#43 創り上げるもの
秋も深まり、空気には日一日と冷たさが混ざってゆく。
その日も吹きつける芯から冷えるような風のなか、気持ちよく晴れ上がった空からのうららかな陽気がほんの少し冬の訪れに待ったをかけていた。
ここはライヒアラ騎操士学園に付属する医務室の一室。部屋に一つしかないベッドの上で、エドガー・C・ブランシュはゆっくりと目を開いた。
物の少ない、こざっぱりとした部屋だ。薄いレースのカーテン越しに、日の傾きに応じてのびる陽光が彼の頬にかすかな温もりを与え、薄く開けられた瞳を柔らかく刺激している。
ずいぶんと長い間寝ていたためだろう、彼の意識はすぐにははっきりとせず、しばらくはぼんやりとしたまま視線を揺らしていた。
じょじょに靄がかかったようにはっきりしなかった意識が明瞭さを取り戻していく。それと共に彼は意識を失う前の状況を思い出し、にわかに混乱に陥りながら起き上がろうとした。
「うぐっ……うう……」
全身いたるところから鈍い痛みを返され、彼はすぐさまそれを断念することとなった。
彼は混乱する思考の中で、己の状態と思い出せる最後の記憶を照らし合わせた。激しい打ち身と、吹き飛んだ部品による傷。命に別状はなさそうだが、軽い負傷ではないだろう。彼はそう判断してそのまま力を緩め、再びベッドへと身を沈めた。
そうして鈍い痛みに寝付けないままでいた彼の耳に、病室の入り口から控えめなノックの音が聞こえてきた。
エドガーは返答しようとして酷い喉の乾きに声を奪われる。辛うじて漏れ出したのは声とはいえない唸りだった。それが届くより早く扉が開かれる。
「……エドガー! 意識が戻ったの!?」
扉から入ってきた女性――ヘルヴィ・オーバーリは目を丸くすると、彼が寝ているベッドへと小走りに駆け寄ってきた。その手には水差しが握られている。
「よかった……あれから3日も起きなかったんだから、心配したわよ」
彼女の目元にはうっすらと水滴が光る。エドガーは3日という言葉に驚くと共に、詫びと感謝を込めて礼を言おうとしたが、喉からは掠れた音が漏れ出ただけだった。
それに気付いたヘルヴィは、ゆっくりと手に持つ水差しを含ませる。喉を潤し一息ついたエドガーは、未だに少し掠れの残る声で問いかけた。
「……すまない、ヘルヴィ。あの後……私が、意識を失った、あとは、どう、なった……?」
こんな時にも変わらないエドガーの生真面目さに小さく肩をすくめながら、彼女はベッドの脇へと椅子を運ぶ。
「ええ、ちゃんと説明するわよ。時間はあるんだから、少し落ち着きなさい」
自身も水を飲みながら、彼女は首をかしげて。
「そうね、まずは…………」
フレメヴィーラ王国の王都であるカンカネン。
その中心に聳える王城・シュレベール城にある、国王への謁見の間へと続く廊下には数名の人影があった。
一人はフレメヴィーラ王国国王アンブロシウス・タハヴォ・フレメヴィーラ。
現在は国王と言う立場にあり、しかも老境にある彼だが若かりし頃は騎士や将を務めた経験がある。その時より鍛錬を怠らぬ彼の身体は十分に頑健な様を誇り、獅子のごとく豪快に伸びた白髪と髭も合わさり衰えぬ迫力を周囲へと滲ませている。
その少し後ろを歩むのはディクスゴード公爵クヌート・ディクスゴード。
彼は国王とは対照的にやや細身と言え、全体的にナイフのように鋭利な印象がある。しかしその顔は疲労と焦燥に覆い隠され、普段の鋭さはなりを潜めた様子だ。
「ふうむ、カザドシュに賊が入り、わざわざ新型の幻晶騎士を強奪した、とのう」
「は、賊により奪われた新型幻晶騎士のうち大半は奪還したものの、うち1機に逃げられてしまいました。現在、各地の砦に触れを回し捜索を行っていますが、未だその足取りはつかめずにおります。
重大なる失態、まこと申し開きの次第もございませぬ。かくなる上は、いかような処罰も覚悟して……」
「勝手に先走るなクヌートよ。今はおぬしを罰するよりも、働いてもらうことのほうが多かろう。責任を取るつもりならば今後の働きにいっそう注力し、挽回することを考えよ」
アンブロシウスは歩いていなければ地に頭を擦り付けかねない勢いのクヌートの言葉を、ひらひらと手を振りながら一蹴する。
「して此度の賊の正体であるが……他国のものである疑いが強いと?」
「は、そう考えて間違いはないかと。今、捕らえた賊どもを尋問し情報を得ていますが、連中は特殊な訓練を受けていると見え、実に口が堅く。正確に判明するには今しばしかかります」
「どの道、賊が国内にいるならば焦らずとも早晩燻りだせよう。さもなくば逃げる先はボキューズの森に沈むか、山を越えるかじゃ。どちらに行くかなど、考えるまでもあるまい」
ボキューズ大森海。
フレメヴィーラ王国の東に広がるこの森は、今でも無数の魔獣が生息する魔境である。過日の陸皇亀の襲来が記憶に新しいところだが、下手をすればそれ以上に強大な魔獣が居る可能性があるといえば、そちらに逃げるのがどれほど愚かしいことか、容易に想像がつくだろう。
逆にフレメヴィーラ王国の西には人間の国家――西側諸国がひしめいており、そちらへと行くためにはオービニエ山脈を越える必要がある。峻嶺が連なるこの山脈は古来より越えるに難い難所として知られていた。だからと言って全く通行が不可能なわけではない。中には通り易い経路もあり、それらは街道として整備され関所が設けられていた。
問題はそれ以外の経路だ。普段使用するには難いが、通行が不可能ではない経路というのもないわけではなく、賊がそういった経路を抑えていることは十分にありうることだ。この世界にレーダーのような便利な装置はない。笊とまでは言わないが、山脈沿いの監視が完璧ではないことはアンブロシウスも十分に認識していた。
「やれやれ、厄介なことよのぅ。他国の干渉など、どれほどぶりのことか」
その状態でもこれまで問題がなかったのは、やはりこの国の立ち位置が関係している。魔獣の領域であるボキューズ大森海へと、オービニエ山脈という“城壁”の前に進出した防衛陣地。フレメヴィーラ王国を例えるならば、まさにそれが当てはまる。
西側諸国からしてみれば勝手に厄介事を処理し続けてくれる便利な存在、なのである。わざわざ余計な事をしてそれに穴を開ける必要はない。各国の思惑が重なった上での無干渉、そういった種類の“目こぼし”の歴史が、ここから西側への警戒を甘くした最大の要因とも言えた。
「これまでとは一線を画す、新たな幻晶騎士。で、あれば一度外に出てしまえば、これが広まるを抑えることなど到底叶わぬであろう。
そこにこだわるにも既に手遅れよの、我らは我らのための道を選ばねばならぬ」
彼らのための道。その時の二人の脳裏には、全く同じものが思い浮かんでいた。
シュレベール城にある王の謁見の間は実に大きな広間になっている。それもそのはず、この場所は人間のみならず幻晶騎士すら入れるように作られているからである。なんらかの式典が行われるときには、謁見の間に整然と並ぶ幻晶騎士の勇壮な姿を見ることができるだろう。
今その場には幻晶騎士の姿はなく、代わりに大勢の若者がいる。言うまでもなくライヒアラ騎操士学園騎操士学部の面々であり、それに小さな少年少女3名が加わる。
カザドシュ砦における騒動が収束した後、ライヒアラに残っていた者も呼び出されここには騎操士学部に所属するほぼ全員が揃っていた。
豪快にあまった空間に奇妙な威圧感を感じながら彼らが待っていると、ややあって国王が現れた。
「よい、楽にせよ」
全員が膝をついた姿勢をとるのを見たアンブロシウスはさっさと言い渡すと、ドカッと音のしそうな勢いで玉座へと腰掛ける。
許しを得て顔を上げたものの、ライヒアラの学生達は漏れなく緊張でガチゴチに硬直している。公爵位にある人物と会うのにも緊張していた彼らが突然国王の前につれてこられたのである、無理もなかった。
その中に一人、最前列の中心に全く気負った様子のない小柄な少年がいる。アンブロシウスはその少年、エルネスティ・エチェバルリアと一瞬だけ視線を合わせ、頬に小さな笑みを描いた。次の瞬間には彼の顔は引き締められ、威厳に溢れる声が玉座より語りかける。
「さて、まずは学生達よ。此度の新型機の開発、大儀であった。本来は未熟であるはずの学びの徒たる諸君が、我が国の歴史に見ない成果を上げたこと、わしは大変うれしく思っておる」
アンブロシウスの言葉に、学生の大半は興奮のあまり顔を紅潮させている。なかには感極まった様子の者すらいた。
「しかし残念なことに、少々無粋な横槍が入ったようじゃな。現在手を尽くして後を追ってはおるが、賊は捕まってはおらぬ。逃がしてしまったと考えたほうがよかろう」
一転して彼らの表情が曇る。国王から賞賛を受けるという事態に一時舞い上がった彼らの心は、冷たい現実を思い出してすぐさま落下していた。
「そう悲観するな。一つは奪われてしまったが、我らから新型機の全てが奪われたわけではない。
しかし一度外へ出た以上、ここからはこの新型機をめぐり競うこととなろう。そこでまさか、我らが遅れを取るわけには行くまいよ。
聞けば、我らの新型機も未完成であるそうな。諸君らをここに呼んだのは他でもない、この完成のためである。
早速だがエルネスティよ、それにはあと何が必要か?」
しばしの思考を経て、エルは口を開く。
「問題は二つあり、うちひとつにはどうしても時間が必要です。
残る問題の解決には……国立機操開発研究工房の、協力が必要です」
エルの言葉は、その場にいる大半の想定と異なっていた。彼らは、新型機はエル自身(若しくはエルと学生達)がどうにかして完成させるものだと考えていたのだ。アンブロシウスもそれに必要なものを問いかけたつもりだった。
しかしエルは設備でも資材でもなく、組織の名前を口にした。
「新型機に残る大きな課題、その一つが操縦性です。その調整には十分に円熟した国機研の技術を借りて行ったほうが、より効率的に進むと言えましょう。
また、新型機をいずれ制式幻晶騎士として採用するならば、今後は生産性も重要となるでしょう。そのためこの国で最大の機数を誇るカルダトアを下地として新型へと発展させるのが適当であると考えます。それにもカルダトアに関して最も知識ある彼らの手をお借りするのが最善かと」
事前に用意した答えを述べるようにすらすらと続けるエルに対し、アンブロシウスはやや拍子抜けしたように腕を組んだ。
「これからは国機研へと、開発を委譲すると言うことか?」
「単純にそれだけでは問題は解決しないと存じます。新型機について、国機研の方々へと十分な説明をする必要がありますので。
が、それもすでに手を打ってあります。幸いにもディクスゴード公を通じてここに居るライヒアラ騎操士学部の先輩方が国機研へと入ることが決まっています。皆様、テレスターレの開発には1から関わった方々。両者の知識と経験を合わせれば、必ずや成し遂げられましょう」
アンブロシウスは目を細めて髭をゆっくりと撫でていた。相変わらずこの少年は妙なところで気が回る。
そこまで考えたとき彼はふと、奇妙な違和感に襲われた。何かを見落としている気がしてならない。それが何かを探そうとして、彼はいまだ視界の中心にいる少年の姿を見直し、そこで合点がいった。
「うむ、道理である。よかろう、国機研へはわしからも触れを出そう。
新型機の完成に関しては、今後みなのいっそうの尽力を期待する……が、今の説明にはおぬしの名がなかったのではないか?」
「はい、僕はもうすぐ初等部の2年生になりますし、まだ卒業には早いですから」
その時、その場にいる人間の心は「何を今更」と「ああそういえば」という言葉の元に一つになったという。
アンブロシウスすら呆れた表情を隠しもしていない。
「……国王であるわしが、こういうこと言うのもなんじゃがのぅ。おぬし、この期に及んで学園に通う必要があるのか?」
その言葉に、エルの背後にいたアーキッドとアデルトルートがわずかに体を震わせた。国王が命を下し、エルが学園を出るとなればもはや彼らにそれを止める術はない。彼らをカザドシュまで駆り立てた言葉が喉までせり上がってきたが、それは謁見の間に飛び出すこともなく飲み込まれた。彼らはただ下を向き、拳を握りながら静かに話を聴いている。
ほんの少しだけ、エルが後ろを見たことに、二人は気付いていなかった。
「理由は……あります。陛下、今回僕が“新型機”を発案し、そして作り上げることができたのは類稀なる幸運に恵まれたからだと思っています」
身長の低いエルがアンブロシウスと話そうとすると勢い見上げる形になる。強い意志を湛えた瞳でまっすぐに自分を見上げる少年に、アンブロシウスは口元をにやりとした笑みの形に変えた。
「ほう、あれほどのものを才ではなく運と言うか」
「ご存知の通り、僕はまだ10を越えたばかり。どんなことを思いつき、どんな手段を持とうとも、それを掬い上げる相手がいなくては何も為せません。
ここまでたどり着けたのは、偏に騎操士学科の先輩達が僕の言葉を子供の戯言と一笑に付すことなく受け止めてくださったからです。僕のような子供の言葉を受け止める人が、そう多いとは思えません」
「おぬしには十分な功がある、そうそう無視できるものとも思えぬがのぅ。それにわしが命じれば、国機研の者達もおぬしの言葉を無下にはすまい? ならば同じことではないか」
エルは目を伏せるとゆっくりと首を振る。
「それでは無用な軋轢を生む結果になります。今後に待つ新型機開発は長く、忍耐の要るものとなるでしょう。そこに余計な要素を持ち込んでは、為しうるものも為せなくなってしまいます」
この台詞はアンブロシウスの内心にあった懸念を正確に射抜いていた。
国立機操開発研究工房――それはフレメヴィーラ王国の建国直後より長きに渡って幻晶騎士に関する技術を開発し、支えてきた組織である。その構成員には高い能力と、そして高い自尊心が備わっている。
人の自尊心とは厄介なものである。どれだけ優秀であり十分な結果を残した者を相手にしても、それだけで受け入れられるわけではない。特に今回のような極端な年齢差がある場合はどうなるか、結果は火を見るより明らかだ。
エルの強かさや立ち回りを見れば少々のことでは潰れないだろうと、アンブロシウスやクヌートは考えている。そこへ彼らの“お墨付き”を与えれば多少の軋轢は踏み潰していけるのではないかとも。想定される諸々の問題を差し引いても、押し通す意味はあるはずだった。
ここで最終的な完成を国機研に持ち込めばどうか。この“仕上げ”に関しては、確かに彼らの技術でなければ為し得ぬことである。その上完成した新型量産機は国機研より国内へと提示され、結果として彼らの自尊心は損なわれない。それは理想的な解決方法になるだろう、ある一点を除いては。
アンブロシウスはその一点を見ながら、眉間の皺を増やしていた。
彼の表情に浮かぶかすかな懊悩を見て取ったエルは、ころりと表情を笑顔に変える。
「ご安心ください、僕は陛下との約束を忘れたわけではありません。最高の幻晶騎士を作る、それを止めはしない。ですから……
卒業までには次なる機体の設計を完成させておきますので、どうぞご期待ください」
「……いやちょっと待て、結局作るのか!?」
謁見の間にガクリという音が響いたような錯覚が全員の間を駆け巡っていた。実際に何名かは頭を抱え、苦笑を浮かべている。
「急いては事を仕損じるともいいます。ここは腰を据えてじっくりきっちりねっとりと書き上げておきますので!」
「待てというに、問題はそこではないわ」
側に控えたクヌートが額を抑えて「……あれか……」と漏らしているのを横目に、アンブロシウスは笑いをこらえるのに必死だった。
「それに、新型量産機の完成も重要なのですが……やはり新しい機体を考えたいではないですか」
少し拗ねたようなエルの様子に、その場にいる全員が理解へと到達した。
――こいつ、面倒な調整だけ他人に丸投げしやがった。
こらえきれず、アンブロシウスが破顔する。この少年といると、彼はどんどんと昔に戻っていくような感覚を覚える。つまりはいたずら小僧の血が騒ぐのだ。
「なるほどなるほど、さすが趣味の化身よのう。国機研の者どもも久方ぶりの大仕事に張り切ろうし、あやつらの技術は折り紙つきぞ、期待以上の働きをしてくれよう」
ひとしきり笑った後、ふとアンブロシウスは真面目な表情に戻る。
「良いのか? その次なるもの、それもやつらの力を使い、作る事もできるのだぞ?」
「今回のテレスターレ開発はいわば試作であり実験。これにより様々な経験と知識を得ることができましたし、作った筐体は後々までの発展への土台として十分な潜在能力を持っています。
でも、フレメヴィーラの量産機に求められるのは癖のなさと万能性。僕がこれから作ろうとしているものは、それにそぐうものではありませんから」
非常に複雑な表情で固まるクヌートをさて置き、アンブロシウスは考える。
“趣味”で幻晶騎士の開発の歴史を塗り替えんとする少年の言う、“次”。単純に興味を引かれると共に、その重要性についても見過ごせない。この“試作”ですら歴史を揺るがしているのである、それが次に進むとなれば、果たして量産機の完成と重視すべきはどちらか。
そして、その“次”を実現できるのはこの少年だけなのだ。国機研は確かに有能な集団だが、そこまで劇的な進歩は望めない。それだけで彼の取るべき選択肢は決まったも同然であった。
問題はそれを実現する方法だ。その時、彼の脳裏に流星のごとき閃きが訪れる。同時にある企みを実行すべく彼は姿勢を改めた。
「おぬしの言い分もわかる。しかしそれは許せぬな」
クヌートはそのとき、アンブロシウスの横顔に過去の悪夢の面影を見出したという。
「おぬしをただ学生として遊ばせておくわけにはゆかぬ。今あげた次とやらも待つ必要などない、作ってみせよ」
背後で起こった小さなため息は、エルにだけ届いた。さすがのエルも彼の幼馴染たちのわがままをそのまま国王へと届けることは、できないでいた。
神妙な表情の裏でエルが次の手段を模索している間にもアンブロシウスの言葉は続く。
「時にクヌートよ、エルネスティがさらに新たな幻晶騎士を作るというのならばその身が問題となるのぅ」
「その通りにございますな」
「僕の身がですか? どのようにでしょう?」
「考えても見よ、此度の賊は“実物”だけを狙ったものだが、いずれ同様のことが起こった時に起点たるおぬし自身を狙わぬ保証はない。何せおぬしはまだまだ“次”を持っているようじゃからのぅ、一つ一つ狙うなど限がなかろう。故におぬしの身を護る必要がある」
「やはり護衛をつけることになりますな」
「つまりじゃ、必要なのはおぬしの考えを実現する鍛冶師、おぬしの身を護る騎士」
そこでアンブロシウスはわざとらしいしかめ面を緩め、再びにやりとした笑みへと戻る。
「そしてその誰もがおぬしのことを侮ることなく受け入れること、じゃ。
それに合致する者たちに心当たりはないかのぅ? エルネスティよ。なに、答えは簡単なことじゃ、考えるまでもあるまい」
しばらくの間、虚を突かれたかのように目を見開いて固まっていたエルネスティ・エチェバルリアは、やがてゆっくりと、後ろへと振り返った。
期せずしてライヒアラ騎操士学園騎操士学部の学生、その全員の視線が彼へと集中する。ディートリヒが、親方が、エルへと力強い視線を返す。
数多の言葉を含む静寂が、両者の間に流れた。
「そうよ、ライヒアラの学生たちよ。おぬしらには既にともに新型機を創り上げた経験がある。今再びそれに期待しよう。
我が命によりここに新たに騎士団を創設する。エルネスティ、おぬしと共に新たな幻晶騎士を作り、動かし、戦う者達よ」
「騎士団……僕らで、ですか」
さすがのエルの鉄壁の笑みも今は引きつり気味だ。対照的にアンブロシウスの笑みは深くなっていく一方である。
「さて創るとなれば名を決めねばならぬな。規模は大きくないのぅ、青にもならぬか? いや、その役目を鑑みれば、また違う括りとなろうか。
おお、そうじゃ、おぬしにちなみ“銀”でよかろう。のぅ、エルネスティよ? 後はわしから“鳳”の名を贈ろうぞ。
“銀鳳騎士団”それがおぬしらが名乗るべき、名じゃ」
その名は、呟きに乗って小波のように広がってゆく。それがその場にいた全員――“元”ライヒアラ騎操士学園騎操士学部の学生と、エルネスティたちの頭に染み込むまでにはわずかな時間も必要としなかった。
「ああそうじゃ、騎士団とは言うても急なこと、拠点となる場所を用意するまで時間がかかろう。それまでは仮の拠点が必要になるのぅ。クヌートよ、適当なところはあるか?」
「は、ここにいるのは全員ライヒアラに関わる者。しばしはかの学園の設備を借りればよろしいかと」
「うむ、妥当なところであろう。まぁエルネスティが卒業するくらいまでには正式なものを用意するゆえ、安心せよ」
エルとしてはそれに否などあろうはずもない、万々歳である。しかしそれとは別に多少癪な気分なのも事実だった。そう、完全に気分の問題だ。例え素晴らしくあっても、少しは反撃して見せるのも忘れてはいけないのだ。
「しかし陛下、それでは国機研への開発委譲に差し障るのではありませんか?」
建前上のものではあったが実際にそれは問題となるはずだ。アンブロシウスも悩んでいたのである。
「おおそうじゃそうじゃ、それを何とかせねばならんのぅ。ではおぬしと銀鳳騎士団へ、最初の命を下す。
“国立機操開発研究工房の者どもの鼻を、へし折ってやれ”
おぬしの作る幻晶騎士でやつらの度肝を抜いて見せよ。年齢など些細なことであると知らしめ、やつらを従えてみせよ。……できるな?」
エルは再び背後へ振り返る。そこにあるいずれも決意に満ちた顔、顔……。それらを見渡し、言葉もなく彼らが頷くのを見てエルは決意した。
「仰せのままに……人事を尽くし、事にあたりましょう」
「……とまぁ、そんな話があったのよ」
いつの間にか日が傾き、射し込む西日がうるさくなり始めた病室の中で、ヘルヴィは話を終えて一つ息をつき水を含んでいた。
途中まで神妙な表情でその話を聞いていたはずのエドガーは、複雑怪奇な変遷を経て今では引き攣った笑顔へとたどり着いていた。実に、実にろくでもない話を聞いた、彼の顔にはありありとそう書かれている。
「少し、確認したいのだが」
「うん?」
「その銀鳳騎士団とやらに、俺は……含まれているのか?」
そこにあるのは、恐れか、期待か。それでなくとも引きつり気味の彼の表情からは、詳しい心境は読み取れなかった。
「ええ、でも強制ではないから辞退することも出来るわ。心配しなくてもその場合も、卒業後はどこかの騎士団で採用してくれるそうよ?」
「……ちなみに誰か、辞退した者はいるのか?」
彼にも答えはわかっている、しかし確認せずにはいられなかった。
ヘルヴィはその猫を思わせるアーモンド形の瞳を細めてニタッと笑い、予想通りの言葉を返す。
「いいえ、一人もいなかったわ!」
男が歩いている。
一目見ただけでそれとわかる上等な仕立ての服をまとい、豪奢な文様の描かれたマントを羽織っている。さらにあちこちに貴金属をあしらった飾りをこれでもかとばかりにつけており、鎧を着ているわけでもないのに彼が歩くとかちゃかちゃと音が鳴っていた。
その頭には黄金と宝石を固めた冠。それは明らかに“王冠”と呼ぶべきものであった。
男の後ろには数名の人間がいる。それぞれが違った空気をまとっているが、どの顔にも少なくない緊張が見て取れた。
男が歩いている場所、それは彼のいでたちからはまったく似つかわしくない、雑然とした様子の場所だった。
周囲に響く槌を打つ音、漏れ出でる熱気――幻晶騎士を整備するための工房である。両側の壁沿いには今まさに整備中の機体が並び、鍛冶師とおぼしき者たちが忙しく走り回っている。
彼らは男の姿を見たとたん、慌てて作業の手を止めてその場にひれ伏した。男の歩みに合わせ、潮が引くように音がなくなってゆく。
しばらく歩みを進めた男は、工房の最も奥まった場所へとたどり着いた。
そこには1機の幻晶騎士がある。ひどく損傷した機体だ。全身のあちこちに剣によると思しき傷があり、さらには“右腕が半ばより断ち切られている”。
その状態でも、これまでの道すがらにあった機体とは決定的に違ったデザインをしていることが見て取れた。実用性だけを追求したかのように無骨な外見をしている。
その中でも目立つのが背中に屹立する、槍のような形状の魔導兵装だ。そのような装備をしている機体はこの場所に、いや世界に数機とない。
「ふぅむ、これが」
男は軽く鼻をならすと、彼の後ろに影のように付き従っていた巌のように頑健な大男に問いかけた。
「魔獣番の作った新型とやらか。いくらかあると、聞いていたが?」
「申し訳ございませぬ陛下。ことに当たらせた者たちが力及ばず、これひとつしか用意できませんでした」
「ふん、もう少し使える者と聞いていたが、当てにならぬものだ」
男は反論せず深く一礼して後ろへ下がる。
陛下と呼ばれた男がしげしげと“新型”を眺めている間に、もう一人別の、矮躯の男が前に出て得意げに解説を始めていた。
「きゃつらめも、なかなかに獣退治に知恵を凝らしているようす。この機体に使われている結晶筋肉の組み方は実に面白いものですな。また、背中の魔導兵装たるやこれまで見たこともない用法を……」
「能書きはよい。それは我が騎士に生かせるものか?」
「は、はっ、勿論にございます陛下。これにより我ら精強の兵が、いっそうの力を持つことをお約束いたします」
「当然だ。それができぬとき貴様がどうなろうや、わかっていよう?」
腰を折りながら矮躯の男は小さく震える。その額にはじっとりとした汗が浮かんでいるが、男からはそこまでは見えなかった。
彼はそんなことには頓着せず、新型機を前に腕を組む。
「……しかしな、こいつの“野暮ったい”見た目は何だ? もう少し見目良くはできなかったのか?」
「陛下、きゃつらは田舎者なれば、そこまで求めるのは些か以上に酷かと存じます」
矮躯の男が小馬鹿にしたような響きで述べるのを聞きながら、男はしばらく新型機を眺めていたが、やがて興味を失ったように踵を返した。
「これは貴様に任せる。それとだ、我が国で使うに相応しきよう見た目にも気をつけよ。このようなものを使っては諸王から失笑を買いかねん」
深く礼をしながら返答する矮躯の男をその場に残し、男は大男を連れてその場を去る。
その姿が視界から消えるや否や、工房には矮躯の男が発する甲高い叫び声がこだましていた。