#106 思惑
「本気でしょうか?」
エルネスティは椅子にもたれかかると、じっと小鬼族の王を見つめる。
彼はその射るような視線をものともせずに、低く笑った。
「もちろん、ずっとずっと考えていたのさ。ようやく手札はそろった、実行するなら今しかない。ことは全てのるかそるか! 躊躇いなどないね」
指を鳴らすと、彼はそのまま小屋を出てゆこうとする。
「とはいえ、そちらからすれば急な話だ、しばらく考えるとよいよ。どのみち君たちにとっても必要なことで……」
そうして、小屋の扉に手をかけた時のことだ。彼が開く前に、入口が勢いよく開け放たれた。
目を細めた王の前に、一人の少女が立ちはだかる。
「ふうむ? その風体、村人ではないね……君のお仲間かい?」
「はい。アディ、道を開けてさしあげて」
エルに言われてからも、アデルトルートはオベロンをじっと見つめていた。
彼がにっと笑いかけたところで、道を開ける。しかし彼は小屋を出ずに愉快げな笑みをはりつけたまま、二人を交互に眺めている。
「ふむふむ、なんともなぁ。西の民はずいぶんと綺麗どころばかりを送り込んでくるものだ。これは、そういうことなのかい?」
「さて、どうでしょう」
「くくく、どちらでも歓迎しよう! ははは……」
とぼけるエルを前に、王はひとしきり笑いを収めると、ようやく小屋を後にした。
入れ替わるように、アディがエルのもとへと駆け寄ってくる。
「むぅ、なんか妙な奴! エル君大丈夫? 変なことされなかった!?」
「大丈夫ですよ。なんですか変なことって……」
苦笑するエルを抱きしめ、アディは人心地ついている。
「あの人、誰? あ、小魔導師ちゃんから聞いたけど、あの巨人は幻晶騎士だったって」
「ええ。こちらでは幻獣騎士というそうですが。それとともにやってきたのが、あのオベロン陛下。この地を治められている、小鬼族の王ですよ」
アディは顔を上げ、目をまたたいた。
「え。いきなり小鬼族の王様が来たんだ? なんかこう、向こうの騎士団長っぽい感じかなって思ってた」
「確かに、極めて大胆なやり口ではありますね」
何の小手調べもなく、いきなり王が現れるというのは大胆どころの話ではない。
しかし持ってきた話の規模からしても、それは疑うところではないように思えた。
「ともかく。アディ、僕たちもいきましょう」
「あの王様と一緒に?」
「小鬼族とは、僕たちの同胞ともいうべき者たち。そのために共にルーベル氏族と戦わないかと、誘われました」
アディ眉根を寄せると、エルの耳元で囁く。
「いきなりすぎ。なーんだか信用できないなー。エル君は、どうするつもり?」
「話を受けようと思います」
彼女は、意外そうに首をかしげた。
「いいの?」
「断ったところで得るものはありませんし、受けるとすれば暫定味方が増えます。それにカエルレウス氏族もルーベル氏族との対決を望んでいますし、僕も借りは返しておきたいですから。彼らとの利害は一致していますね」
エルは、笑みを深める。
「それに彼らにはまだまだ、さらに望むものがある様子。それを知るためにも、もっと話を聞いてみないといけません」
「ん、わかった。狩りの基本は地道な調査ね!」
「相手の習性がわかってからが、勝負ですよ」
アディは、もういちどしっかりとエルを抱きしめなおした。
「ふふー、大丈夫。私はどこまでも団長についていくから!」
「ありがとうございます、アディ。しばらくは彼らの話を聞きつつ……カササギを守らねばなりませんね」
「カササギを?」
「ルーベル氏族との戦いのほかに、彼らは西方への帰還を望んでいるようでした。どうやら飛空船についても知っているようでしたし。だとすれば、魔獣に頼らない飛行技術である純エーテル作用論について知りたがるでしょう」
エルは視線を、村の広場の方角へとむける。
そこには彼の大事な空飛ぶガラクタが、今も鎮座していた。
「どこにあるかわからない飛空船と違い、カササギはここにありますからね。あれも簡単に真似のできるような代物ではありませんが、だからと言ってたやすく差し上げられるようなものでもありません。手を出すようなら、相応の火傷を負っていただかないと」
「イカルガと、シーちゃんの部品が使われてるもんね」
エルとアディは頷きあう。
「では、まずは彼らの都とやらを見せていただくとしましょうか」
そうして方針を決めた二人が小屋を出ると、意外なことにオベロンはまだそこにいた。
なんとはなしに周囲の景色に目をやっていた彼は、二人を前に腕を広げる。
「やぁやぁ、どうやら早くも話がまとまったようだね?」
「はい。あなたの話、お受けしようと思います。あとは、カエルレウス氏族に話を通してこなければ」
パンと手を打ち鳴らし、オベロンが笑みを深める。
「それはそれはなによりだ! 実にうれしいよ西の民! それに……」
彼は言葉を切り、しばらく二人を眺めた。二人が不審げに首を傾けたところですっと近づき、手を伸ばす。
「ふうむ。やはりこちらの者とは違うか……」
そのままアディの髪を手に取ろうとしたところで、その手は空を切った。
アディが、素早くエルの後ろに移動したのだ。小さなエルの陰から、キッと王を睨みつける。
「おうや。くく、これは失礼。まぁそう邪険にしないでくれよ」
彼は一瞬だけ意外そうな表情を見せたが、すぐにそれを笑みで塗りつぶした。小さく肩をすくめると、すぐに踵を返して手招きをする。
「ともかく、では我らが都に向かうとしようか。このような末の村では、ロクなもてなしもできないからね。歓迎の宴は、期待してくれてかまわないよ」
アディはエルをしっかりと抱きしめたまま、歩き去る王の後姿を睨んだ。
「なにあれ。やっぱりあの人、あんまり好きじゃない」
「ふむ。まぁしばらくは味方です。いずれ敵対するなら、その時はその時としましょう」
アディはむっすりとした表情で、エルの頬をむにっとひっぱった。
「エル君って先の事を考えているようにみえて、じつはけっこーその場のノリで動いてるよね」
「なへほほほひっはふのれふか。常に最善を尽くしているといってください」
そうして二人はじゃれあいつつ、カエルレウス氏族のもとへと向かうのだった。
小鬼族の村の入り口近くには、巨人たちが集まっている。
目の前には幻獣騎士がある。巨人たちにとっては戦いを挑んできた敵ではあるが、今はエルが話し合っている。みだりに戦うわけにはいかなかった。
巨人たちはまるで瞑想でもしているかのように、静かに過ごしている。しかしその身からは緊張は抜けておらず、何かあればすぐにでも戦うことができる状態にあった。
「お待たせしました」
そこに、エルたちが戻ってくる。
三眼位の勇者は閉じていた瞳をひとつ開き、足元をみやった。
「問いは、どのような目を出した」
「戦わないことに決めました」
「そうか」
続けてエルは、王との話し合いの内容をかいつまんで説明してゆく。
カエルレウス氏族の巨人たちは顔を見合わせ、その内容について考え込んでいた。
そのなかでも勇者は、愉快気に膝を叩く。
「小鬼族が、ルーベル氏族と戦うか。それはよいことだ。子飼いに噛み付かれるほどとは、奴らめよほど眼汚れていると見える。己の周りも見えぬようではな」
低く笑い、勇者が立ち上がった。
その三つの瞳は、はるか百都の方角へと向けられている。
「小鬼族の勇者よ、お前の言うとおりであったな」
「どれのことでしょうか」
「ルーベル氏族は巨人族にあって、もっとも大きな氏族であった。それこそ諸氏族連合軍を組まねば、戦う目すらないほどに。しかしそれは我の無知ゆえであった。奴らにも弱目はある。まず我らは、より仔細に奴らのことを知らねばならなかった。お前の言った通りだ」
「では、勇者よ」
一眼位の従者の問いに、勇者は頷く。
「我らもゆこう。より近く、より詳しく。まだまだ知らねばならぬようだ」
カエルレウス氏族の巨人たちは勇者の言葉に応じ、立ち上がると腕を打ち鳴らした。
それにエルも頷く。
「では、彼らと共にゆきましょうか。さっそくと行きたいところですが、これは村の人たちにも話しておかないとですね」
次にエルは隠れたままの村人のもとへと向かい、事情を説明する。
彼らは不安げな様子で顔を見合わせるばかりであったが、やがて意を決したように村長が進み出る。
「お、王は……いったい、私どものことはどのように……」
「彼の興味は僕たちにあるようですし、とくに咎め立てるようなことはさせませんよ」
エルが請け負うと、村人たちの間から抑えたどよめきが上がった。
「そ、それでは、これからどのような……」
「そうだ。私どもも、上街までお供いたしましょう」
勢い込み、続々と頷く彼らに対して、しかしエルはゆっくりと首を横に振った。
「彼らと共に進んで。この先にあるのは、戦いです。それも巨人族に最大の氏族である、ルーベル氏族を相手にしての」
たったの一言で、村人たちが意気消沈してゆく。
むべなるかな、彼らに戦う力などないのは、これまでの行動が証明している。彼らは、大きな変革の波が去ってゆきつつあるのを感じていた。
「それに僕たちは王と共にゆきますが、この戦いはいずれこの地にいる全ての小鬼族に影響をもたらすことでしょう」
エルは姿勢を正すと、村人たちに向けて言った。
「大丈夫です。それがあなたがたにとって良い結果となるよう、努力します。ここでカササギを作り上げてもらった、その恩は返さなければいけませんしね」
ふんわりとした笑みと共にエルが請け負うと、村人たちは小さく同意を示した。
先のことはわからずとも、彼らにはこの小さな騎士にすがるしか、今は方法がないのであった。
森の中をくりぬくような、木々に囲まれた獣道。そこを今、奇妙な一団が進んでいた。
先頭をゆくのは歪な人造の巨人、幻獣騎士。その後ろについて歩くのは、少数の巨人族であった。
さらには彼らの上空には、奇怪な形状をした何ものかが浮かんでいる。エルとアディをのせた、カササギである。
かようにとりとめのない集団ではあるが、その目的は一致している。小鬼族の都への旅路は、想像よりも穏やかなものであった。
騒ぎと言えば時折、状況を読み間違えた哀れな魔獣がその日の食事に供されるくらいである。
そうしてしばらく進んだ途中のことである。
エルたちは基本、カエルレウス氏族と共に行動している。移動中は彼らの上にいるし、休息も彼らとともにとっていた。
ある日の夕食にて。そんなカエルレウス氏族の集団に、ひょっこりとオベロンが顔を出した。
小鬼族はこれまでカエルレウス氏族にはあまり干渉せず、先導に徹してきていた。巨人たちも特に小鬼族と話をする気はなく、両者の間にはやや距離があったのだが。
オベロン個人にとっては気にしたものではないのか。
しかしさすがに単身とはいかなかったようで、背後に数名の従者を連れていた。
従者たち皆、獣の毛皮を中心とした革鎧を身に付けており、ふるまいには明らかに戦闘の心得があった。
ただの従者ではない、彼らこそこの地における支配階級――騎士である。
放埓に振る舞う王とは違い、彼らはじっと背後に控えているだけだった。
無言ではあるが、時折西からの客人であるエルとアディを無遠慮にじろじろと見回している。
アディは少し不愉快そうに眉根を寄せ、エルはまったく気にしたようすもなく彼らを迎えた。
「詳しい話はついてからでいいだろう。しかし、ただ道案内だけというのも味気ないというものさ!」
エルたちの夕食のご相伴に与りながら、王は莞爾と笑っている。
「なるほど、常に巨人族と共にいれば食事には困らないというわけかい。それは便利そうだな」
そうして王は適当に夕食を喰いあらし、何やら勝手に頷いていたが、やがてふと振り返った。
「エルネスティよ、それにしても君は巨人族とずいぶん仲がよいようだね」
「あなたがたは違ったのですか」
エルが問い返せば、オベロンは一瞬だけ真顔になった後、すぐさま破願した。
腹を抱えるほどに笑い、すぐにはおさまらぬと見えて時折ひくついている。
「違ったかだって? はは! そうだ、違ったとも。まったく違ったさ! あれらは、私たちのことなど少々知恵のある虫程度にしか思っていないだろう!」
なおも笑い止まらぬ様子の王であったが、瞳には喜色とは程遠い光がある。
「あのような幻晶騎士をもっていながら、飯を分かち合うほどに巨人と馴染んでいる。不思議でならないな! いったいどうやって、奴らをここまで躾けたのだ?」
「躾などではありませんよ。色々ありましたが、氏族の仲間として迎えてもらったのです」
「巨人と、小鬼族がか!! これはこれは、本当に冗談がうまいな!」
無遠慮に笑う王を前に、しかしエルはそれを咎めようとはしなかった。
彼がカエルレウス氏族の一員として迎えられたのは、まさしく騎士として最上位の実力があったからである。勇者を打ち倒すだけの実力が、そうそう誰にでもあるわけではない。
さらに他の氏族も同程度に好戦的であるとすれば。かつての疲れ果てた森伐遠征軍残党が、どのような道を辿ってこの地に生きているか、想像に難くない。
「戦闘力……つまり幻晶騎士、いいえ、幻獣騎士を操る者たちがこの地を支えているわけですね」
エルは、笑い続ける王の後ろに控えた者たちへと目をやる。
馬鹿騒ぐ王とは対照的に、彼らは一言もしゃべらずそこにあった。その雰囲気は、あるいはフレメヴィーラ王国の騎士以上に研ぎ澄まされた、物騒さをともなうものである。
やはり彼らと巨人族との関係は、あまり穏やかとは言えないのだろう。
「くく。いやなかなか、貴重な話を聞けた。こうして奴らと行動をともにしているからには、あながち嘘でもないのだろう。どうあれ、ルーベル氏族を相手にするにはありがたいことだしな!」
それからも一通り騒いでから、王とその護衛たちは自らの野営地へと引き返していった。
「何がしたかったんだろね、あれ」
最後まで騒いでいたのは王一人であり、護衛のものたちは表情すら変えていない。アディからすれば、不気味なことこの上なく見えたのだろう。
彼女はしきりに首をひねっていた。
「さて、親交を深めたいのか、単なる値踏みか。どちらでも構いませんし」
「エル君がわりとひどい」
そうして彼女は吐息と共に直前の考えを洗い流し、ひとまずエルを抱きしめたのだった。
小鬼族たちの野営地は、幻獣騎士に囲まれている。
およそ何に襲われても動じなさそうな巨人族や、対処能力の塊のようなエルたちとは違う。彼らは、まっとうに魔獣に備える必要があった。
「時には生きの良い食事も、悪くはないものだね」
「王よ……だからとて、あのような振る舞いを」
護衛の中からいっとう年嵩の男が進み出る。彼は皺の刻まれた顔をわずかに苦々しげに歪めながら、口を開いた。
「まぁ良いじゃあないか。共に獲物を囲んだ者は受け入れる、頭の足りない巨人族にしてはよい風習だと思うぞ」
男は、ため息を抑えられないでいた。少々言ったところでこの王が聞き入れることはないと、経験からわかっていてもだ。
そうして気を取り直し、彼は話題を変える。
「王。我々にはどうにも、あれはただの子供のようにしか見えません」
「その目で見ただろう? あの装い、ただの村人というには無理がある。既に騎士に列せられているならば、私たちが知らないはずもあるまいし」
「確かに、異邦人ではあるのでしょう。だとしても、あのような子供に何ができるのか」
当然の疑問を口にする男を見て、王は口元を笑みの形にゆがめた。
「女子供だろうと死にかけの老人だろうと、かまうものか。あの奇妙な幻晶騎士を有している、誰の手も借りずに空を飛ぶ技がある。それだけで十分すぎる」
「そう、必要なのは幻晶騎士のみ。あの子供は不要なのでは」
ふと、王が笑みを消した。彼は長く息をつくと、それまでとは違った鋭い視線で男を睨む。
「馬鹿を言え。私たちが“滅びの詩”を奪うのに、どれだけの時をかけたと思っている。相手は未知の幻晶騎士、簡単に扱える保証などないぞ。そして何としても、アレは必要だ」
王は立ち上がり、騎士を見回して言った。
「詩と空をこの両手に。そうして手を取り合おう、ともに敵を討とう。巨人族は去り私たちは“船”を手に入れる……それこそが願いなのだから」