#223 星空すらも射落として
空を埋め尽くすかのごとく無数の小塊が飛び交う。
打ち捨てられていたはずの魔獣の巨体は無数の塊へと分かたれ、この“フラクチャードスフィア”を生み出した。
それは空に陣取るありとあらゆる勢力を一瞬きの間に蹴散らしていた。
重装甲を誇る巨大船も。
一騎当千の強者たちも。
西方屈指の兇刃までも。
象が蟻の群れを蹴散らすように、いっそ無造作に打ち払ってゆく。
戦場に残るのはただただ二体きりの“化け物”ども。
濁流のごとき小塊のうねりをかいくぐり、一筋の流星が翔ける。
エルネスティとアデルトルートが駆るアメノイカルガ・カギリだ。
「自慢の足も鈍ってきたようだよ!」
それを追うは、飛び交う小塊を足場とすることで縦横無尽に駆けまわる、虹に濡れた白銀の人型。
人と魔法生物と合一した原型のイカルガにして魔獣――イカルガ・シロガネだ。
「否定はできませんね!」
フラクチャードスフィアによって戦場を支配するイカルガ・シロガネに対し、障害物をかわさねばならないアメノイカルガ・カギリは大きな不利を背負わされている。
アメノイカルガ・カギリは“騎士殺し”という、精霊銀を斬り裂くための刃を振るうためだけに生み出された特殊な機体である。
その武器を生かすためには自ずと近接戦闘主体に絞られるため、強力な機動性をもってそれを補う設計思想をしていた。
「まさか機動性を削ぐのに、戦場ごと支配してくるとは。豪快ですね」
「魔獣以外には無理だから、こんなの!」
「それはそのとおりです」
障害物で動きを阻むというのは単純ではあるが、それだけに効果的だった。
回避のために速度を落とさざるを得ず、先ほどから何度もイカルガ・シロガネに追いつかれ攻撃を受けている。
「ふふ。騎士として魔獣からの挑戦に甘んじるわけにはいきません。アディ、身体強化を強めてください。ここからは……本気で、いきます!」
「うん、見せつけちゃおうよ!」
「ええ。では! “ナイトスレイヤー”、納刀!」
アメノイカルガ・カギリの両腕から伸びる白い刃が形を崩し、腕の中へと収められてゆく。
「魔力流量制御。系統切り替え、最高速機動戦闘準備!」
“ナイトスレイヤー”は強力である反面、非常に燃費が悪く多量の魔力を消費する。
そのためにアメノイカルガ・カギリには合計十基もの魔力転換炉が搭載されており、膨大な魔力が供給されていた。
それらの莫大な出力の全てを、機動性へと振り向けたならば。
「このアメノイカルガ・カギリ……伊達や酔狂で作り上げたわけではありません。その真髄、とくとご覧あれ!」
流星が燃える。
手足に、翼に装備したマギジェットスラスタから自滅したかと勘違いしてしまいそうなほどの爆炎を噴き出し、あろうことかアメノイカルガ・カギリがさらに加速した。
周囲には無数の小塊が飛んでいる。
すぐさま激突し粉々になる――かと思いきや、アメノイカルガ・カギリはその全てを回避しながらなおも加速してゆく。
「なんだ!? あの速度は! エルネスティ君には恐怖心というモノがないのか!?」
無茶苦茶である。
急激な加減速によって騎操士にどれほどの慣性がかかっていることか。
その負荷を跳ね返し、なお恐るべき精密さによる操縦が為されている。
恐怖を覚えたのは、むしろ人を止めたはずの“ウーゼル”の方であった。
「だが! 疾さのみでどうやって戦う!?」
確かにフラクチャードスフィアを苦にしないエルの能力には心底驚かされた。
しかし刃を収めたままではイカルガ・シロガネに傷を負わせることなどできない。
「もちろんこうするのです!」
その答えはすぐに判明する。
障害物をかいくぐり、アメノイカルガ・カギリがシロガネに迫る。
すれ違う刹那、突き出した腕から白銀の流体金属が噴き出し刃を形成したのだ。
「うおおおあっ!?」
間一髪、イカルガ・シロガネの剣が割り込み攻撃を弾く。
次の瞬間にはアメノイカルガ・カギリは再び“ナイトスレイヤー”を収納し、飛び去っていた。
まったく無駄のない機能切り替え。
常人には困難極まりない精密な制御を、高速に処理する。
それこそがエルネスティが最も得意とする戦法なのである。
「……強い。強い。強いッ! この攻撃をそこまで容易く乗り越えてくる!」
破滅的な渦の中を元気いっぱい飛び回っているエルネスティの実力は異常そのものと言ってもよい。
しかしイカルガ・シロガネの中から恐怖は流れ去っていた。
代わりに湧き上がってくるのは――歓喜だ。
「ふふ、ふふふ……素晴らしいよ。いまようやく、“私”も感じることができる。これが戦い。己を燃やす高揚感というものなのだと!」
人として生きてきたころに、他者と競い合った経験など皆無である。
人を捨て魔獣と化して初めてそれを経験するなど何と皮肉なことか。
だが、だからこそ。
「だからエルネスティ君……“私たち”も行く。君に近しい世界へ!」
“ウーゼル”は己の全てを火にくべても、更なる炎を求めるのだ。
イカルガ・シロガネの背から伸びる帯状の翼がたわみ、繊維に分かれていく。
それはシロガネの全身に巻き付きくと、外装と融合していった。
虹色の輝きが強さを増す。
「疾!!」
イカルガ・シロガネが翔ける。
人の意志を魔法生物の処理能力によって伝達、身体を高速で駆動する。
それは小塊の間を反射する光と化し。
無数の小塊が飛び交う世界の中を二体のイカルガ、二筋の雷光が駆け巡った。
それらは幾たびも激突を繰り返し、交わっては離れ、離れては交わる。
「粘るね、これでも……ついてこれるんだ……!」
「ええ、ウーゼルさんもこの速度での戦闘に慣れてきたということ。だからこそ……頃合いです」
そうして目まぐるしく激突を繰り返しながら、エルは強かに機が熟すのを待っていた。
やがてその時が訪れる。
二体のイカルガの間を分かつように、大ぶりな塊が通過する。
ほんのわずかな時間、互いの姿が視界から消え去った。
「今です! “ナイトスレイヤー”、連結!」
アメノイカルガ・カギリが両手を組み合わせ、両腕の内部に収められた精霊銀を全て放出する。
本来ならば片手ずつ、刃を二本生成するための材料を全て片手へと集め。
「連結刃、抜刃疾走!!」
アメノイカルガ・カギリが長大な白銀の刃を伸ばしたまま、ぐるりと一回転する。
刃を伸ばすことでそれまでとは違う間合いから攻撃する、ただ一度限りの奇襲。
駆け引きの経験に乏しいイカルガ・シロガネに、その対処は不可能だった。
“ナイトスレイヤー”は精霊銀に対し絶対的な攻撃能力を有する。
間にあるのが塊であろうとシロガネ本体であろうと関係がない。
水平に振り抜かれた刃が小塊ごと、イカルガ・シロガネの躯体を綺麗に真っ二つに斬り裂いた。
「……あっ」
イカルガ・シロガネは――その中にある“ウーゼル”だったものが、己の胸を通り過ぎた刃を呆然と見送る。
「素晴らしい……これが、最高の騎士……いかなる魔獣でも及びもつかない。人とはここまで至れるのだね」
魔法生物と合一しどれほど追い縋ろうとも、軽々とその上を行く。
これこそが騎士の、人の頂点。揺らぐことなき最強の剣。
「しかと、見せてもらったよ。“私”が置き去りにした、人間の……騎士の強さを。ああ、本当に素晴らし……」
確かな満足が胸を満たしてゆく。
吐息と共に“ウーゼル”だったものが瞳を閉じ、分かたれた身体が落ちてゆく。
これで勝負は決着し、“彼”は終わりを迎え――。
「……なにッ!?」
――ることはなかった。
ぞわり、とシロガネの断面から魔法生物の繊維が伸びる。
それは墜ちゆくイカルガ・シロガネの半身をつかむと、身体を“縫い合わせる”ようにして引き合わせる。
すぐに何事もなかったかのように元の姿を取り戻したイカルガ・シロガネを、エルネスティが険しい視線で睨んだ。
「むぅ、なんと。真っ二つにした程度では止まりませんか」
「今のは、違う。“私”は……そんなことまで望んでは……!?」
“ウーゼル”の意識は戸惑いも露わに狼狽えた。
“彼”は確かに満足し、諦めたのだ。
しかし“彼”の半身はその意志とは関係なく独自の動きを起こしていた。
「“私”よ! まだ戦うというのか!」
――イカルガ・シロガネに宿る魔法生物は理解した。
“ウーゼル”と呼ばれる人間の意志が敗れ去ったことを。
そのままでは勝てず、障害を排除できないことを。
だからそれは次の手段を打つ。
イカルガ・シロガネが身を翻し、アメノイカルガ・カギリへと斬りかかってゆく。
しかしそれは“ウーゼル”の、人の意志を欠いたもの。
今までになく単調な動きの攻撃を、アメノイカルガ・カギリは易々と受け止めていた。
「今のは、何か動きが妙ですね……ッ!?」
瞬間、ざわりとイカルガ・シロガネの全身が震えた。
虹色の輝きを放ちながら、その全身に巻き付いていた帯状の翼――魔法生物の身体が解けてゆく。
そうして一斉にアメノイカルガ・カギリへと向かって伸びていったのである。
「むっ! 手数できますか!」
両手へと戻した“ナイトスレイヤー”を振るい斬り裂いてゆく。
しかし多数の繊維状に分かれた魔法生物に対し、魔剣はただ二振りであった。
刃をかいくぐった繊維がついにアメノイカルガ・カギリの足へと巻き付く。
そうしてその動きを阻みながら機体全体へと巻き付き、包み込んでいった。
「うわっ、気持ち悪い! こっち来るな!」
「これはまさか!」
それはただ動きを阻むだけではない。
魔法生物の繊維が泥に沈むように装甲へと潜り込み始めていた。
エーテル存在である魔法生物に対して、物理的な装甲防御は意味をなさない。
それらはずるずると機体の内部へもぐりこむと、やがて中心にある操縦席まで辿り着いた。
「わっ! こいつら入ってきた!?」
操縦席の壁から染み出すように、虹色の繊維が現れる。
目くるめく輝きを放つそれらは騎操士の姿を認めると、四方八方から絡みついてゆく。
「え、エル君! なにこれ、嫌っ!」
「アディ……! 魔法で防御を……!」
放とうとした魔法現象はしかし、魔法生物によってすぐさま分解される。
それは彼らの身体に巻き付いたまま、ついには体内へと潜り込み始め。
「ぐっ!? これ、は……!?」
何かが身体の中へと染み込んでくる、たとえようもない異物感。
エルはとっさに魔法演算回路を全力で動かし防御しようとする。
かつて“滅びの詩”と受けた時に用いた防御方法だ。
しかしこれは魔法ではない。
魔法生物による直接の侵食に対しては無意味でしかなく。
胸を貫く衝撃を覚えると同時、エルネスティの意識はぶつりと途切れていた――。
――魔法生物は潜ってゆく。
物理的な身体に対してだけのことではない。
そのはるか奥底にある、存在の根源――“魂”と呼ばれる領域を目指す。
この世界の理の根幹をなすエーテルによって成る魔法生物は、生命存在の中枢たる領域へとズカズカと無遠慮に踏み入っていた。
最奥にてまばゆく輝くもの、それは“魂の核”というべきものだ。
エーテル存在、魔法現象そのものである魔法生物はそこへとつながり“書き換える”ことができる。
魔法生物が弱っている時にはできなかった。
“存在の力”で負け、この領域まで潜り込むことができないからだ。
“ウーゼル”と呼ばれる個体は半ば進んで魔法生物を受け入れたからこそひとつになれた。
だが力を増した今ならば、この強い個体であっても潜り込める。
“ウーゼル”と呼ばれた個体は諦めていた。
だから次はより強いものを、強い“魂”を取り込むことで魔法生物はより大きな力と自由を獲得する。
眼前に煌々と輝く“魂の核”。
その光の強いこと! “ウーゼル”とは比べ物にならない。
これを取り込めばどれほどの強さを得られることか。
この“魂”の領域において動けるものは、魔法生物以外に存在しない。
抵抗などあるはずもなく、魔法生物は悠然と身体を伸ばし。
美味しそうな“魂の核”へと触れんとした――その瞬間。
どろりと、ねばつくように伸ばされた黒々とした何かが、まるで手のような五指を広げ、魔法生物の身体をがっしりと掴んでいた。
「…………!?!?!?!?!?」
魔法生物の思考を困惑が埋め尽くしてゆく。
何が起こっているのか。“魂の核”に、このような異物があるはずが――!?
だがそれの混乱になどまったく取り合わず、“魂の核”からはあふれ出すようにヘドロのごときドス黒い何かが湧き続け、徐々に身をもたげていった。
黒い何かは波打ちながら人間の上半身のような形を作ってゆく。
顔と思われる部分にあるのはただの黒い楕円形で、目鼻口のいずれも存在しない。
だというのにその黒い影はたしかに言葉を――そうとしか表現できないものを発したのだ。
「……あかんで、あかんで君ぃ。それ“不正アクセス”っていうんや。あかんなぁ、ホンマあかんのよ。気持ちよう“眠って”たのに。そんな“インシデント”起こしてくれるから……思わず叩き起こされてもうたやんか」
“魂”の奥底で響く、この世界には存在しない言霊。
魔法生物の混乱は最高潮に達していた。
“魂の核”にこのような異物があるはずがない。あってはならない。
この世界を作る条理のどこを読んでも、そんなことは書かれていない!
もしも有り得るとすれば――それはこのエーテル世界ではない、全く異なる理のもとにあるということ。
魔法生物がどれほど否定しようと、現に黒い人影は存在し。
人影は、魔法そのものであり絶対的な世界の理であるはずの魔法生物を、面倒くさそうにすらして押しのけた。
そうして黒い人型はすぐさまごそごそと蠢きだす。
手を広げ、黒い五指が踊るように空中を叩き。
「いうて俺は“プログラマー屋さん”やから、こういうんは本職やないんけどね。まぁでも、できることはある」
ごぼごぼと、黒い人影の中で何かが湧き立った。
直後、世界に新たな光が生み出される。
それは炎の赤。
燃え盛る劫火が逆巻き、壁のごとく“魂の核”を取り囲んでゆく。
「たとえば……プログラマーはプログラマーらしく、不正アクセスを弾くもん作る、とかね」
その瞬間、世界の法則そのものが書き換えられた。
それは魔法生物では、この世界の法則からは干渉しえない“何か”。
異質な世界――異世界の炎。
逆巻く炎の壁が魔法生物を拒絶する。
炎に燃える幻覚は潜り込んだ魔法生物を呑み込み、根こそぎに焼き尽くしてゆく。
ありえないはずの激痛を覚え、魔法生物が悲鳴と共に身体を引っ込めていった。
「せっかく“いい夢”見てぐっすり寝とったんやから、あんま起こさんといてや。こういう仕事してると、“眠り”ってのは大事なもんなんやで……」
エーテル生命、魔法現象の化身たる魔法生物が抗うことすら許されない。
そうして広がる炎の壁をその場に残し、黒い人影は“魂の核”へ沈み消えいった。
魔法生物にそれを見送る余裕はない。
それは焼けた鉄板に素手で触れたかのように恐ろしい勢いで、逃げ去るしかできなかったのだ。
深淵から――アメノイカルガ・カギリから逃げ去り、泡を食ってイカルガ・シロガネの中へと戻る。
そうして魔法生物の全てが逃げ去った後、エルネスティが目を開いた。
己の裡で何が起こったのか、彼自身も正確には理解していない。
だがしかし、もう二度と魔法生物に侵食されることはないという強い確信だけが胸の中にあった。
それだけで十分。
イカルガ・シロガネへと戻り強張り震える魔法生物を見つめ、エルが静かに口を開いた。
「せっかくのお誘い。残念ながら、あなたと共にはいけません。そこは僕にとって楽しい場所ではありませんから。僕の在るべき場所は、此処。僕の“ロボット”ですからね。他の誰にも譲りませんよ」
「エルネスティ君、君は……いったい……!?」
魔法生物と重なったウーゼルにも、その戦慄は十分すぎるほどに伝わっていた。
いったい何が起こったのか、“ウーゼル”には欠片ほども理解できない。
いや、きっと誰にも理解できないのだろう。
ただひとつ確信を抱くことができるのは。
ここにいる、彼らと相対しているのは人の形をしながらも“何か違う存在”だということだけ。
畏れに満ちた問いかけに、エルはちょこんと小首を傾げて答えた。
「ほんの少し皆さんとは“異なる”かもしれません。だとしても、つまるところ僕は僕。フレメヴィーラ王国に生まれ銀鳳騎士団団長を拝命する、エルネスティ・エチェバルリアに相違ありません。他に気にすることなど何もないのですよ」
エルは少しだけ寂し気な笑みを浮かべ、すぐさまそれを消す。
その時、前方から小さな呻きが聞こえてきた。
彼から遅れること少し、アディも目を開いていた。
“炎の壁”が守ったのはエルネスティだけではない。
アディを含めて、アメノイカルガ・カギリの中から完全に魔法生物を駆逐していた。
なぜならここは彼の聖域。許しもなく踏み入って良いわけがないのだから。
「アディ、大丈夫ですか?」
「ふわ……エル、君……? ちゃんとエル君がいる!」
「ちゃんととはなんですか」
声をかけられたアディははっとして、そのままのけぞって手を伸ばす。
しばし空中でワキワキと暴れていたが、届かなくて諦めた。
「ああ撫でたいけど届かない! 操縦席もうちょっと近くにすればよかった!」
「うんうん、元気そうですね。そういうのは後にしましょうか。まずは彼らときっちり決着をつけないと」
「よっし後でたっぷりとね! わかった! じゃすぐに片付けよう!」
アメノイカルガ・カギリが出力を高める。
その躯体に一切の乱れはなく。
多数の魔力転換炉が生み出した莫大な魔力が全身を駆け巡り、推進器が獰猛な咆哮をあげる。
ありとあらゆる攻撃を、魔法生物の侵蝕すら退ける新たな鬼神。
イカルガ・シロガネの中の“ウーゼル”は、引き攣った笑みと共に低く笑っていた。
「あはは……恐ろしいよ。震えが止まらない。こんな恐ろしい存在を、“私たち”は敵に回していたということだ……!」
その瞬間、戦場を飛び交っていた精霊銀の小塊が、一斉にその動きを緩めた。
イカルガ・シロガネからの制御が失われたのだ。
ガラガラと音を立てて地上に無数の小塊が降り注ぐ。
「ああ、“私”よ、まだ抗ってみるのかい? なるほど、やはり“私”よりずっと前向きだ。どうも“私”は、諦めが身につきすぎているようだね」
そうして力の全てを己へと取り戻したイカルガ・シロガネは上昇を始めた。
虹色の光跡を残し、白銀が一直線に空へと昇りゆく。
「むむっ、“真空”へ向かうつもりですね。逃がしはしませんよ!」
アメノイカルガ・カギリもまたそれを追って上昇を開始する。
目指すは空の果てにある、真空の世界。
エーテルに満ちたその場所は余人の存在を拒む死の領域であり、魔法生物にとっては故郷である。
地上に生きる人々が容易に辿り着ける場所ではない。
しかしエルは関係ないとばかりに笑みを浮かべた。
「抜かりはありません。追い詰めたときに天空へと逃げられる可能性は、既に考慮していました! とくとご覧ください……開放型源素浮揚器、広域展開。エーテル捕集環起動!」
天を目指すアメノイカルガ・カギリの足元でエーテル円環が広がってゆく。
幾重にも広がった円環が濃度を増すエーテル大気に晒された。
「高濃度のエーテル大気中で浮揚力場を維持するためには、莫大なエーテルが必要です……しかし大気からのエーテル捕集は簡単なことではない。以前に源素晶石でやろうとしたのですが、あれは装置としてあまりにも嵩張ってしまいました」
源素晶石を使っての実験は、嵩張ることもさながらエーテルの捕集がうまくゆかず頓挫した。
しかしそれで諦めるエルネスティではなかったのだ。
「でも、答えはもっと簡単なことだったのです。エーテルに干渉するならエーテルを。ならばこのエーテル円環を応用すればいい!」
アメノイカルガ・カギリが背負うエーテル円環がエーテルの大気を受ける。
上昇するほどに濃度を増すエーテルを集め、制御下に置くことで円環が輝きを増す。
そうして円環は大きさを増し、なおさらに数を増やし、そうして雪だるま式に制御下に置くエーテルを増やしていった。
それに伴い浮揚力場も強度を増し続けている。
幾重にも広がる巨大な虹色の同心円の上。
アメノイカルガ・カギリがシロガネを追ってどこまでも上昇してゆく。
そのうちに空はすっかりと姿を変えてゆき、やがてたなびく極光が目くるめく景色を描きだしていた。
「ははは……言葉もない。さすがだよ、“私”の大敵。“私たち”にしかなしえないと思っていたこの空の高みにすら並ぶなんて……!」
「あなたたちと戦うならば必要だろうと思いまして。準備していた甲斐がありました」
ついに辿り着いた純粋なエーテルの空。
真空中を二体のイカルガが翔ける。
「ああ、“私”よ……そうか。ここが、この空が“私”の生まれた場所……還るべき場所なのだね」
魔法生物に導かれるまま、“ウーゼル”は見知らぬ空を見つめる。
青さのない暗い闇はまるで夜のようで、常に星が瞬いている。
周囲を戯れるように流れる極光の衣をもてあそび、イカルガ・シロガネが両腕を伸ばした。
極光が魔法生物の意のままに撓み、大量のエーテルがイカルガ・シロガネのもとに集ってゆく。
「あいつ! またエーテル集めてるよ!」
「ここは彼らの庭ですからね。そして僕たちにとっては敵地でもある……」
エルは素早く機体の状況を確かめた。
魔法生物と戦うために、アメノイカルガ・カギリにはできる限りの抗エーテル処理が施されている。
しかしこの機体はそれ以外にも様々な機能を盛りに盛った闇鍋のような代物であり。
さすがに、ずっと真空中に居続けられるほど強くはできなかった。
「エルネスティ君を倒すには、このままでは不足。だがここならば“私たち”は無限の力を使えるようだ! さぁ、どう抗うんだい!?」
対するイカルガ・シロガネはこれからが本領発揮とばかりに光を増してゆく。
そうして多量のエーテルを取り込み終えては、さすがのアメノイカルガ・カギリでも倒せるかどうかはわからない。
真空における魔法生物の力は文字通りに“無限”であるのだ。
「当然、僕とあなたの戦いは真っ向勝負あるのみ! こちらも最後の札を切る時がしました!」
だが。魔法生物が真空中に逃れることも、より強化されることも。全てエルネスティにとって予想済みのことでしかない。
で、あるならば――彼は必ず“対策”する。
「前提条件はすべて出揃いました。“最終兵装”を使います。ここでケリをつけましょう!」
「うん! いよいよだね!」
エルネスティは操鍵盤を引き出し、その“命令”を叩き込んだ。
同時、エルとアディの手元で新しく鍵穴が開く。
「やはり魔法生物は未知の要素が多い。ナイトスレイヤーでも倒しきれないとなれば、これが正真正銘最後の一手。真空を味方につけたあなたと、僕が創りあげたロボット……どちらが強いか、大博打の始まりです!」
エルとアディが懐から鍵を取りだし、同時に開錠した。
「銃装剣型之弐、最終封印解除……“モード4”!」
アメノイカルガ・カギリが補助腕に保持していた銃装剣型之弐を持ち出す。
ナイトスレイヤーを収めた両腕の先端へと二挺の銃装剣を装着し、連結した。
銃装剣と腕、それぞれが開き内部の銀板が露出する。
それからまっすぐ伸ばすと、腕の内部に収められていた精霊銀を放出した。
虹に濡れた白銀は腕と銃装剣を覆い、一体となりそれをより強固とした。
「連結、誘導法身形成完了! 続いて全エーテル収束、“弾体”生成開始!」
アメノイカルガ・カギリを天空に支えていた数多のエーテルの円環。
その全てを、一気に収束してゆく。
濃密な純エーテル大気そのものを凝集、さらに加圧し圧縮して。
そうして出来上がった針のごとき小さな“弾体”が、アメノイカルガ・カギリが伸ばした両腕の間に出現した。
当然ながら、エーテル円環の全てを弾体へと変えてしまったのだから、浮揚力場の一切が失われる。
すぐさまアメノイカルガ・カギリを重力の手が捕らえ、地上へと引き戻そうとしていた。
「ウーゼルさん、そして僕のイカルガよ! あなたたちの意志に、僕は応えます……故に! 受けてみなさい! これが僕の全力全開全身全霊最終兵装!」
アメノイカルガ・カギリが推進器の力のみでその場に堪える。
そうして光が集い眩い人型をつくろうとしているイカルガ・シロガネへと、エルネスティは狙いを定め。
「銃装剣型之弐モード4、“超々高収束源素弾体投射形態”……“墜星弓射”!! 発射!!!!」
雷光と爆炎が疾走り、激しくプラズマ炎を迸らせながら、その“小さな星”は投射された。
極光も白光もまるごと吹き飛ばして流星の矢が飛翔する。
それはまっすぐ天へと昇り、そうして狙い過たず白い人影の中心――イカルガ・シロガネの芯を撃ち貫いた。
真空中に声ならぬ悲鳴が広がる。
針の先ほどの小さな小さな“星”が容赦なく光を打ち払い。
魔法生物が必死にかき集めていたエーテルを根こそぎに吹き飛ばす。
“小さな星”はそのまま止まることなく、イカルガ・シロガネを貫通して真空の彼方へと飛んでいった。
それはいずれはるかな時の果て、新たな惑星を生むことだろう。
それからため息ひとつ分の間を挟んで。
“ウーゼル”はゆっくりと首を巡らせ、大穴が空いた自らの胸を不思議そうに見つめた。
やがて穴から全身へと罅が走ってゆく。
この世界の理そのものを司る“源素”。
極限まで凝集されたエーテルは、小さくとも“星”に匹敵する“存在の強さ”を持っていた。
その存在の強さは、イカルガ・シロガネに宿っていた魔法生物の切れ端をはるかに上回り。
ゆえに、存在で負けた魔法生物は解けるように消し飛んだのである。
この世界が開闢されてより初めて、人の手によって魔法生物に完全な滅びがもたらされたのだ。
「ああ、これで……全てが、終わったのだね」
残されているのは、物言わぬイカルガの躯体と“ウーゼル”の弱々しい魂だけ。
それもすぐに終わりを迎えることだろう。
魔法生物亡き今、ここは人の存在できる場所ではないのだから。
「ありがとう、エルネスティ君。“私”は、最期の時を……望むまま、“私”らしく迎えることができたようだ」
「どういたしまして。期待に応えられたのなら、それに勝る喜びはありません」
イカルガ・シロガネの全身に走る罅が、見る間に数を増やしてゆく。
やがて静かに末端から砕け始めた。
「父に、弟に……家族に、いまさら詫びる言葉などありはしないだろう。……だが、さよならとだけは……伝えてもらえるかな」
「確かに。僕が責任をもって預かります」
「ありがとう。では、お別れだ……“私”の……大事な大事な“敵”……」
その言葉を最期に、ついにイカルガ・シロガネの全身が千々に砕け散る。
それらはすぐ惑星の重力に捕らえられ、落下を始めていた。
そうして広がる精霊銀の欠片に目を凝らしていたエルネスティが叫ぶ。
「ありました! あそこです!」
アメノイカルガ・カギリに残った魔力をつぎ込み、推力を振り絞ってその中から一欠けらをつかみ取る。
「やった! 掴んだよ!」
「残った魔力貯蓄量は優先して嵐の衣の維持に! 大気に突っ込みますよ!」
そうして浮揚力場を失い、魔力貯蓄量も尽きかけのアメノイカルガ・カギリは重力に引かれるまま落下を始めた。
自由落下の浮遊感。
大気の抱擁を受けるアメノイカルガ・カギリを追い越すように、無数の欠片が降り注いでゆく。
幾筋もの流星と化す欠片たちを見送りながら、嵐の衣で大気の熱をいなしアメノイカルガ・カギリが翼を広げた。
眼下に広がる広大な西方の大地――人の世界を眺めながら、エルが満足げに息を吐く。
「これで陛下からの命は完遂です。皆も待ちくたびれていることでしょう。僕たちも帰りましょうか」
「うん! しっかりお土産もあるしね!」
その手の中に、彼の強敵が確かに在ったという“証”をしっかりと掴んで。
これからの後始末に思いを馳せながら、アメノイカルガ・カギリは舞い戻ってゆく。
斯くして西方諸国を賑わせた魔獣騒動は、終わりへと向かうのだった。
銃装剣型之弐
モード4 超々高収束源素弾体投射形態 “墜星弓射”
アメノイカルガ・カギリに搭載された試作型特殊源素兵装。
本機の最終兵装とされる。
ウーゼル、イカルガ及び魔法生物と戦うことを睨んで作られた機能である。
真空付近まで上昇し、浮揚力場の維持を兼ねて大量のエーテルを捕集しておく。
それを全て収束圧縮することで、小さな針のような弾体を生成。
これを投射することで魔法生物へと大打撃を与えることを目的としている。
基本的な原理は概ね“バスターランス”を小規模に再現したものとなる。
改良点としてエーテルを超々高密度に収束する機能を実装している。
これはバスターランスのように高高度からの落下が利用できないため、弾体を投射可能な大きさに収める必要があったためである。
これにより意図せずエーテル存在としての”存在の強さ”を高めることとなり、知らぬうちに魔法生物にとって致命的な攻撃へと昇華されるに至った。
結果として、この世界が開闢してより初めて人の手により魔法生物を完全に滅ぼすことを可能ならしめたのである。
この機能を使用するには前提条件として莫大な量のエーテルを捕集しておく必要がある。
かつ一度使えば浮揚力場を失い落下するしかなくなるなど、使いどころが非常に限定されるものだった。
またモード4のための魔法術式は“飛鳥之粧”と銃装剣型之弐に分散して収められており、どちらかが欠けると起動できない。
使用の際には操縦席から封印を開錠する必要があるなど、多くの安全装置が施されていた。
余談ではあるが。
エルには知る由もないことであるが、エーテルに満ちた真空中へと投射された弾体は育ち続け、いずれはるかな時の果てに新たな星となることだろう。
■■ ■
エルネスティの“魂の核”の奥底から現れた謎の黒い影。
エーテルと魔法によって紡がれるこの世界の理に従わない影の存在は、彼がこの世界における異物であることの証左に他ならない。
――インシデントを前にした■■■■■■に、安らかなる眠りが訪れることなどない。
お休み中に叩き起こされるのはとっても困りますお止めください。
次回、章エピローグ。