#176 飛竜を修理しよう
「やれやれ、お偉いさんってのはどうしてこう、どこもかしこも人使いが荒いものかね」
オラシオ・コジャーソの溜め息は今日も重い。
今はパーヴェルツィーク王国に雇われる身の上である彼の仕事は、同国の旗艦である飛竜戦艦の面倒を見ることである。
他にも竜闘騎の開発などにも携わっているが、今優先すべきは飛竜戦艦の修復であった。
「本当、簡単に言ってくれる。竜闘騎についてるマギジェットスラスタ程度じゃあ何基あっても代わりにはなんねぇしな。どうしたもんかね」
腕組みしながら頭上を振り仰ぐ。
森を切り拓いて作られた簡易な発着場。大地の上に身を横たえてなお、飛竜戦艦の巨大さは圧倒的であった。
彼はしばし黙り込み。
「……あーもう面倒くせぇ。っつって、いっそ軒先を変えようにも他の雇い主じゃあここまで来れないだろうしな」
ぼりぼりと頭を掻きながら飛竜戦艦の周囲を歩き回る。
飛竜戦艦は彼が生み出した傑作兵器である。だがその規模故に建造できるだけの経済力を持つ国はそう多くはない。
そうして力を持てば使ってみたくなるのが人の性だ。
飛空船にとって不可欠である物資、源素晶石を大量に抱えるこの空飛ぶ大地は、彼にとっても極めて重要な意味を持つ場所である。
今簡単に立ち去るわけにはいかない。
「下手に国を出て、またぞろ“孤独なる十一国”あたりに着け狙われるのも面倒そうだ。なにが商人だ、俺の飛竜戦艦の価値もロクにわかりゃしねぇってのに」
ぶつぶつと呟きながら左舷側まで着いたところで、ついにがっくりと肩を落とした。
飛竜戦艦左舷のにあるはずの主推進器と、その下にある格闘用竜脚は完膚なきまでに破壊されている。
“竜の王”との戦いにおいて腐食の吐息を浴びた結果である。
「格闘用竜脚は後回しでもいっか。どうせ一本残ってるし……問題はどこまでも推進器なんだよなぁ」
飛竜にとって片足など飾りのようなもの。
推進器とは鳥の片翼に等しい。大空より墜ちた飛竜に何の価値があるのか。
そうしてあーでもないこーでもないと考え込むオラシオの下にひとりの騎士がやってくる。
「コジャーソ卿! 殿下がこちらにいらっしゃいます。ご準備を」
「はぁ、やれやれ。いかに敬愛する殿下といえ、そうせっつかれたところで仕事がはかどるわけじゃあないんだがねぇ?」
軽い当てこすりだ。
王女に心酔する天空騎士団の騎士の前である、常であれば怒りのひとつも浮べそうなものであるが。
しかし今はどこか困惑のような表情がそこにあった。
「単なる激励でもないようだぞ。詳しくは殿下より指示があるだろう」
「はぁ?」
現れたパーヴェルツィーク王国第一王女フリーデグントは、いつもとどこか様子が違っていた。
普段は背後に天空騎士団の竜騎士長グスタフが控えているものだが、今日は異なっている。
「(なんだ? 見かけない女たちだな。パーヴェルツィークの人間じゃないようだが……)」
彼女は若い女性たち(?)を連れていた。
パーヴェルツィーク王国の人間ではないと感じたのは服装のせいで、ここしばらく見慣れたものとは明らかに異なっていたからだ。
「貴公に頼みたいことがある。飛竜戦艦の修復は、これより他国との共同作業となった」
「はぁ……はぁっ!?」
開口一番告げられた言葉に、それまでのぼんやりとした思考が飛んでゆく。
「ちょ……っとお待ちください殿下。どうやら私の耳が寝ぼけているらしい。まさか飛竜戦艦の修復に、他所の人間を入れるような口ぶりでしたが?」
「そう言っている。貴公の戸惑いや憤りもわかる……が、我々としても飛竜戦艦を置物にはしておけない。そこに協力国より援助の申し出があった」
「なるほどぉ、なぁるほどだ。政治でございますか? それはようございますねぇ、殿下の大変お得意とするところだ。しかしながらひょっとするとお忘れかもしれませんが、飛竜戦艦はわたくしめの大得意とするところ。無知の手が振るう鎚は、名工の手を叩く……などとも申しますがね?」
「ほう。やはり貴公にも譲れないものというのはあるのだな。確かに飛竜戦艦に関して貴公の右に出る者を、私は知らない」
「ご理解いただけて何よりです……では」
「まぁ待て、そう急くな。だが飛竜戦艦の失われた推進器は特別なもので、腕前だけではどうにもならないのではなかったか?」
「それは……」
オラシオは苦々しい表情を浮かべる。
飛竜戦艦が抱える問題は、作業量という物理的なものでありどれほどの技術があろうと解決しきれないのは確かだった。
「彼らが提供するものは、まさにそれだ。貴公も見聞きしているだろう。クシェペルカの魔槍を抱えた高速船のことを」
「……っ! ええ、ええ。確とこの耳に届いておりますよ」
その一言でオラシオは状況のほぼすべてを把握していた。
「(ああ知っているさ! ちくしょうそういうことか! 確かにあの船ぁべらぼうに速かった。あいつの推進器がありゃあ飛竜戦艦にだって見合うだろうさ。なんて餌だ、食いつかざるを得ないってことか。しかし……)」
「それはそれは。大胆なお話でございますねぇ。しかしそれなら推進器をご提供いただくだけで、私めが万事恙なく進めて御覧にいれますが?」
「わかって言っているだろう、貴公。船を提供するのと引き換えに飛竜戦艦の運用と修復に関わらせてくれと言ってきたのだ」
「それが、そちらの?」
オラシオの表情がなおさらに奇妙に歪む。フリーデグントがあいまいな表情で頷いた。
彼は改めて二人に目を向け、隠し切れない困惑を浮かべる。
いったいどういう理由かさっぱりわからないが、少しだけ背の高い方がもう片方を後ろから抱きしめ続けている。
妙に楽しそうな様子である。
そりゃあまぁ小さい方は愛でるのにちょうどよい加減ではあるだろうが、他国の庭まで入ってきて何をやっているんだ? という疑問はぬぐえない。
「……色々と、言いたいことは察しよう」
「ご命令とあらば致し方がありませんなぁ。しがないいち鍛冶師が王女殿下のご意向に逆らうものではありません。非才なるこの身ではありますが、善処は致しましょう」
ひとまず慇懃に返しておいてその実、オラシオに協力するつもりなど微塵もなかった。
使えなければ叩きだすか遠ざけておけばよいだけのこと。
ここは彼の城のようなもの、主導権がどこにあるかは明白である。
形だけでも彼が頷いたというのにフリーデグントの表情がいまいち晴れないのが、少々解せないところだった。
「助かる。では改めて紹介しておこう、こちらエチェバルリア卿……ん、そうか。エルネスティとアデルトルートだ」
「アデルトルートよ! よろしく!」
「エルネスティと申します。国許では騎士団長をやっておりました。製造技術に関しても少しばかりかじっておりまして、お役に立てればと」
「はぁ? あなたが?」
てっきり付き人か何かだと思っていたちっこい方の厳つい名乗りに怯むが、すぐに気を取り直して。
「ああいえ、なんでも。しかし騎操士でございましょ、そりゃあ幻晶騎士には詳しいかもしれませんが。モノが飛竜戦艦……飛空船になってはどうだかね」
「ご心配には及びません。飛空船も何隻か手掛けておりますし、大事なのは源素浮揚器の使いどころです」
「それはそれは、さすが他国の鍜治場に首を突っ込むだけのことはある。簡単そうに言ってくれるが、飛竜戦艦はモノが違うんだがね? エルネスティ君とやら」
「はいもちろん。それについても事前に竜闘騎を何騎かバラしておりますので、予習はばっちりです」
「……なんだと?」
どうにも雲行きが怪しい。オラシオの勘のようなものが警告を発している。
「エルネスティよ。お前既に目的を見失ってはいないだろうな?」
「まさかそのようなことは。飛竜戦艦を修復することは今後の作戦行動に、また両国の関係にとって非常に重要な一歩となるでしょう。ですから全力を懸ける所存です」
「お前の言う全力が、我々の知る意味と同じだといいのだがな……」
「万事抜かりはありません。そしてさらに万全を期すべく、オラシオさん!」
「なんだ」
「この飛竜戦艦、ちょっとバラしてもいいですか?」
オラシオはにわかに返答できず、奇妙な表情で固まった。
言葉の意味を理解するほどに腹の底からふつふつと湧いてくるものがある。
「おいおいふざけんじゃねぇぞ。こいつはなぁ俺の作品、俺の仕事だ! 殿下のたっての頼みで仕方なくお前らにも触らせるが、それだって修復するためだ! バラしていいわけがないだろう!」
怒気を含んで荒ぶる声も、涼し気に受け流される。
にこにこ、ふわふわ。世界の果てにあるような空飛ぶ大地という魔境にてんで似つかわしくない、小柄で可憐な容姿。
「(エルネスティといったな。なんだこいつは、イカれてるのか。こんなやつを送り込んでくるとは協力国ってのもたかが知れるというもんだ)」
隣でフリーデグントが手で顔を覆い嘆息していた。
「……エルネスティよ、飛ばしすぎだ。これは貴卿の玩具ではないのだぞ」
「そうでしたね。僕の玩具は使命をまっとうしてしまいましたから」
王女がすがるような視線をオラシオへと向けてきた。
「少々、かなり……いやとてつもなく難物なのだが。これで能力があることは間違いない。我が国と飛竜戦艦のため、後は頼んだぞコジャーソ卿」
「殿下、私は雇われ者ですがね。これでもそれなりに貴国に貢献してきたつもりでございますよ。それを、こんな子守を押し付けられるのではたまりませんなぁ」
恨みがましい視線も思わず納得してしまいそうになる。
フリーデグント自身、エルの無茶を体験していなければ冗談だと受け取っただろう。
「ほうほう。今の口ぶりから察するに、あなたが飛竜戦艦の生みの親というわけですね」
エルネスティが変わらずニコニコと微笑んだまま首を傾げた。
「それでは。バラすというのは大げさにしても下調べは必要だと思います。せめて飛竜戦艦の仕組みを見学させていただいてもよろしいでしょうか?」
オラシオは険しい表情でフリーデグントを仰ぐ。
本音を言うと突っぱねたいところだが、作業に参加する以上何も知らないままというのも困る。
さらに飛竜戦艦とはオラシオの持つ技術の粋であり、同時にパーヴェルツィーク王国の軍事機密である。
うかうかと見世物にしてよいものではないはずだ。
しかし王女はあっさりと頷いた。
「いいだろう。しかし飛竜戦艦の修復に携わるものたちの邪魔をされるのは困るぞ」
「承知しました!」
「(……ふざけたガキ相手とは言え、飛竜戦艦を見せるときたか。博打に出たねぇ、殿下。さてこいつはどんな目を出すことか)」
「じゃあエル君かいほー」
そうして、ここまでずっとエルを抱きしめ続けていたアディが腕を離した。
瞬間、エルの姿が掻き消える。
その場に残るものたちを、吹き抜けた突風が煽った。
手加減抜きに“大気圧縮推進”の魔法をぶっ放したエルは、勢いのまま飛び上がり、飛竜戦艦の装甲にびたっと張り付く。
と思えば、そのままするすると装甲の隙間に入り込んでいった。
「おおー……エル君はちっちゃいから便利だね」
「いいのかそれで」
フリーデグントが呆れ気味に見送る中、オラシオがぬぐえぬ疑問を口にする。
「本当に、あれが何かの役に立つんでしょうかねぇ?」
「私も少し自信がなくなってきたな」
エルネスティが戻ってきたのは、待ちきれなくなったフリーデグントが立ち去ってよりなおさらに経ってからのことだった。
「うおおおおお、エッ……エル君!?」
アディがわなわなと手を震わせる。
何しろ戻ってきたエルは全身ベッタベタで真っ黒だったからである。
「本当に内部機構に頭から突っ込んだのかコイツは」
オラシオですらちょっと呆れている。
飛竜戦艦の駆動部の隙間を這いまわってきたのだろう。エルは潤滑用の機械油でドロドロに汚れていた。
「ふぅ、たっぷりと拝見してきました! おかげさまで飛竜戦艦の構造はだいたいわかりましたよ。竜闘騎を調べた時からおおよその推測はついていましたが、やはり実物を調べると手ごたえが違いますね!」
「! それはまたずいぶんと簡単に言ってくれる。そこまで言うくらいだ、どう分かったのかご高説賜ろうじゃないか」
化けの皮が剥がれるか、それとも王女の言葉が正しいのか。
仮にも飛竜戦艦に関わる以上、オラシオは見極めねばならなかった。
「その前に!」
づづいとアディが身を乗り出す。油まみれのエルをぢっと見つめて。
「ダメです。まずはエル君を綺麗にしないと」
「えー……作業に油汚れはつきもので」
「限度があります! 今日のエル君はしっかり……洗わないと……いけないよね……」
「えっ。いえさすがに自分でやります」
「うんうん大丈夫。大丈夫、夫婦だし大丈夫」
問答無用。
アディはがっしとエルを抱えると、そのまますすーっと去っていった。
後にはツッコミを入れる暇もなく取り残されたオラシオが一人。
「いったいなんなんだあいつらは。俺にどうしろって言うんだよ」
ひたすらに困り果てていたのであった。
明けて翌日。
「はぁ……またあいつらが来るのか」
オラシオの吐く溜め息は今日も重い。
昨日彼らが去った後、オラシオも方策を考えてはみた。
しかしどうあがいても推進器が用意できず答えは堂々巡り。
結局のところ、あの妙な奴らの相手をせざるを得ない。
「そもそも来るのか? ひょっとしたら昨日のありゃあ冗談で今日は平和になるかもしれな……」
ぺたぺたとだらしのない足音を響かせながら飛竜戦艦のもとへと向かい。
唸りを上げて空から降りて来る見慣れない飛空船の姿を目にして、すぐに淡い期待を捨て去った。
「ならないわな。やぁれやれどうやらあちらさんは本気らしい」
クシェペルカ王国が誇る最新鋭船、“黄金の鬣”号の雄姿である。
ただ美しいのみならず後部には飛竜に匹敵するマギジェットスラスタを搭載し、さらには“クシェペルカの魔槍”と呼ばれる恐るべき牙をも持つ強力な船である。
その速さはオラシオも知るところであり。
「ううむ、悔しいがいい性能だ。あいつの推進器をもらえるだけなら万々歳なんだがねぇ」
諦めたようにぺたぺたと船へと向かう。
「やはりお前らか……」
もしかしたら担当者が変わっていたりはしないか。
そんな期待はまたも踏みにじられ、そこに居たのは昨日ぶりの二人であった。
エルとアディは元気に手を振っている。
「どうもオラシオ・コジャーソさん。今日から作業よろしくお願いします!」
「よろしくー!」
「はぁ、まだ了承したわけじゃあないんだがね。殿下の手前もある、見学くらいは許してやる」
オラシオは不承不承頷いた。
「作業と言って、マギジェットスラスタを載せかえるだけだ。そんなもの別段、他所の手を借りるまでもない……」
「いいえ、そんなことはしません」
「なに? どういうつもりだ」
彼は訝しみ、小さなエルネスティを睨んだ。
「それでは“黄金の鬣”号が動けなくなってしまいます」
「仕方がないだろう。源素浮揚器があるのだから後は起風装置でも取り付けときゃあいい」
「いいえ。ダメです」
面倒くさげに言い放った言葉は、またも即座に否定される。
「そもそも僕たちの提案は飛竜戦艦の運用そのものを分割すること。そのために“黄金の鬣”号の船体を直接、連結させていただきます」
想像と食い違う提案に、オラシオはしばし考え込んだ。
それぞれに推進器を備えた船を連結して一隻とする。まるで二人三脚か。
「……いいや。お前の目的とやらを考えてもそいつは悪手だ。船をつなぐだけで済むと思ったのか? この飛竜戦艦には連結機能があるが、だからとなんでもつなげられるわけじゃあない。そもそもそんな状態でどうやって操船するんだ。そこの調整に長々と手をかけるくらいならば、推進器だけを載せかえて済ますべきだ」
それぞれの頭が違うことを考えていては、竜は空をぐるぐると迷ってしまう。
オラシオとしてもはいそうですかと頷くわけにはいかなかった。
それでもエルの笑みは怯みを見せず。
「すぐに問題点を把握されるとはさすがですね。操縦に関しては、飛竜戦艦の魔導演算機を介してそれぞれの操作系をつなげようと考えています」
「おいおい馬鹿も休み休み言え! いったいどこのどいつがそんな無茶苦茶な作業をやるってんだ」
オラシオがうんざりした様子で呻くと、エルはにこにことしたまま自分を指さした。
「ここにいる僕が。お任せください、言い出しておいて他人任せにはしません」
「……それは冗談だな? 笑えないぞ」
「どうでしょうか。ご覧いただくのが早いと思います」
オラシオはしばし考えこむ。
フリーデグントあたりに命じられたならば怒涛の反論で止めさせる類の作業である。
しかし当人がやるというのならばやらせてみてもいいのではないか。
「(……しくじったところで、推進器を引っこ抜けば済むか)」
むしろ少しくらいしくじってくれたほうが今後の作業がやりやすくなるかもしれない。
打算がオラシオを頷かせる。
「いいだろう。自信があるってのならお手並み拝見といこうじゃないか」
「はい! では早速とりかかりますっ」
エルはすさっと駆け出し、身軽に飛竜戦艦に飛び乗ってゆく。
オラシオが顔を引きつらせる。鍛冶師である彼には真似のできない芸当だ。
実を言うと騎操士であっても真似のできる人間は少ないだろうが、そんなこと彼には知る由もない。
「アディ! まずは船の連結を作りますから、壊れた部分を取り外しますよ」
「はーい。まっかせてー!」
言いつつ、アディの乗る幻晶騎士が重い足音を響かせやってくる。
巨大な部品を運ぶのに幻晶騎士を用いるのはよくあることだが――。
「準備できたよー!」
ガッツリと大剣を構えたところで、オラシオが猛速で駆け寄ってきた。
「バッ……ッカ野郎どもが! 何を! しようというんだ!?」
「はい。チマチマ取り外していては面倒なのでさっぱりとぶった切ろうかと」
「やっぱり所詮は騎士か! 何でも剣で片付けようとしやがって! そも、飛竜の躯体がそんな簡単に斬れるわけがないだろうが!」
「ええ。一見破壊されていますが本体が無事である以上強化魔法が徹っています。このままでは傷をつけるのも一苦労ですが……だったら書き換えてしまえばいいのです」
「あ゛!?」
訳の分からない物言いにオラシオが怒鳴り返す前に、エルは破壊され剥き出しになった銀線神経を掴んだ。
「うふふ……解析はとても久しぶりですね。腕が鳴りますよ! 飛竜戦艦を操る魔法術式はどんな感じでしょうかっと」
目を伏せて集中する。
喚いているオラシオの姿は意識から遠ざかり、銀線神経を通じて飛竜戦艦の中枢、魔導演算機へと潜り込む。
その莫大な魔法演算能力の全てを注ぎこみ、漂う魔法術式を読み込んでいった。
「うん……竜闘騎で予習しておいてよかったです。基本は同じようなもの……強化魔法の記述は。ほら、あった。……これを少しだけ書き換えて」
時間にすれば数分ほどでエルは目を開いた。
ひょっこりと首をのぞかせ、まだ喚いているオラシオに警告する。
「……おい! 聞いているのかこのガキ!」
「斬りますよ、危ないから離れていてくださいね。書き換えが終わりました! アディ、この線に合わせて斬り飛ばしちゃってください!」
「ちょ待……っ!」
制止の声は空しく響き。
「そーれ!」
カルディトーレが何のためらいもなく、全力で大剣を振り下ろした。
オラシオが身も世もなく逃げ出す。
飛竜戦艦の装甲はぼろぼろになってさえなお強靭で――などということはなく、いともたやすくすっぱりと斬り落とされる。
元から壊れかけだった左推進器部が轟音と共に落下し、今度こそ完全に鉄屑と化した。
あんぐりと口を開けたまま固まっていたオラシオは、流れてきた土埃が入り込んで咽込む。
「これですっきりとしましたね。それでは改めて船の接続部を取り付けましょうか。アディ、もういいですよ」
「はーい」
「な……なッ……こいつら……」
二人は当然のように作業の続きに入っている。
つまりはこれほどの異常であっても、特に不思議ではないということである。
「(今あのガキ、外から触れただけだった……機内には入っていない! なのに強化魔法が変わった!? 全ての魔法術式が収められているのは中央の魔導演算機だ。ならばこいつは……外から魔導演算機に干渉し、なおかつ書き換えたってことになる!)」
血の気が引いてゆく音が聞こえるようだ。
オラシオは飛空船を専門とすれども幻晶騎士に関する一通りの技術と知識も持ち合わせている。
だから理解できた、そんなことは人間には不可能に近いということを。
「(構文技師じゃあない、騎士団長と言っていたな。王女の口ぶりじゃあ実際に腕が立つらしい。だから騎操士のはずなんだ。鍛冶師ですらない! いや魔導演算機に通じてるなんざ鍛冶師でも稀だろう。特に飛竜に乗っかってる代物は特注も特注なんだぞ。作り上げるのだって国中の構文技師をかき集めてようやく仕上げたってのに。何をやった? どうすればこんなことが可能になる?)」
異常だ。片手間のようにおこなわれたことが、まるで理解できない異常事態である。
そうしてオラシオは気付いた。
内部の魔法術式を書き換えることすらできるならば、既に飛竜戦艦はその秘密を丸裸にされたということに。
彼は土埃を掃い、ゆっくりと立ち上がった。
「(こいつは王女殿下の肝いりで放り込まれてきたんだぞ。もしや殿下もここまで異常だとは知らないのか? ……警告しておくべきか。義理の問題もあるが……いやそれより)」
オラシオの口元が徐々に歪んでゆく。
「(面白くなってきたじゃないか。これはもう飛竜戦艦がどうこうなんてチンケな話じゃあねぇな。くく、殿下には感謝しないと。もしかしたらコイツがいれば目指せるかもしれない)」
彼は振り仰ぐ。
空飛ぶ大地、その高みにあってすらどこまでも続く空。
「……果てを!」