#197 日々の形
それはかそけきモノだった。
燦然と輝く星のひとつより分かたれた欠片であるそれは、本来ならばすぐに散り消える運命にあった。
しかし星を貫く流星が定めを覆した。
流星の輝きの中で永らえたそれは眠りについた。
塵の如きそれでは抗い得ないほどに流星が強い力に満ちていたからである。
天に上った太陽が全ての星の光をかき消してしまうように。
かそけきモノは消えずにいるのが精一杯であった。
それに許された選択肢はただ眠ることだけ。
いつか太陽は沈み夜が来るのを待ち侘びながら――。
セッテルンド大陸のほぼ中央に位置する俊峰オービニエ山地。
西方諸国の終わりであり、クシェペルカ王国とフレメヴィーラ王国の国境でもある。
「飛空船だと早いし楽だよねー」
「陸上を走ってゆくのも乙なものです」
「それ多分、幻晶騎士に乗ってる前提だよね?」
山を越えてゆく巨大な船体。
銀鳳騎士団旗艦、飛翼母船“イズモ”の船橋では、エルネスティとアデルトルートが硝子窓の向こうをみてはしゃいでいた。
後ろでは船長席に陣取る親方が肩を回している。
「はぁー! オービニエを越えると空気が違ぇな! 帰ってきたって実感もひとしおだぜ」
「あたしはなんとか生きて帰れたって思いの方が強いよ」
「そりゃいい経験だったな。今のうちに慣れておけ、銀鳳騎士団に居る限りどうせまた騒動にでくわす」
同じドワーフ族の鍛冶師仲間であるデシレアは、経験者の悟り切った表情を見て顔を引きつらせた。
「それにしても……」
アディはくるりと回り、船橋の隅で膝を抱えている人物を睨む。
「キッド、いつまでそうしてるの。いい加減現実に還ってきたら?」
「はっ!? ちょっと……恐ろしい夢を見ていたんだ。なんの前触れもなく突然いきなりエレオノーラ様と結婚することになったりさ」
「落ち着いてください。現実です」
「うおおおおおおおおおおお……」
頭を抱えてのたうつアーキッドを見下ろし、アディが眉を吊り上げた。
「ふーん。エレオノーラちゃんとの結婚に何か不満でも?」
「まっ! まっさかンなことあるわけ! ……そういうんじゃなくてこう、心構えとかの問題とか。いろいろあるんだよ! 何もかもが突然すぎてさ!」
「戦いは望むときにばかり起こるものではありません。何事もまずは当たって砕けろです」
「砕けちゃダメだろ。そうは言うがさエル、だって相手は……一国の女王なんだぜ? 格とか違いすぎてどうしろっていうんだよ。そもそも俺はただの騎士なんだ、騎士としてならともかく他にできることなんて……」
「良いではありませんか。キッドのやるべきことは女王陛下をお支えすること。つまり騎士としての役目とさしたる違いはありません」
「他人事だと思って簡単にさぁ!」
頭を抱えてしゃがみ込んだキッドに溜め息を贈り、アディはくるりと表情を変えた。
「ああでもヘレナちゃんの結婚式かぁ~。きれいなドレスで、盛大なパーティ開くんだろうなぁ。エル君! 絶対に見に行こうね!」
「そもそも間違いなく招待されると思います」
「うおおお……結婚式だと……女王だもんな……デカい式になるよな……」
またのたうちだしたキッドを置き去りに、アディは式の様子を想像するのに忙しい。
見かねたエルがキッドの肩をたたいた。
「せっかくですから国中の幻晶騎士に列席してもらえるようお願いするのはいかがでしょう。気分が落ち着くかもしれません」
「んなわけあるか! お前じゃないんだから……ってまさかエル。やったのかそれ」
「さすがに止められましたし、皆さまのお仕事を邪魔するのも本意ではありません。なので“全機種”揃えるに止めましたよ」
「明らかに人間より幅取ってたよね、あれ」
「相変わらず参考にならない人生送ってんな!」
そこでキッドはふと思い至る。
「つーか、そういうエルたちの式はどうだったんだ。参考に聞かせてくれよ。何せあの銀鳳騎士団団長様の結婚式なんだ。まさか身内だけってことはなかったんだろ?」
「そりゃもう盛大にやったよねー。色んな騎士団長さんとか、前ディクスゴート公とか巨人族の皆とか。それに王都の人たちも一緒に祝ってくれたし」
「ほとんど国を挙げての式じゃないか」
それでも平然としていたのだろうなとは容易に想像がついた。
エルネスティにせよアデルトルートにせよ生半可な神経をしていない。
緊張という言葉はどこに置き去りにしてきたのだろう?
まったくもって双子の兄妹だというのに、この精神力の違いはいったい何としたことか。
「…………」
ふわふわとした笑みを浮かべる幼馴染を見やる。
間違いなくこいつの影響である。
師団級魔獣を相手に嬉々として突撃し、空前絶後の魔法生物の脅威すらむしろ張り切る有様。
いったいどうすればエルを動揺させられるのか、想像もつかなかった。
そうこうしているうちに船はフレメヴィーラ王国の王都、カンカネンの空へと差し掛かった。
王都の周囲に浮かぶ飛空船が見えてくる。近衛騎士団による防空網である。
発光信号を送り挨拶を交わし。船団は王都の上空を横切って行く。
イズモに並ぶ巨体を持つ船など飛竜級しか存在しないし、あちらは明らかに形が違う。
つまり誰が見てもイズモを見間違うことなどないということである。
「おお、イズモだ! またも西方で大戦を勝ち抜いたらしいぞ!」
「いやいや、大嵐を従えたと聞いたが」
「生き残りの竜属を食らったとも?」
「なにやら魔族だったか、ヤバいやつらを薙ぎ倒したんじゃなかったか」
「どうあれまた勝ち戦だったんだな! 西方の強豪を相手にすげぇじゃねぇか、我らが銀の鳳は!」
銀鳳騎士団の活躍は噂の程度になんとなく流れていたものの、確かなところははっきりとしない。
とはいえどうせ大騒動だったのだろうというところで衆目の意見は一致していた。
眼下を流れる王都の街並みを眺めつつ、エドガーとディートリヒら騎士団長たちが顔を突き合わせていた。
「この調子ではまた妙な尾鰭がついた噂が流れていそうな気がするな」
「大森海から戻った時よりはマシじゃないかね? あの時は巨人たちもいたから本当に大変だった」
「それもそうか」
何でもないことのように交わされる話の内容を耳にした副官たちが震えあがったりしているが、さておき。
景色を眺めて親方がため息を漏らす。
「はぁ。気分がいいのはいつも王都までだぜ」
「なんだい親方、らしくない台詞じゃないか」
「お前らなぁ、俺たちがこれから何機何隻の整備をすると思ってんだよ」
「止めとくれよダーヴィド。せっかく思い出さないようにしてたんだから」
なんとも重苦しい空気のドワーフ族たちを横に、ディートリヒが肩をすくめる。
「その分、陛下への報告はこちらが請け負うんだ。お互い様というものじゃないかね」
「もちろん先陣は大団長に切ってもらうわけだが」
「他の誰にも務まらないだろうからね。ノーラが先触れとして出てくれたとはいえ、陛下には何をどう説明したものやら」
「そもそもエルネスティくらいしか全貌を把握していない」
「坊主の話をたっぷり聞かなきゃならねぇ大旦那様にゃあ、心底同情するぜ」
これでもエドガーたちはまだ、当事者として剣を振るう隙間があっただけマシであろう。
エルからの伝聞だけで事件の全貌を聞かされるなど考えただけでゾッとする。
国王が寝込んでしまわないことを祈るばかりであった。
カンカネンを過ぎライヒアラが見えてくればオルヴェシウス砦はもう目前である。
騎士たちには浮かれた空気が漂い始め、鍛冶師たちは既に臨戦態勢だった。
源素浮揚器内を慎重に大気希釈しながら、イズモの巨体が大地に降りる。
船倉が唸りをあげて開いてゆき、中から巨人の騎士が姿を現した。
「ようしお前たち、全員で荷下ろしだ! 騎操士は各自、機体を整備場に放り込め! さあ動いた動いた!」
紅隼騎士団の騎士たちが一斉に動き出す。
荷物を抱えたカルディトーレの群れがえっちらおっちら走り出し、それを追い抜いてツェンドリンブルが土煙を蹴立てていった。
ちなみに荷下ろしで一番の難物はもちろん戦馬車・紅で、任されたゴンゾースが悲鳴を上げていたという。
「元気だなあいつらは。お前たち、別に急ぎではないから丁寧にな。最後まで気を引き締めていけ」
「はっ!」
白鷺騎士団の機体もズシズシと歩き出す。
どしどしと荷物の運び込まれる整備場では、鍛冶師たちがさっそく幻晶騎士の点検に走り回っていた。
最後にようやくエルたちが船を下りる。
「うーん! 久しぶりこの空気!」
「ええ。整備中の鉄臭さと騒音が心地よいですねぇ」
「それはあんまりないかな」
そうしてエルは集まった騎士団長たちを見まわし。
「さて僕たちにもやるべきことはたくさんあります! まずは陛下への報告をまとめねばなりません。エドガーさん、ディーさんはこちらへ」
「……よし。やるか」
「致し方ない」
彼らは覚悟を固め、会議室への道のりを歩きだすのだった。
それからしばらくの間は、あらゆる者が事後処理に忙殺された。
「損耗の報告は作成済みのやつをちゃっちゃか上げとけぇ! 飛空船はすぐに整備工廠行きだ。ピッカピカに磨き上げるまで帰って来んなよ!」
「親方! 横暴っス!!」
「そろそろ目ぇ瞑っても整備できそうなくらい、触りっぱなしっス!!」
「そりゃよかったじゃねぇか。じゃあその腕前、存分に振るってきやがれ!」
整備場には、墓穴を掘った鍛冶師たちの悲鳴が木霊して。
「また大事を引き起こしてくれたな、エルネスティよ……」
「少々大掛かりな新婚旅行になってしまいましたが。出先で少しばかり事件に巻き込まれてしまっただけです」
「魔王国とやらの建国が小事となれば、この世に大事なぞ何もなくなるであろうな」
国王リオタムスは存分にエルを味わうことになり。
「それではこれからキッド様にこなしていただく準備について説明させていただきます」
「け、結婚式とかですか……?」
「それもありますが、最も些事です。何よりも今後女王陛下の補佐をされるにあたって必要な知識を学んでいただきます。もちろん一朝一夕に身につくものではありませんのでとにかく基本を詰め込んでいただき、あとは実地で学び続けていただくことになります」
「ちょっ」
「それと並行して国王陛下とセラーティ侯爵閣下と話し合っていただきます。今回、家格の問題を解決するため侯爵閣下のお力添えをいただきましたが、しかしクシェペルカ王国への干渉は最少となるようにせねばなりませんので」
「まっ」
「ではさっそく教師の方々と顔合わせをお願いします。何十人かいらっしゃいますので素早くこなさねば何日もかかってしまいますので」
「あんた本当に、俺に何かでも恨みあるんですか!?」
「滅相もありません。全力で補佐をせよと陛下より命じられておりますので。お任せください、我ら藍鷹騎士団は任務を全ういたします。……逃がしはしません」
ノーラの無茶ぶりから逃亡を図ったキッドが簀巻きにされ、藍鷹騎士団の手によって運び出されていったりした。
それらもしばしの時がすぎる頃には(一部を除いて)落ち着きを取り戻し、日常へと戻っていったのである。
オルヴェシウス砦、整備場。
静けさの戻ったこの場所の最奥に鎮座する、鬼面六臂の鎧武者の姿。
銀鳳騎士団旗騎“イカルガ”の前に小さな人影があった。
「うんうん。やはり素敵なロボットは座った姿も絵になりますね!」
「ようやくだ、疲れたぜ。やっぱりコイツが一番手がかかりやがる」
「シーちゃんも綺麗にしてもらったしねー」
イカルガの隣に強引に空間を空けてシルフィアーネ三世が格納されている。
空戦仕様機は他の機種に比べて大きく幅を取るため、周りが少々手狭になっていた。
「ここがマガツイカルガの難儀なところだな。何せおかげで手間が倍じゃあきかねぇしよ。とはいえ手は抜いちゃいねぇぞ。どれだけ疲れていたって、イカルガは完璧に仕上げてやる。そいつが俺たちの仕事でもあるしな」
「わかっています。いつもありがとうございますね」
イカルガは団長騎であると同時、鍛冶師たちの最高傑作でもある。
そこで手を抜くことなどありえない。
とはいえ過酷な仕事を終えた鍛冶師たちは今頃、死んだように休息をとっていることだろう。
「エル君、このあたりに置けばいいかな」
「はい。ちょうどですね」
エルはアディと運んできた机を置く。
傍らの鞄からずらずらと冊子を取り出した。
「なんだぁ? 団長室から引っ張り出してきたのかよ」
「はい。こちらの方がはかどるかと思いまして」
製図道具を広げれば準備は完了である。
エルが座れば、当然のように隣にアディが並んで座った。
「おいおい、帰ってきたと思ったら早速それかよ。おめぇには休むとかそういう考えはねぇのか?」
「はい。だからゆっくりと休息をしようかと!」
「エル君だからねー」
文句を言ってはみたものの、親方とてこの大団長が簡単に止まるなどとは思っていない。
そこで思いとどまれるのならば、銀鳳騎士団がここまで羽ばたくことはなかったのだろうから。
「そりゃそうだがよ。今度ぁ何をやるつもりだよ。マガツイカルガニシキが仕上がった以上、そうそう次なんざねぇだろうに」
「イカルガの改造ではありません。これはいわば、新たな機能の実験機になるかと」
「むー。オラシオさんが言ってた“果て”を目指すためのやつ?」
「それもありますね。とはいえいきなり行くのは無謀です。それは大目標として遠くに置いて、そこに至る小目標を作りました」
そうしてエルは一枚の図面を手に取った。
「推力強化型建造案です! 有り体に言えば流星槍作戦を部分的に再現するための案ですね」
「ええ~またアレやるの? 面倒だよエル君」
「面倒にしないための案ですよ。いずれにしろ急いでいるわけではありません。じっくりと進めていきましょう」
「うーん。エル君と一緒にいられるなら、まぁいっか!」
「また重ってぇモンを作りやがる。お前にゃイカルガがあるだろうに、別のを作ろうってかよ」
「そこが悩ましいところなのですよね。イカルガにせよマガツにせよ普段から使うものですから、こういった新機能のための試験騎にするわけにもいきませんし」
「贅沢な悩みだなまったく」
こう見えて、エルは国内最高戦力の一人なのである。
いつ何時出撃を命じられるとも知れず、その時になってイカルガがありませんとなっては格好がつかない。
「ま、しばらくはうちの鍛冶師たちに休みをくれてやるか。坊主がおっぱじめた時にしっかり動けるようにな」
既にエルは図面をいじくりまわすのに熱中している。
この調子では、鍛冶師たちの休息はそう長いものにはならなさそうであった。
西方世界を覆った大嵐とその後の魔王国の出現は、西方諸国に少なからぬ動揺を与えた。
世界が否応なく変化してゆく最中、果ての国ではいつもと変わりのないやり取りが交わされていたのだった。
 




