#184 役者は舞台にそろう
飛竜戦艦が光の柱から離れてゆく。
青白い紐のような魔獣たちはしばらくその後を追っていたが、やがて諦めたように光の柱の周辺を漂い始めた。
「あれもどこまでも追ってくるというわけではないようですね」
ずっと操舵輪を占拠していたエルネスティがさっさと操作を投げだす。
いきなり役目を返された船員が泡を食って操舵輪に飛びついた。
「魔獣は二種類……いえ、同じような性質のものが大小いると考えた方が良さそうですか。ひとつ、法撃が通じない。これはエーテルの振る舞いが関係していそうですが。もうひとつ厄介なのがこちらの機体への侵入。どちらかというと魔法術式への干渉能力というほうが正確ではあります」
格闘用竜脚へと這い入ってきた時の感触を思い返す。
エルの直接制御によって完全な制御下にあった機体と術式が突如として乱れた。
まるで“虫食い”にあったかのように綻んでいった、というのが彼の抱いた印象である。
瞳を伏せ、些細なきっかけすら見逃すまいと思考に耽る。
「どうやって倒すか、それにはアレが“何か”を知る必要がありますね。どこかに要点があるはずです。全体を貫く法則さえ把握すれば、必ず突破口を見いだせる……」
エルは騒がしい周囲にまるで頓着せずに考え込んでいたが、やがて浮かび上がってきた。
「どうやら必要な情報が足りていません。物語が見えない。オラシオさん? どう捉えますか」
突破口を求めてこの場にいるもう一人の専門家に問いかける。
オラシオもまた窓からまったく視線をそらさずに応えた。
「……エーテルだ。奴らはエーテルに親しんでいる。あれは恐らく違う形なんだ。俺たちが知らない生命、エーテルの河を泳ぐ魚……」
なるほど、エルは己の思考に新たな条件を加えた。
――エルたち人間、エルフ、あるいは巨人族、ハルピュイア。
形も能力も様々な者たちだが、いずれもエーテルが希薄な地表の大気の中で暮らしているという点で共通している。
極めて高純度のエーテルの中に生息する存在がいるとすれば、そもそも生命としての在り方が異なっていて当然であろう。
「そんなエーテルの中にあるものと、僕たち地上の生命。共通点を見出すとすれば……」
「魔力……いや、魔法現象だな」
エルとオラシオがどちらともなく視線を合わせて頷きあった。
「フリーデグント王女殿下! 全軍の撤退を進言いたします!」
二人の思考の行く末を見守っていたフリーデグントは僅かに眉を上げ。
彼女が口を開く前に竜騎士長グスタフが限界を迎えた。
「貴様ァ! どこまで馬鹿にしてくれる! 好き勝手放題の挙げ句、取って返せだと!? 貴様がしくじったのであろうが! 何を当然のようにほざいておるかァ!!」
「俺からもお勧めしておきますよぉ」
「んぐっ! 貴っ様らァ……!!」
オラシオまでもが涼しい顔で続いたことで、グスタフの額の血管がいよいよ限界を迎えようとしている。
フリーデグントが呆れかえった。
この天才どもは厄介すぎる。
何と言って本人たちが正しく理解しているがゆえに、周囲がついてゆけなくともまるで気にせず最短距離を進もうとするからだ。
だから彼女が凡人との間に入って翻訳してやらねばならない。
「まず理由を述べよ。お前たちのことだ、考えなしというわけではあるまい?」
「はい。一番大きな理由は今のままでは勝てないからですね」
「先ほどまでの大口が聞いて呆れるわ!」
「グスタフ、少し抑えろ。とはいえその言い分にも一理はある。ずいぶんあっさりと諦めるではないか」
フリーデグントの指摘にも二人は自信満々に頷いた。
「もちろんあれらは必ず倒します。なのでそのためには集めた情報の精査と反映が必要です」
「そうですなぁ、色々と出揃いましたんで。これを何とかするのはそりゃ骨が折れるでしょうがねぇ。ま、それが我らの仕事でございますれば」
「そう……だな」
フリーデグントは考え込むふりをしつつ、周囲の理解が追い付いてきているのを確かめた。
「それにですねぇ、幸いにもあちらさんは追ってこれんでしょう。ご覧の通り高純度のエーテルと親しんでいる、逆に言えば希薄なエーテルでの活動には制限があると考えてよろしいかと……」
「どうやらそうもいかないみたいですね」
「あ?」
エルの視線は険しい。
慌てて窓の外を確認した者は、そこに急速に飛びあがってくる影を見つけた。
「ありゃあ魔王軍の混成獣かッ! また奴らかよ!」
「いいえ、あれは魔王軍というわけでもないようです」
それは確かに混成獣の姿をしていた。
しかし少し観察すればわかる。全身から青白く光るモノを生やしたなびかせた姿。
それはエーテルから湧き出てきた、あの魔獣であった。
「魔獣の身体を乗っ取ったのでしょうね。この船に対してそうしたように」
「馬鹿げたもんだ。じゃあ何か? ありゃあ奴らの余所行きの服ってことかい」
「美意識を疑いますが魔獣に言っても仕方のないところですね」
周囲としてはツッコミを入れたいところだが、状況に対してついてゆけているのがこの二人だけであるせいで何も言えない。
「落ち着いている場合じゃないぜぇ。要するにあのごちゃ混ぜは青白い魔獣の入れ物ってことだろう。船に取り付かれでもしたらまた乗っ取りに来るぞ」
「ご懸念の通りです。ここは少し本気を出して後退させていただきましょう」
再びエルが操舵輪を占拠する。
操舵担当の船員はそろそろ居心地悪そうに引っ込んでいった。
飛竜の推進器がごうごうと炎を吐き出し始める。
推力を増しながら、背の法撃戦仕様機が魔導兵装の切っ先を魔獣へと向けた。
「せっかくのお見送りですが混成獣の身体にならば法撃も通じるでしょう。飛竜の火力で押しきります!」
すぐさま飛竜戦艦の全身から法弾が放たれた。
宙を埋め尽くすような熾烈な法撃はしかし、混成獣から生えた青白い魔獣によって払い消されてゆく。
無傷の混成獣が迫る。
「そう来ましたか……ならばこれで!」
飛竜戦艦が身をよじった。魔獣の来る方向へと背面を向けて。
直後、飛竜戦艦本体ではなくその片肺につながれた“黄金の鬣”号の“内蔵式多連装投槍器”が三十二連の口を開いた。
エルの操作によって一斉に魔導飛槍が放たれる。
水平投射された槍は加速しながら直進、混成獣へと襲い掛かった。
法撃には耐性のある青白い魔獣だったが実体を止めきることはできず、槍が混成獣の身体を抉る。
さしもの混成獣も悶えて吼える――そこへ間髪入れず大量の法弾が飛来した。
青白い魔獣が消し去る間もなく法弾の嵐を浴びた混成獣がボロ雑巾のように吹っ飛ぶ。
「まずは目の前が開けましたね」
「なんつう力押しだよ。しかしもうお代わりが来ているようだぞ」
「いよいよ逃げましょうか。魔導飛槍の再装填には時間がかかりますので」
遮るものがいなくなった飛竜戦艦が一気に加速する。
後方で待たせていた飛空船と合流し、この場を離脱しようとして。
「何かが……!?」
そうして魔獣はおらず開けているはずの前方に、不明な影が立ち込めていた。
まるで壁のように並ぶ巨大な存在。
「なんだあの巨大な船は!」
飛竜戦艦というこの時代においては最大級を誇る戦闘艦を運用する、パーヴェルツィーク王国。
その王女たるフリーデグントが驚愕を露わとした。
通常に倍する船体を持つ恐るべき巨大船。
周囲に飛空船を引きつれているからこそ、その突出した存在感が如実に理解できる。
「じょ、冗談だろお……。まさか俺以外に! あんな巨大船を作る技を持つやつが……!!」
「おや“イズモ”ではありませんか。なんとも絶好の機会に現れてくれますね」
「お前かよ!?」
オラシオの絶叫に、船橋中の視線がエルへと集中した。
本人は気にせずウキウキとした様子で伝声管に飛びついている。
「若旦那、本国よりお叱り艦隊が到着しましたよ!」
「……あァ!? まさかあのデカい船は……」
「あれぞ銀鳳騎士団旗艦、飛翼母船“イズモ”です。親方たちの努力の結晶、どうぞじっくりご覧ください」
「くっ!? 心強いのが恐ろしいぞ……!」
エルが伝声管から顔を上げた。
「王女殿下、少々方針を変更しようと思います。僕はこれから自分の騎体を出します」
「お前の機体は粉々に吹っ飛んだのではないのか? いやそれよりもだ、ではこの飛竜はどうするのだ」
「飛竜とあの魔獣では相性が悪い。あそこに見えます、僕の騎士団で護衛させましょう」
「……できるのだな?」
「お任せを。この事態を打破する、何かしらの鍵は探し出してまいります」
フリーデグントが頷き船長席に深く腰掛けたのを見て、再び伝声管に向き直る。
「若旦那、僕は自らの機体を受け取ってきます」
「銀鳳騎士団がここにあるならば“アレ”があるのも当然か。よし、存分に征ってこい!」
エルのやる気が乗り移ったかのように飛竜が跳ねた。
――“銀の鯨”号の先導に従い光の柱のもとへとやってきた銀鳳騎士団を出迎えたのは、突撃してくる飛竜戦艦の姿であった。
「おいおいおい! おいエドガー! なんかこっち来んぞ!?」
「落ち着け親方。あれは敵ではない……はずだ。そうなのだろう? キッド。信用しているのだからな」
船長席からにわかに立ち上がる親方、傍らで硬い表情のまま腕組みをしているエドガー。
イズモの船橋でアーキッドが胸を叩く。
「ああ、翼んとこ見てくれよ。あの船に若旦那もエルも乗ってるはずだからさ」
「うおおお“黄金の鬣”号……マジで飛竜にくっつけやがったのかよ」
二人がキッドから聞いた話はあらましだけである。
心づもりはしていたつもりだが、実際に遭遇した飛竜戦艦は想定よりも数段馬鹿げた代物と成り果てていた。
「これだから銀色坊主を野放しにするのは嫌なんだ」
「まぁ、エルネスティの行動としては穏当な部類かもしれないがな……む、光った。解読を!」
エドガーが目ざとく飛竜戦艦からの発光信号に気付く。
すぐに通信担当が信号を読み取り、困惑の表情を浮かべた。
「えっ。なんだこれ……」
「おいコラ報告で詰まるんじゃねぇ! 大事なトコだろ!」
「どんな内容であろうとまずは正確に伝えてくれればいい」
通信士はわずかにためらうも意を決する。
「は、発! 大団長より!! これより着艦する、鬼を起こせと!」
「……んあ? 大団長だぁ? そりゃまさか坊主のことじゃねぇだろうな?」
「あの、その通りです。他にはあり得ません……これはエチェバルリア大団長専用の符丁ですっ!」
親方は顔を覆っているしエドガーすら溜め息を禁じ得ないでいた。
まさかこの世にエルネスティから専用の符丁を聞きだせるような人間がいるとは思えない。
つまりはおそらく、エルは飛竜に乗り合わせているどころかそのもの操っている可能性が高いということである。
「さすがというべきか。相変わらず穏やかに過ごす気など欠片もないようで何よりだ」
思わず笑ってしまいそうになる。
相変わらず彼らの大団長は想像の斜め上に突き抜けるのが得意のようだった。
「いやちょっと待てぃ。それで坊主はなんて言ったってんだ!? 着艦って言いやがったか!?」
「は、はい! 間違いありません!」
「……うん? それはまさか飛竜戦艦で、なのか」
ぼそりと呟いたエドガーの疑問を肯定するように、飛竜戦艦は容赦なく無遠慮にイズモへと接近していた。
なぜか片足だけとなった格闘用竜脚を振り上げているさまは、どう見ても襲い掛かろうとしているようにしか思えない。
親方は絶句し顔を引きつらせ、エドガーは慌てて伝声管に飛びついた。
「通達! 大団長が派手に帰還してくる! 上部甲板にいるものは見張りを含め全員退避だ! 総員、最大級で衝撃に備えろ!」
「ウッソだろあのバカ坊主めぇ!」
もちろんわかっていたことではあるが、エルネスティの辞書に遠慮という文字はなかった。
イズモと飛竜戦艦、いずれ劣らぬ巨大船がありえないほど接近する。
飛竜戦艦の落とす影がイズモの上部甲板を覆った。
源素浮揚器の効果により落下してくることはないと頭ではわかっていても、頭上の飛竜が恐怖を掻き立ててやまない。
誰もが戦慄と共に見守っている中、飛竜戦艦が一本しか残っていない格闘用竜脚を伸ばした。
それは格闘用兵装であるとは思えないほどの繊細さでもって動き、イズモの外壁を柔らかく掴んで固定する。
「……飛竜を操ってるのは絶対に坊主だ。俺の鎚を賭けたっていい」
「賭けは無効だな親方。やるなら俺だってそっちに剣を賭ける」
イズモが大きく揺れることすらなかったのがいっそ不気味なほど。
斯くして史上最大の船が二隻、お行儀よく縦に並んだのである。
その頃、飛竜戦艦の船橋はごくごく気軽に繰り出された絶技を目の当たりにして静まり返っていた。
飛空船同士を空中で連結するのは専用の設備と優れた操舵士を必要とする。
ぶっつけ本番で、しかも格闘用竜脚を使ってやってよいことでは、決してない。
そんな超絶的な操船を披露したエルはといえば、もうすでに船橋を飛び出そうとしていた。
「それでは行ってきます!」
にこやかな笑みのまま当たり前のように出てゆく。
後には呆気にとられた船員たちが残されるばかり。
ややあって正気に戻ったオラシオがぼそりと呟いた。
「いや行くって……どうやってだ?」
その頃には当然、エルは生身のまま飛竜戦艦から飛び出していた。
“大気圧縮推進”の魔法を繰り出すのも慣れたもの。危なげなくイズモの甲板に着地する。
そしてこれまた当然のように“黄金の鬣”号からも一人飛び出してくる影があった。
聞くまでも言うまでもなくアデルトルートである。
「マガツを出します。すぐに台座へ」
後ろに彼女がいると確信しての言葉。もちろんいる。
「うんっ! ……あれ。エル君がなんだかご機嫌斜めだ」
元気よく頷いたアディがそのまま首を傾げつつ、エルを追って走り出した。
二人して勝手知ったるイズモの船内を吹っ飛ぶように駆け抜ける。
十分に訓練された船員たちは間違っても最短経路を塞がないように避けている。
最悪の場合撥ね飛ばされかねないからだ。
「やぁ、僕のイカルガ。出番がきましたよ」
船倉に飛びこんだエルは、最奥部に鎮座する愛機の姿をみて少しだけ微笑んだ。
操縦席の感触を楽しむ間もなく出力を最大に叩き込む。
乗り込んだ時と同じような慌ただしさでイカルガが出撃し、わずかに遅れてシルフィアーネ三世が進み出た。
「アディ、マガツ形態で行きます。出し惜しみは無し、全力で片を付けますよ」
「りょーかいっ!」
速度を緩めることもしないままシルフィアーネが加速してイカルガに追いつく。
腹部から補助腕を展開、イカルガの背につながった。
「接続確認、強化魔法上書き完了!」
可動式追加装甲が翼のようにはためき、イカルガの躯体を包む。
カササギからシルフィアーネとなったことで後方へと大きく伸びた形状。
急造でぶっつけであったかつてとは異なる、計算し整えられた姿。
開放型源素浮揚器が起動し、虹色の円環が周囲に形成された。
「僕だってこのまま引き返すだけではつまらないと思っていたのですよ……。さぁ、お披露目ですよ“マガツイカルガニシキ”! その力を魅せてさしあげましょう!!」
咆哮のような吸排気音をあげながら完全なる鬼神が飛翔する。
・マガツイカルガニシキ(禍斑鳩錦)
本章のラスボスのうち一機。
イカルガとシルフィアーネ・カササギ三世・エンゲージが接続された合体形態を指す。
異郷の地においての急造品であったカササギとは異なり、シルフィアーネ三世は初期段階からイカルガと合体しての運用を前提として建造された。
よってこの“ニシキ”こそが完全な“マガツイカルガ”であるといえる。
これまでは気まぐれに追加されてきた各種機能を整理し、正式な形で実装している。
馬鹿げているほど強力かつ多機能な機体として仕上げられているが、同時にその操縦の難易度も他の追随を許さない。
そもそもイカルガがエルネスティという強力な騎操士が搭乗することを前提に作られているが、マガツイカルガニシキではさらにアデルトルートの搭乗が前提とされている。
実質的にフレメヴィーラ王国において最強の騎操士を上から順に二人乗せるも同然であり、そうでもしないと操り切れない。
やはり幻晶騎士としてはまったくの欠陥品といえ、設計者の一人である“デシレア・ヨーハンソン”などはたびたび頭を抱えていたという。