、イカルガの身体を急速に船上へと導いてゆく。十分に接近したところで一際巨大な噴射をおこない、イカルガは一気に船上まで飛び上がっていた。


 ――飛空船の司令室にいた船員たちは、見た。突然、飛空船に影がさしたかと思うや、さめざめと降り注ぐ月の光をくっきりと切り取って、深く黒い影が降り立ったのを。

 投槍など比較にもならない、劈くような爆音が轟く。咆哮のような吸排気音が、船体を貫いた。月の光に浮かび上がる異形が、ギリギリと筋肉を軋ませながら六本の腕を伸ばしてゆく。鎧の上に纏った爆炎の衣が、眩い朱の炎が噴き上がる。

 想像の限界を越えて、世界の外からやってきたかのような恐怖と沈黙が、司令室に溢れ出した。すでに理性は現実の理解を拒否している。

 その時、差し込む光の悪戯が鬼神の顔を照らし出した。憤怒に染まる悪鬼のごとき表情と“目が合い”、船長の顔が恐怖に歪む。


「ば、化け物……」


 それが、彼の最期の言葉になる。

 船上に現れた鬼神は、なんの容赦もなく動き出した。手に持つ大剣を振り上げ、司令室へと叩きつけたのだ。

 激烈な破壊力を有する一撃を受け、一瞬で司令室が圧壊する。そのまま、叩きつけられた大剣が二つに割れた。中から現れたのは複雑な紋様を持つ銀板、魔導兵装だ。突き刺したままの複合魔導兵装“銃装剣ソーデッドカノン”へと、鬼神から莫大な魔力が流れ込んでゆく。

 直後に放たれた眩い炎の法弾は、司令室の残骸を貫き飛空船の内部へと突き刺さった。轟炎の衝撃が船内を焼き尽くし、行き場のない衝撃が床を破砕し、下方へと噴出す。内部の源素浮揚器など、一瞬で粉々だ。浮揚力場を失った飛空船が傾きだす。そこまで確かめればもう用はないと、鬼神はすぐさま船上から身を躍らせた。


「まずはひとつ、と。他にもまだまだ、お客様をお待たせしていますし……急がないと、ですね!」


 投槍に追い立てられて、高度を落とした飛空船は他にもいる。地上へと降り立ったイカルガは、次の獲物を見つけると再びその手を伸ばし、襲い掛かってゆくのであった。



 空にあっては槍に撃たれ、地上に寄れば鬼神に喰らわれる。完全に進退窮まった鋼翼騎士団であったが、なかには強行的に降り立ち黒騎士ティラントーを降ろすことに成功した船もあった。

 黒騎士を降ろした飛空船はすぐさま離脱してゆく。この場所はもはや死地であり、逃げる以外の対処などない。

 一目散に逃げ出す船を見送る間もなく、降り立った黒騎士部隊は森の中を走り出した。この戦いで鋼翼騎士団が受けた被害は尋常なものではない。なんとしてもこの原因へと一矢報いねば、もはや彼らに未来はないとさえ言えた。

 ただでさえ機動性に難のあるティラントー、しかも飛空船が戻ってくることはないだろう。無事に帰ることなどない決死隊と化した彼らは、ほんの少し前とは一転して悲壮な覚悟を胸に前進してゆく。


 闇に沈む森の中、聞こえるのは彼らの足音と、時折遠くから響く重い墜落音だけ。

 鬼神も人馬の騎士も、空の獲物にご執心である。このまま見つからずに進めるのかもしれない、黒騎士の騎操士たちが淡い期待をいだき始めた、その矢先のことだ。

 闇の中に揺らめく影が、彼らの前方に立ち塞がった。暗闇の中ではわかりづらいが、それはクシェペルカ制式量産機レスヴァントに見えた。


「ふん、いまさら案山子レスヴァントごときがなにを……!?」


 応戦の構えを見せたところで、黒騎士の騎操士たちは強い違和感を感じる。

 何かが、違う。それにレスヴァントではティラントーに敵わないのは、クシェペルカ軍も身をもって知っているはずである。この重要な場面で、わざわざそのような機体を使うだろうか――。


「黒騎士どもよ、お前たちの命運もここまでだ」


 彼らの疑問を他所に、低く押し殺したような声で告げると共に謎の機体が前進を始めた。

 やはり、クシェペルカの騎士はレスヴァントではない。それに通ずる意匠をもちながら、より力強く進化した姿を備えている。黒騎士たちは悟る、これは新型機なのだ、と。

 そう、これこそがエルたちの技術提供により開発されたクシェペルカの最新鋭機――“レーヴァンティア”、その先行試作騎だ。彼らは地上を護るべく、フォンタニエの周囲に配備されていたのである。


「我らが新たなる騎士は、黒騎士にも負けはしない……これまでに我らが受けた屈辱、その身で思い知れ!」


 騎士の怒号が唱和し、地を揺るがした。

 小細工は抜きに、両者がいっせいに走りより正面からぶつかってゆく。これまでであれば、クシェペルカの騎士はティラントーの攻撃に耐えられず、一方的に斃されるままであった。

 しかしこの時は違っていた。振り下ろされた重棍ヘビーメイスの一撃を、レーヴァンティアは大剣をもって受け止める。両足が地に埋まり機体が軋みを上げるが、レーヴァンティアはその攻撃を受けきった。銀鳳商騎士団のカルディトーレを基として作られたこの機体は綱型結晶筋肉ストランド・クリスタルティシューを採用しており、最新型の名に恥じない出力を有している。


「馬鹿な!? 黒騎士の攻撃を!」


 出力だけなら、依然として重装機であるティラントーに軍配が上がるだろう。しかしかつてほどの一方的な差は、もはや存在しない。

 それは同時に、とある事実を示していた。騎士の性能に大きな差がない状況で、黒騎士たちは数に劣っている。自身が窮地にあることを理解して、彼らの間に動揺が走った。

 その間にも、レーヴァンティア隊は猛然と反撃に出る。ティラントーの自慢の重棍がレーヴァンティアに届くことはなく、逆に複数機に囲まれて倒されてゆく。飛空船から無事に降り立つことができた黒騎士たちも、各個撃破を受けて着実に数を減らしていった。


 時と共に、フォンタニエの周囲は静けさを取り戻してゆく。森中に散らばる夥しい数の飛空船の残骸と、黒騎士の屍。鋼翼騎士団は、もはや壊滅を目前としていた。



 照明法弾に照らし出された飛空船の末路は、後方からもよく見えていた。

 鋼翼騎士団の突入後に襲い掛かる予定であった黒顎騎士団は、愕然とした様子で動きを止めている。一体誰が信じられようか、空の覇者であった飛空船がこうも容易く次々と墜落してゆくなどと。

 この戦争が始まって以来、無敵であり続けてきた飛空船は、ついにその長い夢から覚めた。それはただの兵器でありいずれ破壊されることもありうるのだと、この窮地において学んだのだ。


 まるで悪夢の中にいるような気分の中、黒顎騎士団はその後の行動に躊躇していた。

 現実的な問題として、飛空船による突入が失敗した今、力押しだけでフォンタニエを攻略するのは困難となった。前進は大きな被害を伴うだろう、しかしここまで敵を追い詰め、かつ大軍を擁して一方的に敗北するなど簡単に認められる話ではない。

 致命的ともいえる一時の躊躇が、この後の彼らの命運を決定した。


 フォンタニエが、城門を大きく開け放つ。

 飛空船という最大の障害を排除した今、クシェペルカ軍を縛り付けるものは無くなった。反撃のときは訪れたのだ。


 レスヴァント・ヴィードが隊伍を組み、鈍足でありながらもじりじりと前進を始める。未だ数少ないレーヴァンティアを中核とした歩兵戦力が編成され、大規模な主力を為していた。

 クシェペルカに残る最後の戦力。その先頭を歩くのは、人馬の騎士を従えた鬼面の武者だ。散々に飛空船を喰い散らかしたイカルガは、いまだ満足には程遠いと次は黒騎士へと狙いを定める。


「さぁ、前進しましょう」


 鬼神が銃装剣を儀仗のごとく掲げた。それを合図として、クシェペルカ軍はついに前進へと転じたのである。

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