#186 嵐の後に静けさ
「三番船! 帆布が保ちません!!」
「起風装置が力負けしています……! 動けないッ!! 制御不能です!」
「収納急げぇーッ!!」
「近すぎる! 激突するぞー!!」
「回頭! 回頭! 死ぬ気で下がれッ!!」
「……わ、我操舵不能!! ダメです! もう……手遅れだ」
風。
空飛ぶ大地においてありふれていたその現象は今、あらゆる存在に対して牙を剥いていた。
天に向かって成長していた積乱雲はやがて渦を巻き始め、見る間に姿を変えてゆく。
荒れ狂う大気は無限に黒雲を生み出し船団を、間を置かずこの空飛ぶ大陸そのものを飲み込んだ。
天に伸びる光の柱を中心に、空の色が青から黒へと塗り替えられてゆく。
後に“天候操作級魔法・颱風招来”として定義されるこの極大魔法は、正しくその場に台風を生み出していた。
時に天候が荒れることはある。
しかし何ものかの意思によって無理やり変えられることなど、その場にいた誰一人として想像すらしていなかった。
備えのあるものは一人としておらず、また備えのあった船は一隻としてない。
それらは瞬くほどの間に嵐に呑まれる憐れな小舟と化したのである。
「っあああああ!! クッソがぁぁぁ!! 俺の! 飛空船がぁっ!?」
飛空船はこの時代最先端の飛行機械である。
しかし生み出されてより時が短く、多くの未熟が残されているのもまた事実であった。
パーヴェルツィーク軍の船団が大混乱に陥る。
これらは生みの親たるオラシオによって直々に手を入れられた船である。
この大地に到達している以上、嵐への抵抗能力も十分に高い。
だがその現象はあまりにも唐突で、そしてあまりにも暴威であった。
暴風の手に捕らわれた船が隣あった船へと激突する。
砕け散った外壁が風に舞い上がった。
「何が起こっている!?」
「わかりません! いきなり、嵐が……!」
「なんでもいい! 決して舵を離すな! とにかく嵐の範囲から逃れるのだ!」
竜の王とすら戦った船団がなす術もなく壊滅してゆく。
飛竜戦艦の船橋でフリーデグントが叫び、オラシオは卒倒した。
「飛翔騎士隊!! 船を護れ!! あらゆる手段と被害を許容する! とにかく船を支え、激突だけは避けろ!!」
破滅の嵐吹きすさぶただ中で、しかし抗う者たちがいた。
フレメヴィーラ王国所属、銀鳳騎士団、白鷺騎士団、紅隼騎士団。
船から矢継ぎ早に空戦仕様機が出撃してゆく。
船倉を出た瞬間、暴風が大口を開けて襲い掛かってくる。
しかし飛翔騎士はよく耐えた。
重武装ゆえの重さが有利に働き、強力な推力が良く機動を支えたのである。
飛空船が帆を切り離す。収納しているだけの暇などなかった。
切り離しに手間取った船の帆は飛翔騎士の刃が切り飛ばした。
そうして飛翔騎士が船体に取り付き、推進器となって船を押す。
目指すは光の柱とは逆方向。
嵐の中心と化した柱から逃れるより他に生き残る方法を思いつかない。
「ッおいくそヤベェぞ! 他の船はともかくイズモはガタイがデカいんだ、こんな嵐にゃ耐えきれねぇ!!」
「わかっている! 機関室! 船の強化を最優先だ! 残りは主推進器へ、飛翔騎士も展開させろ! とにかく墜ちなければいい!!」
親方が頭を抱え、エドガーが叫んだ。
通常に倍する船体を持つイズモは、当然風による影響もより大きい。
相応に強力な推進器を積んでいるものの、それもまた圧倒的な暴風には抗いきれていなかった。
飛翔騎士が健気に船体に取り付く。
団の総力を結集した抵抗作戦はしかし芳しくはない。
船体が嫌な音を立てたのが耳に届いた。
「……今の音はやべぇな。けっこう中心だぜ」
「船を捨てて、飛翔騎士での脱出も考えた方がいいな」
親方が固唾をのみ、エドガーが冷静に吐き捨てた。
その時だった、船体そのものを通して“声”が響いてきたのは。
「聞こえていますか!?」
「ッ! 坊主かッ!? どこからだ!」
多少間が開いたところで、その声を聞き違えることなど生涯ありえないだろう。
銀鳳騎士団大団長、エルネスティは告げる。
「船に執月之手をつなげています……これからイズモの制御をもらいますよ。それとちょっと無茶をすることになると思いますので、どうか耐えてくださいね」
一方的に言うだけ言って静かになった。
二人は顔を見合わせて。
「おい坊主が無茶っていったか」
「大団長の仰せだ。全員死ぬ気で周囲に掴まれ!!」
伝声管に怒鳴ると、自身も手すりにかじりついたのだった。
エルネスティとアデルトルートは嵐が発生したと知るや、すぐさまイズモまで引き返していた。
マガツイカルガニシキの推力であれば嵐の中を飛ぶこと自体はそう難しくない。
今は執月之手をイズモ、飛竜戦艦のそれぞれへとつなげていた。
「若旦那、フリーデグント殿下。これから飛竜戦艦の制御をこちらで掌握します。少々荒っぽいですが我慢してくださいね!」
「今とんでもないことを言ったな!?」
「この状況だ、存分にやれと言いたいが。俺たちが死なないようにはしてくれよ?」
「善処します。では!」
さっさと通話を切り上げると、今度は後ろに振り返る。
「アディ、お手伝いをお願いします。全て片付けますよ」
「準備だいじょーぶ! いつでもいいよ!」
「では……全騎投射!!」
イカルガが執月之手を、シルフィアーネ三世が機動法撃端末を全基発射する。
イズモと飛竜戦艦めがけて飛翔し、装甲を穿つ勢いで強引に突っ込む。
銀線神経によってつながったそれらによって、ふたつの船とマガツイカルガニシキが魔法的に接続された。
「一気に掌握します!」
「イズモの方は任せて!」
マガツイカルガニシキを通じ、エルとアディがふたつの船を完全に支配下に置く。
飛空船を外部から乗っ取るなど正気の沙汰ではないが、もはやそれを気にする余裕のある者は一人もいなかった。
エルはまずイカルガを徹すことで強引に全ての船体を強化した。
さらに飛竜戦艦の格闘用竜脚を通じてそれぞれを無理に接続固定した。
飛竜戦艦とイズモ、双方の船体を詳しく知りえたからこそできる荒業である。
「両方一緒にいてくれて助かりましたね。それでは脱出しましょう!」
イズモと飛竜戦艦、それぞれ時代を象徴する巨大船が動き出す。
残る魔力を燃やし推力へと変え、暴風荒れ狂う死地から逃れるべく飛び出した。
二隻の後を追うように無事な船が続く。
飛翔騎士に支えられた船、同じように竜闘騎に支えられた船がほとんどだった。
そうして全ての船が離脱、あるいは墜落して。
人間たちの気配が全て去ってよりしばし、嵐は始まった時と同じ唐突さで消え去った。
気流を起こしていた力が失われ風は急速に凪いでゆく。
残された雲も時と共に薄れてゆき、その向こうに青空をのぞかせてゆく。
解けていた光の柱が再び触腕を絡め合わせ、一本の柱としての姿へ戻る。
やがてすべては元に戻り、空飛ぶ大地は平穏を取り戻したのである――。
空を船団が行く。
まるで幽霊船のように、どの船もボロボロの有様だ。
船団の中央を進んでいたひときわ大きな塊が速度を緩めた。
飛翼母船イズモと飛竜戦艦、当代きっての巨大船にも往時の威厳はない。
「……惨憺たるものだな。まるで敗残兵の集まりだ」
「どころかそのものかもな、エムリス船長。まったくこの大地はロクでもない。最近は心痛ばかりが増えてかなわないぞ」
「竜の王といい、大戦続きだな? フリーデグント。さてひとつ相談だ。下にあるイズモとかいう巨大船は、どうやらうちの国からやって来たらしくてな」
「……本来ならば真っ先に聞いておきたい話だが、正直今は乗り気になれない」
「同感だが、ともあれまずは少しばかり協力しあおうではないか。肩を組むほど親しくなくとも、傷ついている時に手を貸し合うくらいはできる」
「いいだろう、お互い様だな」
フリーデグントは溜め息を漏らして船長席に沈み込む。
窓の外に目を向ければ、舞い上がる虹の円環を纏った幻晶騎士の姿。
「……どうするエチェバルリア卿。さすがのお前の手にも余るのではないか?」
疲れ切った呟きはしかし、どこか相反する期待を滲ませていた。
「んむくくく……はははハハハハハァッ!! なんてザマだよぉ、ああ愉快! 痛快! 爽快ッ!!」
ようやく安全圏まで帰り着いた船団を待ち受けていたのが、上記の馬鹿笑いである。
彼はひたすらに上機嫌であった。
機体の中に居るために直接その表情は見えないが、さぞかし気持ちの良い笑みを浮かべていることであろう。
「……小王?」
マガツイカルガニシキの中で、エルは警戒することも忘れてそんな“魔王”の奇態を見つめていた。
「ヒュイッ! どうかねどうかねエルネスティ君? 自らも敗残者となった気分はぁ? いい声で聞かせてくれないかねぇ? ヒハハハハハ!!」
「確かに敵は強大でしたね、ずっと負け続けるつもりはありませんが。それよりもいったいあなたが何故ここに?」
“魔王”、そして小王である。
西方人と敵対するハルピュイアを率いる首領にして、エルネスティへの個人的憎悪を燃やす彼である。
エルからしてみれば眼前にいるのに殺し合いが始まっていないのはずいぶんと奇妙であるように思えた。
「……くくく。とくと語って聞かせてやりたいところだよォ、だが面倒だ。君の、随分と囀る部下にでも聞くがいいよ」
「ふむ。どなたかが説得して連れてきたということですね。思い浮かぶ方といえばノーラさんでしょうか」
“魔王”は空中でくるりと回り、疲弊した船団を見回すと肩をすくめた。
「しかしねぇ。こんな有様となるならば約束などするのではなかったよ! 今ここで君を血祭りにあげて“魔王”の夕餉にならべる、絶好の機会だったろうにさ!」
「約束ですか。あなたが西方人との約束を律儀に守るとは、少し意外な気持ちです」
「フン。確かに西方人は無礼な侵略者だ。しかし約束をすると決めたのはほかならぬこの私。私が私を裏切るわけがなかろうよ」
「なるほど。仰る通りです」
「さあてさあて。良い余興であった、今宵はこの満足に免じてあげようか」
“魔王”が踵を返す。
「これからどこへ行くのです? 小王」
「当然、私の群れのもとだ。……キミたちがしくじったおかげでより深刻であるとわかったからねぇ。感謝したまえよ、キミの処刑はしばし後に回ったのだからね」
別れの言葉も待たず“魔王”が舞い上がる。
さっさと飛び去るその背中へとアディがぶー垂れた。
「むー。好き放題威張り散らしていったー」
「彼らしいのではないでしょうか」
「……エル君、“魔王”と戦うのに幻晶騎士自爆させるくらい全力なのに。なんだか話すときはすっごいふつーだよね」
「戦うとなれば全身全霊あらゆる機能を駆使するのが礼儀ですから、手加減などしませんよ。ですがお話をするだけならば必要ない。そういうことなのです」
「んむぅ。エル君のことだけどそれはわかんないー」
彼女はまだ首を傾げていたが、そこで話は終わりになった。
マガツイカルガニシキが二機の幻晶騎士へと分離し、イズモに格納されてゆく。
壮麗だった船体には様々な傷跡が残されていた。
船内も無事とはいかず、物は散乱しているし一部に歪んでしまった場所もあった。
致命傷に至る前に離脱できたのは、イカルガによる強化魔法の適用あればこそであった。
「大団長がお戻りです!!」
船橋へと上がったエルとアディを団長たちが出迎える。
「国王陛下よりエムリス殿下保護の命を受け、白鷺騎士団及び紅隼騎士団ここに参りました」
エドガーとディートリヒが神妙な様子で跪く。
ちなみに親方だけは関係とばかりに船長席でふんぞり返っていた。
「はいお疲れ様です! ついて早々の大仕事になりましたね」
「やっほー皆!」
「まったくだエルネスティ! 本当、君の行く先はロクでもない危険で満ち溢れているね!」
「別にエルネスティのせいというわけではないのだろうが。イズモもかなりガタが来てしまった」
一声かければ、二人ともすぐさまいつも通りに戻る。
さらに親方が船長席から身を乗り出した。
「本当だ! 直すのどんだけ大変だと思ってやがる!」
「いつも苦労をおかけします親方。でもおそらく本番はこの後かなと……」
「あ゛!?」
「いえなんでも。ところで若旦那はあちらの飛竜戦艦に接続された“黄金の鬣”号で指揮を執っていらっしゃいます」
「おうおう! そこだそれぇ!! なんてことをしてくれやがる坊主! あの船はクシェペルカ製たぁいえ基本設計は俺たちが出したバリッバリの機密だぞコラ! 他国の! しかも飛竜戦艦についてるたぁどういうことだ!?」
「そうですが、事態への対処のために銀鳳騎士団団長である僕の権限に於いて許可しました!」
「大旦那……そろそろ坊主止めたほうがいいぜ……」
頭を抱えてしまった親方はさておき。
なんとなくそろった面子がいつものように卓を囲む。
「事態のあらまししかわかっていないのだが。要はあの魔獣を倒さなければならないということなのか」
「イズモから見ていることしかできなかったがねぇ。なんだいあの魔獣。というか魔獣と言っていいのか? もっと別の何かじゃないかい?」
「確かに疑問ではあるな。まさか魔法現象で空模様が変わるところを目撃しようとは」
「少なくとも意志をもった生命です。今のところ僕たちには魔獣と呼ぶ他ありませんが……」
エルには何か考えがあるようだったが、本題ではないだろうと話を進める。
「ともかくだ。大団長、今後の方針についてはいずれ相談が必要だろうが。こちらからまず伝えておくべきことがある。ノーラ、頼む」
「はい」
“ノーラ・フリュクバリ”が進み出るのを見てエルが頷いた。
「さきほど小王と話しました。なかなかの大仕事をされたようですね」
「独断で先走る形となってしまいました。申し訳ございません」
「構いません。どうあれあの小王が耳を傾ける気になったのですから大金星ですよ。先ほどの戦いを見たでしょう。おそらくここから先、使えるものは多ければ多いほどいい。“魔王”が使えるようになったのは非常に強力な一手です!」
「それとも関係していますが、是非お耳に入れておかねばならないことがあります」
そうしてノーラから報告を聞いたエルネスティが珍しく溜め息を漏らす。
「……なんともはや。いよいよ厄介なことになってきていますね。小王の心変わりも納得がゆくというモノです」
エドガーとディートリヒも頷いている。
「どうやら本格的に、僕たちにあの光の柱を避けて通るという選択肢は許されないようですね」
「あれが魔獣だというのならば、この大地は……巣? それとも卵や繭にあたるのか」
「そのいずれにせよ彼の眠りを僕たちが妨げてしまったのは確実です。どうにかしてもう一度元の眠りに戻す方法を考えなければいけません」
「眠りに? 倒してしまうのではなくかい」
いくらかつてない強敵が相手とは言え、エルネスティにしては弱気なことである。
ディートリヒは素直に珍しいと思った。
陸皇亀を打ち倒し、あらゆる魔獣を撃破粉砕してきた銀鳳騎士団の大団長の言葉としては実に控えめといえよう。
それも続くエルの言葉を聞いて顔色を変えることになる。
「おそらく倒すこと自体が不可能に近いのです。接近しわずかでも戦ったことでわかりました。僕たちはあれを見て魔獣と呼ぶ。しかしその本質は魔獣と……いえ、僕たちの知る生命とはかけ離れたものです。死という定義自体が異なっている可能性すらある」
「そこまでかい」
どうやらフレメヴィーラ王国の騎士にとっても荷の重い戦いになりそうである。
「ですがまったく手も足も出ないということはありません。それに皆さんが朗報を持ってきてくれました」
「俺たちが?」
エルはにっこりと微笑みながら頷く。
「ここには銀鳳騎士団《僕たち》がいて巨人族がいてハルピュイアがいて、ついでに小王がいてパーヴェルツィーク軍だってある。徒手空拳には程遠い、多くの力があります。それらを合わせればきっとやってやれないことはありませんよ」
周囲の人間は戦慄と共に理解した。
確かにこの場所には多くの戦力がある。
しかし所属どころか種族すらバラバラな集団をまとめ上げるなど、まともに考えれば不可能に等しい。
だがやってのけるのだろう。
彼らの知るエルネスティ・エチェバルリアという人間ならば。
「それでは全員を集めて……お話しをしましょうか!」
斯くして地獄の門は開かれる。
全員の胃に穴が開くまで、あと少し。