#203 激発
――それはかそけきモノだった。
魔法生物、それはこの世界の根源たるエーテルによって形作られた生命である。
“光の柱”と呼ばれた超大型の個体ともなれば天候すら自在に操り、惑星の外側にまで影響を及ぼすほどの力をふるう。
しかしそれも砂粒のごとき欠片となれば限りなく無力に等しい。
それは待っていた。
エーテルの薄い地表付近では自由に動き回ることすらできず。
たまさか魔力に満ちた場所であったからこそかろうじて在り続けられた。
出口を。
時折魔力を制御する、圧倒的な意思の存在を感じることがある。
それの力では流れに抗うことなどできない。
出口を。
待ち続けた末にそれは見つけ出した。
完璧に魔力を律する圧倒的な意思とは比較にならない、柔く弱い果肉のごとき感触を。
千載一遇の機会を逃すことなく――。
――イカルガから出現した虹色の紐のような魔獣が一斉にウーゼルへと突き刺さった。
「あ、あ゛あ゛ぐがっ……!?」
紐のようなモノは肉体を傷めることなく染み込むように体内へと侵入してゆく。
今までにない、苦しみとも高揚ともつかない感覚が湧き上がる。
「ぎあっ……ぎひっ、ひっ、ひひひははははは……!!」
苦しげだった声は次第に笑い声へと変わっていった。
ウーゼルとしての意識ははっきりと残っている。
己の身体を何者かに侵食されながら、しかし浮かべる表情は恍惚としたもの。
「あはは……ははは、ははははは! 死ねる、死ねるのか! この私が……病に腐れたこんな身体が! 魔獣によって死ぬ栄誉を得られるのか……!!」
それは望めどもあり得ないはずの結末だった。
彼に用意された終わりは病に食い尽くされることのみ。
エムリスあたりは彼のことを病と闘うものと言った。
だがそれは間違っている。彼が戦い、抗ったことなど一度もない。
彼はひたすらに貪られ続けていただけであった。
「これで……これで! 私もフレメヴィーラ王国に生まれたものとして、恥じぬ最期を迎えられる!」
そうして時が過ぎるうちに、ウーゼルの思考は奇怪な歪みをみせていた。
フレメヴィーラ王国の王族ともなれば、魔獣と戦う力を求められる。
私も名に恥じぬ力が欲しい。
病によって何もできないまま死ぬのは嫌だ。
せめて戦って死にたい。
殺されるなら病などではなく、せめて魔獣によって。
――ああ、魔獣によって殺されることは、なんという栄誉なのだろう。
最期の最期に望みは叶った――かに思われた。
だが現実はより奇妙な方向へと歪み出す。
いかなる運命のいたずらか、彼へと侵入したものは“希薄”であった。
残滓であり欠片であり、それは本来備えうる無限に近い力などなくむしろ“逃げ道”を求めて彼へと飛び込んできたにすぎない。
ふたつの弱者は重なり、混じり合ってゆく。
そうすることで欠けたものを埋めあうかのように。
「ぎひっ」
「? あっれーおっかしいな」
異変を真っ先に察知したのはシルフィアーネの操縦席で待機していたアデルトルートだった。
今までは安定して彼女の制御化にあったマガツイカルガニシキの躯体に、徐々に制御の及ばない領域ができつつある。
こんなことは今まで一度もなかった。
訝りながらもより強く演算した彼女だったが、それはすぐに焦りと変わる。
「ちょっ。どうして!」
ミシミシと音を立ててマガツイカルガが動き出す。
彼女は何も操作していない。
万が一イカルガ側の操縦席から何かしたのだとしても、直接制御に近い演算を伴わなければ指一本動かないというのに。
事ここに至ってアディはその鍛え上げた演算能力の全力を傾け。
表情が驚愕に染まる。
「邪魔……されてる!?」
突如としてビクりとマガツイカルガニシキの躯体が跳ねた。
多数備わった腕を痙攣させるような動きはまるで瀕死の昆虫を思わせる。
「なにを!? どうしたのですか!」
明らかな異常に、外で待っていたエルとエムリスも何かが起こったことに気づく。
「様子がおかしい。まさか……もう時が来たのか!?」
エムリスは焦燥にとらわれる。
ウーゼルの時間は残り少ない、だからこそ彼の望みはなんでも叶えるつもりだったというのに。
異常はなおも進んでゆく。
ついにイカルガが膝立ちから動き始め、エルは矢も盾もたまらず飛び出した。
「失礼します!」
外部からの操作で操縦席を開くべく、イカルガの胴体へと飛びつこうとして。
機先を制するように圧縮大気の吹き出す音とともに胸部装甲が開いた。
「! ウーゼル殿下!? ご無事ですか!」
ウーゼル・ファルク・フレメヴィーラが姿を現す。
長い間病に臥せっていたという彼は痩せ細り、いかにも弱弱しい印象があった。
だが今、彼は生気に満ち溢れた様子で心なしか体格までも変わっている。
何よりも表情が。
自信と我に満ちた顔つきは、つい先ほどまでの彼には全く見られなかったものだ。
「あはっ。気分がいい」
ウーゼルは天を仰いで深く呼吸し、肺腑を新鮮な空気で満たした。
苦しさはない。
体のどこにも痛みはないし、何よりも思う通りに動く。
「私の人としての命において、これほどまでに苦しみのない時はなかったんだ。皆は狡いな。こんなにも苦労なく生きていられたなんて」
「何があったのですウーゼル殿下。ともかくまずは降りていただき、馬車にて身体を休めて……」
「その必要はないよ。永久にね」
ウーゼルは両腕を広げ、指揮者のように回す。
マガツイカルガニシキが唸りと共に出力をあげる――!
「身体が自由に動くんだ。この上なく爽やかな気分だよ! 今ならば何でもできる。だからまずは……」
限界まで見開かれた瞳がエルへと向けられた。
虹彩が虹色に輝き、次の瞬間彼の背中から虹色の紐が飛び出す。
「殿下!? その光は!!」
虹色の紐は操縦席の中へとつながり、直後イカルガが動き出した。
だがそれは流麗さの欠片もないぎこちないもの。
ギチギチと、ミチミチと。
イカルガが躯体を動かすたびに異音が上がる。
人型として想定していない動きを強引に取ろうとして関節が悲鳴を上げていた。
「どういうことなのです!? 殿下、なぜあなたからそれが……!」
「ああ、エルネスティ君。貴卿には感謝している、“私”に“私”を出会わせてくれたこと。さすがは最強の力だ、まさに奇跡を起こしてくれた。望外の結末だよ!」
「奇跡! 殿下……まさかあなたは、それと!」
「ありがとう、そしてさようなら。君の役目は終わった。そう言っているんだ、この“もう一人の私”も!」
「!?」
言葉が終わるより早くイカルガが腕を振り上げ、空中にいたエルを掴み握りしめた。
ギリギリと拳の装甲がエルを締め上げてゆく。
「……ぐうっ、イカルガ……忘れたのですか! 僕に挑むということの意味を!!」
幻晶騎士の躯体は結晶筋肉の塊である。
それは同時に魔法の触媒結晶としての機能を有する。
触れることさえできれば、史上初めて直接制御を実現せしめた圧倒的な魔法演算能力を振るうことができるのだ。
「返していただきます!」
「ッ! さすがだ銀鳳騎士団長! しかしさせないよ!」
常のごとくイカルガを完全に己のものとすべくするも、肝心の魔導演算機に辿り着く前に突然遮られる。
「この感覚! やはり魔法生物が!!」
直後、まるで火に触り火傷を負ったかのようにイカルガが全力でエルを放り投げた。
法弾のごとく吹っ飛びながら、しかしそれでもエルは動く。
戦うべきか、だが彼のとった行動は違った。
ウィンチェスターを握り締めると全力で大気操作の系統の魔法を発動し。
「……アディ! すぐに機体を捨てなさい!!」
声を風に乗せて強力に拡大、マガツイカルガニシキへと叩きつけるように叫ぶ。
伝えることを優先したエルはそのまま放物線を描き、背後にあった湖へと突っ込んだ。
湖面に激しく水しぶきが上がり、彼の姿が消える。
「エル君!?」
マガツイカルガニシキの制御を取り戻そうと悪戦苦闘していたアディの耳に、彼の声は確かに届いていた。
突然機体を捨てろなどとまず考えられない指示である。
しかし確かにエルが告げた、アディにとってはそれが最も大事だった。
反射的な動きで甲冑射出機構を起動する。
シルフィアーネの中でも独立性が高く作られていたことも幸いしてか、それは問題なく作動した。
背中側にある操縦席が弾け飛び、アディの身体を射出する。
「どうなってるのよ!?」
地表付近で甲冑射出機構を使用するなど少しばかり自殺行為に近いが、彼女の身体能力ならば問題はない。
ひらりと身を翻すと地面を滑り勢いを殺す。
急いで振り返った彼女の眼前で、マガツイカルガニシキが動き出しつつあった。
何が起こっているのか。
突然マガツイカルガニシキが動き出し、本来の騎操士であるエルネスティに襲い掛かった。
なぜ? 誰が?
そこにようやく思い至ったエムリスへと、イカルガの胸部装甲に立つ人物の声が届く。
「ああ、素晴らしい。なんて気分がいいんだ! これが“私たち”の新たなる身体! 力だよ!」
ウーゼル、彼の兄。
だがこれが本当にウーゼルなのだろうか。
生気に満ち溌溂としているのみならず、控えめだった表情すら全く変わり果てている。
「あ、兄上……何を、しているんだ。そんなところにいては身体に障る。はやく降りて……」
「ああ、エムリス。君にも礼を言うよ。“私たち”にこんな素晴らしい出会いを用意してくれるなんて。おかげで“私たち”は解き放たれた」
「な、何を言ってるんだ! 兄上ッ!!」
エムリスの混乱は地面から伝わる振動によって強引に断ち切られた。
誰もが混乱し後手に回っている状況にあって、ただ一人動きの異なる者がいた。
紅の剣が剣を抜き放ち、マガツイカルガニシキの前に立ちはだかる。
ディートリヒが拡声器の出力を最大にして叫んだ。
「ウーゼル殿下ッ!! 勝手はそこまでにしていただこうか!」
動いたのはグゥエラリンデだけではない。
護衛についていたカルディトーレたちも続き、周りを取り囲んだ。
「理由はあとでお聞かせいただく! すぐさま機体を下りるんだ。いかに王族といえどエルネスティに攻撃し! あまつさえそこに在るなど許しがたいッ!!」
グゥエラリンデは辛うじて切っ先を向けていない。
だが彼ほどの使い手にあればすでにいつでも斬りかかれる間合いである。
それはカルディトーレも同様であり、ウーゼルが王族であるという事実がかろうじて彼らの戦意を押しとどめていた。
ウーゼルがにこりと微笑む。
笑みはすぐに顔を真っ二つに割るかのように広がり、すべてを受け止めるかのように腕を広げた。
「はああ! これが殺気というものなんだ。“私たち”をそれを向けるだけの、価値ある存在だと思ってくれているんだね! 感激だよ。苦しさ以外で胸が震えるなんて初めてのことだ! “私たち”はそれに応えようと思う。ちょうど確かめなければと思っていたところなんだ、どれほど動けるのかをね!!」
そうしてウーゼルの身体が操縦席へと飛び込み胸部装甲が閉じた。
もはや答えは明らか。
彼はマガツイカルガニシキを奪い、あろうことかディートリヒと戦おうとしている――!
「騎士団抜剣ッ! 突撃!!」
「うぉらっシャー!!」
もはやディートリヒに躊躇いはなかった。
相手が何者であろうと関係がない。
グゥエラリンデを先頭に、それまでじりじりと包囲を狭めつつあったカルディトーレが一斉に得物をかざし走り出した。
幻晶騎士での格闘戦に長けた紅隼騎士団に囲まれて抗えるものは少ない。
「あはは! まずはこれなんてどうかな?」
その僅かな例外がイカルガである。
事実を知らしめるかの如く、周囲に何かが飛び出した。
銀線神経によって接続された手、それはイカルガの持つ武装のひとつ、“執月之手”である。
「なんーっ!? うっそだろ大ダンチョじゃねーってのに!」
「これが動くってこたマズいぞ!」
すぐさま手に魔法現象の輝きが灯る。
執月之手が飛翔しながら放った法撃がカルディトーレへと襲い掛かった。
イカルガは一対多数を得意とする稀有な機体である。
縦横無尽に放たれる法弾によって、紅隼騎士団の猛者たちが押し返されていた。
「うおい! 当ててきやがる!?」
「マジかよこの王子様よォ!」
さらに高音が突き抜ける。
マギジェットスラスタが轟き、爆炎が土煙を巻き上げる。
マガツイカルガニシキの機体が舞い上がりつつあった。
地上最強の機体があるべき制御を離れ、奪われようとしている――。
「逃がすかッ!!」
エスクワイアの推進器が吼え、グゥエラリンデ・ファルコンが飛翔した。
執月之手による迎撃をかわし突撃する。
「すごい! さすがは我が国の騎士、優秀だよ。……なになに? なるほど“私たち”は理解したんだね。こんなものもあるって!」
マガツイカルガを囲む可動式追加装甲が開き、“機動法撃端末”となって次々に分離する。
“全騎投射”と呼ばれる最大数の波状攻撃がグゥエラリンデを襲った。
「その攻撃まで使えるのか!?」
濃密な法弾幕を、グゥエラリンデは双剣にて切り払い。
それも数の暴力に押し切られ直撃を許す。
「ぐぅっ……!」
地上へと叩き返された紅の機体を見下ろし、ウーゼルは己の胸に手を合わせた。
「ありがとう。ありがとう素晴らしき騎士たち。君たちには深く感謝している。“私たち”を解き放ってくれたこと」
マガツイカルガニシキの推進器が出力を増し、そのまま飛び去ろうとして。
「……んん? ああ、あれは」
ふと周囲の景色に目をやったウーゼルは見覚えのある建物を見つけ出した。
療養院、彼が人生のほとんどを過ごしてきた場所である。
出会いより輝くばかりの笑みが浮かび続けていた、ウーゼルの表情が初めて曇る。
「芋虫が蝶となる時、まずは蛹となってから脱ぎ捨てるという。“私たち”は生まれ変わった。ならば過去は脱ぎ捨てられなければならない!」
“彼”の意思は“それ”を通じ、すぐさまイカルガへと伝わった。
銃装剣を抜き放ち切っ先を向ける。
刀身が開き、紋章術式に描かれた強力な爆炎の魔法を呼び起こす。
イカルガを最強たらしめる強力無比の法撃。
轟炎の槍が建物へと突き刺さり、一撃で粉々に吹き飛ばした。
「んんふふふふふふふ。ははははは。あっははははははは! これが力! 新しい“私たち”! 素晴らしい! とても素晴らしいよ!!」
イカルガの操縦席で、ウーゼルにつながった虹色の紐がぼうっと明滅した。
「ああ、今思ったんだ。“私たち”が本当の意味で生きるためには、古い蛹は全て脱いでゆかねばならないって。さあ、いこうか!」
推進器の音が高まりマガツイカルガニシキが加速する。
惨憺たる有様となった森を置き去りに、それは彼方へと飛び去っていった。