閑話13 アンドレオ=モナコラ伯爵の断罪
アンドレオ=モナコラ伯爵の断罪
モナコラ伯爵邸宅から、馬車を走らせること数日。
灰色の雲が垂れ込める空の下、アンドレオ=モナコラは王都へ向かった。
王都が近づくと、石畳を打つ馬車の音が、やけに乾いて響く。
王城の白亜の塔が見えた瞬間、胸の奥が重く沈んだ。
――ついに到着した。呼び出しの内容はどんなものだろうか……。
不安が脳裏を掠めるが、まさか、それほど重大なことにはなるまい。
エマと離縁したこと以外に、大きな問題はないはずだ。
しかし、正門をくぐると、空気が変わった。
衛兵たちの視線は冷たく、廊下ですれ違う貴族は、まるで疫病神を見るように道を開ける。
やがて、謁見の間へと通された。
玉座に座すのは、フランセ王国国王、アルベルト=フランセ。
広い間には重臣と高位貴族のみ。
これは、何かがおかしい。
そう感じながらもアンドレオは先に進む。
張り詰めた空気の中、アンドレオは跪いた。
「モナコラ伯爵アンドレオ、参上いたしました」
王はしばらく沈黙したまま、彼を見下ろしていた。
「顔を上げよ」
低い声。
怒気を押し殺しているのが分かる。
視線を上げた瞬間、アンドレオは悟った。
これは、かなり大変なことになっている。なぜ?
原因がわからないことに、戸惑いながら不安になる。
「貴様の軽率な振る舞いが、王国にどれほどの損害を与えたか理解しているか?」
「……恐れながら、陛下。その件につきましては誤解が――」
「うるさい、黙れ! 皇女に不敬を働いておいて言い逃れようとは」
場がざわめく。
ま、まさか、あのエマの店にいた銀髪の店員のことなのか?
ほ、本当に本物だったのか……。
あの銀髪の店員が、皇女ペネロペだったのか……。
王は怒りながら続ける。
「帝国は激怒している。
我が国は今、極めて不利な立場に置かれている」
アンドレオの喉が鳴る。
これは、まずいことになった。
だから、弁明しようとした。
「お言葉ですが、祝賀会で婚約を破棄なさったのは――」
「それ以上、口を開くな」
冷たい一言だった。
王の視線は氷のようだ。
「王家の判断は王家の責任だ。
しかし、貴様の不敬が帝国の怒りに油を注いだことは事実」
謁見の間の空気が重く沈む。
「外交は力で成り立つ。
怒りを鎮めるには、対価が必要だ」
その言葉の意味を理解した瞬間、背筋が凍る。
ま、まさか、人身御供になれとでもいうのか……。
「モナコラ伯爵家を取り潰す」
静まり返る広間。
「全財産没収。
家名は王国貴族名簿より削除する」
膝が震えた。
あ、ありえない。
たったあれだけのことで、取り潰しだと……。
「そして、元伯爵アンドレオ=モナコラを拘束し、奴隷の身分とする。
またその後、帝国へ引き渡す」
一瞬、耳鳴りがした。
ど、奴隷だと。
「な……なぜ俺が……!」
王は淡々と言い放つ。
「帝国への誠意だ」
それだけだった。
誠意も何も王子がしでかした尻ぬぐいでしかないのでは……。
衛兵が左右から腕を掴む。
「待ってくれ! 俺は平民だと間違えただけだ。そ、それだけなのに――」
「黙れ、このごく潰しが! 間違えたで済まされる問題ではない!」
その言葉に、もう、何を言ってもこの国王には無意味なのを感じた。
エマを追い出したこと。
皇女を脅そうとしたこと。
すべては己の慢心ではあるが、それだけでこの仕打ちはありえない。
引きずられながら、謁見の間を後にする。
背後で、重臣たちのざわめきが広がる。
「奴隷として帝国へ……」
「前代未聞だ……」
「これは、や、やりすぎなのでは……」
ひそひそと話すだけで、誰も反対の声を上げない。
本来なら、王子の振る舞いが発端だと知っている。
だが、王家を糾弾できる者はいない。
彼らは理解していた。
――反論すれば、次は自分たちかもしれない。
◇
数日後の地下牢。
アンドレオは、冷たい石壁に閉じ込められていた。
することもなく、ただ、床に崩れ落ちていた。
「終わった……」
家も、名も、未来も。
遠くで鐘の音が鳴った。
最初は一度。
次第に連続して鳴り響く。
非常警報だ。
足音が慌ただしく行き交う。
やがて、上階から怒号が聞こえた。
「国境沿いにスカイドラゴン、出現!」
「騎士団を招集せよ!」
地下牢の鉄格子越しに、兵士たちの緊迫した声が響く。
スカイドラゴン――。
空を支配する災厄級の魔物。
よりにもよって、この時期に。
帝国との関係悪化。
貴族社会の動揺。
そして、国境に現れた天災。
偶然とは思えなかった。
だが、もはやアンドレオに考える力はなかった。
地下牢に閉じ込められた身では、王国の未来も、帝国の怒りも、どうすることもできない。
彼は暗闇の中で乾いた笑みを浮かべた。
「俺一人を差し出して……終わらせるつもりなのか」
あの国王では、もうこの国に未来はない。
モナコラ伯爵家の崩壊は、ただの始まりに過ぎない。
その時、地上で再び鐘が鳴り響いた。
重く、不吉な音。
フランセ王国の運命を告げるかのように――。
◇
【アンドレオの母ルーナミント視点】
一方、モナコラ伯爵邸。
屋敷の門が、乱暴に叩かれた。
その音を聞いた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
嫌な予感は、数日前から消えなかった。
王都へ向かった息子――アンドレオが、まだ戻らない。
私は大広間へと急ぐ。
かつては誇りだったこのモナコラ伯爵邸も、どこか空虚に感じられた。
扉が開かれ、王家の兵士たちがなだれ込む。
「王命である。モナコラ伯爵家は取り潰しとなった」
その言葉を、私は理解できなかった。
「……何を、仰っているの?」
「元伯爵アンドレオ=モナコラは拘束された。全財産没収。直ちに退去せよ」
“元伯爵”。
息子の名の前についたその言葉が、耳にこびりつく。
足元がぐらりと揺らいだ。
私は、ルーナミント。
かつての伯爵夫人。
夫フランシスコと共にこの家を築き、息子アンドレオに家督を譲った。
あの時は、誇らしかった。
若く、有能で、野心に満ちた息子。
――だが、どこか似ていた。
慢心しやすいところが。
私たちに。
「アンドレオは……どこに?」
「奴隷身分として帝国へ引き渡される」
息が止まった。
奴隷?
あの子が?
誇り高く、家名を何よりも重んじていた息子が、鎖に繋がれる?
私は壁に手をついた。
どうして、こんなことに。
脳裏に浮かぶのは、息子アンドレオとエマの離縁。
エマ。
息子の妻だった娘。
三年間、子ができなかった。
それだけの理由で、アンドレオは離縁を言い渡した。
「家名を継ぐ子が必要だ」
それが、彼の正義だった。
私は……止めなかった。
むしろ言ったのだ。
――伯爵家には跡継ぎが必要よ。
あの子は、静かに頭を下げた。
泣き叫びもせず、恨み言も言わず。
ただ、「お世話になりました」と。
その瞳は、不思議と澄んでいた。
屋敷を出ていく後ろ姿を、私は冷たい目で見送った。
王命で決められた婚姻。
財政が傾いた伯爵家を建て直すためだけに結ばれた縁談。
だが、エマがいた頃。
伯爵家は明るい未来に向かっていた。
赤字だった財政は黒字に変わり、使用人たちも嬉しそうに笑顔になっていた。
あの頃は鉱山の取引も順調だった。
彼女が去ってからだ。
少しずつ、歯車が狂い始めたのは。
夫フランシスコは、早くから異変に気づいていた。
エマが去ると共に、伯爵家の財政が厳しくなっていくのを、静かに見守っていた。
そしてあの夜、私に言った。
――ルーナミント。隣国に行ってみないか。
私は笑った。
訳の分からないことを、と。
モナコラ家は安泰。
王家とも縁がある。
息子はうまくやっている。
そう信じていた。
いや、信じたかった。
夫は一人、隣国へ向かった。
「気が変わったら来い」とだけ言って。
私は残った。
息子のために。
家のために。
それが正しいと、疑いもしなかった。
だが今――
兵士たちが絵画を外し、家具に封印を施していく。
私の居場所が、消えていく。
「退去を」
冷たい声。
私はゆっくりと玄関へ向かった。
豪奢な階段。
赤い絨毯。
先祖の肖像画。
すべてが、もう他人のもの。
外へ出ると、領地の民たちが遠巻きに見ていた。
憐れみと、好奇の目。
私は空を見上げる。
灰色の雲。
「どうすればいいの……?」
息子は奴隷として帝国へ。
夫は隣国に。
私は、何も守れなかった。
もし、エマを追い出さなければ。
もし、息子を止めていれば。
もし、夫の言葉に耳を傾けていれば。
あの子がいてくれたら。
エマが、ここにいてくれたら。
こんな結末にはならなかったのではないか。
遅すぎる後悔が、胸を締めつける。
モナコラ伯爵家は終わった。
それは、息子の罪だけではない。
私の慢心。
私の選択。
その積み重ねの果てだ。
これからどうすればいいの……。
執事が私を心配そうに気遣ってくれる。
「奥様、一度、旦那様のところを訪ねられた方がよろしいかと」
◇
その翌日、雨が降っていた。
私は隣国に向かう辻馬車に、乗り込んでいた。
夫が待っていると言う、スペイラ帝国のサンジャンの町を目指して。
後悔だけを抱えながら馬車は進むのであった。




