#108 騒乱の種火
夜の帳に包まれた、小鬼族の街。
木々と混じりあった建物は独特のうねりを描き、闇の中に奇妙な輪郭を浮かび上がらせている。
街の中央にある城の外壁の上で、アデルトルートは暗闇のなかの街並みを眺めて、ついで諦めのため息をついた。
「うん。だいたいこうなるって、わかってた」
「来しなに見た感じでは、あのあたりに“工房”があるはずです。さっそく急ぎましょうか」
彼女の隣ではエルネスティが、暗闇の中の一点を指さしながらはしゃいでいた。
土地勘のろくにない初めての街であっても、人型兵器に関するものを見つけ出す執念は健在だ。
もともと地図の把握は、騎操士として必要とされる技能のひとつである。
さらにエルは仮にも騎士団長、指揮をとるためには進路を決めなくてはならない。ゆえに一度見れば忘れることはなく――そうでなくとも工房の位置は忘れまい。
彼はすぐに目当てのものに目星をつけて、夜空へと軽やかに飛び出していった。
「ま、仕方ないか。エル君だし」
森を越えて吹いてきた風が、アディの髪をやんわりと撫でて去る。
彼女は苦笑をひとつ残すと腰に提げた銃杖を掴んだ。先行するエルの背を追って、夜の街並みへと駆け出してゆく。
見張り付きの部屋にいたはずの二人が、なぜこのように夜の街を駆けているのかというと。
それはごく単純に、完全武装のエルをたかが鉄格子や見張り程度で止めることなどできなかった、というだけである。
彼らはあっさりと窓をはずして部屋を抜け出すと、壁伝いに屋根まで上っていった。
あとはいつも通り“大気圧縮推進”の魔法を存分に用いて空を翔け、夜の街に観光へと繰り出していったのだ。
眺める先が、明らかに機密じみた場所であっても、それで止まってくれるエルではなかった。
「さて、ここがこちらの工房ですか」
「見た目はあんまり、フレメヴィーラとかわんないね」
数百年の時を隔てているとはいえ、フレメヴィーラの民と小鬼族は元は同じ文化圏にいた者たちである。
なかでも工房は規模が大きくなりがちゆえ、実用性に傾く向きがあった。どこにあっても似たような施設になるのも、当然といえよう。
「だとすれば、どこかに通気口が……ありました」
「やっぱり忍び込むの?」
「もちろんです。幻獣騎士についてあまり教えてもらえませんでしたから、これは自分で見に行けということでしょう」
「絶対違うけど、エル君止めるの無理だよね」
話しながら、エルたちはするすると降りてゆき通気口へと入ってゆく。
高所にあり本来なら人が出入りするようなものではない場所から、彼らは侵入を果たしていた。
「誰か、いらっしゃいませんか。いらっしゃいませんね。ではさっそく」
人気のない夜の工房には濃い闇が蟠っていた。明かりなど、どこにも存在しない。
エルは、ウィンチェスターの先に小さく魔法を発動させた。発射前の状態で固定された“火炎弾丸”の魔法が、周囲にぼんやりとした明かりを広げる。
クレーンを動かすために張り巡らされた梁の上を、二人はすたすたと伝っていく。
やがて頼りない明かりのなかに、工房の壁際に並べられた巨大な物体が姿を現し始めた。
「……幻獣騎士」
それは見慣れているかのようでいて、少し異なる景色だった。
はるか昔は幻晶騎士であったそれは、度重なる改修の果てにまったく異なる姿へと置き換わっていった。
修復に魔獣の素材が利用されたからだろうか。それとも何かしらの意図があって、元の姿から外れていったのか――。
「いかなるものか、じっくりと見せていただきましょう」
エルはウキウキとした足取りで、幻獣騎士の足元へとかけてゆく。
それを追いかけながら、アディも幻獣騎士をじっくりと眺めていた。
「やっぱりちょっと、ヘン。幻晶騎士のほうが好きだなー」
「材料が大きく変わりながらも、維持してきた努力が見えます。これはこれで良いのではないでしょうか」
「エル君って、わりとなんでも良いっていわない?」
話しながらエルは機体に駆け上がり、胴体のあたりに潜り込む。
カキッという小さな音のあと、圧縮大気の噴射音とともに胴の装甲が跳ね上がった。
「ふふ。操縦席を開く仕掛けがそのままで助かりました」
「見た目はこんなでも、やっぱり幻晶騎士の仲間なんだね」
エルは口を開いた操縦席に飛び込むと、慣れた様子で操縦桿を握りしめる。
ひんやりとした感触の先に魔力が流れ、経路がつながる感覚があった。エルの顔に、会心の笑みが広がってゆく。
「さすがに完全にバラすのは難しいですから。まずは魔導演算機からみせていただきましょう」
幻獣騎士の魔導演算機は、かつての幻晶騎士がそうであったように、侵入に対してまったくの無防備であった。
エルのような異形の存在を想定していないのだから仕方がない。
彼の意識は魔導演算機に蓄えられた大量の魔法術式を捉え、詳らかにしてゆく。
「やはり、ほとんどは見覚えのあるものばかり。機体の動作、出力制御……でも、奥の方に見覚えのないものがあります。これが本命」
それは幻獣騎士にあって、幻晶騎士にはない機能ということだ。エルの浮かべる笑みの質が、明らかに変化した。
「解析は久しぶりですが、腕が落ちていないといいですね」
言いつつも、彼はなんらためらうことなく未知の魔法術式に食らいついてゆく。
解析の基本は分類と比較だ。彼は今まで知り得た魔法術式を総動員し、わずかにでも類似したものがないかを調べ上げてゆく。
それは気の遠くなるほどの分量を持つ作業であったが、エルネスティにとって苦になるものではなかった。
何しろ魔法に関する演算能力こそ、彼のもつ最大の異能と言ってよい。
異郷の地で時を経た人型兵器がいかなる進化を経てきたのか。
彼はまるで誕生日の贈り物をもらった子供のように、とてもとても楽しそうに解析を進めてゆくのであった。
エルが操縦席にこもって解析に熱中している間、アディは幻獣騎士の機体そのものを調べていた。
その姿は彼女にとって趣味ではないが、興味がないわけでもない。ただ待っているだけなのは暇だったということもあった。
小鬼族は巨人族の支配下にあるがゆえに、行動に制限が多い。
なかでも最も苦労するのが資源の入手だ。
手に入るわずかながらの金属は優先的に巨人たちに使用され、小鬼族まではなかなか回ってこない。それに対して、潤沢に手に入るのが魔獣の素材なのである。
ボキューズ大森海は魔獣の楽園ともいわれる地。
自衛のためであれ狩りのためであれ、魔獣と戦う機会には事欠かない。魔獣の素材は(倒せるならば、という前提条件が付くが)補給が容易なのである。
現にエルも、魔獣の素材を利用することを思い立ってカササギを作り上げた。
「なんだか、見た目以上に変な機体ね。かわいくないしー」
手足に胴体と、簡単に調べただけではあるが、彼女は怪訝な表情を浮かべる。
エルほどではないが、アディも幻晶騎士の構造にはそれなりに詳しい。
そもそも騎操士たるもの己の乗る機体に通じているものであるが、彼女の場合はさらに機体の製造からかかわってきた経歴があるのだ。
「あれ? これ、吸気口じゃないんだ」
だから気付いた。胴体部にある覆い付きの管が、不自然なものであることに。
「どこにつながってるんだろ。吸排気管なんて魔力転換炉につなげないと意味がないのに。しかも、内側に……これ紋章術式になってる」
吸排気管とは、魔力転換炉にエーテルを取り込むためのものである。
当然そんなところに紋章術式を刻む必要はない。それに類似するのはむしろマギジェットスラスタであるが、あの技術はこの地にはないはずだ。
「……うーん、何が書いてあるのか、さっぱりね!」
彼女は紋章術式をに読もうとして、すぐに諦めた。見たことのない術式がところどころに交じっている。
こういうのは、エルの役目である。
「エル君、なんだか変なものがあるんだけど」
「アディも、何か見つけましたか」
「うん。エル君も何かあった?」
操縦席に収まったエルを、ぼんやりとした火炎弾丸の明かりが照らしている。
彼は今も演算を続けているのであろう、漠とした視線のまま話し出した。
「演算機に、明らかに奇妙な魔法術式を見つけました。本来ならばこんな機能は必要ありません。そのうえ、これは」
彼の顔に、戸惑いの表情が浮かぶ。
アディは首をかしげた。なにごとも明快であるエルにしては、珍しいものだったからだ。
「僕の知る魔法術式の中で、これにもっとも類似しているのは……“生命の詩”です。あれは“エルフ”の秘奥であり、まともな人間が扱えるものではなかったはず。どうして、こんなところに使われているのでしょうね」
放たれた問いが、夜の空気に溶けて消える。それは奇妙であるようでいて、非常に重要な意味を持っているように感じられた。
「幻獣騎士。どうやらこれは幻晶騎士の遠い親戚などではないようですね。俄然、興味が湧いてきましたよ」
その時である。彼らの耳に、騒がしい気配が届いてくる。
それは遠くにあるものだったが、にわかにあちこちで湧き起こりつつあった。
「エル君、これって誰か来るんじゃない?」
「ううむ、ばれてしまったかな。これからがお楽しみだというのに……」
エルは名残惜しげに嘆息を漏らしたものの、行動自体は素早いものだった。
幻獣騎士を元に戻して痕跡を消すと、再び天井近くの梁へと飛びあがる。
梁の上を一気に駆けた彼らは、通気口のあたりで火炎弾丸の明かりを消した。
暗闇に沈む工房内に、慌ただしい足音が近づいてくる。やがて、誰かが掲げた明かりが見えてきた。
すぐに、ここには多くの人間がやってくることだろう。
エルたちは長居は無用とばかりに、夜の街へと戻ってゆくのであった。
夜も更け、眠りについていたはずの小鬼族の街は、急な目覚めを余儀なくされていた。
街中には明かりが増え、そこかしこに慌ただしい足音が聞こえる。
それは城であっても同様だ。むしろ街の中枢であるだけ、こちらのほうが慌ただしさは上であろう。
エルネスティたちにあてがわれた部屋の扉から、ノックの音が響いてくる。
「……はい、どうぞ」
ややあって、返事を受けて数名の人物が部屋へと入ってきた。
王が、数名の供を連れてやってきたのである。
エルとアディは――ついさっき戻ってきたばかりだというのに――何食わぬ顔で客を迎える。
「いったいどうされましたか」
「夜分遅くにすまないね! 突然だが、こちら少々急な用事ができてしまった」
「用事、ですか」
どうやら用件は、エルたちの夜の観光についてではないようである。
知らないのか、あるいはどうでもよいのか。王の様子からは読み取れなかった。むしろ、彼は明らかに不機嫌を露わとしていたのである。
「そうだ。まぁ隠しても仕方がない。ついさきほどだが、ルーベル氏族より私たちに命が下った」
意外な言葉を聞いて、エルとアディは顔を見合わせた。
それを別の意味と受け取ったオベロンは、わかってくれたかとばかりに頷く。
「まったくルーベル氏族の奴らめ、やはり我々を雑兵か何かのようにしか思っていないのだろう。気まぐれに呼びつけおって!」
彼は拳を握りしめ、しかしそれはすぐに下げられる。
「いずれ奴らには借りを返す。だが今はまだ、気取られるわけにはいかないからな。私たちは奴らの命に従わねばならないのだ」
それだけを告げると、オベロンはすぐに立ち上がった。
本当に時間がないのだろう、最低限の説明だけをおこないにきたのである。
「そういうわけだ、私たちには仕事ができた。話し合いを続けたいところだがそうも言ってはいられない。しばらく大人しく待っていてもらえると嬉しいね、お客人」
「わかりました。残念ですが仕方がありません」
「助かるよ。人をつけよう、何かあればそちらに言えばよい」
王は急ぎ気味に話をまとめると、来た時と同じように慌ただしく去っていった。
彼らを見送った後、エルとアディはほっと息をつく。
「ちょっと危なかったね、エル君」
「ええ。とはいえ、こうも騒がしいのではゆっくりと調べ物もできません。それにしても」
彼は腕を組むと、コテンと首をかしげた。
「いったい、巨人に何があったのでしょうね」
闇夜の向こうから、街に満ちた騒がしい気配だけが伝わってくる。
巨人族にいったい何があったのか。エルたちは、それを見通す目を持ってはいなかった。
夜空に、風の音がこだまする。
眠りと沈黙の中にあったはずの夜をかき分け、進むものがあった。
風音が強くなる。
それらは風にあおられているようでいて、むしろ自ら風を巻き起こしている。
鰭のように帆をはためかせ、夜空を切り裂き突き進んでゆく。
それらは進む。夜の空を、闇に沈んだ森の空を。
その奥深くに残されたものを取り戻さんと、決意と共に今再びこの地の空を侵す。
それらの正体は“船”であった。水のない空にあるまじき、空を進む異形の船――“飛空船”。
それらは、巨大な船体に旗を掲げている。描かれているのは剣と盾、草木をあしらった紋章。その下には、翼広げた銀の鳳の姿。
銀鳳騎士団旗艦、飛翼母船イズモに、強襲揚陸船、輸送型飛空船、及び多数の空戦仕様機。
西方に最大規模の船団が、ボキューズの空を泳いでいる。
戦いの中に姿を消した彼らの長を迎えるため。銀鳳騎士団は、再び巨人の領域へと侵入しようとしていた。