閑話12 フェリップ王子視点 ジュリエットを救い、ペネロペを取り戻す戦い
フェリップ王子視点 真実の愛と権力を取り戻す戦い
夜の街道は、異様なほど静まり返っていた。
王都から一週間ほどの距離にある、森と丘に挟まれた旧街道。
月は雲に隠れ、松明の灯りだけが、ゆらゆらと闇を裂いて進んでいる。
――奴隷商人の馬車。
黒塗りの大型の馬車。
武装した護衛が付き、鉄輪が地面を軋ませる音だけが、夜気に響く。
「……金になる女だと聞いたが」
護衛の一人が、下卑た笑いを浮かべた。
「貴族の娘らしいぜ。しかも、元は王子の恋人だとか」
「へえ……そりゃ、帝国に売れば高くつく」
馬車の中。
暗闇の奥で、膝を抱えた少女が、必死に息を殺していた。
――ジュリエット=トラップ元男爵令嬢。
両手には鉄枷。
薄汚れた服は、かつての令嬢の面影を残しながらも、無惨に裂けている。
(……フェリップ様……助けて)
なぜ、こうなってしまったの?
あなたに会いたい……。
助けなど、来るはずがない。
そう理解していても、心は諦めを拒んだ。
その時だった。
――ヒュン。
風を切る音。
「……っ!?」
次の瞬間、先頭の護衛が、声も上げられずに崩れ落ちた。
「な、何だ――!」
闇の中から、黒装束の影が躍り出る。
「敵襲だ!!」
剣が抜かれ、松明が振り回される。
だが――
遅かった。
屋根の上から、もう一人。
背後の森から、さらに三人。
明らかに訓練された動き。
盗賊ではない。
「な、何者だ……?」
護衛の男が叫ぶ。
次の瞬間。
――ドンッ!
馬車の車輪が破壊され、激しく傾いた。
「うわぁぁっ!」
護衛たちは混乱し、連携は崩れる。
そして。
「……やれ」
低く、命じる声。
闇の奥から、一人の青年が姿を現した。
フードを被っているので正体はわからない。
だが、そのフードの下には王族の顔が隠されている。
――フェリップ王子。
(……これは聖戦である)
胸の奥で、何かが軋む音がした。
だが、もう戻れない。
先に、進むしかないのだ。
「抵抗するな。命までは取らん」
だが、奴隷商人が叫ぶ。
「ま、まさか盗賊なのか!?
なぜ、こんなところに――」
言葉は、最後まで続かなかった。
剣の柄で殴られ、地面に叩き伏せられる。
「……探せ。ジュリエットを」
私兵たちが、馬車の扉をこじ開ける。
「ここだ!」
鉄扉が開いた瞬間、
月明かりが、ジュリエットを照らした。
「……フェリップ、様なの……?」
信じられない、という声。
フェリップは、一瞬だけ躊躇した。
彼女は、あまりにも……弱々しかったから。
これまで、どれだけの酷い仕打ちを受けたのか……。
想像するだけで、フェリップは後悔と罪悪感で硬直した。
だが、自然と慰めの言葉が口から出る。
「……遅くなってすまない、迎えに来た」
その言葉だけで、ジュリエットの心は限界を超えた。
「……っ……!」
泣き声にもならない嗚咽。
彼女は、その場で崩れ落ちる。
「急げ!」
馬車に火が放たれ、炎が夜を照らす。
襲撃は、わずか十分足らずで終わった。
奴隷商人は縛り上げられ、
護衛は気絶、あるいは逃走。
炎に照らされた夜空の下、
フェリップ王子は、震えるジュリエットを抱きしめながら、こう思っていた。
(ジュリエットを救えた……次はペネロペを捕まえる番だ)
◇
帝国国境を越えた馬車は、ひたすら西へと走り続けた。
馬車の中では、フェリップ王子がジュリエットを抱きしめていた。
だが彼女は、以前のように甘く微笑むことはなかった。
「……本当に、これでよろしいのですか?」
か細い声で問う。
フェリップは答えない。
代わりに、ジュリエットの前に座っている、王女マリーナが甲高い笑い声で答える。
「当然ですわ」
王女マリーナ。
母アンネット側妃の言葉を、何一つ疑っていない瞳。
「わたくしたちの名誉回復のためには、あの二人が必要なのですわ」
その指先には、例の小瓶が握られている。
既成事実を作るための、禁じられた睡眠薬。
(フエルテ=マドリーレ……)
脳裏に浮かぶのは、金髪の青年。
“剣聖”と称される帝国一の美しい男。
それがかつてのマリーナの婚約者だった。
現在、婚約は解消されている。
しかし。
(既成事実さえ作ってしまえば、責任を取ってもらえる)
母はそう言った。
母は、いつも正しかった。
◇
そして、数日後。
帝国東部、国境の町、交易の要衝――サンジャンの町に、彼らは辿り着いた。
石造りの街並み。
活気ある市場。
そして、今、話題の中心であり、目的の店。
冒険者ギルトの隣に建つ、エマのパワーストーン店。
フェリップたちは、猫耳亭という宿に泊まった。
「人数がいる」
翌日から、金をばら撒いた。
酒場。
裏路地。
用心棒崩れ。
逃亡兵。
ごろつき。
帝国の法など気にも留めぬ連中が、金貨の匂いに集まる。
十人。
二十人。
五十人。
やがて――百。
「百人いれば十分だ」
フェリップは歪んだ笑みを浮かべた。
「これだけいれば、店を囲んで押し入る。
剣聖がいようが関係ない」
ジュリエットは、震える手でマントを握る。
「……怖いです」
だが彼は、彼女を見ない。
「ペネロペ=スペイラを奪う。
既成事実を作れば、帝国も黙る」
マリーナは、うっとりと目を細めた。
「これでフエルテ様も、わたくしの伴侶になるのね……」
◇
月が消えた暗闇の夜。
百人の男たちが、エマの店の前に集結した。
通りは騒然とし、人々は遠巻きに様子を窺う。
剣、斧、棍棒。
粗野な殺気が、石畳を覆う。
フェリップが前に出た。
「囲め」
男たちが半円を描く。
「今から突入する。
抵抗する者は叩き伏せろ」
その瞬間。
――カラン。
店の扉が、静かに開いた。
その瞬間、雲に隠れていた月が現れた。
月明かりの下に、二人の男が立つ。
一人は、見覚えのある金髪。
蒼眼が、静かに燃えている。
フエルテ=マドリーレ。
そして、その隣。
長身の黒髪の男。
鋭い眼光。
無造作に肩へ下げた剣。
「……お前ら、店の前で迷惑だ」
黒髪の男が、低く唸る。
フェリップは鼻で笑った。
「たった二人か。
大人しくペネロペを差し出せば、命までは取らん」
沈黙。
フエルテが一歩前へ出る。
その表情は、かつてないほど険しい。
「断る!」
短いが、怒りがこもった言葉。
そして、その瞬間、空気が凍った。
黒髪の男が肩を鳴らす。
「雑魚を百人集めたところで意味がないぞ」
「やってしまえ!!」
フェリップが号令をかけた。
百人が、一斉に雪崩込む。
――瞬間。
金色の閃光。
フエルテの剣が、月光を裂いた。
踏み込み、回避、斬撃。
滑るような動きで、次々と武器を弾き飛ばす。
「なっ……!」
男たちが倒れる。
だが。
さらに異様だったのは――黒髪の男。
正面からぶつかる。
ガンッ!!
激突。
相手の剣が、真っ二つに折れた。
「は……?」
殴打。
吹き飛ぶ。
次。
また次。
叩き斬り、蹴り飛ばし、柄で殴る。
骨が軋み、男たちは地面に転がる。
恐怖が伝染する。
「ば、化け物だ!!」
逃げようとした者たちの背中を、フエルテの鞘が叩く。
わずか数分。
石畳には、百人が折り重なっていた。
呻き声だけが、月夜に残る。
立っている男は――
フェリップのみ。
黒髪の男が、ゆっくり歩み寄る。
「まだやる気か?」
剣先が、王子の首筋に触れた。
冷たい感触。
フェリップの膝が震える。
「ひ……っ」
剣聖が、静かに見下ろす。
「王族である前に、人であれ」
フェリップは、へなへなと崩れ落ちた。
「違う……俺は……」
涙が零れる。
「俺は、ただ……!」
その時、カランと店の扉が開く音が響く。
カツ、カツ、と足音。
店の中から現れたのは――メアリー。
無表情。
氷のような瞳。
彼女は、フェリップの背後に立つマリーナとジュリエットを一瞥する。
「……邪魔」
次の瞬間。
――バシンッ!!
鮮烈な平手。
マリーナが白目を剥いて崩れる。
続けて。
――ドンッ!!
ジュリエットも気絶。
静寂。
倒れ伏す百人。
泣き崩れる王子。
気絶した王女と元恋人。
黒髪の男が、鼻で笑った。
「百人集めてこの程度か」
フエルテは、深く息を吐く。
そして、静かに告げた。
「これが、あなた方の“正しさ”の結果だ」
満月に照らされたのは、完全なる敗北。
王族の傲慢は、帝国の石畳に叩きつけられた。
この夜。
フランセ王国の未来は、音もなく傾き始めていた。




