#60 お届けにあがりました
東方領の領都である“フォンタニエ”を出発した、銀鳳商騎士団第一中隊と第二中隊。
彼らはしばらく進んだところで中隊ごとに別れ、第一中隊は南領を、第二中隊は北領を目指してそれぞれ進んでいった。
南北の地はどちらも最前線であり、ともに無視することはできない。彼らはその両方において敵を阻まなければいけなかった。
旧クシェペルカ王国の各所は“汎クシェール街道”と呼ばれる街道によってつながれている。王都を中心に網の目状に延びるこの街道によって、互いの行き来は容易なものとなっていた。
とはいえ本来、戦時下ともなれば各所に存在する関所により街道は厳重に封鎖されるはずである。幻晶騎士という陸戦兵器を主力とするこの時代の戦争において、街道はそのまま敵軍の侵攻経路となりうるからだ。
ただしそれはあくまでも従来の戦争の場合である。
「……なるほどね。これは敵も跳梁跋扈しようというものだね」
第二中隊を率いるディートリヒ・クーニッツは、北領に向かう途中で“放棄された”関所を幾度となく目にしてきた。どれもそう大きな関所ではなかったとはいえ、無人で放置されていることによりひどく寒々しい印象を受ける。
いわずもがな、これは飛空船の登場による影響である。街道上に点在する関所は、かの航空戦力の格好の標的となっていた。折しも拠点防衛のための要求戦力が大きくなりつつあったこともあり、多くの関所が放棄されることとなったのも致し方のないことだろう。
「そのおかげでこちらも手続きなく楽に進めるのだから、良し悪しというものかな」
関所を通り抜ける荷馬車の群れを眺めつつ、ディートリヒは苦笑する。念のため彼らは東方領の領主フェルナンドより書状を渡されていたのだが、この調子では出番は当分先となることだろう。
そうして彼らは順調に道を歩みを進め、旧クシェペルカ王国北部領と東方領の領境となる山がちな地形へと差し掛かっていた。
やはり無人の関所を越えて山中へと延びる街道を進む第二中隊。この時代の街道とは、あくまでも比較的進みやすい場所を僅かばかりに整備したに過ぎない。そのため道はしばしば蛇行しており、周囲には木々が繁茂し視界を遮っていた。
彼らは速度を落し、十分な警戒と共に歩みを進めてゆく。出発の際に、領境付近には敵が出没するという情報を受けたためだ。
「周囲は深い森、足手まといの荷馬……確かにこんな美味しい状況、私なら見逃さないね」
「ディータイチョ、なに不吉なこといってんだよ」
「そうだぞディータイチョ。よし、ここは罰として敵が来たらまずタイチョが突っ込むことな」
「キミらねぇ……」
銀鳳騎士団は元々、高等部騎操士学科を母体とした組織である。特に騎操士は多くが同期生か、それでなくとも数年来の顔馴染みばかりだ。中隊長と部下などと立場の差は明確であれど、内実はゆるいものである。
これがエドガー率いる第一中隊ならばなかなか規律もしっかりしているのだから、単に第二中隊が特別ゆるいという説も無きにしも非ずだが。
そんな風に軽口を交わしつつ歩く彼らは、やがて切り立った崖に挟まれた谷間へと差し掛かった。あまりに“いかにも”な地形に、彼らは嫌な予感と更なる警戒を募らせる。
「これは……くるな」
「ああ、くるな……ディータイチョの出番が」
「なぜ私が突っ込むことが確定事項なのか」
ある意味でとても残念なことに、彼らの予感は正しかった。街道を挟む崖の上、その場所から彼らの様子を伺う集団がいたのである。
草土にまぎれる色合いの装束に身を包んだ兵士たちが、眼下を横切る第二中隊を睨みながら何事かを話し合っている。
「荷馬の列、補給物資か。見慣れない紅い幻晶騎士……一個中隊ほどの護衛あり。なかなかの戦力だ、重要な物資かもしれない」
「ならば、やるか」
「ああ、見逃せんな。準備を、手はずはいつもどおりだ」
彼らの正体は“銅牙騎士団”、ジャロウデク軍が擁する間者集団である。
彼らは数年前、フレメヴィーラ王国に対する作戦をおこなった際に壊滅寸前の被害をうけた。しかしその際の功績が高く評価されたため、解体はされずに再編成をうけ新開発の幻晶騎士が配備されていた。
一般の騎士と異なり、特殊な訓練を受けている彼らは少数・長期間の浸透作戦に対して適性がある。警備の手薄な山岳地帯など、まさに彼らの庭のようなものであった。
この地のみならず、彼らは神出鬼没の戦力として旧クシェペルカ王国各地を荒らしまわり、クシェペルカ王国内の情報の伝達・物流に対して少なくない圧迫をかけている。
そして今、彼らは新たな獲物に狙いを定めたのである。
それは、第二中隊がちょうど谷の真ん中あたりに差し掛かった時のことであった。
突如として彼らの頭上から黒々とした影が差した。悪い予想ほどよくあたると、苦笑いしつつディートリヒは首を上げる。
「さぁて、思ったとおりにお出ましか……ってっなっ!? 岩ァッ!?」
崖の上から次々と岩が飛び出してくるのを見つけ、彼は思わず絶叫をあげていた。岩は幻晶騎士の半分程度の大きさがある、当たればただではすむまい。
多少の動揺はあれど、第二中隊の反応は素早かった。各機がすぐさま背面武装をたたき起こすと、落ちてくる岩へと法撃を撃ち放ったのだ。照準器を睨むのもそこそこに放たれた爆炎の法弾が、岩へと命中し次々に粉砕してゆく。
動きの素早い魔獣を相手にしてきたフレメヴィーラの騎士は、魔法の狙いをつけることに長けている。荷馬に直撃しそうだった岩は、その全てが彼らの手により排除されていた。
粉砕された岩の破片がばらばらと荷馬隊に降り注ぐが、破片の大半は法弾の爆発により吹き飛んでいたため被害は軽微なもので済んだ。しかしディートリヒの表情は晴れない。彼は警戒を緩めず、二本の剣を腰から抜き放った。
「……これは、してやられたか、な?」
上方からの攻撃をしのいで安堵したのもつかの間、周囲の光景を見た彼らは苦々しい表情へと変わっていた。
彼らは直撃する岩を優先して撃ったため、それ以外の岩はそのまま落下して街道の前後を塞いでいたのだ。幻晶騎士であれば乗り越えることはできるが、荷馬隊を越えさせるのは一苦労となるだろう。
足止めとの二段構え、古典的ではあるが中々厄介な罠であった。
「全員、荷馬を最優先で護れ! まだ岩を落したやつが残っている、上方の警戒も怠るな!!」
荷馬を背後にかばいながらディートリヒが指示を飛ばすのと、崖の上から人の形をした巨大な影が飛び出してくるのはほぼ同時だった。
陽光を遮る巨大な人型、明らかに幻晶騎士だ。黒塗りの装甲に細身の筐体、妙に長い腕とそこから鋭く突き出した指。銅牙騎士団が配備する無貌の亡霊“ヴィッテンドーラ”である。
上方への警戒を怠らなかった第二中隊は今度も素早く反応し、再び背面武装による迎撃をおこなった。橙に輝く炎の法弾が襲いくる亡霊めがけて放たれる。
それは直撃するかと思われたが、ヴィッテンドーラは身をひねると崖の傾斜や出っ張りを蹴り飛ばし、器用に身を捻って進路を変えた。鮮やかに法弾をかいくぐって見せると、今度は彼らが攻撃の構えを見せる。
頭上からの脅威に、第二中隊の幻晶騎士は次々に剣を抜いた。明らかにヴィッテンドーラは手に武器を持たず、得物は腕に備えた鋭い爪のみだ。それを見て取った彼らは、腕の間合いに注意しながら回避の姿勢をとった。
あと少しで間合いに入らんという時、ヴィッテンドーラたちは予想外の動きをみせた。ヴィッテンドーラは肩の内部に特殊な機構が組み込まれている。それにより強烈な勢いで腕を伸ばし、第二中隊の騎士たちの予想よりもはるかに遠い間合いから攻撃してきたのである。
第二中隊は意表を突かれた。至近距離での格闘戦において間合いの読み違いは致命的だ。回避や防御は間に合わず多くの機体が攻撃を受け、金属の悲鳴があがり火花とともに鎧の一部が吹き飛んでいった。
よろめくカラングゥールを尻目に、ヴィッテンドーラの騎操士は機体を宙返りさせると着地、全身のばねで衝撃を逃して無事に立ち上がると間髪いれず追撃にかかる。
「こいつら、ずいぶんと芸達者じゃないか!」
“腕を伸ばす”というヴィッテンドーラの攻撃に驚愕したのはディートリヒも同様だ。しかし彼は素晴らしい反射神経をもってその攻撃に対応してみせた。際どいところでグゥエラリンデが二剣を振るい、敵の攻撃を受け流す。剣の表面で激しく火花を散らしながら、ヴィッテンドーラの腕は直撃から逸れた。
しかし敵の攻撃はそれで終わりではない。当然ながら腕は二本あるのだ。すぐさま逆の腕が飛び出し、剣を振るった直後のグゥエラリンデへと襲い掛かる。
二剣による防御はできず、背後に荷馬車をかばっているがゆえに飛び退ることすら自由ではない。相手の行動を封じたうえでの追撃に、ヴィッテンドーラの騎操士は必殺を確信した。
ヴィッテンドーラは華奢な機体ではあるが、綱型結晶筋肉を大量に用いたこの伸縮突腕爪は、並みの機体なら正面から貫くだけの威力がある。
状況は限りなく詰みに近い。これで相手が並の騎士であったならば、彼の予想通りの結末となっただろう。
再び、ディートリヒは尋常ならざる反応をみせた。逆の腕が動き出したと見るや、彼はすぐさま背面武装“風の刃”を立ち上げそのまま頭上へと真空の刃を発射したのだ。広範囲をカバーする衝撃波が炸裂し、突き出された腕を弾き飛ばしてヴィッテンドーラを一瞬だけ空中に押しとどめる。
実に曲芸じみたその回避方法に、ヴィッテンドーラの騎操士の反応が遅れた。呆然と落下を再開するヴィッテンドーラ。その時にはグゥエラリンデは次なる行動に移っている。腕を突き出すグゥエラリンデ、その籠手に仕込まれたライトニング・フレイルが勢いよく飛び出した。
直後に、圧縮大気による鋭い噴射音をつれて飛翔した分銅がヴィッテンドーラの腕を絡みとる。
「そうら、グゥエラリンデの力、とくと見よ!!」
雄たけびとともにディートリヒが操縦桿のトリガーを弾くと、グゥエラリンデの腕部に内臓された紋章術式が発動し猛り狂う雷撃を呼んだ。雷撃はワイヤーとライトニング・フレイルを通じ無貌の亡霊へと流れ込む。
莫大な電流による電熱がバチバチと火花を散らしながら腕の結晶筋肉を破壊し、ヴィッテンドーラから最大の攻撃手段を奪ってゆく。
それで終わりではない。グゥエラリンデはすぐさまワイヤーを引っ張り、ヴィッテンドーラを強かに地面へと叩きつけていた。
衝撃に敵が動けなくなっている隙を逃さず、ディートリヒはすぐさまグゥエラリンデを前進させるとヴィッテンドーラの背を踏みつけてから剣を薙いだ。ヴィッテンドーラは軽量な分、その装甲は薄く貧弱だ。強力な格闘用機体であるグゥエラリンデの一撃に、華奢な胴が両断される。
敵が完全に沈黙したのを確認したディートリヒは、周囲を見回して状況を確認した。
第二中隊の騎士たちはやや苦戦しているようだ。最初の奇襲が効いたこともあるが、両側を崖に囲まれしかも護るべき荷馬車まであるこの状況、剣を用いるカラングゥールが自由に戦うには余裕が足りない。
ディートリヒはほんのわずかに悩んだが、すぐにグゥエラリンデを走り出させていた。いや、単に走るだけではない。その両肩と腰から激しい吸気音が響き始めている。
直後の踏み込みにあわせて、その後方に爆炎が生まれた。マギジェットスラスタを駆動したグゥエラリンデは、重装の格闘機とは思えないほどの軽やかさをもって飛び上がる。
そのまま崖を蹴り軌道を修正すると、いましも中隊員のカラングゥールと組み合っていたヴィッテンドーラへと向けて、脳天から蹴りをかましていた。
幻晶騎士の重量がそのまま乗った蹴りを受けてヴィッテンドーラの頭部が粉砕され、勢いのまま跳ね回り吹っ飛んでゆく。
一息に敵機を蹴り倒してから、グゥエラリンデはカラングゥールへと振り返った。
「さて、戦力的には多少有利になった、このまま一息に押し込むよ」
「さっすが、やるなディータイチョ! ……でもディー、なんだか団長に似てきたな、だんだんと」
「……やめてくれたまえ、喜んでいいものかちょっと迷う」
勢いにのった第二中隊が残る敵を倒し終えたのは、それから間もなくのことであった。
襲い掛かってきた亡霊たちを返り討ちにした第二中隊だが、彼らはすぐさま歩みを再開できたわけではなかった。
まず足止めのために用いられた岩を撤去するのに手間取り、作業が終わる頃には日が落ちていたからだ。彼らは危険な谷間を抜けるところまで移動すると、野営を準備して更なる襲撃を警戒しつつもその場で休んだ。
翌日には、彼らは被害を受けたカラングゥールの応急処置をおこなっていた。幸いにも致命傷といえるほど大きな被害を受けてはいなかったため、ほとんど外装の補修のみである。
そうこうしているうちに予定よりも数日遅れではあるが、彼らはようやく領境の山を抜けていた。
「やれやれ、やっとついたか。ここが“北領”……!」
目前に広がるのどかな平野を眺め、ディートリヒは感慨深く声を上げる。
ジャロウデク王国は西側から攻めてきているため、東方領との境であるこの場所まではまだ被害が及んでいない。それもあと幾ばくかといった状況ではあるのだが。
ともあれ、彼らは北領における最有力領主へと接触すべく、再び街道を進みだした。
「もはや、戻れぬ道か……」
燃えあがる城砦を眺めながら、“ハビエル・アランサバル元伯爵”はひとりごちる。
彼の目前にて落ちゆく砦は、旧クシェペルカ王国北領においてそこそこ力のある貴族が所有していたものだった。
頑強な城壁に護られた堅固な要害も、今は黒騎士たちが群がり砂でできているかのようにさくりさくりと崩している。幻晶騎士による抵抗が難しい以上、いかなる堅固な城壁にも時間稼ぎ以上の意味はない。
旧クシェペルカ王国西部諸州を構成する貴族の一人であった彼は、ジャロウデク軍の総大将であるクリストバルの言葉に応じ、ジャロウデク軍と行動を供にしていた。
すでに落した砦は片手を越えつつある。いまでは立派なジャロウデク軍の一員といえるだろう。
アランサバル元伯爵と彼が率いる騎士団。彼らとて、最初からこうも積極的に協力していたわけではない。
立ち位置は変わってしまったものの、攻める相手もかつての同胞に違いはない。ジャロウデク軍と合流した当初、彼らの動きは鈍く戦力としてはまともに使い物にならなかった。
そんな状況を変化させたのは、実は防衛側にあたる旧クシェペルカ軍の行動が原因であった。
国王アウクスティ亡き後もジャロウデク王国の侵略は着々と進み、追い詰められてゆく旧クシェペルカ貴族。そんな彼らからすれば、アランサバル元伯爵たちの姿はどう言い繕おうとも、ただの裏切り者としか映らなかった。
ジャロウデク軍と行動を共にしつつ、アランサバル元伯爵たちも時には降伏勧告をおこなったりと被害を少なくすべく努力はしていたが、それでも自己保身のためにかつての同胞を攻め立てているという事実は変わらない。
クシェペルカ側からも再度寝返るようにと何度も説得を受けた、だが彼らとて故郷を人質に取られる形でこの場所にいる。ジャロウデク軍を裏切ることは容易ではなかった。
そうこうしているうちに彼らは抵抗を続ける北領の貴族と何度も剣を交え、やがてそれを打ち破った時、完全に戻る道を失ってしまったのだ。
次々と拠点を落としながら、ジャロウデク混成軍は進軍を続ける。その只中にあって、アランサバル元伯爵はいくらかうんざりとした表情を浮かべていた。
「……しかしジャロウデク、この歩みの遅さはなんとかならんものか」
ジャロウデク軍の進軍はお世辞にも早いとはいえない。拠点の攻略が驚異的な速さで進んでいるがゆえに、全体的にはかなりの勢いとはいえるのだが。
彼らの歩みが遅い理由、それはジャロウデク王国軍の主力幻晶騎士“ティラントー”の脚の遅さによるものであった。重装甲・大出力で強力無比の戦闘能力を持つ代わり、ティラントーは機動性や航続距離に大きな欠陥を抱えている。
本来ならば飛空船を用いることによりこの足の遅さを補うのだが、さすがに全軍を動かせるほど飛空船に数はなく、彼らは徒歩行軍を続けざるを得ない。
標準的な幻晶騎士であるレスヴァントを主体とした西部諸州の貴族からすれば少々我慢ならない遅さなのだが、その戦闘能力ゆえにここまで快進撃が続いているのだから歯がゆいものである。
「まぁ、どのみちこの先もやることは変わらんのだから、多少遅れたところで些細なことか」
アランサバル元伯爵は視線を自騎士団に戻しながら呟く。
彼がジャロウデク軍への寝返りを決定的とした理由。それはクシェペルカ軍に拒絶されたこともあるが、もう一つ北領にいる旧クシェペルカ貴族の戦術行動もその大きな理由であった。
彼らは旧来どおり領地という概念に縛られるがゆえに拠点防御にこだわり、結果として勝ち目の薄い篭城を選びジャロウデク軍に一つ一つ潰されていっている。ジャロウデク王国の侵攻が始まってより、今までずっとだ。
ジャロウデク軍の強さはさておいて、それに有効な対抗策を打ち出すでもなくただ敗れていく一方のかつての同胞を、彼は見限り始めていたのである。
同行した当初は彼らをまともな戦力とはみなしていなかったジャロウデク軍も、最近では通常の戦力と同じように戦場に投入している。
大きな戦力を備え、ゆっくりと、しかし確実に戦線を押し上げるジャロウデク混成軍。アランサバル元伯爵は、もはや完全に勝ち馬にのった気持ちでいた。
その快進撃に突如水が差される、その時まで。
その日もジャロウデク混成軍はまた一つ城砦を落とした。
もはや旧クシェペルカ軍も諦めはじめたのだろうか、城砦の抵抗はあっさりとしたものだ。旧クシェペルカ軍残党は彼らの姿を見るや、すぐさま城砦より離脱し逃げ出していったのだ。
ジャロウデク混成軍は速度の問題もあり追撃は避け、城砦の占領を優先する。
「さすがに物資は持ち出したか……まぁいい、後続の輜重隊と合流しだい補修を開始する。歩哨をたてよ、しばらくはここを使用するぞ」
ジャロウデク混成軍の総大将である“ドロテオ・マルドネス”が指示を下すと、ジャロウデク軍の兵士たちがいっせいに動き出した。
旧クシェペルカ軍があっさりと退いたために城砦にはまったく被害がない。さすがのジャロウデク混成軍も長期に及ぶ進軍により疲弊が積もっていることもあって、彼らはここの設備を利用してしっかりとした整備をおこなうことにしたのだ。
物資を運ぶ輜重隊が城砦へと入ってゆく。物資には余裕があり、城砦には設備が整っている。戦力も十分であり、彼らには何の不安要素もなかった。
そのような状態では、彼らから緊張が薄れてゆくのは自然な成り行きであったといえよう。
そうしてジャロウデク混成軍が城砦を占拠してから数日。
夜半になり、城壁の上を歩哨が巡回していた。役目を与えられてはいても、歩哨はすでに気もそぞろで形だけでやっているのがありありと見て取れる。
そんな注意散漫な彼の耳が、どこかで風が流れたような音を聞きつけた。なんだか良くわからないが、異常は異常である。彼は立ち止まって、カンテラを周囲に向けて確認する。
何も異常は見当たらない。歩哨は肩をすくめると、巡回に戻ろうと振り向き、カンテラを前へと向け――。
――鳴り響く甲高い回転音と、石造りの城壁を蹴る鈍い音。歩哨が向けたカンテラの光の中に、巨大な何者かの影が躍り出る。突き出された艶消しの黒い塗料を塗られた刃が、音も影もなく歩哨へと突き立っていた。
歩哨がカンテラを取り落として絶命したのを確認し、影は死体を投げ捨てる。彼だけではない。城壁の上には次々に同様の影が現れ、すばやく歩哨を排除していった。
光の中に浮き上がった影の正体。それは全高およそ二.五mほどの全身鎧、幻晶甲冑だ。暗緑色の色合いをしているものの隠密用の機体である“シャドウラート”ではなく、一般戦闘用の“モートラート”である。
そのままというわけではなく、ワイヤーアンカーを装備しているほか関節に布をかませるなどの簡易な音消しを施した夜襲仕様となっていた。
モートラートは城壁から内部の様子を伺う。この城砦は元々はクシェペルカ軍のものである、内部構造は既に把握済みだ。
さらに上からジャロウデク混成軍の様子を見て取ったモートラートたちは、簡単に示し合わせた後にすぐさま行動を開始した。
夜更けに轟く突然の爆音が、ジャロウデク混成軍を揺るがした。
「この騒ぎは、いったい何事かっ!?」
接収した部屋で寝付いていたドロテオは、剣を手に部屋を飛び出し取り周囲に響く大声をあげた。そこへと慌しく部下の兵士がやってくる。
「申し上げます! て、敵襲です! 敵が城砦に火を放ちました!」
「なんだとっ!? 見張りたちは何をしていた!? ……いや、そんなことは後回しだ。兵を回し、火を消させよ! 残りは敵へ向かえ、この砦から生きて外に出すな!!」
「そ、それが……」
言いよどむ兵士の姿に、ドロテオはひどく嫌な予感を覚えながら先を促す。
「敵はなにかその、小型の幻晶騎士のような奇妙な装備を使用しておりまして、生身の兵士ではまったく歯が立ちません! さらにやつらは、いきなり城壁を乗り越えて既に外へと逃げ出しています!」
「馬鹿な、なんだそれは!? ……ええい騎操士を! 幻晶騎士を追撃に当たらせろ、このままにしてはおけん!」
すぐさま数機の“ヴォラキーロ”が立ち上がる。さらにアランサバル元伯爵の指示により“レスヴァント”も加わり、逃げた襲撃者を追撃するために出撃していった。
落とされた城砦は森に囲まれた場所にあった。豊かに木々が生い茂る森の中は巨人兵器である幻晶騎士が動くには不都合が多く、その点幻晶甲冑にとっては有利である。
だが昼でも薄暗い森は、夜半ともなれば視界がまったく通らない。急いで逃げ出そうにも限度があった。
ヴォラキーロが背面武装を起動し、森の中へと打ち放つ。盛大に吹き上がる爆炎が、闇に溶け込む幻晶甲冑をあぶりだした。
幻晶騎士部隊が猛然と追跡を開始する。いかに幻晶甲冑が馬よりも速く走ることができるとはいえ、より巨大な幻晶騎士のほうが走る速度は速い。両者の距離は徐々に縮まってゆく。
その間にもヴォラキーロは背面武装を撃つが、さすがに木々が遮蔽物になり直撃までは望めなかった。それでも炎の中にわずかに見える姿を見失うまいと、幻晶騎士部隊はさらに走る速度を上げる。
――モートラートの鎧の下で、搭乗者が笑みを浮かべていたことも知らず。
モートラートたちは闇雲に走っていたわけではない。彼らはある場所へとたどりつくと、身を低くして木々に張り巡らせたとある仕掛けの下を走り抜けた。
そこへと彼らを追いかけてヴォラキーロが勢い良く走りこんでくる。幻晶甲冑にのみ気をとられていたヴォラキーロは、足元の仕掛けに気付くことができなかった。
そのまま、彼は突然何かに足をとられて勢い良く転倒する。防ぐまもなく正面から強かに地面に激突し、鎧をひしゃげさせながら勢いのまま滑走した。
後続の幻晶騎士は仰天して急停止する。止まりきれずにさらに数機の幻晶騎士が仕掛けの餌食となり、無様に転げていった。
「なんだ、何かがあるぞ……これは、鋼線が張られているのか!?」
「くそう、奴ら森の中に罠を仕掛けてやがる!」
ただでさえ闇夜で視界も十分ではない上、幻晶騎士にとっては動きづらい森のなかである。このような目立たない罠に気付くことは不可能に近い。
その間にも幻晶甲冑は視界より消えつつある。しかし、あれをそのまま追えば再び罠が仕掛けられていることだろう。そして罠を警戒しながらでは追いつくことなどできはしまい。
怒りに満ちた罵声が、夜の森に響き渡った。
「……い、以上のような次第で、賊には逃げられたと……」
城砦に帰還した幻晶騎士部隊の指揮官は、冷や汗を流しながらドロテオに報告をおこなっていた。
それを聞いたドロテオは表情を歪めたものの、声を荒げることはなく努めて冷静を装う。
「敵ながら用意周到だな……どこぞの女狐を思い出すやり口だ。いや、よい。この上幻晶騎士に被害を広げるよりはましだ。……それで、火の手のほうはどうなったか」
「は、そちらも幻晶騎士を用いて消火に当たっておりますが、敵はどうやら“魔獣油”を撒いた様子。依然火勢が強く、手こずっているとのことです」
魔獣油とはオービニエの東よりもたらされる、特定の魔獣から採取される特殊な油脂のことだ。ひとたび火がつくと激しく燃え上がり、しかも火が消えづらいという特性を持っている。
このような破壊工作で用いられる定番ともいえる。
「思った以上に忌々しいものだな……して、燃やされたのはなんだ」
「は、兵糧の一部と、あとは特に幻晶騎士の予備部品が多く狙われたとの報が入っております」
そこに至り、ドロテオは一気に表情を苛立ちに染めた。
兵糧も問題ではあるのだが、幻晶騎士の予備部品というのは、特に重大な問題をはらんでいたからだ。
戦闘においては強力無比な黒騎士であるが、同時に重装備であるがゆえに動くだけで足回りに大きな負担がかかる。最低限、自身の重量に負けないだけの耐久性は備えているが、十全の性能を発揮し続けるためには足回りに頻繁な整備が必要であった。
そこで問題となるのが結晶筋肉である。ティラントーをはじめとして、ジャロウデク軍の幻晶騎士は綱型結晶筋肉を採用している。つまり、そのままでは旧来の結晶筋肉を使用する旧クシェペルカ軍と互換性がない。
破壊された物資の中には、そうして用意された綱型結晶筋肉が多くあったのだ。
「おのれ重ね重ね忌々しい。致し方ない、しばらくはクシェペルカの残党から物資を徴発する。鍛冶師たちにも触れを回せ、綱型を用意せねばならんからな……」
本隊からの補給はそこまで頻繁に受けられるわけではない。しばらくの間、ジャロウデク混成軍は手持ちの物資でやりくりする必要があった。
さらにいえば、ジャロウデク軍は綱型に関する技術が流出しないよう旧クシェペルカ側から情報を隠していた。そのため綱型も自分たちで用意する必要があったのだ。結果として随伴整備隊は、元からの整備にくわえて綱型結晶筋肉を作る役目を負わされることになる。
敵の襲撃により物資に被害が出たものの、戦力的な被害は小さかったこともありジャロウデク混成軍は予定よりやや遅れながらも進軍を再開していた。
当然というべきか、彼らに対する破壊工作は一度で終わりではなかった。
何の前触れもなく、街道わきの森からジャロウデク混成軍の隊列へと、まるで攻城兵器から放たれたかと思うような巨大な矢が雨霰と飛来してくる。急いで幻晶騎士が防御するものの、矢が狙っていたのは輜重隊の荷馬だ。兵士を巻き込んで巨大な矢が猛威を振るう。
慌てて反撃にでる幻晶騎士を尻目に、多少の戦果を確認した襲撃者はさっさと逃げ出していた。やはりというべきか、ご丁寧にも森の中には鋼線による罠が仕掛けられており、再び幻晶騎士は途中で追撃を断念することになる。
馬をやられた上に、さらに警戒を密にして慎重に進むことにより、彼らの足は見るからに鈍っていた。
次こそは返り討ちにすると息巻くジャロウデク混成軍を尻目に、襲撃者は場所を変えて次はジャロウデク軍の補給部隊を狙ってきた。
侵攻部隊の後方は基本的にジャロウデク王国側の勢力下であったはずだ。そのため警戒の薄かった補給部隊は奇襲と焼き討ちにあい、大きな被害を出した。
「クシェペルカの残党どもの狙いはこちらの補給線か。飛空船で頭を押さえつけているというのに、どうにも度胸のある者がいるようだな」
これまで彼らの補給部隊が滞りなく物資を運搬できたのは、飛空船という戦力の恩恵であった。
幻晶騎士を用いた行動は上空から発見されやすく、旧クシェペルカ軍の奇襲は何度も事前に潰されてきたという経緯がある。ジャロウデク王国の勢力圏に突出するなど、ほとんど自殺行為でしかなかったのだ。
翻って今回の襲撃者たちは幻晶騎士を使用せず、小型の幻晶騎士モドキのみ使用している。森林を巧みに利用する彼らを上空から発見することは、きわめて困難であった。
このようにジャロウデク軍が手をこまねていている間に、補給部隊は何度も襲撃を受けていた。それに対抗するには補給部隊につける護衛の数を増やすしかなく、結果として襲われることはなくなったものの、動きが重くなることは避け得なかった。
補給の鈍足化は、彼らが思っていたよりも深刻な状況を招いていた。前線にあるジャロウデク混成軍は徐々に物資の不足に陥り始めていたのだ。
ただでさえ幻晶騎士という兵器は多くの物資を食らう。それが黒騎士となればなおさらだ。アランサバル元伯爵たちからの物資の徴発にも限度があった。しかもそれでも随伴整備隊には大きな負荷がかかりっぱなしなのだ。
それに加えて、ジャロウデク軍は気付いてはいなかったのだが、頻繁に物資の徴発をうけるアランサバル元伯爵たちからは不満が出つつあった。
これまでは快進撃という要素により一つにまとまっていたジャロウデク混成軍は、にわかに齟齬をきたし始めていた。
いつしか彼らの間にはピリピリとした神経質な空気が漂い、進軍の脚はさらに鈍りつつある。決してそれまでのように快進撃とはいえない状況の中、彼らは次の目標へと辿りつこうとしていた。
進軍するジャロウデク混成軍の隊列より距離を離した、小高い山の上。そこから彼らの様子を伺う者たちがいる。
「閣下、ジャロウデク軍も実に警備が厳重になってきました。さすがにそろそろ手を出すのは難しそうですね」
一人は銀鳳商騎士団第二中隊長ディートリヒだ。彼は遠望鏡を畳み、隣に立つ人物へと話しかけていた。
「ずいぶんと痛めつけたからな。いや、やつらが右往左往しているのを見ると、実に爽快な気分になるな」
「……それを見に、わざわざ最前線まで出てくるのはご自重いただきたいのですけど」
「そう堅いこというな。それにいかにフェルナンド大公の口ぞえとはいえ、お前たちの企みごとに貴重な物資を割いたのだ。己が目で結果を確かめねばとても安心できぬよ」
答える彼は、旧クシェペルカ北部諸州で最有力となる貴族である“クリストファー・カンプラード侯爵”だ。彼は地位のわりに三十代そこそこと若く、溌剌とした笑みをその顔に浮かべている。
その言葉の内容は道理でも、彼が高笑いを上げながら混乱するジャロウデク軍を眺めていたのを知っているディートリヒとしては、いまひとつ頷けない気分だった。
「……では閣下、予定通り幻晶甲冑隊は下げます。今は戦果に高揚しているとはいえ、こちらの疲労だって無視できません」
「はっは! 十分に時間は稼いだ、これまでの侵攻予測はすでに大幅に書き変わっている……ちょうどいい潮時だな。やつらが次に狙うであろう、“ジェデオン都市要塞”ではアレの製造が間に合ったのだ」
クリストファーはひとしきり笑うと馬に乗って駆け出した。その後を、ディートリヒ率いる幻晶甲冑隊が従ってゆく。
それからしばらくの間、ジャロウデク混成軍への妨害工作は鳴りを潜めたのである。
ジャロウデク混成軍の前には、次の目標である北領屈指の要害“ジェデオン都市要塞”があった。
通商路としても用いられる汎クシェール街道の交差点上にあるこの街は、ジャロウデク軍にとっても非常に魅力ある地であり重要な攻略目標であると認識されていた。ここが落ちれば北領における物流の要を押さえたも同然である。そうなればもはや後はなし崩しに北領は彼らの手に落ちるであろう。
本来は商隊が行き交っているはずの街道の上を、威圧的な黒騎士が列をなして歩んでゆく。さすが交易の中継地点にあるだけあって、ジェデオン都市要塞は見るも堅固な城壁に護られていた。
「いくら硬い殻に覆われていようと無駄だ。兵たちも気が立っている……すぐに叩き壊して、美味なる果実をいただくとしよう」
戦闘展開を始めるジャロウデク混成軍の最後方にて、ドロテオは普段よりも殺気立った表情を浮かべていた。
ここにいたるまでに散々加えられた妨害工作に悩まされていたジャロウデク混成軍は、今その格好のはけ口を見つけて旺盛な士気を見せている。
ジャロウデク混成軍の最前列で横列壁方陣形を組んでいるのは、小型破城鎚を構えたティラントーだ。高い出力を持つティラントーは、従来の大掛かりな破城鎚を用いなくとも城壁に損害を与えることができる。そのため小型化したものを数多くそろえて全機で一斉に城壁を攻めるのだ。
押し寄せる黒い波に対し、ジェデオン都市要塞からの抵抗はない。ジャロウデクの黒騎士に対して、クシェペルカのレスヴァントは歯が立たない。それはこれまで何度も繰り返されてきた事実であり、クシェペルカ側も野外で応戦することはせず、最初から城壁を頼みに篭城する構えを見せていたのである。
これまでの城砦でも見られた、いつもの光景だ。それゆえに黒騎士は無造作に前進し、城壁との距離が魔導兵装の間合いに入ろうかというところまで進んだ。
ここまで来たところで、ようやく城壁の上にクシェペルカの幻晶騎士が現れる。前進する黒騎士たちはそれを気にも止めていなかった。たとえ魔導兵装で多少撃たれたところで、重装甲のティラントーは平気だからだ。
それゆえに、最も早くそこに異常を見つけ出したのは、後詰として控えていたアランサバル元伯爵の部隊だった。
「あれは……なんだ? レスヴァントではない、“形が違う”ぞ」
城壁の上に並ぶ旧クシェペルカ軍の幻晶騎士。それらはレスヴァントとは大きく異なる外観を備えていた。
機体の周囲を取り囲むような形で重厚な追加装甲をまとっており、その奇妙に丸い“筒のような”形もあいまって、ほとんど城壁と一体化した尖塔のようにも見える。
と、アランサバル元伯爵が見ている中でその謎の幻晶騎士は、背中に突き出した“四本の”魔導兵装を一斉に前方へと動かした。ジャロウデク軍でも採用されている背面武装と呼ばれる装備方式を導入しているのだ。
それとともに追加装甲の隙間からこれまた魔導兵装を握った腕が現れる。合計で六本の魔導兵装をもった幻晶騎士が城壁の上にずらりと並んでいる。その意味を理解した瞬間、アランサバル元伯爵はこれまでとはまったく異なる結末を想像した。
「近寄る気がないのではない、近寄る必要がないのか! まずいぞ、あれでは黒騎士どもが……」
彼の叫びは遅きに失したものだった。次の瞬間には、居並ぶ幻晶騎士が一斉に法弾を撃ち放ち始めたのだ。
一般的な装備状態を遥かに上回る、多連装の魔導兵装を連続で撃ちつづける。猛烈な法弾の嵐が黒騎士へと降り注ぎ、凄まじい勢いの爆炎が壁を築いた。もはやそれは黒騎士ごと地面をひっくり返さんという勢いだ。
それだけではない。ちょうどその間合いを睨んで、砦から投石器による攻撃まで始まっていた。苛烈な法撃に対する防御で手一杯になっていた黒騎士たちに、それとは異なる角度から飛んできた石弾が直撃してゆく。いかに重装甲を誇るティラントーであっても勢いのついた石弾の直撃をうけて無事とはいかなかった。これまで無敵を誇っていた横列壁方陣形に、初めて綻びが生じる。
ティラントーもやられるままではない、背面武装を起動すると反撃を始めていた。城壁の上に立ち尽くしたままのクシェペルカの幻晶騎士へと法弾が直撃してゆくが、それらの周囲に配置された装甲は非常に厚く多少の被弾などものともしない。遠距離での法撃戦能力の差は明らかであった。
「くそう、なんだあれは! まだ魔導兵装を撃ちつづけてやがる!」
投石器と魔導兵装、二種の飛び道具による攻撃に苦戦するジャロウデク軍は、そのうちに一つの違和感を抱き始めていた。
魔導兵装とは強力な兵器ではあるが、使用にかなりの魔力を喰う。大量に構えて撃ち続けたりすれば、すぐに魔力貯蓄量がなくなるはずなのだ。しかし法弾は途絶えることなく放たれ続けている。明らかに、敵は何かしらの仕掛けを施しているとしか考えられなかった。
「おのれ、“格闘で勝てないからと、最初から近づけないつもり”か! なんと小癪な……しかしいかんな、被害が大きすぎる。いったん全軍を下がらせる、伝令!」
ドロテオは額に青筋を浮かべながら命令を叫ぶ。ティラントーは重装甲であるが、敵の攻撃はそれを上回るほどに熾烈だ。機動性が低いティラントーでは、城壁に辿り着くまでに多くの被害を出すこと必至である。
彼らは長期の侵攻作戦を睨んでこの場に居る。それでなくとも積み重なる敵の工作により、黒騎士部隊は疲労が大きい。一戦闘における被害の許容量は余り大きくはないのだ。この時、ジャロウデク軍はこの戦争が始まって初めて、城砦攻略戦において敗北を喫したのである。
ジャロウデク軍が後退するを見たジェデオン都市要塞の城壁の上では、クシェペルカ軍の兵士たちが慌ただしい動きをみせていた。
「ジャロウデク軍の後退を確認! ヴィード隊、撃ち方やめ!」
「いまのうちに投石器の補充を急げ!」
「魔導兵装は下げるなよ、ヴィード隊はそのまま威嚇配置、並行して魔力貯蓄量の回復にかかれ」
居並ぶ幻晶騎士も魔導兵装を構えたまま、魔力転換炉の激しい吸排気音を響かせている。
筒のような形状を持ったこの機体。名を“レスヴァント・ヴィード”という。エルネスティが提案しディートリヒがこの地に持ち込んだ設計書から急遽製造されたものだ。
旧クシェペルカ軍の制式量産機レスヴァントを元として、背面武装と蓄魔力式装甲のみを追加した簡易改修機というべき機体である。
この改造の焦点は、機体の周囲を覆う“ウォールローブ”と呼ばれる大型追加装甲にあった。これは強固な装甲であると共にその全てが蓄魔力式装甲で構成されており、これだけでレスヴァント一機分を越える魔力貯蓄量を備えている。
レスヴァント・ヴィードは桁外れに大容量化した魔力貯蓄量と多連装魔導兵装をもって、ひたすら遠距離から攻撃する特化機体なのである。
残念ながら突貫工事であるがゆえに調整不足が目立ち、さらにウォールローブの重量が嵩みすぎるためほとんど動くことができず、拠点防衛にしか使えない代物であったりするが。
そんな一種の欠陥機体であっても、実情を知らないジャロウデク軍に対しては十分な結果をもたらしていた。
「追い払うことには成功したようですね」
グゥエラリンデに乗って待機していたディートリヒは、機体を降りるとクリストファーへと話しかけていた。
「このために色々とやったからな。とは言え、たかが一度追い払っただけだ。やつらの被害だってそれほどでもない、いずれまた攻めてくるだろう。警戒して、しばらく手控えてくれるならありがたいのだがな」
クリストファーは難しい顔で悩む。レスヴァント・ヴィードは拠点防御に対しては高い適性を持つが、攻める用途には向いていない。
依然としてジャロウデク軍の脅威が去ったわけではない。それでも彼は、今だけは目の前の勝利を喜ぶことにしたのであった。