#222 破滅の渦の中心で
レーベッカ・フンメルは不幸である。
「あーやだやだやだやだ。こんなことならもっと気絶していたかったですぅ……」
視界にちらちらと瞬いている気がする危険な赤。
原因は考えるまでもない。
周囲を飛び交う幻晶騎士と法弾の輝きによるものだ。
ここは戦場、安全から最も遠い場所である。
「は? 何バカくせぇこと言ってんだよ。したら起きるまで水ぶっかけるに決まってんだろ」
「死むぅ……」
レーベッカの乗る飛翔特化騎体“カイリー”の上で、仁王立ちでふんぞり返る黒い幻晶騎士。
その騎操士、グスターボ――彼女たち“剣角隊”の隊長である――のせいなのだ。
「ううううう、料理長うらみますよぉ……いっぱいお芋の皮剥いたあたしの献身を踏みにじりましたねぇ……」
「あ、あの気付けは俺っちの指示だ」
「隊長ァァァ!」
つい先ほどまでレーベッカは気を失い、倒れていた。
それを猛烈に苦くてまずい“気付け”なる毒を流し込んで叩き起こしたのが、他ならぬこのグスターボである。
あの気付けは料理長秘伝の一品らしい。
生きてりゃ誰だろうと目を覚ますが、ダメならもう死んでるだろってくらいにはまずかった。
泡を吹いてもがいているあいだにカイリーの操縦席に押し込まれ、彼女は再び戦場へと舞い戻るハメになったのである。
周囲を見れば小型の飛竜のような姿をした竜闘騎が編隊を組んで飛んでいる。
それに半人半魚の姿をした飛翔騎士が迎え撃っていた。
時折、視界に赤がちらつくものの避けるのはカイリーをわずかにズラすだけで事足りる。
四方八方から死が迫った、先ほどの戦いと比べればあまりに温い戦場だった。
というかつい先ほど戦った敵が脅威に過ぎるような気がしてならない。
一体何と戦わされたのだろうか?
危険度がどうあれ、レーベッカとしてはなるべく戦場からは離れておきたいのである。
「バ隊長は危ないからあっちで勝手に戦っててください! あたしは逃げますから!」
「おう。落ちんなよー。足場がねーと楽しみが減っちまうからなぁ」
「あーどうしてこんなのの世話になっちゃったかなぁ!!」
機体を跳ね上げるようにしてグスターボの機体、“ブロークンソード・リーム”を弾き飛ばす。
小憎たらしいことに隊長は邪険にされたことなど微塵も気にせず、嬉々として空中の敵へと踊りかかっていた。
「あ~もう逃げたい離れたい~でもバカシラ置き去りにするともっと怒られる~ああ~」
そもそも狂剣に拾われたのが運の尽きだったのだろう。
レーベッカはがっくりと項垂れていたが、すぐに頭を跳ね上げた。
単騎でのこのこと戦場をうろつくカイリーを狙って、竜闘騎が迫る。
それはカイリーの進路を遮るように法撃を放ち。
「うっざ」
次の瞬間、カイリーの姿が掻き消え法弾が空を切った。
いや、消えたかのごとき猛烈な加速力で以って飛び去っただけだ。
竜闘騎の騎操士には、それを呆然と見送ることしかできなかったのである。
「イィィッヤッホォォォォォウ!」
剣の塊がぶっ飛んでくる。
数多の剣を装備した異様なる幻晶騎士、“ブロークンソード・リーム”が長剣を抜く。
竜闘騎を一匹、行きがけの駄賃とばかりに叩ッ切ると余勢をかって飛翔騎士へと迫った。
「やっば!」
間一髪、飛翔騎士が掲げた盾が間に合う。
しかしブロークンソード・リームはすぐさまその場で身を捻り、強引に盾を押しのけた。
そのまま飛翔騎士へと踏みつけるような蹴りを叩きこむと、その反動でさらに飛び上がる。
「んげっ」
「あんま俺たち舐めんなァ!!」
飛び上がり自由に動けないはずのブロークンソード・リームへと飛翔騎士の魔導飛槍が迫る。
しかし黒の狂剣は爆炎を噴き出し、空中で加速してそれをかわした。
「あいつ! マギジェットスラスタ積んでやがる!」
「嘘だろあの重さで飛ぶのかよ!?」
荒くれぞろいの紅隼騎士団員たちからしても呆れるような所業である。
そういう無茶苦茶をやるのは彼らの大団長だけで勘弁してほしいものだ。
「連剣のッ。これ以上邪魔をして欲しくはないものだねッ!」
「おおうっ、双剣の! 待ちくたびれたっぜ!」
部下を追い越すように紅の剣が前に出た。
紅隼騎士団長、“ディートリヒ・クーニッツ”が乗騎“グゥエラリンデ・ファルコン”だ。
こちらはエスクワイア・ファルコンとの連動により自在に飛翔できる。
空中を漂うブロークンソード・リームへと斬りかかるかと見せて、直前でぐるりと回り込んだ。
「土でも食ってきたまえ!」
「ッヒャアッ! いいぜ、その剣気だ!」
上段からの振り下ろしを、ブロークンソード・リームは補助腕で構えた大剣で受け止める。
真っ二つになりはしなかったがそのまま地上へ向けて叩き落とされた。
――かと思えば、落ちる前に黒い機体の足元に鏃のような機体が滑り込む。
ブロークンソード・リームを背に載せ、カイリーが飛び去っていった。
「ええいっ。どうも彼らは二機でひとつの戦力と見たほうがよさそうだね」
アーキッドの駆るザラマンディーネがグゥエラリンデの隣に並ぶ。
「あの黒い鏃、やっかいだぜ。とにかく疾いんだ。俺のザラマンディーネじゃとても追いつけなかった」
「見たところ攻め手は連剣のだけか。しかし戦力ではなくとも、あの逃げ足は脅威と言う他ない」
ディートリヒは飛び去る黒い機体コンビを食い入るように見つめていた。
一度戦場の外まで離れたカイリーがぐるりと旋回する。
その間にグスターボは首を巡らせ、戦いの様子をつぶさに眺めていた。
「つ~ぎ~の獲物は。よし、おっめぇだぁ」
狙いを定め、ガンと足元をひと蹴り。
レーベッカがまた操縦席でわめいているだろうが、聞こえないなら問題はない。
そうして一回り大きな竜へと狙いを定めると、再び突っ込んでいった。
「む! 狂剣かッ!」
イグナーツのシュベールトリヒツが迫りくる黒を目敏く見つけ出す。
「貴様の相手をしている暇はない! 銀鳳騎士団に押し付けて……」
「そんな連れねッコト! いうなッヨォ!」
カイリーの推力に任せて進路上へと回り込むと、ブロークンソード・リームは跳躍し、竜闘騎士へと斬りかかる。
槍をぶつけて逃げようとするシュベールトリヒツへと、すぐさまワイヤー付きの短剣を投擲。
絡ませて逃げられないようにする。
「このっ!」
「いただッきだッ!」
ワイヤーを引き、竜闘騎士へと接近して止めを刺そうとして。
同時、真横から翠の飛翔騎士が槍を構え突撃するのが見えた。
「そこを動くなよ!」
「横やりかよォ! 気ィ合ィ! 入ってんじゃん! 歓迎だっぜ!!」
グスターボが唾を飛ばして絶叫する。
ブロークンソード・リームは素早くワイヤー付き短剣を回収すると、シュベールトリヒツをキッドへ向けて蹴り飛ばした。
「うわ邪魔ッ! そこの竜どけって!」
「なんだと貴様!?」
文句を飛ばしつつ、蹴り飛ばされたシュベールトリヒツが慌てて槍を振り。
そこへとザラマンディーネが激突してきた。
互いの槍が火花を散らし、衝撃で二機が互いに弾き飛ばされる。
その間に、空中へと逃れていたブロークンソード・リームへと紅の影が忍び寄った。
「隙だらけだ。連剣の、貴様との腐れ縁も今日ここまでとしようじゃないか!」
グゥエラリンデ・ファルコンが背中から大型の剣を抜き放つ。
その剣の正体は、魔導剣。
内蔵した魔導兵装により爆発的な破壊力を発揮する、グゥエラリンデの切り札である。
「てめっ!」
「ご自慢の剣で防いでみせたまえッ!」
魔導剣の刀身に溝が開き、爆炎を噴き出した。
莫大な推進力を得て急加速した重い刃が宙に弧を描く。
ブロークンソード・リームが大剣を二本掴んで抜き交差させる。
そこへと魔導剣が激突した。
大剣が軋みを上げるも斬撃は受け止めた、そう思ったのも束の間。
直後に大爆発が起こった。
狭い範囲へと爆炎の威力を集中させる、指向性爆発だ。
炎が荒れ狂い、砕け散った大剣の欠片が舞い散る。
魔導剣を掴んだグゥエラリンデが後退し、逆側では剣の柄だけを握り締めたブロークンソード・リームがぶっ飛んでいた。
「ヤッベェ威力の剣じゃッ! ねっか! いいぜ、楽しい玩具もってっなーァ!」
大剣を二本失いながら、グスターボはなおも笑い転げていた。
楽しい。愉しい。
幻晶騎士と騎操士、双方の技術と技量を振り絞っての激突。
これ以上に楽しいことなどこの世にあるものか。
やはり、ブロークンソード・リームの足元へとカイリーが滑り込んでくる。
落下することなく黒い機体が飛び去ってゆく。
「なんだと。あれで仕留めきれなかったとは! すまんキッド、少し魔力貯蓄量を回復させる」
「了解。周りは追い払っとくよ」
グゥエラリンデとザラマンディーネが合流する。
それを遠巻きに確かめながら、イグナーツのシュベールトリヒツは炎揺らめく空から離れていた。
「あれが幻晶騎士の振るう刃か!? 狂剣と言い銀鳳騎士団と言い! どうしてこうも危険なのだ……!」
誰もが体勢を立て直そうとしたために、戦場に一時の静けさが落ちた。
その間隙を突くように上空から何ものかが落ちてくる。
それはアメノイカルガ・カギリとイカルガ・シロガネ。
二体のイカルガが争いながら降りてきたのだ――。
マギジェットスラスタの奏でる耳障りな噴射音が空に満ちる。
全身から炎の尾を曳き、さながら炎の化身と化したアメノイカルガ・カギリが激突するかのごとき軌道で迫った。
「疾いな……! 以前よりもさらに!」
「アメノはマガツに対し機動性で勝ります! お覚悟を!」
両の腕から伸びるのは虹に濡れた白銀の刃、精霊銀を斬り裂く唯一無二の剣“騎士殺し”。
全身を精霊銀によって形作るイカルガ・シロガネにとっては天敵のような存在である――しかし。
振るわれたナイトスレイヤーの刃が途中で受け止められる。
操縦席ではアデルトルートが目を見開いていた。
「うそ! 斬れない……どうして!?」
ナイトスレイヤーの刃は鈍い鋼色の刀身によって受け止められ、鍔迫り合い状態となっていた。
「魔獣の巨体を失って“私たち”も学んだんだ。君の刃を受け止めるならば、こちらのほうが良いだろう?」
「……なるほど、精霊銀以外で刃を作りましたか! 素晴らしい状況判断ですね」
イカルガ・シロガネの手から伸びる鋼色の刃。
それは虹色に濡れることなく。つまりは精霊銀ではない通常の金属によって構成されているのだ。
ナイトスレイヤーの魔法術式が効力を発揮するのは精霊銀に対してのみ。
むしろ強度が劣るはずの通常の金属を用いることで、ナイトスレイヤーの機能を容易く封じることができる。
「ですが! それでも押し通ります!」
軋みのような音を立てて、イカルガ・シロガネの構えた刀身が斬り裂かれてゆく。
たとえ魔法術式の効果を抜きにしても、ナイトスレイヤーは精霊銀製の刃をもつ強力な武器。
防ぎ続けることは難しい、しかし。
「構わない、たとえ一瞬でも止められればそれで十分!」
受け止めることができる、その価値は計り知れない。
そうして時間を稼ぎながらイカルガ・シロガネは残る片手両足の全てから刃を伸ばした。
同時、ナイトスレイヤーがついにシロガネの刃を真っ二つにする。
「次はこちらからお見せしよう!」
刃のひとつを犠牲にナイトスレイヤーを防いだイカルガ・シロガネが攻撃に打って出る。
逆側の手で振るった刃はナイトスレイヤーに受け止められた。
するとシロガネは蹴りを繰り出し、足から延ばした刃でもって斬りつけてきた。
「ふふ、素晴らしい!」
のけぞるように回避したアメノイカルガ・カギリを追ってシロガネがなおも攻めかかる。
見れば、折れた刃は既に修復されていた。
シロガネが両手両脚の全てを使用した嵐のような斬撃を繰り出す。
姿かたちこそ人に近しいものへと回帰したイカルガ・シロガネだったが、その動きはまさしく獣のごとき荒々しさだった。
「なにこれ、こんなにすごい動きもできるんだ!」
「己は魔獣であると完全に吹っ切れたゆえですね。思い切りのよい動きです」
「あっち褒めてもいいことないよ!」
「そうでもありませんよ。ならばこちらも、不甲斐ない動きはできないということですから!」
息もつかせぬその連続攻撃を、アメノイカルガ・カギリが二刀でもって捌ききる。
そうして今度はこちらの番だとばかり、炎を噴いて飛び出した。
加速し、斬撃に飛翔の勢いを乗せることで威力を増す。
「一撃の重さで来るか!」
「それだけではありません。この速さこそが!」
威力でもってシロガネを弾き飛ばし、すかさず距離を詰める。
一撃を繰り出すと、その推力にものを言わせすぐさま位置を変えた。
致命的な威力を伴った絶え間ない一撃離脱。
シロガネがたまらず後退すると、アメノイカルガ・カギリがそれを追って前進。
その胴へと痛烈な蹴りを叩きこんだ。
「ぐおっ……さすがだ最強の騎士よ……ならば!」
身体をくの字に折って吹っ飛んだシロガネが体勢を立て直す。
そうして急に身を翻した。
イカルガ・シロガネはまっすぐ、その場に残されていた抜け殻――魔獣の巨体へと近づいてゆく。
「その足を止めねばなるまい! “私たち”で!」
イカルガ・シロガネの背から伸びる帯のような羽根が千々に別れ、伸びてゆく。
まるで銀線神経を思わせるその帯は、微細に分かたれた魔法生物の身体そのものでできていた。
帯はしばし宙を泳いでいたが、やがて一斉に魔獣の巨体へと突き刺さってゆく。
虹色の揺らめく光が巨体を包み込んだ。
「この魔獣の身体……ただ打ち捨てたなどと勘違いしてもらっては困るな」
変化は一瞬。
魔獣の表面全体が波打つように揺らぎ。
直後、泡立つように無数の小塊が生み出され、宙へと飛び出した。
魔獣の巨体が無数の小塊へと分解されてゆく。
やがて小塊は羽虫の群れのごとく舞いあがり、空を黒く染め上げていった。
「我が身体、眠りには未だ遠く……欠片たちよ、敵を討て!」
イカルガ・シロガネが指揮者のごとく両手を振るう。
同時、小塊がいっせいに加速を始めた。
それらはシロガネを中心として何重もの渦を巻くように飛び、戦場そのものを呑み込んでゆく。
「うわ、何コレ!? じゃっまなんだけど!」
「そうですね。これはいわゆる、彼なりの全騎投射というわけでしょう」
アメノイカルガ・カギリもまた渦に飲み込まれる。
その機動性を生かすためには広い空間が必要である。
無数の障害物が飛び交っているだけでも邪魔だというのに、さらにその全てが“精霊銀”の小塊なのだ。
ナイトスレイヤーで防ぐにも限度がある。
小塊の物量をもっての攻撃は、単純であるがゆえに対処が難しいものだ。
「まだまだ! 出し物はこれだけではないとも!」
飛び交う小塊のど真ん中を突き抜け、イカルガ・シロガネの本体が迫る。
小塊を必死で避けていたアメノイカルガ・カギリだが、なんとか攻撃を防ごうとし。
瞬間、シロガネの姿が掻き消えた。
「この動きはっ!」
イカルガ・シロガネが飛び交う小塊を足場として蹴り、曲芸のごとく舞う。
さらに飛んだ先でもう一度足場を蹴り、アメノイカルガ・カギリの背後へと飛び込んだ。
「シャッ!!」
「おっと!」
シロガネの刃は精霊銀ではないかもしれない。
しかしアメノイカルガ・カギリとて精霊銀なのは刃だけだ。
斬られれば被害が大きいことに変わりはない。
アメノイカルガ・カギリが身を捻るようにしてかろうじて刃を受け止める。
しかしすぐさまシロガネの姿が掻き消えていた。
アメノイカルガ・カギリも後を追おうとするものの、そこらじゅうを飛び回る小塊が障害物となり思うように動けない。
「なんと手ごわい……ですが、ふふっ! 気合が入りますねカギリ。とてもとても挑み甲斐があるというものです!!」
不自由な空を精いっぱいに飛びまわりながら、四方八方から繰り出されるシロガネの攻撃を防ぎ続けていた。
遮るもののないはずの空が無数の精霊銀の小塊によって吞み込まれてゆく。
なおさら、それは恐るべき勢いをもって飛び交っており。
戦場にあったあらゆる者たちが破滅の鉄槌によって打ちのめされた。
「さすがは大団長か、本気で戦い始めると危険度が段違いだな! 騎士団! さっさとズラかるぞ!」
「同感!」
「スタコラサッサー!」
グゥエラリンデ・ファルコンが一切の迷いなく機体を翻す。
ザラマンディーネと飛翔騎士が遅れることなくその後に続いた。
「おまっ、ちょっ!? いいトコなんだろが邪魔すッなッンガァッ!!」
グスターボが舌打ち交じりに叫び、グゥエラリンデを追いかけようとするもののすぐさま諦めた。
彼の傍らを唸りを上げて小塊がぶっ飛んでゆく。
何せ精霊銀の塊などという凶悪な代物なのだ。
およそ破壊は不可能であり避けるしかないが、いかんせん数が多い。
ブロークンソード・リームの空中機動性能はあくまで補助程度。
さしもの狂剣とてこの量の小塊を捌き斬る自信はなかった。
「んんんんんんんんんんんチクショウ! 下がんぞレーベッカ!」
「その命令! 待ぁってましたぁヒャッホォォォォォォォォォウ!」
カイリーは迷うことなく小塊の渦に飛び込むと、それらすべてを難なく避けながら狂剣の足元へ滑り込む。
まだ渋りの残るグスターボを顧みることなく、そのまま最高速度で戦場から離脱していった。
「なん……だ、なんだこれは!? なにが起こっている!?」
イグナーツが叫ぶ。
彼らが求めていたはずの魔獣の巨体が突如として粉々に砕け、その欠片が猛烈な勢いで飛び回り始めた。
しかもそれは破壊不可能ともいわれた魔獣の身体と同じ材質であり。
パーヴェルツィーク王国軍の切り札、彼らの拠点たる甲竜船が傾いてゆく。
無数の小塊がその船体を打ち据え、中には貫くものまであった。
何物も防ぐと謳われたその重装甲も、いまは紙切れと大差がない。
矮小なる人の営みなど巨大魔獣からすれば戯れに蹴散らせる程度のものでしかないというのか。
「後退だ! 全軍、即時後退! 渦から離脱せよ!」
指示を飛ばしつつイグナーツもシュベールトリヒツを最大速度で飛ばした。
彼に続く竜闘騎が何騎か渦に吞み込まれ、粉々に粉砕されたのが見える。
しかし振り返らない。振り返っている余裕などまったくない。
とにかくこの破滅の渦から逃れるしか彼らが生き残る手段は残されていない。
西方世界において最強に名を連ねるパーヴェルツィーク王国軍が。
銀鳳騎士団も、西方最強の剣鬼たる“狂剣”ですら、人外が跳梁跋扈する魔境においては端役にすぎない。
身も世もなく戦場から逃げ出しながら、イグナーツは操縦席の手すりを叩く。
「この……“化け物”どもめぇッ!!」
歯ぎしりと共に放たれた叫びが、ただただ空しく木霊した。
イカルガ・シロガネ(魔人体)
エルネスティとの戦いを通じて刺激を受け、ウーゼルとしての自意識を強く取り戻したことで人型へと回帰した姿。
精霊銀すら斬り裂くアメノイカルガ・カギリに対して鈍い巨体のままでは不利であるという判断が働いたこともあり、イカルガの原型に近しい姿形となった。
背中からは帯状になった魔法生物を翼のように広げている。
手足の先端から刃を伸ばすことができ、これを精霊銀ではない材質で作ることによりナイトスレイヤーの脅威に対抗した。
またエルネスティに認められたことで、人ではなく魔獣であるという意識を強くしたことにより動きのキレが格段に良くなっている。
フラクチャードスフィア
魔人体となったイカルガ・シロガネが用いる攻撃手段。
魔人体が抜け出たことで残された魔獣体の巨体を無数の小さな塊へと分解し、それを飛ばすことで攻撃とする。
当然ながらこれらの小塊は全て精霊銀でできており、その全てが通常の手段では破壊不可能である。
空中を無数の鈍器が飛んでいるに等しく、空で戦う者たちにとって極めて致命的な攻撃であった。
魔獣体の巨体をそっくりそのまま用いたことで莫大な量の小塊を生み出している。
それによってなる渦の範囲は、戦場全てを呑み込むほどに及んだ。
大がかりな攻撃ではあるが、その第一の目的はアメノイカルガ・カギリの機動性を削ぐための障害物である。
またこれら小塊の動きはイカルガ・シロガネが制御しており、そのためシロガネ自身はこれを足場として用いることで機敏かつ変則的な動きを可能としていた。