館の秘密
大きな瞳に高く通った鼻筋、そして色ムラの無い綺麗な肌は私の瞳に動く隙を与えなかった。
「…酷いお怪我でしたが、歩けたようで何よりです」
彼の続けた言葉にハッとして視線を逸らす。
「あなたが私を助けてくれたと聞きました、…ありがとうございました」
「いえ、人として当然な事をしたまでです」
カップをテーブルに置くと立ち上がり、一直線に伸びたスマートな体で歩み寄ってくる。
「さ、お話の続きは、食事をしながら」
そう言うと手を差し出した。
息が当たってしまいそうなほど顔が近く、目が見れなかった私は、美しい曲線を描いて微笑む口元を見ていた。
手に触れる事すら罪だと思えてしまう。それほど、彼は美しかった。
長テーブルの両端に配置された食器。
そこに運ばれた彩り鮮やかな料理。
「ありがとうございます」
「…」
それと、無愛想なメイド。
「申し遅れました、私は家主の斎藤仁と申します。…あなたは?」
「芹沢麻希と申します。改めまして、斎藤さん、この度はありがとうございました」
「いえいえ、…ただ、少し心配なのは、助けてしまって良かったのかな、と思っているのですよ」
その言葉に私は苦笑いを浮かべ、俯く。
「差し支えなければ、ここに来た理由をお伺いしてもよろしいですか?」
身の上話をするのは余り好きではない。だが彼は恩人であり、赤の他人。そんな相手だからか私はさほど抵抗なく口を開いていた。
「…婚約者が、浮気をしていたんです。しかも私の後輩と…それを問い詰めたら私は彼に捨てられてしまって、それで何もかもが嫌になっちゃって」
ワイングラスに目を落としながら、同情を誘わないよう軽快な口調で語る。
「そうでしたか、それはお辛かったですね。しかし、こんな素敵な女性に背を向けるなんて、その男性は見る目がない」
その言葉に私は照れを滲ませる。
「それにしても、ここのお屋敷はとっても立派ですね、お二人以外にも住人はいるんですか?」
「いえ、ここには私と洋子さんだけですよ」
配膳用のワゴンを押した“洋子さん”に目を向ける。彼女は話に入るつもりはないようで、黙々と自分の仕事をこなしている。
この屋敷は代々引き継がれてきた財産であり、昔は山を越える旅人の宿泊施設として機能していた、と彼は話した。
「今は私が住居兼アトリエとして使っているんです」
「…小説、は、どんな作品を?」
私の質問に彼はふふ、と笑った後答えた。
「中世ヨーロッパを舞台にしたミステリーやサスペンスがほとんどです。有名ではないのでお恥ずかしいのですが」
「是非、読んでみたいです、斎藤さんの作品」
「分かりました、では後ほど書庫にご案内しましょう」
和やかに会話をしていると、衝撃を受けた窓ガラスが大きな音を立てた。固定した枠の中を前後しながら暴れている。
「外は風が強いようですね、この建物は古いけど頑丈に造られているので、ご安心下さい」
斎藤さんはそう言うと柔らかな笑顔を見せた。
食後、古本屋の匂いのする書庫に案内されるとその中から『斎藤仁』著の物を手に取った。
「それは私の処女作です」
裏表紙に書かれたあらすじを読んでいると、横で斎藤さんが声を掛ける。
ハードカバーの厚めのその小説は、知らない出版社の名前が書かれている。
私はその本を借りる事にした。
「お怪我が良くなるまでここにいてくれて構いません、洋子さんは無口な方だから話し相手がいると私も嬉しいので」
会話の最後をそう締めると、私達は挨拶を交わし、それぞれの寝室に戻った。
ベッドに入って本を読み進めるうちに、瞼が心地良い重さを纏い始めた私は、ベッドサイドのランプを消して布団に潜った。
すると、ジーというランプの音が消えたからか、何処からか狭い隙間をすり抜ける空気の音が漂うように耳に届いた。
隙間風、そう思ったが、その音は細かな変化をつけながら甲高く鳴っている。
何処か人の話し声や泣き声のようにも聞こえ、屋敷の雰囲気も相まって、胸にジワジワと不気味さが広がっていく。
きっと読んだ小説の世界観を引きずっているのだろう。そう思う事にして目を閉じた。
「麻希さんはとても美しい黒髪をしていますね」
この屋敷に来てから3日ほど経過し、頭の包帯が取れると斎藤さんは私の髪を褒めた。
細く、日光とは縁の無いような白い指で毛先を撫でる。
本を広げて立ち読みしていた私は少し身構える。
「…そうですか?黒髪の女性なら沢山いますよ」
書庫で2人きり。気まずくなるのを避けるために私は笑顔でそう返す。
「そうですね、でもあなたの髪はカラーもパーマも経験していないような、自然で美しい黒をしている」
そう言うと髪に落としていた目線を上げた。
視線が交わり合う。
色素が薄く、茶色をした彼の瞳が私を射抜く。
彼の上目遣いが何処か挑発的に取れ、私は目を離せずにいた。いや、離さなかったのだ。だって、これは……。
ガシャンッと大きな音がして私達の“睨み合い”は終わりを迎える。
下の階に居る洋子さんがお皿でも割ってしまったのだろう。
その日の夜、寝床に着くとまた隙間風が聞こえてきた。
ほぼ毎晩のように聞こえるその音に、私はもう慣れ始めていた。
ふと、窓から漏れる月明かりが目に入る。
満月だろうか、そう思いながら窓に近づき、カーテンをめくる。
外を見た私は一瞬、思考が停止する。
木が全く揺れていないのだ。
この屋敷に来て1週間ほど経った。
家主は相変わらず夕飯時にしか姿を見せず、メイドは笑顔を一度も見せていない。
そして相変わらず隙間風も鳴り続いている。
その度に私は窓の外を確認した。
静かな時もあれば、風が吹いている時もある。だが、わずかな隙間をすり抜けて高音の悲鳴を上げるほど、強風とは思えないものだったりする。
その日、私は眠れずベッドから起き上がった。
音を立ててしまう杖は手放し、まだ痛む左足を引きずりながら、暗い室内の僅かな光を頼りに階段を降りていく。
振り子の音が空間を支配する中、歩き回っていると階段下の壁紙が僅かにズレている箇所を見つける。
その近くには何度も擦られたかのように色が変色した部分があった。
その部分を押すと、壁は内側に食い込み、隠し扉が姿を表す。
横にスライドして扉を開けると、そこには地下へと続く階段が暗闇の中に浮かび上がった。
奥へと行くほどに暗く、何も見えない。
だが、隙間風のような音はこの下から聞こえる。
無機質な音が一つ振れるほどに大きくなっていく。
怖い、でも、気になる。
美しい館の地下の秘密、そんな言葉を思い浮かべてしまう。
恐怖と好奇心の狭間で揺れながら、荒くなる呼吸を整えると、一歩、暗闇に足を踏み入れた。
石で造られた冷たい壁に沿いながら足を進める。すると、私の目はほんのりと明かりを捉えた。
それは、階段を降り切ったところにある部屋から漏れている物で、扉のないその一室を覗くとモニターの明かりが目を突いた。
机の上に並べられた2つのモニター。その1つはパソコン、そしてもう一つは監視カメラの映像を映し出した物のようだった。
八分割されたその画面には、檻に閉じ込められた女性達が映っている。
一つの檻に1人だったり、複数人入れられているものもあったり、中には暗く、暗視スコープと思われる緑の陰影で姿を確認できるものもあった。
そして各画面の下には『箱入り娘』『風俗嬢』『看護師と薬中』と入力されている。
画面を食い入るように見た後、手元のキーボードを叩き始める。記録を取っているのだろうか。
後ろ姿でも分かる、真っ白なワイシャツに、スリムな体をジレで締めた斎藤さんだという事が。
最初はマニアックなポルノか何かを見ているのかと思ったが、どうやらこれはリアルタイムの監視カメラの映像のようだ。
泣く者、怒りを口にする者、互いを励まし合う者、残響で地下を満たしている女性達の声と、画面が同調している。
そして閉じ込められている女性は皆、長い黒髪で、私と同じパジャマを着ていた。
早く出なきゃ、それが正しい判断だと分かっていながらも私の足は奥へと進んでいた。
こんな時に好奇心が勝るなんて、どうかしてる。
それでも私は、自分の知らない事実があるのが何だか許せなかったのだ。
通路が突き当たり、角を曲がると彼が見ているであろう檻が連なっているのが視界に入る。
開いてしまった口を閉じ、鼻呼吸に切り替える。
すると、何処からか私を呼ぶような声が耳に届く。
「ねぇ、…お願い…ここから出して…こっちよ…聞こえる?」
その声は目の前の壁からで、足元の僅かな隙間から漏れている。
私は床に耳を付けるとその隙間を覗き込んだ。
すると誰かの目がそこにあり、驚いた私は声を出す事なく後退りする。
心臓が跳ね上がる感覚は苛立ちを誘発する。
一瞬見ただけのそれは、焦点の定まらない虚ろな目をしていた。
その人が大声を出さない事を祈りながら私は壁を這うようにして立ち上がり、その場から逃げ出した。
地下から出ると一目散に玄関へと向かう。
しかし、内鍵を捻っても扉は開かず、私は室内を歩き回った。
窓を開けようにも、何で施錠しているのか分からないがビクともしない。
「…地下に行ったんですね?」
突然背後から声が聞こえ、私は悲鳴とも覚束ない情けない声を出してしまう。
声を掛けたのは洋子さんだった。
家中の窓をガタガタ揺らしていた私は、背後に近づく彼女に気づけなかったのだ。
「…あ、私…」
閉じ込められる事が頭を過った私は、日本語を忘れてしまったかのように言葉が続かなかった。
「…こちらへどうぞ、厨房の奥の扉から外に出られます」
そう言うと洋子さんは歩き出したので私は急いで後に続く。
土間のような厨房を抜けると、洋子さんは勝手口の鍵を開ける。
扉が開くと外のひんやりとした空気が肌に触れ、恐怖と焦りに安堵が加わり、感情がひしめき合った。
「早く、急いで遠くに逃げて下さい」
「…ありがとう…」
消え入る声でお礼を言うと私は外に出た。
膝まで伸びた草を掻き分けて木の間を進む。
森の中は屋敷以上に真っ暗で、目が慣れるまで何度も木にぶつかってしまった。
怪我のせいで走れない、それでも必死に前へと進む。
虫や梟の鳴き声と共に自身の荒れた息遣い、そして体を揺らすほどの激しい鼓動だけが聞こえる。
足を進めるうちに屋敷から離れている事は分かっていたが、それでも直ぐ後ろにあるような気がして私の焦燥感を掻き立てた。
早く、早く里に降りなきゃ…。
そう思った矢先、ガサリと私の立てた物ではない草の音が耳に届き、体が固まる。
ガサ…ガサ…
何かがいる。
背後から聞こえる。
だが私に振り向く考えなどなく、再び走り出す。
音は明らかに私を追いかけている。
「…やだ…やだ…」
ほぼ無意識に声を上げながら足を動かし続けた。
すると、背中に衝撃が加わり、バランスを崩した私は胸を地面に叩きつけた。
軽快な足音と共に目の前に何かが舞い降りる。
「…カイル…?」
白い毛並みの動物の前足、2つの突起物のような物で私の背中を突ついた正体だ。
顔を上げると、そこに居たのはカイルでは無い、赤い目をした狼が私を見下ろしていた。
「ひゃ」
猛獣の放つ殺気に慄いた私は体を起き上がらせ、後退りする。
すると、狼の背中が上部に引っ張られるように膨らみ出し、前足が地面から浮き上がった。
状況が理解できず、言葉すら発せられない私は震えながらその光景を見ていた。
上半身を起き上がらせた狼は次第に人間のシルエットへと変化していく。
そして、暗闇に浮かんだそのシルエットの動きを止めると姿を現したのは斎藤仁だった。
赤く光る目で私を見ている。
斎藤は私の胸元を掴むと軽々と持ち上げ、接触どころを失った足は宙を踠く。
彼は首を傾げると口を開いた。
すると長く伸びた犬歯が露出し、鼻を縮ませて歯を立てた。
首元に激痛が走り、その衝撃は電流のように体中を駆け巡る。
「…あ…っ…」
彼の腕に爪を立て、足をピンと伸ばす。
斎藤は喉を鳴らす。
体から熱が失われていき、夜空を見ながら私の体は固まっていく。
視界が暗く狭まると、斎藤の手の内に落ちた屈辱を感じながら目を閉じた。




