#170 炎に彩られた覚悟
虹色を放つ薄羽を開き、魔王が宙に浮かぶ。
その周囲を甲高い噴射音を響かせながら竜頭騎士が飛翔していた。
魔王が動き出す。狙いを定め前肢を振り、生み出された魔法が色とりどりの軌跡を残す。
「来ます!」
「まったくでたらめだ! 奴の法撃能力は飛竜戦艦並みだというのか!?」
夥しい数の魔法を前に、竜頭騎士シュベールトリヒツが急激に進路を変えて射線上を逃れる。
しかし避けた先には既に魔法現象の炎があった。
「よく狙っている! 蒼い騎士、貴様も手伝え!」
「承知」
蒼い幻晶騎士が竜頭騎士につかまり姿勢を倒す。
両肩のマギジェットスラスタが咆哮し強引に向きを傾けた。法弾の魔の手が機体を掠めて飛び去る。
一度躱そうとも油断はならない。
魔法はまだまだ幾重にも放たれ喰らいつかんと牙を研いでいるのだから。
「かわす、かわす。なんとも必死なことじゃあないか!」
魔王の中心、操縦席の中で小王が笑みを深めていた。
操縦席は幻晶騎士のそれとは似ても似つかない。
機械的な要素は少なく、まるで魔王の臓腑にいるかのような有様である。
それも小王にとっては慣れたもの。
魔王の眼を通じて舞い飛ぶ竜の姿を睨む。
「だあが、何せエルネスティ君だ。かつての魔王を相手に躊躇いなく突っ込んできたエルネスティ君なのだ。寸刻でも自由を許せば隙ともいえない隙をこじ開け迫ってくる。決して逃れえぬ終わりを用意せねばならないのだよ!」
絶対的な存在だった、完全体の魔王すら倒されてしまった。
いかに身軽であると言え成長途中の魔王に余裕などありはしない。
その時、魔王から伝わってくる意思があった。
「……そうだとも、魔王。アレさえいなくなれば勝利を掴んだも同然だよ。残るは有象無象に過ぎない」
かつてとは違い魔王そのものの意思が告げる。それは小王と共にあり。
遠距離での魔法攻撃を止め、魔王が接近し始めた。
魔法をかわして旋回し終えた竜頭騎士とトイボックスを包み込むように、両前肢を向けて。
「くくく……単純な攻撃でキミを仕留めることはできない。少し趣向をかえようじゃあないか。こういうのはどうだい!」
鉤爪の間に滲み出た体液弾。いつもならばすぐさま揮発するそれを、素早く大気操作の魔法で包む。
圧力に押さえ込まれ水滴のままの体液弾を、爪先から弾くようにして発射。
あらぬ方向に飛んでいったかに見えた体液弾は、周囲の魔法による圧力が薄れたところで急激に揮発する。
ちょうどこれまでの執拗な魔法攻撃を回避しきった、竜頭騎士の眼前で炸裂した。
知らずに誘導された形になった彼らを猛烈な勢いで広がる腐食の雲が包み込む。
「馬鹿な! なぜこんなところに!?」
「いかん、このままでは!」
「なるほど仕掛けてきましたね小王。ですが……」
即座にトイボックスが反応する。
完全に腐食の雲に覆われる前に執月之手を射出。
度重なる魔法の行使により大気が軋みを上げる中、嵐の守りが顕現した。
渦を巻く大気が螺子のごとく腐食の雲を貫き進む。
「どこまでもしぶといことだね!」
黙って眺めている小王ではない、すぐさま魔法による追撃を加える。
炎が雷が空を翔け炸裂する。
周囲は腐食の雲が立ち込め、法撃の衝撃がひっきりなしに起こり続ける。
圧倒的に迫りくる死を前に、イグナーツの集中力が高まってゆく。
魔法の威力圏を縫うようにして躱し、的確に腐食の雲が薄い側を目指し。
だがそれでも足りなかった。
魔王による魔法攻撃は嵐の衣に干渉し、綻びを生み出していたのだ。
突如としてシュベールトリヒツの舵が言うことを聞かなくなる。
「く! 駄目だ舵が甘い、推力が上がらん!」
両機ともに未だ空に在る。だが無傷とまではいかなかった。
シュベールトリヒツの帆翼は腐食により襤褸切れと化しており。
推進器の吐き出す炎は不安定に咳き込み、素晴らしい切れ味を見せていた機動性能に大きな陰を落とす。
マギジェットスラスタの推力だけで強引に飛翔するイカルガのような機体に比べ、竜頭騎士や竜闘騎は機体外装の損傷が機動性の低下へと直結する。
彼らはじわじわと、しかし確実に追い詰められていた。
「殿下……申し訳ございません! これでは私の方が足手まといでしかなく!」
「言うなイグナーツ。その剣の冴え、確かであった。大儀である……」
獲物が弱っている時こそ仕留める好機である。
魔王が再び圧倒的な魔法による攻撃を再開した。もはや細かな手管は必要ない。
「蒼い騎士……飛び立て! このままでは共倒れになる!」
「それしかないようですね」
「何としても……! 貴様は死んでもいいから! 何としても殿下の身はお守りしろよォ!!」
「残念ながら僕は生き残りますし、殿下の身も確かにお守りします。それでは!」
トイボックスが推進器を駆動し、シュベールトリヒツの背を蹴り飛びあがる。
そうして何とも言えない絶叫を残して竜頭騎士が離脱していった。
「イグナーツのリヒツがこうも苦戦しようとは」
「残念ながらここからは我が身の心配を第一にした方がいいですね」
エルネスティが幻像投影機を睨む。
魔王にとって、ふらふらと離脱してゆくシュベールトリヒツなどもはや眼中にない。
敵はこの世界にただひとつの蒼。
「やぁっと二人っきりになったねぇエェェェルネスティィィくぅぅぅん!! 待ちかねたよォォォ!」
「ご遠慮したいところです!!」
狙いすまして飛来する法撃を弾き、トイボックスがその場で迎え撃つ姿勢を見せる。
空中で攻撃をかわすためには推進器を使うしかない。
だがトイボックスの魔力供給能力には限界があり、そんなことをしていてはすぐに魔力切れになる。
「動きづらいというのはなかなか厄介ですが。やりようはあります」
押し寄せる魔法の嵐を危険なものだけ弾いて防ぐ。
炸裂する余波を受けて装甲に傷が増えてゆくが、全体が動くのであれば問題はない。
「どうしたんだぁぁい足が止まっているよォ! キミの得意は守りじゃあないだろぉに!!」
「ようくご存知ですね!」
「はは! 魔王の眼を通してずっと見ていたともォ!!」
魔王が前肢の一振りで空中に多数の魔法を生み出す。
トイボックスが驚くべきことに拳でもって魔法を殴り飛ばし、推進器を駆動し一気に距離をつめた。
「さらにその接近戦好きな性格! ようくようく知っているッ!!」
魔王もまた応じて前進。互いの距離が一気に縮まってゆく。
絶対必殺の一撃を叩き込む。狙いは同じく、意志がどこまでも純化されてゆく。
「エチェバルリア卿、行けるのか……!?」
「手段を選んでいられる余裕はありません。勝てるか負けるか、この一撃で決めましょう!」
幻像投影機に映る魔王の影が一気に大きくなってゆく。
迫りくる死そのものを前にしても、エルに退く気配はない。
これが騎士の、騎操士の立つ世界なのか。
椅子にふんぞり返っているだけでは見えなかった景色が、そこに広がっている。
フリーデグントは一瞬たりとも見逃すことのないよう目を見開き。
「小王!!」
「エェルネスティ!!」
トイボックスの拳が炎をまとった。
魔王の鉤爪が炎を放った。
「烈炎之手!!」
「魔法顕現!!」
推力全開、全ての勢いとありったけの威力を乗せて炎に燃ゆる拳を振るう。
互いの拳が正面から激突し。
激しい破砕音と共に砕けたのは、トイボックスの拳であった。
共に勢いは止まらない。
めきめきと音を立てて腕が破砕されてゆき、衝撃に耐えかねた肩関節から千切れる。
肩の推進器ごと腕を失い、トイボックスが大きく姿勢を崩した。
魔王が腹部の中肢を広げる。至近距離からの魔法攻撃。
あまりにも近すぎる。マギジェットスラスタを一基失った今、逃れるには推力が足りない。
「それでも!」
思考よりも早く、トイボックスが残る推進器を天に向け放つ。
右も左も間に合わない。しかし落下ならば重力が味方をしてくれる!
「さすがだ! まぁだまだぁ! 続きがあるだろう!!」
眼前から消えた蒼い騎士の後を魔王が追う。
前肢を、中肢をひろげ魔法現象の光を灯し。
その時、トイボックスの落ちゆく先に巨大な影が現れた。
のっそりと鼻先を突っ込んでくる巨体。
マギジェットスラスタが吐き出す轟音が空を揺るがす。
「飛空船……これは、“黄金の鬣”号が!?」
危うく激突しかけたトイボックスだったが、辛うじて減速が間に合い叩きつけられるように着地する。
甲板に突っ込んできた蒼い騎士の姿を眺め、船橋ではエムリスが顎を撫でさすっていた。
「何だか分からんが間一髪じゃないか、アイツがやられるとは珍しいな」
「はは! 団長さん、若旦那に言われてますぜ!」
視線を上にあげれば、虹色の輝きを背負い迫る何ものかの影。
「銀の長が戦っているくらいだ、アレが敵の首魁なのだろう。パーヴェルツィークに貸しがひとつできそうだな! 仕掛けろ!」
伝声管のむこうから得意げな声が返ってくる。
「ふっふーん! エル君をいぢめる奴は、私がぶっ飛ばしてやるんだから!!」
トイボックスの左右で続々と覆いが開き。
直後、激しい噴射炎と共に魔導飛槍が飛翔していった。
内蔵式多連装投槍器から放たれた三十二本の魔槍を睨み、小王が吼える。
「なんだァ!? 貴様らはァ!! 私とエルネスティ君の戦いに口をはさむというのかァ!! 無礼ものがァッ!! 命で贖えい!!」
魔王が前肢を一薙ぎ。
生み出された腐食の雲が魔槍を呑み込み、その尽くを錆へと帰す。
「馬鹿な!? なんだあの雲みたいなのは! 魔導飛槍を全部防ぎやがったぞ!?」
「嘘でしょ……あれって! どうしてこんなところにあの蟲がいるのよ!?」
エムリスの叫びとアデルトルートの驚きは、少しだけ違うところにあった。
何しろアディには見覚えがある。腐食の雲を広げあらゆる金属を貪り壊す、幻晶騎士の天敵たる魔獣に。
だがエムリスは、銀鳳騎士団が帰還した時に国許にいなかった彼は知らなかったのだ。
「邪ァ魔くさいッ!! もろともに腐れて死ねッ!!」
腐食の雲を突き抜け、魔王が猛然と“黄金の鬣”号に迫る。
エルを墜とし魔導飛槍を無効化する敵。エムリスは即座に命じていた。
「源素浮揚器、浮揚力場をあげろ! 推進器出力最大! ぶちかませぇ!!」
舳先を跳ね上げ、およそ船とは思えない挙動で“黄金の鬣”号が加速する。
そうして真正面から魔王と衝突し、巨体でもって体当たりを敢行したのである。
「なんだかわからんが、これなら……」
敵は幻晶騎士よりは大柄だったが飛空船ほどではない。
いかな魔獣であろうとも、飛空船と衝突して無事なものなどそうはいまい。
一瞬の手ごたえ。しかしそれはすぐさまぞくりとした悪寒によって塗りつぶされる。
突如として“黄金の鬣”号の舳先が砕け散った。
装甲材をメキメキと割り砕きながら、轢かれたはずの魔王が船上に這い上がってくる。
「誰であろうと関係ないィ……魔王が命ず、滅びは絶対なんだよォ!!」
船体に食い込ませた鉤爪から液体がにじみ出る。
魔法と共に放たれる、“穢れの獣”がもつ腐食性の体液。
わずかも持たず船体の腐食が始まった。
まるで魔王という怪物に舳先から喰われているかのように構造材が朽ち果ててゆく。
「ダメよ若旦那! あいつの体液は装甲を溶かすのよ! 大森海の奥にしかいないはずなのに、どうしてここに!?」
「なんだそりゃあっ!? でたらめじゃないか!!」
エムリスが痛恨の呻きをあげるも、もはや魔王を止める手段はなく。
その間にも魔王による侵食は進み――。
ゆらりと、甲板で軋みを上げながらトイボックスが立ち上がった。
操縦席のエルが、ちらと背後へ振り向く。
「先に謝っておきます。殿下、僕は初めて約束を破るかもしれません」
フリーデグントは僅かに答えに詰まった。
何をしようとしているかには察しがついている。
いかなる状況でもおそるべき力を発揮してきたこの小さな猛獣が謝る程度には、絶望的なことなのだろう。
果断で躊躇いがない。なんと鮮烈な生きざまであろうか。
あるいはそれは最前線で戦うことを義務付けられた騎士ゆえのことかもしれない。
だからこそ。
判断を下すのは、王族であり指揮官である彼女の義務だった。
「卿が言うのなら必要なのだろう。その代わり、必ずあれを止めてくれ」
「御意。それでは存分に!!」
甲板を蹴立てて蒼い幻晶騎士が駆けだす。
生き残った推進器を全開に。
一歩を踏み出すごとに爆発的に加速しながら、魔王めがけて最短距離を征く。
「来るッ……!!」
迫りくる蒼。
その時、小王の思考にわずかな迷いが生じた。
既に相手は満足に空も飛べない。
このまま邪魔な飛空船ごと破壊すればケリがつく。それは自明の理であった。
だが、しかし。彼の視線は突っ込んでくる蒼い影に釘付けになっていた。
エルネスティが来る。彼の敵が来る。不倶戴天の、ただ一人の存在が――!!
「エェェェルネェェェスティィィッ!!!!」
魔王が吼えた
自らも“黄金の鬣”号を駆け上がり、己が手をもって怨敵に止めを刺すため走り出す。
再び真正面からのぶちかまし合いになる。
小王の中にある積もり積もった恨みが、彼から回避という選択肢を奪い去った。
感情の導くまま魔王が鉤爪を握り締め、蒼い騎士へと拳を叩き込む。
魔法現象を発現し、炎放つ魔王の拳がトイボックスの頭部を粉砕する。
眼球水晶を破壊された幻像投影機が光を失い、操縦席を薄暗闇が覆う。
だがそれだけだ。
激突の寸前にトイボックスは身を沈めていた。
低い姿勢のまま腰だめの体当たりを仕掛ける。
胴体に飛び込むように抱き着き。
トイボックスに残る片手は――宙を舞っていた。
執月之手が飛翔し、トイボックスと魔王の周りをぐるぐるとまわる。
つながったままの銀線神経が互いの身体に巻き付き、固定した。
「なん……エルネスティ、キミは!?」
「これで離れませんよ。それでは征きましょうか」
小王が表情を引きつらせる。
まただ。またエルネスティがロクでもないことをしようとしている!
トイボックスの推進器が轟と吼える。
体当たりの勢いそのまま、魔王と共に船上から飛び出して。
「やったなぁ! 自分よりも船を守ったというわけかい!」
小王の考えは半分正しく、半分間違っていた。
「そのとおり。この距離ならば“船は安全”でしょうから」
ぞくりと嫌な予感が背を這いあがる。
ああ、敵はエルネスティなのだ。コレを相手に、勝利への確信など必要ない。
“勝利した”という結果に辿り着くまでは普く可能性が危険でありうる!
「このトイボックスは我が国の最新技術の結晶。機密の塊なのですよ」
「何を、何を言っている! 知ったことかぁ!?」
「なので作ったはいいのですが、戦いで奪われるようなことがないようきつく言われていまして。だから考えたのです」
「まさか……!?」
エルネスティは嬉しそうに微笑んだ。
それはもう、悪戯が成功した子供のまんまの笑顔で告げる。
「要は誰かに渡った時に、トイボックスの機能が動かなければよい。そのための仕掛けをね。では殿下、逃げましょうか」
「は?」
決死の覚悟をキメてきたフリーデグントすら、彼が何を言っているのかとっさに理解できなかった。
ただ確かなのは有無を言わさず抱きかかえられ、いきなり空に飛び出したということだけだった。
トイボックスの胸部装甲が吹き飛び、フリーデグントを抱えたエルが飛び出してくる。
幻晶騎士の力も借りず、人が空を飛べるものか。フリーデグントの思考を混乱と恐怖が埋め尽くし。
だが傍らのエルは慣れたものです、と言わんばかりに手際よくワイヤーアンカーを操作していた。
「トイボックス、最期まで全て魅せて差し上げなさい。命令“びっくり箱”発動!」
繋げた銀線神経を通じ、ひとつの命令が機体に下される。
それによって魔導演算機に仕込まれた、とある魔法術式が起動した。
それはごく単純なマギジェットスラスタの基ともなる爆炎の系統魔法である。
だが同時に、幻晶騎士に備わったありとあらゆる安全装置が解除されており。
機体に残る魔力の一滴までもを吸いつくし、魔法は極大規模の炎となって発現した。
「きっ! キミは!! キミはぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
身も世もない叫びをあげて、魔王がエルへと手を伸ばす。
しかしその時には既に、トイボックスは目を覆うような眩い火球と化していた。
叫びは爆音にかき消され、魔王の影が炎に塗りつぶされる。
およそ歴史上はじめて“幻晶騎士の自爆”という悪辣極まりない攻撃を受けた魔王は、もろともに爆発の中に消えていったのである。
当然、至近距離にいるエルたちも無事には済まない。
というよりも本来はエル一人の時に使うつもりだった手段であるため、安全などという言葉がまるきり存在していない。
「うん、成功しすぎましたか! 遮りなさい、“大気圧壁”!!」
銃杖を握りエルの魔法能力の限りを尽くして身を守るも、爆風にもみくちゃにされるのまでは避けようがなかった。
ようやく体勢を整えるも、要は自由落下である。
落下による風に髪をもてあそばれながら、フリーデグントは自らを抱えるエルへと食って掛かった。
「何を……何が!? どう!? した!?」
「トイボックスを自爆させ、魔王ごと吹っ飛ばしました」
「じ……じばっ……!?」
「あれが最終にして最強の攻撃なのですよね。全てを出し切りましたよ!」
「得意げにしている場合かッ!? 貴様は! それでも! 騎士なのか!?」
「はいもちろん。これでも国許では騎士団長を拝命する身です」
「この世に救いはないのか……?」
ぎゃいぎゃいと喚いていると、ふと視界の端を飛ぶものがある。
ワイヤーで接続された空飛ぶ槍、魔導飛槍だ。
一本だけ船から発射された槍は、エルたちのところまで飛んでくると異様な動きを見せた。
謎の器用さを見せてエルたちの周囲をぐるぐる回り、彼らをワイヤーで絡めとったのである。
「なっ……今度は何だ!? 誰の攻撃か!?」
「落ち着いてください。こういうことするのはきっとアディですね」
「味方なのか? 何者なんだ」
「妻です」
「は?」
フリーデグントがぽかんと口を開けたまま固まってしまったので放っておくと、どこからともなく声が響いてきた。
「……えぇぇる君……。抱えてるソレはなぁにぃ?」
「フリーデグント第一王女殿下です。重要人物です。護衛対象です」
「へぇー……へぇー……許します」
妙に低く聞こえるがアディの声である。
器用なことに魔導飛槍につながる銀線神経を使って糸電話もどきをしているのだと、わかってはいても不気味さは抑えきれない。
「ひとまず巻き上げをお願いしますね」
二人が凶悪なやり取りを繰り広げている間も、フリーデグントはもう喋る気力すらないというありさまでぐったりとしていた。
魔王と戦ってすら気丈にふるまっていた彼女にだって、ツッコミ切れないことはある。
そうしてすったもんだありつつも、二人は無事に“黄金の鬣”号へと回収されたのであった。
「エルネスティ、また無茶というか馬鹿をやってくれたと思っていたが。まさかの客人まで連れてきてくれたな」
船内に戻ってきたエルたちを出迎えた、それがエムリスの第一声であった。
エルは憎たらしいほどいつも通りピンピンとしているが、一緒に回収されたフリーデグントは精魂尽き果てた様子で床にへたり込んでいる。
砂粒ほど残っていた気力をかき集め、最後の意地を張って。
「……エムリス船長か。すまない……どうやら結局のところ貴国の厄介になりそうだ」
「それは構わないが、なぜコイツと共に?」
「私は今まで王族として少なくない教養に触れてきたと思っていた。だがな、船長。世の中には説明などできもしないことがあると今知った。あったのだ」
「誰が何をしでかしたかなんとなくわかった。まずは休める場所に案内しよう」
「感謝する……」
今すぐ倒れてしまいたいという気持ちでいっぱいのフリーデグントを船室に案内してから船橋に戻る。
「“黄金の鬣”号の損傷も馬鹿にならんな。すぐに転回しろ。敵の首魁に一撃は加えたが、あれだけの魔獣を相手にはしていられん! 今が退き時だろう。パーヴェルツィークにも伝えろ。いがみ合っている場合などではないとな!」
“黄金の鬣”号から発光信号が放たれる。
その頃には飛竜戦艦の曳航準備が終わっていたパーヴェルツィーク軍が応じ、すぐに撤退へと移る。
凶暴な魔獣を相手に長時間戦い続けていた竜騎士たちも限界を迎えており。
彼らはかろうじて、戦線が崩壊する前に退くことが出来たのだった。
命じられるまま竜闘騎に襲い掛かっていた混成獣たちであったが、敵が退いていっても深追いせずに戻っていた。
魔獣たちが集まる中心には熔けた金属と崩れた骨格の混じる塊がある。
突如としてメキメキと音を立てて塊が割れた。
かつてトイボックスと呼ばれていた幻晶騎士の残骸を振り落とし、それは前肢を伸ばす。
――魔王。
繭のように鋼の殻を脱ぎ捨て、魔獣の王たる存在が現れる。
「やれやれこれだからエルネスティ君は。本当に、本当に忌ま忌ましいよ。魔王の全力を以て身を守らねばどうなっていたことだろうね」
魔王の内部、操縦席の小王が呟いた。
調子を確かめた限り魔王の躯体は無事である。
それにしてもまさか乗騎そのものを爆発させてくるとは思いもよらなかった手段である。
小王は小さく身体を震わせていたが、やがて一気に破顔した。
「くはははははは! だがそれでこそ! キミとの戦いというものだよエルネスティ君! 我が宿怨の敵よ!!」
ひとしきり笑ってから、静けさを取り戻した空を見回す。
混成獣は命令を待っており、ハルピュイアたちはざわざわと飛び回っていた。
「ふうむ、人間たちは退いたか。まあ良い。十分に感動的な再会を果たしたからね」
小王は魔王に命じ、ハルピュイアへと伝える。
「ハルピュイアよ、戦いにおいて王に無理をさせすぎた。我らにも休息が必要だ。奴らがいなくなったのであれば、巣へと帰還するよ」
「御意に」
ぎゃあぎゃあと不気味な叫びを残し、魔獣の群れが移動を始める。
「これで終わりではない、そうだろうエルネスティ君。次は乗騎だけではない。キミ自身の命をもらい受けに行く。楽しみにしていてくれたまえよ」
かくして空飛ぶ大地に描かれた地図は、またも形を変えてゆくのであった。