#212 前夜災
ジャロウデク王国が“イカルガ”らしき“龍”と遭遇するのに先んじることしばし、既にその存在を掴んでいた国があった。
西方諸国に北の巨人ありと謳われる、パーヴェルツィーク王国である。
「……真実、本当に“イカルガ”だったのか?」
「調査に当たった隊の中に手のものを含めておりました。どうやら幻晶騎士というよりは巨大な蛇といった姿らしいのですが。先端部の形が空飛ぶ大地で見た、かのイカルガに酷似していると」
王宮にて報告を受け取ったパーヴェルツィーク王国第一王女“フリーデグント・アライダ・パーヴェルツィーク”は思わず眉に唾をつけそうになっていた。
いかに長年の忠臣の言葉と言えどものには限度がある。
「バカを言うな。あてどもなく彷徨い船を襲うイカルガだと? そのようなものが本物であるはずがなかろう」
「確かに異様な話ではございますが、“アレ”の考えていることはわかりませんからな。あるいは……」
天空騎士団団長、“グスタフ・バルテル”のつぶやきに軽い嘆息を返す。
「イカルガの持ち主とは、笑顔で飛竜戦艦を強奪していった“あの”エチェバルリア卿だぞ。このような真似、卿にしてはみみっちすぎる。まだ西方全ての幻晶騎士を奪い始めたという方が信憑性があるな」
それはそれでどうなんだという疑問があるが、本筋からそれるため口を噤んだ。
「だが。たとえ本物ではなくともその姿を持つということは、何かしらのつながりがあると見るに十分である」
フリーデグントは立ち上がり、天空騎士団の面々を見まわす。
「我が国の飛空船が襲われた。ゆえに我々は調査に向かわねばならぬ。その上で……“イカルガ”らしきモノを捕獲せよ。あれは飛竜戦艦すら凌駕し、光の柱を揺るがせたただ一騎の存在。もしもあれの秘術の一端でも手に入るのならば、我が国にとってどれほどの利益となるかはかり知れん。……そうなのだろう? コジャーソ卿」
部屋の片隅で何事かを考えていた、“オラシオ・コジャーソ”が呼ばれて顔をあげる。
「そうですなぁ。飛空船、幻晶騎士、ありとあらゆるものを一歩も二歩も進めて御覧に入れましょう。より強力となった天空騎士団により、あるいはパーヴェルツィークが西方の覇者となることすら、夢ではなくなるかも知れません」
「ふん。よくも大言を吐いたものだが、そんなことをすればエチェバルリア卿当人が立ちはだかるであろうな」
「まぁモノの例えというやつです。私もアレを敵に回すのは勘弁願いたいところですからねぇ」
相変わらず適当な物言いの男である。
しかしその技術は確かであり、彼以上の技術者は西方広しと言えどそうはいないというあたり厄介な人物でもあった。
さておき、かような困難を任せられる部下は多くない。
「その役目、どうか我らにお任せを」
居並ぶ天空騎士団から右近衛隊の近衛隊長、“イグナーツ・アウエンミュラー”が一歩前に出た。
左近衛隊の長“ユストゥス・バルリング”は涼しげな表情で控えたままである。
フリーデグントが頷く。
「正体がイカルガでなくただの魔獣であったとしても、困難な任務になるだろう。それでもやってくれるか?」
「お任せください。かつて空飛ぶ大地においてあれは手の届かぬ存在でした。しかし我らとてただ安穏としていたわけではありません。挑む価値はございます」
「良かろう。吉報を期待する」
かくして右近衛隊旗艦“輝かしき勝利号”を中心とした飛空船団が西方の空へと進み出た。
情報に従い彷徨い飛ぶこと半月ほど、ついに目的の存在と邂逅したのである。
「目標の魔獣を視認! 他、他国の飛空船と思しき影があります!」
「余計な瘤がついているな。紋章の確認を急げ!」
「は! ……あれはジャロウデク王国のものです!」
「ふむ、厄介だな。そんなところまで踏み込んでいたか」
空から正確に現在地を把握することは難しい。
船団はいつの間にかジャロウデク王国の空へと近づいていたのである。
「好ましい相手ではないが、邪魔立てしないのであればさっさといなくなってもらおうか」
他国の船であるからには助けるいわれなどないが、逃げられるようなら逃がしてもよい。
そう考えていたイグナーツに、切羽詰まった声が返ってきた。
「ジャロウデク船、進路変更しました! まっすぐこちらへ向かってきます!」
「なにぃ。魔獣を誘導する気か」
イグナーツが急いで遠望鏡をのぞき込む。
視界にとらえた船は、舳先から巨大な剣が突き出たふざけた姿をしていた。
「ッ! 最悪だ! あれは“黒の狂剣”の船だぞ!!」
周囲に動揺が走る。およそ天空騎士団にあって“黒の狂剣”の脅威を知らない者などいない。
空飛ぶ大地ではいったい何騎何隊の同胞が食われたことか。
たった一隻、なれど当千。相手取るのにこれほど最悪の敵もそうはいないであろう。
「……出るぞ!」
未だ全容の知れないイカルガのような魔獣と“黒の狂剣”を同時に相手取る、それがいかに困難であることか。
常識的に考えればここは撤退すらおかしくはない状況である。
だがしかしイグナーツは臆することなく決然と告げた。
「我らの目標はあくまで魔獣だ、狂剣ごときに構っている暇はない! 俺が奴を抑える、お前たちは引き続き魔獣へと対処せよ!」
「はっ!」
「一番中隊、ついてこい。ともに“狂剣”を足止めする! やれるな?」
「お任せください。与えられた竜闘騎に恥じぬ戦いをお見せいたします!」
“輝かしき勝利号”からイグナーツの竜頭騎士が分離、飛翔する。
その後を追うように竜闘騎の中隊が出撃した。
「我が配下が仕事を終えるまでお相手願おうか、“狂剣”!」
迫りくる竜頭騎士を迎え撃つように、ジャロウデク船からも何かが飛び出してくる。
「敵船より何かが出てきました! 数は一騎のみ!」
「奴らの飛行型か。油断するな、単騎となればおそらく相手は“黒の狂剣”当人だぞ!」
飛竜たちは敵を取り囲むように布陣すると、一斉に法撃を開始し――。
剣角隊の隊長であり“黒の狂剣”ことグスターボの命令に、周囲の部下たちが珍しく動揺を見せていた。
「うぇっ!? “カイリー”って……隊長ぁ、“あいつ”を出すんですかい?」
「うだうだ言ってんじゃねぇよ。刃ぁ研ぐなら実戦だ。そいつが剣角隊の流儀だろうぉがァ!」
「う、うっス!」
隊長の命令とあればたとえ火の中水の中。
“泣き叫ぶ少女”を抱えてくることにだって躊躇はない。
「ヒィィィィィ! 戦場嫌です嫌です嫌ですゥ! 私はただの村娘なんデスよォォォ! やだ厨房帰るー!!」
両腕をがっしりと掴まれて連行されてきた“少女”は、とにかく五月蠅かった。
自分で命じておきながらグスターボは耳を塞いで嘆息を吐く。
「“レーベッカ・フンメル”! おめぇ他国の部隊のど真ん中を突っ切ってよォ、たった一人で剣角隊んトコまで逃げてくる度胸の持ち主が、いまさら何渋ってんだァ?」
「だからヤですよぉ! 平和、安全、安心大好き! 私皿洗いが天職なんです! 料理長にも素早くキレイだって褒められたんですぅ~!」
「知るっけ。おめーを船に乗せてんのは、“カイリー”の騎操士としてだ。ほれ、いつも通り逃げてりゃいいんだよ。乗せてこい!」
「アイアイサー!」
「ぴぇぇぇぇェェェ!」
両肩を抱えられて運ばれてゆくレーベッカと共に叫び声が遠くなり、グスターボはようやく一息ついた。
「あいつマジうるッせぇのだけ何とかしてぇな。うーっし、んじゃ俺っちもいくぜぇ」
「隊長! 今日もビンビンに研いでありますぜ! ご武運を!」
“剣角の鞘号”の格納庫にて黒い騎体が立ち上がる。
全身にじゃらじゃらと剣をつけたその機体は、合図の代わりに足元をドスンと踏んだ。
「オラ飛べぇ!」
「いぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
金切り声を置き去りに“剣角の鞘号”を飛び出し、それは高速で飛翔を開始する。
ジャロウデク王国中央工房謹製、試作型飛翔特化騎体“カイリー”――三日月を扁平に伸ばしたような形状は鳥というにはあまりに異様で、どちらかといえば飛去来器か錨に近い姿を持つ。
空飛ぶ刃、あるいは翼だけの鳥といった雰囲気は、幻晶騎士と飛空船のいずれからもかけ離れたものだ。
新たに中央工房の主となったファブリシオ・ボボネ渾身の作である。
「出迎えご苦労パーヴェルツィークぅ!」
そんなカイリーの背の上に仁王立ちする一騎の幻晶騎士。
まったくジャロウデク王国らしく黒を基調とした色合い、全身に隙間なく剣を取り付けた異様極まりない装備。
そして各部に追加された奇妙な形状の装甲。
グスターボの新たなる乗騎、“ブロークンソード・リーム”である。
単騎で飛び出したブロークンソード・リームとカイリーをさっそく竜闘騎が取り囲んでゆく。
「よーぅし。心配はしてねーがしっかり逃げきれよ」
「言われなくたってぜぇったい逃げきってやりますからッ!!」
「おう大丈夫そうだな。んじゃな!」
飛竜たちが法撃を放つ瞬間、ブロークンソード・リームが足場を蹴って飛びあがった。
そのまま法撃の嵐の中に突っ込んでいったカイリーには目もくれず、獲物である竜闘騎だけを睨む。
「思い上がったか狂剣め! 飛べもしない機体で飛竜に勝負を挑もうなどと!」
竜闘騎が陣形を変え、飛びあがったブロークンソード・リームへと狙いを定めた。
いかな狂剣とて空中で攻撃をから逃れる術はない。
迫りくる追い打ちの法撃を前に、グスターボは操縦桿の釦を弾き――。
「こいつをつければよォ、飛べんだろォ? あの蒼いのみたいによォ!」
ブロークンソード・リームに追加された装甲が展開、内部に搭載された“マギジェットスラスタ”に点火した。
朱の炎を噴きだし剣の魔人が宙を舞う。
「なぁっ!? 貴様も……!」
竜騎士に驚くだけの余裕は残されていなかった。
ブロークンソード・リームがぶっ飛んだ先に竜闘騎を捉え、両脚で踏みつけると勢いのまま剣を突き立てる。
破壊した竜闘騎を足蹴にすぐさま跳躍。
追加で推進器を吹かす――だが“剣だらけ”とも呼ばれるグスターボの乗騎はとにかく無駄に重い機体である。
自由な飛翔など望むべくもなく、すぐに魔力貯蓄量の限界が来た。
「っかぁッ! なんてぇ魔力消費だよ! エルネスティの野郎、よっくこんなの嬉々として吹かしてやがったな!」
このままでは地上へと落下して機体諸共粉々である。
しかしグスターボはそんなこと欠片も心配していない。何故なら――。
「そろそろ来やがれ! カイリー!」
呼べば来るからだ。
叫ぶとほぼ同時にカイリーがブロークンソード・リームの足元へと滑り込んだ。
背に着地したブロークンソード・リームを補助腕が掴んで固定するや、すぐさま全力でその場を離脱する。
「おっかしらーッ!? いまヤバかったですよ間に合わなかったらどうするんです狂剣落っことしちゃったら絶対縛り首ですよ私逃げますよ!?」
「うっせ。それよか追手が来てっぜ」
「ヒィョアァァ!」
既に人語の体を成していない叫びと共に、レーベッカがカイリーを操る。
「逃がさんぞ狂剣! 空は我ら竜の戦場! 多少飛べるからと調子に乗るな!!」
怨敵を倒すべく執拗に放たれる法弾の嵐を、カイリーが絶妙な推力の緩急でもって潜り抜けてゆく。
たった一発の被弾すら許さない完璧な逃げ足であった。
「やっぱおめぇ見込みあるって」
「ヒィア! ヒィア!」
レーベッカ・フンメルは剣角隊に逃げ込んで一員となった逸話を持つ人物である。
臆病でいつも厨房の隅でこそこそ食器を磨いている、隊に似合わぬ少女。
そんな彼女が持つ才能は、“逃げ足”。
幻晶騎士の大軍に囲まれても、なんなら燃え盛る森の中からでも逃げ切ってみせる、異常なまでの回避能力。
飛ぶためだけに作られ、極端な機動性と引き換えに武装のひとつも持たないカイリーを誰もが扱いかねていた。
グスターボは悩んだ挙句、この哀れな皿洗いまでも乗せてみたのだ。
ほとんど戯れであったはずのそれが最高の結果を導くとは予想すらせずに。
「くくく、おめーは好きなだけ逃げまくってりゃいいんだよォ! 敵を食うのは俺っちの役目だからなァ!!」
空で自由に使える足場を得た剣の魔人は上機嫌に笑う。
これで彼の剣が届く範囲はさらに広がった。
剣さえ届けば斬れないものなどこの世にないと強く信じて。
「ヒィィィ!? 敵来ます! 来ちゃいますおっかしらぁぁぁー~!?」
「突っ込め、正面からな」
「ヒィィィどぉぉぉ過ぎィィィ!」
ぎゃあぎゃあと喚きはすれど、レーベッカは言われた通りに真正面から突っ込んでゆく。
工夫も策略もないその動きは、敵対する竜騎士たちの神経をひどく逆撫でした。
「我らなど恐るるに足らずということか! どこまでも舐めおって……!」
再び攻撃を仕掛けようとした彼らを、巨大な影が追い抜いてゆく。
「私が当たる、お前たちは下がれ! アレを相手に大軍は無意味だな!」
イグナーツの駆る竜頭騎士だ。
大型機とは思えない機敏さでブロークンソード・リームらに迫る。
「お、なんか敵にも動きのいい奴がいんねぇ! いいぜいいぜ、盛り上がってきたァ!」
「ヒャバぁぁぁぁ! 何にも嬉しくないでーーーすゥ!!」
竜頭騎士が放った法撃をブロークンソード・リームが剣で切り捨て、続く正面からの騎槍突撃を横転機動で躱す。
一瞬の交差の後、ブロークンソード・リームらが無傷だったのに対して竜頭騎士には剣傷が刻まれていた。
「チッ、浅かったなぁ」
「く、躱すのみならず逆撃まで! 新型の機動性も凄まじいが“狂剣”め! 聞きしに勝る腕前だ!」
互いに旋回してもう一度打ち合う。
しかし今度は斬撃ではなく言葉が飛んできた。
「おん前ェ! 槍なんておもっしろくねぇぞ! 剣持てよ剣!」
「パーヴェルツィークの騎士はまず最初に槍を手に取る! 余計な口を挟まないでもらおう!」
「かぁーッ! 相変わらずつっまんねぇ奴らっだよ!」
やっぱり斬撃も飛んできた。
イグナーツは大型機らしからぬ曲芸的な動きで躱すと法撃で反撃する。
その法撃を切り捨て、再び黒い影が迫った。
そうして人間たちが相争っている間、魔獣――“龍”はただ傍観していたわけではない。
垂れこめる雲の中を遊弋していた魔獣が首をのぞかせ。
幻晶騎士のような、イカルガのような巨体がパーヴェルツィーク王国軍の飛空船団を睨む。
「化け物め、なんと醜悪な姿か。せめて我が国のため礎になってもらうぞ!」
イグナーツが奮闘している横を配下の竜闘騎が出撃してゆく。
まずは龍の力を知らないことには始まらない。
小手調べの法撃が宙に多数の火線を描く。
その全てが狙い過たず直撃するも、龍は一切の動揺なく竜闘騎を睥睨していた。
「痛がる素振りすらなしとは!」
「待て、魔獣が動くぞ……」
龍が両手から異様に伸びた爪を向けてきた。
指を開けばその間に、魔法現象の光が灯り。
直後、放たれた“轟炎の槍”が空を焼いた。
竜闘騎が素早く散開し回避する。
避けることには成功しながら竜騎士たちは背中に冷や汗をかいていた。
何という威力か。直撃すれば竜闘騎どころかシュニアリーゼだろうと吹き飛ぶだろう。
だが悪夢はまだ始まったばかりであった。
龍が両腕を構え、次々に轟炎の槍を撃ち放ったのである。
もはや竜闘騎は回避で精いっぱいの有様であった。
無差別に放たれる轟炎の槍は、激突の最中であったグスターボとイグナーツまでをも巻き込む。
竜頭騎士とカイリーが強引な機動で回避に転じた。
「この攻撃は! やはりアレはイカルガなのか……?」
「主食が俺を食えって怒りだしやがったぁ!?」
もはや戦っている場合ではない。
互いに離れ、龍の動きを睨んだ。
「意味わかんないですよあんなの食らったら一瞬で焼き尽くされるじゃないですか! 逃げましょうはやく逃げましょう!」
「それもいいんがよ、陛下のご注文だぁらな。一斬りすんぞ、あっち突っ込め」
「ぴょぁぁぁぁぁぁぁ」
泣くし喚くが命令されれば突っ込んでゆくレーベッカに、実はクソ度胸なんじゃないかとグスターボは密かに思っている。
そうして一直線に進み続けていたカイリーが突然ぎゅんと旋回した。
そのまま龍の周囲を距離を置いて飛び、絶対に近づこうとしない。
「おいどうした。まだ離れてっぜ。剣届かねーだろがよ」
「ダメです。絶対ダメです。無理です。この先は、生きません」
レーベッカが断言する。なるほど、ここが死線か。
グスターボは彼女の勘をまったく疑っていない、その上で命じる。
「おし。んじゃギリギリまで近づけ。後は俺っちがやる」
「正ーぅ気ですかこの剣バカ! 死ぬっつってんだろ!」
「かもしれねーな。だが斬りもせず退くなんざ、俺っちには無理な相談よ」
「もう知りません! 勝手に死んだって報告しますから!」
「やっぱおめー度胸あんだろ」
カイリーがうろうろと龍の周囲を飛んでいると、背後に竜闘騎が追い縋ってきた。
あわよくば龍の攻撃に巻き込んでやろうという考えだったが。
龍の動きが変化した。
轟炎の槍を放つのをやめ、入れ替わりに周囲に雷鳴が閃きだす。
「はぁん! なる、雷霆防幕か! そりゃ近づけねーはずだっぜ!」
グスターボが勝手に納得している間に、荒れ狂う雷撃が龍へと近づきすぎた竜闘騎を打ち据えた。
バラバラに吹き飛んでゆく竜闘騎には目もくれず、グスターボは全力で足場から飛び出す。
「だったらよォ! 連射はできねーだろ!」
雷鳴が鳴り響いた後に訪れるわずかな静寂を貫き、ついにブロークンソード・リームが龍の背へと届く。
なんという巨体か、銀色の背は幻晶騎士が余裕をもって立てるほどに広い。
「そいじゃ仕事しよっかねェ!」
ブロークンソード・リームが大剣を引き抜くや、渾身の力でもって足元へと叩きつける。
グスターボの乗騎として十分に強力な膂力を与えられた機体であるブロークンソード・リーム。
その一撃を受けても龍の表皮にはへこみのひとつすらつかず、逆に剣が衝撃に耐えきれず折れ飛んだ。
「こっなくそァ! かっっってぇな!?」
彼にしてもこれは予想外である。
剣の魔人にとって斬ったのにまったく傷をつけられない相手というのは初めてだった。
「こりゃ仕切り直しといきてーとこだっな」
そのまま龍の背で途方に暮れる。
遠巻きにカイリーがうろうろと飛んでいるのがよく見える、しかし戻ろうにも周囲には雷霆防幕が荒れ狂っているのだ。
うっかり飛び出そうものなら竜闘騎のごとく粉微塵。
このままなす術がない――わけがない。
剣の魔人が取り出すのは、やはり剣であった。
「そいじゃよォ、こいつでもしゃぶっときなァ!」
グスターボが思い切りよく剣を投擲する。閃く雷撃が剣を打ち据え、砕いた。
少々砕けようと投げようと、手持ちはまだまだある。
景気よく投げまくり雷撃へとぶち当てた。そうすることで次の雷撃が来るまでにほんの僅かな隙が生まれる。
史上最速の逃げ足を持つ部下にとっては十分な隙が。
「んッぴょぉぉォォォ! 隙間せまぁぁぁいッ!!」
「くくく、やっぱおめークソ度胸してんだろ」
迷うことなく突っ込んできたカイリーの背に飛び移ると、そのまま揃って離脱する。
再び雷が荒れ狂うも危ういところで逃げ切った。
周囲の様子を確かめれば、パーヴェルツィーク王国軍も退いてゆくところだった。
攻撃は通らず、火力は破壊的。とても捕獲を試みられるような相手ではないと思い知った様子である。
「こいつは困ったなぁ。剣を振るのはよォ、俺っちがガンバりゃあいいけどよォ。硬くて斬れねーってのはどうすんだよ」
「知るか! 私もう帰る! お皿洗うー!」
黒の鳥もまた賑やかに撤退してゆく。
人間たちがそれぞれ逃げ去ってからも、龍はしばらく雲の高さでうねっていたが、やがていずこかへと去っていったのだった。
――パーヴェルツィークとジャロウデクが魔獣を巡って衝突した。
その噂は奇妙な速さで広まっていった。
北の巨人と息を吹き返しつつあるかつての大国。いずれも興味を引くのに十分である。
様々な国が“天翔ける龍”に関心を持つのに、さほどの時間は必要なかった。
果たしてそこには何があるのか。
ただの魔獣なのか、それ以上の何かがあるのか。
憶測が憶測を呼び、次第に何かがあるはずだという確信へとすり替わってゆく。
大国がこぞって求める、巨大な力――。
ありもしない噂に踊らされ、西方の様々な国が龍の後を追い始めたのである。
・ブロークンソード・リーム (ブロークンソード・連)
“黒の狂剣”グスターボの新たな乗騎。
ソードマンに始まる連剣の装を引き継ぎつつ、剣による攻撃用に数々の特殊な装備を搭載している。
その発想の元はグスターボがかつて戦ったという“蒼い幻晶騎士”にあるという。
おかげで極めて曲芸的な操縦を要求される機体となってしまったが、騎操士がグスターボであることから問題なしとされた。
また最大の特徴としてマギジェットスラスタを搭載しており、限定的に空戦にも対応している。
そもそもが特殊すぎる武装の機体にどのように推進器を組み込むかは新工房長であるファブリシオをして難題であったが、グスターボの「とりあえず飛べりゃあ後は俺っちがなんとかする」の言葉によって強引に搭載されたという経緯がある。
おかげでバランスは最悪で航続距離も短いが、グスターボはそんな機体でも難なく乗りこなしてしまいファブリシオが匙を投げたという一幕があったとかなかったとか。
・カイリー
最新鋭の試作型飛翔特化騎体。空飛ぶ刃、あるいは翼のみの鳥。
緩い三日月形の躯体に中央から伸びた尻尾と、錨のような姿をしている。
手足はおろかロクな武装を持たず、飛翔のみに特化した先鋭的な機体である。
発想としては竜闘騎を元としており、飛翔に必要な要素以外を限界まで削ぎ落してある。
凄まじいばかりの機動性と最高速度を有するが、その能力を引き出すためには繊細な操縦を要求されるうえに戦闘能力は低いという扱いづらい機体になってしまった。
新たに工房長の座についたファブリシオが己の技術を売り込むために作り上げたものの、カルリトスからの評価は当然のようにいまひとつであった。
(曰く、高さバカの次は速さバカか、と)
持て余していたところでブロークンソード・リームの飛行能力を補うための足場としての価値を見出され、“剣角の鞘号”に納められる。
そこで騎操士レーベッカ・フンメルと運命の出会いを果たした。
常に“黒の狂剣”と共に戦場に現れ、いかなる戦いでも傷ひとつ負わない圧倒的な飛翔能力から“無垢なる刃”と呼ばれ恐れられてゆく。