#220 ゆえに彼は騎士を殺す
“アメノイカルガ・カギリ”が動き出す。
全身に配置されたマギジェットスラスタが咆哮し、一回り以上は膨らんだ巨体を蹴り飛ばすように加速した。
イカルガ・カギリの状態ですら十分な機動性を持っていたのだ。
さらに推力を高めたとあっては、もはや常人には制御不能な領域にある。
ただし当然のこと、この機体を操るのは“まともな”騎操士ではない。
「うん、慣らしは十分です。推力が向上した分の癖はだいたい把握しました」
「ふふー。エル君と一緒に戦闘だ! よーしやるぞー!」
エルネスティとアデルトルートは、異常極まりない推力の化け物を平然と振り回す。
アメノイカルガ・カギリへと向けて、巨大魔獣である“イカルガ・シロガネ”が唸り声と共に巨腕を叩きつけてきた。
豪風とともに振り回される六本の腕は、しかし掠りもせず空しく宙を薙ぐばかり。
気付けば既に、アメノイカルガ・カギリは魔獣の後方へと抜けていた。
虹色の円環の上を滑るように旋回し、嬉しそうに魔獣を睨む。
「それではアディ、“戦い”を始めましょうか。アレを使います、準備を」
「うん! 皆の苦労の成果が、いよいよだね!」
アディはやや緊張の面持ちを浮かべ、懐から鍵を取り出す。
エルも同じものを取り出し、二人同時に差し込み解除した。
「機能封印……解除」
アメノイカルガ・カギリが両腕をもたげる。
“飛鳥之粧”の両脚に相当する部位が重なった巨大な腕。
その各部の装甲が開き、内部で魔力の循環が始まった。
巨腕に収められているのは無数といっていい量の、魔法術式が刻まれた銀板。
そしてその中心を貫く虹色の光をまとう白銀の金属棒。
アメノイカルガ・カギリの全身に配置された多数の魔力転換炉が一斉に全力稼働を開始する。
濁流のごとく押し寄せる魔力を貪欲に吸い上げながら、その魔法現象は発現した。
「刀身形成開始……!」
虹色に濡れた金属棒が変形を始める。
粘土のように、あるいは液体のように。
流体状と化した金属が腕の先端から飛び出し、魔力と虹色の輝きに覆われながら魔法術式の律するままに刃を形作った。
「形成完了。全て問題なし」
両腕から白銀の刃を伸ばしたアメノイカルガ・カギリを、巨獣が睨みつける。
「そぉぉぉれはぁぁぁ!」
「御覧ください、これはあなたのための刃です。とくとその身で……ご賞味あれ!」
一瞬。
推力の化け物であるアメノイカルガ・カギリの動きに、イカルガ・シロガネはまったく反応できなかった。
アメノイカルガ・カギリが白銀の刃を振りかざし、巨獣の腕を撫でるように斬り裂く。
しかし、イカルガ・シロガネの外殻はこの世界で最高最強の硬度を誇る“精霊銀”によって作られているのだ。
何人たりともそれに傷をつけること能わず――。
――だが。今ここに例外が生まれる。
イカルガ・シロガネの手から指が切断され、くるくると宙を舞う。
その断面は鏡のごとく滑らかで。
あたかも最初から別のものだったというかのように、一切の引っ掛かりがない。
それを為したアメノイカルガ・カギリの両腕から伸びる刀身にも傷ひとつなく。
エルは悠然と機体を旋回させ、自らの攻撃の効果を確かめた。
「よし、想定通りですね。ご存じでしたか? イカルガ・シロガネ。あなたの身を覆う至高の金属、精霊銀にはひとつ大きな欠点があるということを」
魔獣はじっと斬り断たれた自らの指を眺めている。
その鬼面のごとき貌からは何の感情も窺い知れない。
「精霊銀とは特定の魔法現象によって加工することができるのです。術式さえ用意できるのならば、それを変形切断することはそう難しくない……ですが」
エルのため息と共に、アメノイカルガ・カギリが両腕から伸びる刃をぶんと振った。
「まったく苦労したのですよ。精霊銀を自在に変形させるだけの術式を収めきるために、こんなにも大げさな筐体を用意することになってしまって」
「主に親方がねー」
「しかもとてつもなく燃費が悪い。その解決にも多大な苦労と時間をかける羽目になってしまいました」
「主に親方がねー」
そうして白銀の刀身を、魔獣へと突きつける。
「だから。僕はちゃあんと、あなたの“全て”を斃しうる存在としてここに来ましたよ」
刃がひたと見つめるは、魔獣イカルガ・シロガネ。
そしてその裡にある――かつての愛機、“イカルガ”。
「さぁ、僕の敵となった愛機よ。もう何一つとして遠慮はいらないのです。存分に戦りましょう。この“騎士殺し”が……貴方を討つ」
イカルガ・シロガネは巨体の裡で何を想ったのだろうか。
しばらく沈黙していたそれがにわかに動き出す。
咆哮と共にうねり、獄炎の槍を放つ。
しかしアメノイカルガ・カギリの影すら捉えられない。
視界に映るのは彗星のごとき炎の尾のみ。
見えないならば見えないでやりようはある。
巨獣は自らの巨体を猛然とくねらせた。
己が質量をもって敵を打つ。だが、その目論見は脆くも崩れ去る。
視界の隅を舞い散る白銀の欠片。
どれほど暴れようとも全てをかわされ、逆に魔獣の身体は削られ続ける。
西方の空を脅かしていた最悪の魔獣は今、ただ一方的に狩られるだけの獲物へと成り下がっていた。
「俺はいったい何を見ているのだ? こんなことが……あり得ていいのか」
「確かにね。まさかこれほどまでに……容易いものだとは。想像もしなかったよ」
飛空船の硝子窓にへばりつくようにして戦いの様子を眺めながら、イグナーツとユストゥスが呻きあう。
「確かに俺は、エルネスティが勝つだろうと予想していた。あれの真に恐るべきところは、勝つべくして勝つ、その手段を用意してから現れるところだ」
技量に優れた騎士というならば、西方諸国を探せばそこそこはいることだろう。
それこそジャロウデク王国の“狂剣”が最たるものである。
しかしエルネスティの最も恐るべきは、いかなる絶望をも下す“手段”を生み出してくるところだ。
これは彼を於いて何人にも真似できない。
「だから、来たとなれば勝つのに不思議はない……ないが、本当にここまでやるものか!」
「空飛ぶ大地の時もそうだったね。彼があの馬鹿げた作戦を言い出し、しかも自らやってのけたのだから」
もちろん周囲の協力あってのことではあるが。
それもエルネスティといいう起点あったればこそ。
不可能という言葉は、アレの前ではまるで意味をなさないのだ。
「ううむ、これは大きな教訓だね。我々も鍛冶師たちとの連携をより強化すべきではないかな」
「ああ、殿下には進言するつもりだ。……しかし、こちらはどうしたものか」
彼らの眼前では、今も着実に魔獣が“処理”されている。
天翔ける刃が振るわれるたび、その白銀の身体は少しずつ削られていった。
彼らの見るところ、これから魔獣が挽回することは不可能である。
であれば、考えるべきは次にくる展開だ。
「とはいえ予想の範疇ではある。さて、いつまでも観客に甘んじているわけにはいかない。神聖なる我らが国土に、斯くもバラバラと魔獣の死骸をばら撒いてくれたのだ。これは厳重な抗議と共に、すぐにでも彼らに退去願うべき……ということだ」
「ならば是非もなし。銀鳳騎士団と剣を交えるほかない」
彼らは魔獣は倒されるものという前提で備えている。
この後に来る戦いこそが本命、故に命じる。
「出撃準備だ、ユストゥス。この上仕損じては、期待をかけてくれた殿下に顔向けできないからな」
北の巨人、パーヴェルツィーク王国が静かに動き出す。
鬼神と魔獣の戦いが決するその瞬間を、耽々と狙っていた。
天翔ける彗星が炎の尾をおさめ、虹色の円環の上を滑り止まる。
アメノイカルガ・カギリは深呼吸をするように、ひときわ大きく吸排気音を響かせた。
「アディ、魔力貯蓄量の状況は」
「けっこうギリギリかなー、でも何とかもってるよ。さすがに魔力転換炉いっぱい乗せたからね~……陛下の顔色が変わるくらい」
「お労しいことです。しかしイカルガ・シロガネを倒すためには必要な犠牲でした。うん」
アメノイカルガ・カギリは多数の魔力転換炉を搭載している。
元々イカルガ・カギリが炉を二基搭載しているのに加え、さらにエスクワイア・ロビンに一基。
加えて飛鳥之粧である。
部品ごとに分離、単体で飛翔するという構造上、全ての部位に一基ずつ炉を搭載しているのだ。
つまりは両腕、両足、両翼、胴体で計七基――アメノイカルガ・カギリともなれば十基もの炉を乗せていることになる。
鍛冶師たちが呆れを浮かべながらこの状態を指して“単騎中隊”などと呼んでいたのもむべなるかな。
「何せ、そうでもしないとナイトスレイヤーを使えませんでしたからね」
“騎士殺し”――その根幹をなす、精霊銀を加工するための魔法術式。
そもそも、この魔法術式は攻撃として用いることなどまったく想定していないものだった。
当然である。本来の加工用途ではエルフたちがゆっくり時間をかけて使うものなのだ。
それを強引に攻撃転用したものだから、燃費は激悪もいいところで。
とにかく多数の炉をぶちこんで、莫大な出力でもって強引にぶん回す他に解決の手段などなかったのである。
至極当然の結果として、アメノイカルガ・カギリの建造費は見たこともないほど莫大なものとなった。
さすがの国王陛下も顔色を変えるほどだったが、イカルガ・シロガネを倒すため他に手段などないと言われてしまえば頷くしかなく。
死にそうな青い顔で、渋々許可を出したのであった。
余談はさておき。
追いつめられた魔獣が斬り傷だらけの腕を伸ばす。
空に雷鳴がとどろき、直後に雷霆防幕となって放たれた。
予兆を確かめたアメノイカルガ・カギリは焦ることなく補助腕に銃装剣型之二を構える。
出力を抑えながら法撃を連射。
荒れ狂う雷撃の編み籠にぶつけ、これを的確に相殺した。
「雷霆防幕は確かに強力です、しかし連続での使用が難しい装備でもある。迂闊な使用はお勧めしませんね」
ひとたび阻まれてしまえば、次の攻撃まで身を守るすべをひとつ失う。
当然、その隙を見逃すエルたちではない。
再び炎の尾が伸びる。
彼我の距離を瞬時に詰めながら白銀の刃を構え。
それが翔け抜けた後、イカルガ・シロガネの巨腕のひとつが斬り裂かれ、地に落ちた。
腕の一本を失った魔獣が咆える。
絶対的であった防御力は、もはや何の意味も成してはいない。
そして巨体ゆえの動きの鈍さから、高速で動くアメノイカルガ・カギリから逃れることも捉えることもできないでいた。
「このまま、終わってしまいますよ!」
旋回し、真っ向から飛び込んできたアメノイカルガ・カギリがナイトスレイヤーを大きく振るう。
そうして巨獣の怒れる鬼面を、中心から真っ二つに斬り裂く。
――オォォォオォォォオォォォ!!
長く尾を曳く咆哮と共に魔獣がのけぞった。
ナイトスレイヤーによって分かたれた鬼面から、亀裂が全身へと広がってゆく。
それはついに巨獣の胸部にまで達し。
やがて金属の断末魔を響かせながら、巨獣は大きく二つに引き裂かれた。
「やった! 倒したんじゃない?」
「いいえ。少し、手ごたえがおかしいです。確かに顔面を斬り裂きましたが胴体まで二つにするような威力はなかったはず」
はしゃぐアディに対し、エルは浮かない表情を浮かべていた。
自らの感覚と現実の被害が乖離している。
ならばその落差を生み出した要因があるはずである。
そうしてアメノイカルガ・カギリが様子を窺っていると、イカルガ・シロガネの巨体がぶるりと大きく震えた。
すぐにその中心から何かがせり出してくる。
まるで果実が弾けるかのごとく、大きく開いた裂け目より“塊”が吐き出された。
「なにあれ……?」
だいたい幻晶騎士と同程度の大きさの、つるりとした流線形をした塊。
その表面が解けるようにして開いてゆく。
巻き付いていた帯のようなそれが開いてゆくと、その下にある“人型”が露わとなっていった。
「どうやら、お目覚めのようですね」
エルが笑みを深める。
その“形”に、彼は見覚えがあった。
否、見間違えるはずなどない。
其れは、虹色に濡れる白銀の鎧に覆われた鬼面の武者。
かつてエルの愛機であり最高傑作であった――オリジナルのイカルガを彷彿とさせる姿である。
ひとつ大きな違いとして背にあった四本の大型補助腕がなく、代わりに幾本もの帯状のものがつながっている。
出現した時に身体を覆っていたそれは、今は翼のように広がっていた。
人型に――幻晶騎士に近しい姿へと立ち戻った“イカルガ・シロガネ”が顔を上げる。
ぼんやりと光を放つ眼が、敵対する最新鋭のイカルガを捉えた。
「……さすが……だよ、エルネスティ君。強い鎧で身を守ればそれでいいなどと、そのような甘えを許してくれる君ではなかったようだ」
伝わってきた、それは確かに人の用いる言葉であった。
息を呑むアディを他所に、エルは当然とばかりに上機嫌で応える。
「おはようございます、ウーゼルさん! ご気分はいかがですか?」
「悪くない。いや、むしろ“私”の人としての一生において、これほどまでに晴れ晴れしい目覚めは一度としてなかったかもね」
イカルガ・シロガネは確かめるように己の腕を動かしている。
それは操縦しているというには奇妙に生々しい動きであり、姿は幻晶騎士のようであってもやはり一つの存在なのだろう。
「それは何よりです。いかがでしたか、西方を旅してみて」
「ああ。良いものだったと思う……が、残念ながら楽しみを感じられるほどに起きてはいなかったよ。何とも言い難いものだ」
イカルガ・シロガネが手を伸ばす。
伸ばした指先がぴたりとアメノイカルガ・カギリを指した。
「人であった頃の故郷……王都で君に倒された時にはっきりと理解した。器がどうあれ、“私たち”は弱いのだと。それにフフ、笑ってくれていい。かつてはあれほど近しくあった死が……それでも怖かったのだ」
イカルガ・シロガネが奇妙に人間臭いしぐさで首を振る。
「だから“私たち”は鎧を作り上げた。二度と倒されることのないように。そうして心まで一匹の魔獣となってしまえば、もう恐怖に苛まれることもない……」
「信ッじられない! 逃げ出すために魔獣になるなんて!」
アメノイカルガ・カギリの操縦席では、話を横で聞いていたアディが盛大に顔をしかめていた。
「そうかな。存外、魔獣であるのも悪くない心地だったよ。何よりここには自由がある……」
「自由? 魔獣なんかになって、何を喜べっていうの!?」
非難の声に、イカルガ・シロガネは落ち着いた様子で頷き返す。
「フレメヴィーラの騎士よ。君たちからすれば異常そのものなのだろう。しかし……人としての喜びなど、何一つ得られなかったこの身なのだ。“魔獣”となったことで、むしろ解き放たれてすらいる」
アディは幻像投影機を渋い表情のまま睨みつけている。
これは彼女に限ったことではなく、フレメヴィーラ王国出身の者たちならば特に理解が難しいことである。
彼の国にとって、魔獣を倒すことは国是であり使命なのだ。
故にイカルガ・シロガネの、ウーゼルの言葉は、彼らにとってはまるで「人がゴキブリになって喜んでいる」ように聞こえていた。
「……そっか。もう、戻れないんだね」
「“私たち”は既に、完全な魔獣だよ。たとえ人であった頃の意識の欠片が戻ったところで……いまさら戻りたいとも思っていないがね」
決別の言葉を残し、イカルガ・シロガネが帯のような翼を揺らめかせた。
その時、これまでじっと耳を傾けていたエルがとっても満足げな様子で頷いた。
「なるほど、わかりました。魔獣となる。それも……良いのではないでしょうか!」
「え。エル君……?」
「なん、だって?」
エルの言葉を聞いて、アディのみならず当のイカルガ・シロガネすら戸惑いを浮かべている。
とうてい理解を得られるような内容ではなかったはずなのだ。
しかしエルには迷う様子もためらう様子もない。
「魔法生物との出会いが、あなたの人としての生を解放した。その果てに魔獣であることを望み、この先もそう在ろうというのならば。それがあなたの望み、“意志”だというのならば! 僕は祝福いたしましょう! 然るに……」
アメノイカルガ・カギリが刃を掲げる。
「フレメヴィーラ王国旗下、銀鳳騎士団団長、このエルネスティ・エチェバルリアが“騎士”としての務めを果たしましょう。白銀の魔獣よ、貴方はここで討ち倒します」
言われたイカルガ・シロガネはしばらくの間、何の反応も見せなかった。
「……ははっ。あはっ。はっ、はは……ハハハハハ!」
そのうちに小刻みに震え始め、やがてとうとう破顔する。
「そうか……素晴らしい! 在るがまま、望むままにあり。それゆえにこそ我らは戦う運命にある!」
イカルガ・シロガネは躯体を震わせてひとしきり笑うと、ひたと敵を睨み据えた。
「目を覚ましてよかった。嘲りも、同情も、憐れみすらもなくどこまでも全力で戦ってくれる……我らが大敵よ! 君の言葉を聞けたのだから!」
吸排気音が高まってゆく。
四眼の鬼神を支える数多の心臓が、今か今かと高鳴りゆく。
帯のような翼が揺らめき流れる。
エーテルを映す虹色の光を纏わせながら、莫大な力をその身にためる。
「来たまえ、騎士よ。魔獣狩り、フレメヴィーラ王国が誇る最強の騎士よ! 貴殿が狙うべき魔獣は! 王国に牙を剥いた憎き獣はここぞ!!」
「ええ、参ります! 貴方の“意志”と僕の“趣味”……どちらが勝るか、今ここで決着をつけましょう!」
「斬るか!」
「食われるか!」
「後は!」
「決着あるのみ!」
「これより一匹の魔獣として、その喉笛を嚙みちぎる!」
「敵はイカルガ! 相手にとって不足無し! いざ……全身全霊全力全開、吶喊ですっ!!」
エルネスティの上機嫌を映し出すように、アメノイカルガ・カギリの推進器が最大出力を吐き出す。
四眼の鬼神が爆発的な推力に蹴り飛ばされるように加速し、対するイカルガ・シロガネは虹色の光を後に残し滑るように宙を進んだ。
その速度は互いに勝るとも劣らず。
なんの遠慮もなく、憂いもなく、手加減すらもなく。
西方の空で、魔獣と騎士の戦いが始まる。
イカルガ・シロガネ(魔獣体)
かつてウーゼルとイカルガであったものの成れの果て。
機械である幻晶騎士と生物である人間、そして超越存在たる魔法生物が渾然一体となった奇妙な存在である。
この魔獣の身体は、エルネスティとの戦いに敗れたことで死への恐怖を覚えたウーゼルに魔法生物が呼応したことで作り出された。
恐怖はまず身を守ることを求め、全身を不壊の金属である精霊銀の外殻で覆っている。
初期こそマガツイカルガニシキをベースとしていたが、生存を優位とする指向により時と共に肥大化。
それに伴いウーゼルの人としての意識は眠りについていった。
やがて僅かに残るウーゼルの記憶の欠片に従い、西方諸国の空に巨大魔獣として出現する。
そうして折しも隆盛を迎えつつあった各国の飛空船航路をズタズタにしてしまった。
巨大化したことによる膂力の増大以外、基本的な攻撃能力はマガツイカルガニシキのそれを引き継いでいる。
とはいえそれだけでも十分すぎるほどに強大であり、現状の西方諸国では全く対処ができず、ついには“狂剣”すら手出しを諦めるほどだった。
“騎士殺し”
内部に大量の紋章術式と精霊銀を収めた、非常に大型の特殊な魔導兵装。
精霊銀へと魔法術式を浸透させることによって自在に変形させ、そうして生み出した流体精霊銀を刃として使用する。
精霊銀製の刃はこのままでもこの世界最高の硬度を誇り、たいていのものを斬り裂くのに十分な威力を持つ。
そしてその真価は同じ精霊銀を相手にしたときにこそ発揮される。
刃を通じて対象へと魔法術式を浸透させ、精霊銀を自由に変形、切断することを可能ならしめている。
不壊とされていた精霊銀を破壊しうる唯一無二の刃であり、つまりは魔力転換炉を完全に破壊してしまえる――破壊するためにこそ生み出された禁断の武器。
ゆえにエルネスティはこれをただ“騎士を殺すもの”と名付けた。
彼が愛し抜いた相棒を完全に撃滅する、その覚悟と意志が形を成した装備である。
既存の魔導兵装とは一線を画す存在であり、あまりにも特殊過ぎるため術式部分の製作はエルネスティがただ一人で全てを担当した。
しかし、さすがの彼をしても小型化は困難を極め、どんどんと巨大化していった経緯がある。
さらに本来は加工用途の魔法術式を強引に攻撃転用しているため燃費は最悪そのものであり、あまりにも魔力の消費が大きいという致命的欠点を抱えていた。
それらもろもろを解決するためにかなりの力技が用いられており、結果として飛鳥之粧の建造の遅れへとつながった。
“飛鳥之粧”
“ガーメント”の名が示す通り、幻晶騎士ではなく自ら移動が可能な選択装備の一種という珍しい分類の機体である。
実はアスカ・ガーメントの状態では使用可能な武装がなく、これ単体での戦闘能力は皆無に近い。
それに対し、後述する合体機能の兼ね合いもありマギジェットスラスタは余るほど搭載しており、機動性においては突出している。
機動法撃端末を基とした分離・単体飛翔機能を実装している。
そうして分離した各部品をイカルガ・カギリへと装着することで戦闘形態“アメノイカルガ・カギリ”を形成する。
この複雑な機構こそがアスカ・ガーメントの完成が遅れた原因の大半を占めており、しかし本機の成立経緯上不可避のものでもあった。
突き詰めてしまえば、アスカ・ガーメントとは“騎士殺し”を運搬、運用するために必要な機能の集合体である。
まずナイトスレイヤーは装備単体では運用不可能であり、必要とされる莫大な魔力を補うために多数の魔力転換炉を必要とした。
また運用上遠距離戦には不向きであるため、戦闘スタイルとして機動性特化の格闘戦を志向することになる。
それらを一気に解決すべく多数のマギジェットスラスタを搭載し、最終的に部品を自ら飛ばす形に収まった。
設計時点から空中での合体は困難極まりないと予想されたが、意外なことにそこは運用上ですんなりと解決された。
何といっても操縦者たるアデルトルートが、「エル君にくっつくのなら任せなさい!」と豪語し、実際にやってのけたからである。
そのおかげで全人類のうちアディにしか動かせないという馬鹿の極みみたいな事態に陥ったが、そもそもエルとアディしか使わないため問題の一切は無視された。
余談ではあるが、合体機構を検討するにあたりアディから、マガツイカルガでは分かれていた操縦席をひとつにするよう激烈で熱烈な要望があり、そこでひと悶着があったとかなかったとか。
爆増する工数を前に渋る親方たちだったが、どうあがいてもアディにしか扱えない代物のため屈するしかなかったのだという。
「あーわかったわかった! どうせぇ手間のかかる代物だ、ついでにやってやるからちったぁ大人しく待っとれ!」
アメノイカルガ・カギリ(天斑鳩・限)
イカルガ・カギリにアスカ・ガーメントを装着合体した、対イカルガ・シロガネ専用重戦闘形態。
機能のすべてが対イカルガ・シロガネ戦に特化しており、それ以外での運用をほぼ想定していないという極端な代物である。
彼の“魔獣”に対するエルネスティとフレメヴィーラ王家の想いが生み出した怪物ともいえる。
最大想定でイカルガ・カギリを中心に、背面にはエスクワイア・ロビンが連結され、また全身にアスカ・ガーメントが装着された状態となる。
それにより内蔵する魔力転換炉はイカルガ・カギリに二基、ロビンに一基、アスカ・ガーメントの各所に七基の合計して十基にものぼる。
これは単体炉の幻晶騎士ならば十機、およそ一個中隊に相当する量であり、ゆえに鍛冶師たちは本機に対し呆れをもって“単騎中隊”などとあだ名をつけていた。
とはいえこの魔力転換炉の大盤振る舞いは何もエルのわがままだけで進められたわけではない。
これですら“アメノイカルガ・カギリ”の目玉装備である“騎士殺し”を稼働しながら戦闘するために必要最低限の量なのである。
本機のこの馬鹿げたプランを提示された国王は最初こそ猛烈な難色を示したが、結局イカルガ・シロガネという複雑な事情の絡む魔獣を討伐するためということもあり特例で許可された経緯を持つ。