#171 告げる音は高らかに
天を衝く、そんな表現がまさにしっくりとくる。
空飛ぶ大地の奥深く。ハルピュイアたちから禁じの地と呼ばれる場所にあって“サヴィーノ・ラパロ”は愉快げにソレを見上げた。
ひときわ濃いエーテルの影響だろう、草木が少なく森にぽっかりと開いた空白の中心に佇む巨大な源素晶石。
飛空船をも超える大きさだ。これを砕けばいったいどれほどの船を動かせるだろうか。
かつてこの巨大源素晶石を見つけ出したパーヴェルツィークの騎士は、一国の百年に相当すると豪語した。
実物を前にすればそれもあながち間違いとも言えないな、とサヴィーノは唸る。
「ほっほ。幻晶騎士どもが位置についたと。ここからは速さの勝負。老骨には辛いでな、お前にまかそうかの」
サヴィーノはやってきた老人、“パオロ・エリーコ”の言葉に頷く。
二人は互いに孤独なる十一国を構成する都市の代表である。
普段から仲が良いとは言い難い関係だが、戦力が減りすぎた今は互いを頼らざるを得ない状況にあった。
「ようし、掘り起こせ!」
命を下せば、幻晶騎士ドニカナック部隊が源素晶石の周囲に位置どった。
手には巨大なシャベルにツルハシ。それらを振り上げ一斉に周囲の地面を掘り返してゆく。
作業にも転用できる、高い汎用性は巨大人型兵器たる幻晶騎士の面目躍如だ。
最新の東方様式としてはやや心許ない本機であるが、その膂力のみは他機種に引けを取らない。
どんどんと地面が口を開いてゆく。
しかしいくら掘り進めども巨大源素晶石の根元には辿り着かなかった。
地面の下、とてつもなく深くまで続いている。
もしかして大地の底まで根を張っているのではないか。そんな馬鹿げた想像すら否定できない。
「……これを完全に掘り返せば、いくらになるだろうか」
「この石ころひとつで西方諸国を牛耳れそうじゃな。しかし船には積載限界があるぞう。それにいつまでも安全とは限らぬ」
パオロの意見ももっともだ。サヴィーノの口元が不快げに歪んだ。
彼らはこの地の支配者ではない。どちらかというと空き巣のようなものである。
欲と安全を天秤にかけ、ようやく彼は指示を下した。
「……源素晶石を切り離すのだ! 根元を砕け!」
ドニカナックがツルハシを振り上げる。
源素晶石は価値はともかく、脆い鉱石である。さしたる苦も無く砕かれてゆき。
「おうおう、勿体ない勿体ない。欠片だけでも一船できるのう。おいお前たち、拾えるだけ拾って積み込んで来んか」
パオロの指図により、彼の直属の部下のうち幻晶騎士に乗っていない者たちが動き出した。
「急いでいるのだぞ、余り余計なことをするな」
「ほっほ。そうケチ臭いことを言うでない。これも先を思っての行動よ」
サヴィーノは反論の言葉を呑み込む。
そもそもをして、この空飛ぶ大地においてイレブンフラッグスは負けが込んでいる。
はした金ですら見逃せないのは彼も似たようなもの。
わざわざサヴィーノの部下が作業に従事している間にやるのは気に入らないが、かかずらっている場合ではないのも確かである。
「そうだ。この仕事に残る全てをつぎ込んだ。戦力も、人も、金も。もはや失敗は許されない……」
暗い瞳で源素晶石を見上げる。うっすらと虹色の光をまとう巨石。
空には残った二隻の重装甲船があり、巨大源素晶石の吊り下げ準備を進めていた。
「くく。しかしまったく良い案であったわ。ここに居座った竜と烏を連れ出し、パーヴェルツィークめにぶつける。どちらもたっぷり血を流すことであろうな……ほほほ、痛快痛快」
そう、この“禁じの地”は“竜の王”を名乗る巨大魔獣と、それに付き従うハルピュイアたちによって支配されていた。
緒戦で痛手を負ったイレブンフラッグス軍にそれらを正面から撃破する力はない。
ゆえに彼らは一計を案じた。
まず彼らはパーヴェルツィーク支配下にあるハルピュイアの集落へと攻撃を加えていった。
いかにパーヴェルツィークの支配領域といって、源素晶石鉱床のない場所まで厳重な守りを敷いているはずがない。
さすがに無傷とはいかなかったが、戦果としては十分だった。
結果、攻撃を受けたハルピュイアたちは目論見通り人間への敵意を高めていった。
彼らに人間たちの所属する勢力など見分けがつかない。
勢い敵意の向く先は近くにあるもの――パーヴェルツィーク軍になる。
そもそもパーヴェルツィークの施策が高圧的であったことも彼らにとって追い風となった。
ハルピュイアに生まれた敵意は数が増えるとともに膨れ上がり続け、ついに竜の王を動かすことに成功した。
「所詮は鳥頭だな。だとしても使いようということだ」
竜の王さえいなくなれば、禁じの地に恐れるものは何もない。
後は空き巣よろしくお宝を頂いてゆくだけだ。
掘削は順調に進んでいる。成功を目前にして、険しかったサヴィーノの表情も和らぎつつあった。
「もはや我々がこの空飛ぶ地を押さえることは不可能だ。ならば、せめて手土産は十分にいただくとしよう」
「ふむ。失った二旗の埋め合わせとしては悪くないかのう」
イレブンフラッグスの中核戦力であった重装甲船も、これまでに二隻が失われている。
どの船にも各都市を代表する議員が船主として乗り込んでいたのだ。沈んだ片方に至っては船と運命を共にしてしまった。
そこで死んだ業突く婆本人はどうでもいいとして、船と戦力の損失は見過ごせない痛手である。
「飛竜戦艦め……アレさえなければ」
パーヴェルツィークがこの戦いに投入した純戦闘型飛空船、飛竜戦艦。
おそらくは重装甲船が四隻がかりで攻めたとしても太刀打ちできないであろう。
奴が現れた時点でイレブンフラッグスは詰みに陥ってしまった。
「さても竜の王とやらが役に立っていればよいがのう」
「今となってはどちらでも良い話。所詮は時間稼ぎだ」
飛竜戦艦の打撃力を知る彼らは、竜の王が勝利するとは考えていない。
いかに巨大な魔獣といえ、重装甲船すら焼き尽くす竜炎撃咆の前には無力であろう。
ゆえに彼らの作業には時間制限が存在すると想定していた。
「屑拾いはそれくらいにしておけ、パオロ。そろそろ源素晶石が折れる頃合いだ」
「ふうむ。名残惜しいことじゃが船に戻るとするかのう」
巨大源素晶石の根元の破壊が終われば、あとは重装甲船や飛空船によって運搬するだけ。
それで全てケリがつく――はずだった。
「おい。……なんだ? あれは」
巨大源素晶石の根元を粗方崩したあたり。
採掘にあたっていた騎操士の一人が奇妙なものを見つける。
掘り起こされた地面の下を、謎の青白い光が横切っていた。
源素晶石によるものではない。それならばこんな風に動いたりしないからだ。
「ま、魔獣って奴か! おい、足元を警戒しろ! 何かがいるッ!」
慌てて警告するが、その頃には地下の光はさらに数を増していた。
ぞろぞろと蠢く光に注意をとられ幻晶騎士が浮き足立つ。
その様子は上空にある重装甲船からも見えていた。
「どうした、さっさと掘り終わらないか……」
言いかけてサヴィーノは表情を険しくする。
幻晶騎士がツルハシを放り捨てて走り出している。
命令を聞かないとはどういうことか。そんな疑問はすぐに解決された。
幻晶騎士の周りの地面が弾け、ぞろぞろと青白い光が飛び出してくる。
巨大なミミズのような身体。
青白い光を放つ魔獣はのたうち、幻晶騎士へと巻き付いてゆく。
幻晶騎士が慌てて腕を振り回し、魔獣を振り払おうとする。
しかし驚くべきことに、仮にも東方様式に並べられ綱型結晶筋肉を有するドニカナックが抵抗できずにいる。
「魔獣……ここまで来て邪魔をするか……! 誰か、奴らを斬り裂いて助けに……」
「ら、ラパロ様! あれを!」
船員が震える手で指さす先を目に、サヴィーノがついに絶句した。
ドニカナックに巻き付いている魔獣がズルズルと外装を滑る――先端から機体の内部へとめり込んでゆく。
青白い光が機体の中に飲み込まれてゆき、しばらく後には幻晶騎士の姿しか見えなくなった。
機体がガクガクと痙攣をおこし、直後異様な動きを見せ始める。
手足をでたらめに振り回し、機体が軋むほどに首を傾ける。
まるで人に似せて作られたことをすっかりと忘れ去ったかのような動き。
ビタビタと人ならざる挙動で跳ねていた幻晶騎士だったが、やがてその動きが収まってゆく。
――“理解が進んだ”。
足を踏み出す。それは二本の脚で歩くことを理解した。
手をわななかせ腕を動かす。首を巡らし眼球水晶が周囲の景色を認識する。
補助腕が蠢き背面武装を構える。
ソレは既に理解している。
魔法現象に伴う発光を残して法弾が放たれた。
それは折悪く助けに駆け寄ってきた味方騎を直撃した。
まったく油断していたところに法撃をくらい、一撃で擱座する。
動揺が広まるなか、ソレらは動き出した。
ドニカナックのようでいて全く違うナニカ。
それらはやや前傾した異様な構えで走り出し、味方であったはずの幻晶騎士へと襲い掛かっていった。
「なにをしている! 同士討ちを止めさせるのだ、騎操士は応えないのか!?」
「無理です! 下は混乱して命令が!」
手をこまねいている間にも混乱は広がり収拾がつかなくなってゆく。
サヴィーノは歯噛みしていた。後ほんの少しで莫大な利益を手にできる。
損失ばかりとなったこの遠征の売り上げをひっくり返せるかもしれないのだ。
ちらと視線を送る。
飛空船による輸送準備は粗方終わっており、あとは根元を切り離すだけ。
それだって作業は終わりに差し掛かっていたはず。
「……各船に伝令! 巨大源素晶石を引きちぎる! 浮揚力場をあげろ!」
船橋にぎょっとした空気が広がってゆく。
「し、しかし! まだ地上に幻晶騎士が残って……!」
「誰が無事かもわからん! もはや抑え込むだけの戦力もない! このままではそろって破産しかねん。その前に動くしかないのだ!」
サヴィーノの一喝が船員のおずおずとした反論を一蹴する。
彼らが震える手で信号を送ろうとした時。
味方を見捨てる、それは非情ではあれど大胆で素早い命令であったと言えるだろう。
しかしいずれにしろ手遅れだったのだ。
大地を砕き、噴きあがる土煙を貫いて“虹色の光”が伸びる。
いや、それは光そのものではなかった。内側から虹色にめぐる光を放つ半透明の“何か”。
問題はソレが、先に現れた魔獣など比較にならないほどの大きさを持っていたということ。
そして突き出た先に、飛空船があったということだ。
「…………ッ!!」
声にならない悲鳴があがる。
一撃。突き出した勢いそのままに、魔獣らしきモノが飛空船を貫いた。
真っ二つに叩き折られた船体が破片をばらまき墜ちてゆく。
法撃戦に備え、それなりの装甲を有するはずの船が枯れ木のように砕けていった。
慌てたのは残る船だ。
魔獣の直撃を受ければ、たとえ重装甲船であっても無事に済むという保証はない。
「いったん離脱を……綱を切り離せ! このままでは動きが……!」
しかし事態は完全に彼らの手綱を離れていた。
大地を砕き、次々と現れる半透明の巨大魔獣とおぼしきモノたち。
それらはまるで巨大源素晶石を囲むように突き出し。
ついに巨大源素晶石が砕け散る。
虹色に煌めく破片をばらまき、巨大な円錐状の源素晶石は地面とのつながりを断たれた。
傾きを増す間に、船へとつながる綱が張り詰める。
輸送のための準備が仇となった。
飛空船を一隻失い、均衡を崩して引きずられてゆく。
「ぐっ、おおおおお!?」
もはや当初の目論見は完全に破綻していた。
急な負荷に耐えきれず、重装甲船さえ振り回されてゆき。
「おのれぇっ! 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿なぁッ! あと少しで俺たちが! 利益を……!」
それはイレブンフラッグスの断末魔の叫びであり。
空飛ぶ大地の終わりを告げる、先触れの喇叭の音となった。