#137 共に歩みだそう
――朝。差し込む朝日が街の輪郭をはっきりとさせてゆく。
さすがに街角にはまだ人影も少ない。家の中を漂う肌寒さに震えながら、街の住人たちがようよう目覚めを迎える時間帯だ。
ぱたぱたと軽快な足音が廊下に響く。足音の主はとある部屋の前まで辿り着くと、そっと扉を押し開いて覗き込んだ。
「エルく~ん。起きて~……るし」
扉の陰から頭を出したアデルトルートは、そこにいるエルネスティが既に着替えまで済ませているのを見て露骨に肩を落とした。
「せっかくキスして起こしてあげようと思ったのに~」
「それなら、起きた後ではダメですか」
エルが首をかしげて言うと、アディは笑顔で駆け寄った。いつものように彼を抱きしめ、口づけを交わす。
そのまましばらくうっとりと動きを止めて、ややあって顔を上げた。
「よし、補充完了! じゃあ朝ご飯にいこっか」
「思ったよりも早いですね。以前のアディならもうちょっとごねてきたような気が」
意外にあっさりと抱きしめるのを止めた彼女を見て、エルがさらに首をかしげる。
普通は疑問に思うようなところではないのだが、これまでの行動を見返してみれば意外ではあった。アディはそれに笑顔を返して。
「大丈夫よ! ちゃんと夜にはいちゃいちゃえるえるするから!」
「えーと、それはまぁ、はい」
藪から蛇を出しても仕方がない、それに家族を待たせているのもありさっさと食堂へと向かった。
エチェバルリア家は環境から一般の市民よりは裕福であるが、朝食は簡素なものだ。それは主に準備の手間による。
食堂に一家そろったところで、彼らはさっと食事を終えた。
セレスティナと一緒に片付けを終えたアディは、そのまま外出の準備を始める。
エルは既に準備を終えている。オルヴェシウス砦に向かうにしてはずいぶんと念入りな装いだ。もちろん、目的地が違うのである。
「エル君、今日は王城まで行くんだよね?」
「ええ。陛下にご相談せねばならないことがありますから」
仰々しい用事ではないのだが、さすがに国王に会うのにいつも通りの気軽な装いというのは難しい。身だしなみを整えた彼らはツェンドリンブルに乗り込み、王都カンカネンを目指した。
ライヒアラからカンカネンまではそう離れてはいない。ツェンドリンブルの足があればすぐだ。
王都に着いた彼らはツェンドリンブルを駐機場に預け、王城の門をくぐる。案内も心得たものですんなりと部屋へと通された。
勝手知ったるなんとやら。二人が部屋で適当にくつろいでいると、やがて待ち人がやって来た。国王リオタムスその人だ。
「待たせたか」
正式な謁見ではない、略式の礼で国王を迎えた後、彼らはすぐに本題へと入る。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。ご多忙の折と存じますので、手短に。先日からの件についてです」
「ううむ。あれか……」
「はい。僕たちの“新婚旅行”についてですね!」
――新婚旅行。
フレメヴィーラ王国においても近しい概念はある。ただしそれはいわゆる“貴族同士の顔見せ”が主な目的であり、一般民衆にとっては縁遠いものであった。
理由は簡単で、魔獣の存在が移動を阻むためだ。一定以上の戦力を保有している者しか自由な移動ができず、多くの場合においてそれは貴族階級を指すことになる。
その点エルネスティは爵位こそ有していないが戦力だけは十二分である。そもそも彼自身が国内最高戦力そのものと言えるわけで。変則的では在るが、前提条件は満たしているといえた。
リオタムスはふむ、と腕を組んでからわずかに眉根を傾ける。
「なるほど今は時期も良い。白鷺、紅隼両騎士団の活動も順調であるし、お前に頼みたい仕事も多くはないわけであるからな。しかし問題は行き先だ。本当にクシェペルカ王国までゆくのか」
「はい。先だっての戦の折りに妻のアデルトルート共々参加いたしましたゆえ、縁ある方々も多くあります。それに義兄であるアーキッドが、エムリス殿下の付き人としてかの国におりますので」
エルはにこやかに答える。国王の表情に若干の困惑が浮かんだ。
確かに新婚旅行という風習はある。あるが、隣国まで向かうというのはそうあることではない。それこそ王族が婚姻した場合くらいのものだ。
リオタムスはしばらく考えていたが、やがて溜め息とともに頷いた。
「……まぁよい、いまさらのことであるな。確かにお前はかの国を再興させた立て役者とも言える、無下に扱われることもないだろう。残る問題はひとつだ」
すっと目を細め、国王は告げる。
「ゆくとしてもお前の幻晶騎士、イカルガは置いてゆきなさい」
「そんな、何故でございましょう陛下! イカルガは僕の家族も同然、ならばともに挨拶にゆくものではないでしょうか!」
思わず身を乗り出したエルを押し戻し、国王は溜め息を重ねる。
「いや、幻晶騎士はそのようなものではないぞ。……何故というて、お前とあの幻晶騎士は強力過ぎるのだ。かの戦いを越えた後、クシェペルカ王国は順調に復興していると聞いている。国内も比較的平穏であるとな。そのようなところに大仰な戦力を持ってゆくものではない」
クシェペルカ王国は確かに友好国。しかし戦力を伴う移動にはそれなりの手順というものが必要になる。
前回は危急存亡の秋ゆえに無理を押し通したが、本来はそう気軽なものではないのだ。
「それに幻晶騎士をもち旅をするならば、当然整備をする必要がある。しかしお前のイカルガをいったい誰に任せるというのだ。いかに友邦とはいえ全てを任せるというわけにはいかぬ」
幻晶騎士とはひどい大食らいである。
性能を維持しようとすれば頻繁に整備が必要であるし、そのためには人手も必要だ。特に厄介であるのが、銀鳳騎士団旗騎イカルガともなれば機密にすべき部分が多く関わってくるということである。
ゆえに整備のためには専門の人員――つまり銀鳳騎士団をもってあたるしかない。
さしものエルネスティも新婚旅行に騎士団を出撃させようとは言い出せなかった。彼はわりと真剣に悩んでいたが、やがて渋々と頷く。
「……承知しました。しかし手ぶらで向かうというのも不用心でございましょう」
「わかっている、カルディトーレを都合する。あれならば先方に頼んでも問題ない」
カルディトーレであれば“万が一”の場合にも問題が少ない。大西域戦争にも投入され、さらにクシェペルカ王国の新鋭機“レーヴァンティア”は本機を基にして設計された。技術的な親和性も高く、機密性は低いといえる。
エルは若干難しい表情を浮かべていたが、なんとか納得していた。
イカルガが使えないのは残念至極であるが、代わりとはいえ幻晶騎士自体は使える。ギリギリのところで禁断症状に襲われることはなくなった。
そこでふと、リオタムスは表情を緩める。
「私用の折りに用事を頼むのも気が引けるのだが。クシェペルカについたら、我が不肖の息子の様子もみてきてくれないか。どうせ何かしらしでかしていようから、その時は小言のひとつもくれてやればよい」
「御意。もとよりエムリス殿下にもご報告に向かうつもりでした。陛下の言葉、しかとお伝えします」
「頼んだぞ」
かくして相談を終えたエルたちはその場を辞去した。
帰り道のツェンドリンブルの中、彼は何かを考え続けている。
「……悪巧みはダメだよエル君。イカルガは連れてけないからね?」
少し不安になり、アディが釘を刺した。いかにエルの望みとはいえ国王の命令を違えるのは少々まずい。
まさか幻晶騎士はこっそりと持ち出せるようなものではないのだから、妙なことはしないだろうと思えども、そこはエルネスティである。色々な意味で絶対はない。
そうしていると、エルが不自然に笑顔を浮かべて顔を上げた。
「わかっています、もちろん陛下の命を無視するつもりはありません。……ですが」
安心しかけたところで、耳に飛び込んできた言葉が彼女の警戒心を呼び起こす。
「陛下はカルディトーレを使えと命じられましたが……別に改造してはいけないとは、おっしゃっていませんよね」
「それはさすがに屁理屈じゃないー?」
アディはじっとりとした視線で睨み、エルの両頬をかるくつまむ。
そんなことまで想定して止めろというのも酷だろう。だからと言って大人しく思いとどまるようなエルではない。ぐっと握りこぶしを構え、意気揚々とツェンドリンブルを加速させる。
「いいえ、仮の相棒とはいえしっかりと使いやすいように仕上げておかねばなりませんから。そうと決まれば、旅行に出るまでにきっちり準備を進めないといけません。さぁアディ、忙しくなってきましたよ!」
「ええ~」
暴走と悪巧みを乗せて、人馬の騎士は走る。
もろもろの準備が整ったのは、それから一月の後であった。
「結局大事になってるしー。ほんとに大丈夫かなぁ」
アディは溜め息を抑えきれない。
目の前には見慣れない姿の幻晶騎士が片膝をついた状態で待機していた。どこかカルディトーレの面影を残しつつも、全体的に手が入っているためほぼ別の形に変わってしまっている。
これどっちかというと新型って言ったほうがいいんじゃないかなー、アディはやたらと満足気だったエルを思い出して、それ以上気にしないことにした。
喧騒とともに工房の奥からツェンドリンブルが現れる。背後に荷馬車が接続された輸送仕様だ。
見慣れない幻晶騎士は立ち上がるとゆっくりと荷台に乗り込んだ。幻晶甲冑を着込んだ鍛冶師たちが手際よく鋼線を回し、機体を固定してゆく。
「あ、アディ。これで準備はほとんど終わりましたよ」
「うーん、荷物増えたよね」
このツェンドリンブルは旅の間、二人の足となる予定だ。
人馬の騎士一体に専用の荷馬車が一台、個人の旅行準備としては破格の大仰さというべきか、銀鳳騎士団騎士団長としては大人しいと言うべきか。
「まぁいっか。ああ……ついにエル君との新婚旅行かぁ。うふふふ……」
アディがニマニマとした表情でくねっていると、ふと頭上に影が差した。
振り仰げば巨大な四ツ目が彼女を見下ろしている。眉は下がっており、瞳の奥には困惑がありありと見て取れた。
「……師匠エル、アディよ。やはり我はないほうが良いのではないだろうか」
巨人族、カエルレウス氏族が一体である小魔導師だ。巨人としては小柄な身体をさらに小さくして、どことなく申し訳なさそうな雰囲気すらある。
対するアディは意味もなく自信満々に胸を張った。
「ぜんぜん大丈夫よ! 小魔導師ちゃんは私たちの弟子なんだから、何も気にしなくていいのに。それよりしっかり皆に紹介しないとね!」
「師匠がそういうのであれば。我も山の向こうに何を見るか、興味がある」
小魔導師としては新たに夫婦となった師匠たちの邪魔はすまいと考えていたのだが、当のアディが乗り気とあっては余計な気遣いというものだろう。
彼女にとっては“その場にエルがいる”ことが重要なのであって、他に誰がいてもさしたる問題ではないのである。今までだって周りを気にせずじゃれついていたのだから、さもありなん。
「それよりも小魔導師。山の向こうに向かう巨人はあなたが初めてです。僕たちの力が及ぶ限り、危険のないようにしますが……」
「そのように不安を見なくともよい。我も小なりとて魔導師の端くれ、それに師匠より教わった魔法もある」
オービニエ山地の向こうにあるのは、人類が最も栄える地“西方諸国”。
そこへと決闘級の巨人を連れてゆこうというのだ。いかに友好国であるクシェペルカ王国が相手とはいえ、何も問題が起こらないと考えるのは少しばかり楽観が過ぎる。
「とはいえあなたを招いたのはエレオノーラ女王陛下、ご本人です。大手を振ってゆけば良いのですよ」
小魔導師が彼らの新婚旅行に同行することになった理由。それは旅の知らせを受けたクシェペルカ王国側からの要望によるものだった。
つい先日、フレメヴィーラ王国を大きく騒がせた巨人族の存在は山を越えてクシェペルカ王国まで伝わっていた。
さらにはボキューズ大森海には巨人族の国があり、フレメヴィーラ王国と手を取り合おうとしているという。これに興味を覚えない方が無理である。
クシェペルカ王国としても連絡をつける機会を望んでいたところ、エルネスティが旅行に出るという連絡が舞い込んできた。まさしく渡りに船というわけである。
新婚旅行に奇妙な任務がくっついてくる形になるが、エルもアディも気にした様子はなかった。彼らの感覚において小魔導師は身内も同然なのだから。
余談ではあるが、クシェペルカ王国へと向かう巨人族について、小魔導師以外という選択肢はないも同然だった。
何せ巨人族。彼らは基本、大変に好戦的である。本人たちにそのつもりはないのかもしれないが、“問い”という名の決闘行為において物事を決めようとしたりとそもそも文化的に戦いの比重が大きい。
師匠の影響によるものか、巨人の中では比較的穏健な性格をしている小魔導師に白羽の矢が立つのも至極当然と言えた。
「エルネスティ様、出立の準備が整いました。いつでもご指示を」
エルたちのもとへと伝えてきたのは、藍鷹騎士団の騎士ノーラ・フリュクバリであった。なぜこの場にいるのかといえば。
「旅の間のお世話は我々にお任せください。閣下の従者として恥ずかしくない働きをお約束いたします」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。少しばかりお役目があるといっても、これは旅行なのですから」
まさか隣国まで赴くのに、本当に旅行であると考えているのはこの夫婦だけである。
もちろんノーラたちがただの小間使いであるはずはなく。
まずはエルたちの護衛であり、小魔導師の見張りも兼ねる。さらには西方諸国に対する情報収集など彼女たちの役目は多岐にわたっていた。
小規模な手勢で目立たずに任務をこなすという意味で、藍鷹騎士団以上の適任はいないだろう。
「久しぶりですし、クシェペルカも発展著しいとのこと。のんびりと楽しみましょう!」
「承知しました」
そんなことはおくびにも出さず、ノーラはあくまでも生真面目な様子で頷いたのだった。
一行はオルヴェシウス砦を出発し、その日のうちにオービニエ山地を越えた。数年ぶりにクシェペルカの土を踏む。
荷馬車を牽いたツェンドリンブルが近づいてゆくと、国境沿いの関所はにわかに騒がしくなった。
大地を駆ける人馬の騎士。さらには翼を広げた銀の鳳が描かれた旗を掲げているとなれば、落ち着けというほうが無理である。
大西域戦争時代の英雄、銀鳳騎士団の威光はいまだ衰えることなく。関所を守る兵士たちは、人馬の騎士を丁寧に迎え入れたのであった。
「我が国の救国の英雄にお会いできるとは、光栄です!」
「今回は私的な旅ですので、そのあたりは」
入国の手続きをしている間、周囲の視線がエルに刺さりまくっている。戦場を駆ける鬼神の記憶はまだ新しい。
「はっ! それとしまして、一足先に早馬を走らせましょう。女王陛下も閣下のご到着を、首を長くしてお待ちですよ」
「よろしくお願いします。僕たちは道々にゆっくりと進みますので」
「承知しました!」
関所から馬が走る。女王へ報せを届けるのはもちろんだが、途中でエルネスティの到着を伝えてゆくのである。
かつての大西域戦争の序盤において、東方領は主戦場となった。
それだけに周りには関係者が多い。いかに私的な旅とはいえ、まったく挨拶しないというわけにもいかないだろう。エルたちとしても挨拶しておきたい人物はそれなりにいる。
問題なく手続きを終え、一行はクシェペルカ領内へと入った。
急ぐ旅でもない。ツェンドリンブルは暢気な歩調で街道を進む。記憶に残る知人の姿を思い浮かべながら、アディは大きく伸びをしていた。
「エレオノーラ様、元気かなぁ。キッドもちゃんと騎士してればいいけど!」
「ははは。若旦那が大人しくしていれば、大丈夫だと思いますよ」
「それ無理じゃないかなー、若旦那だし」
それは旅の道々における、軽口のはずであった。奇しくも、彼らの冗談はすぐに的中する羽目になるのである。