第30話 エマ、パワーストーン店、商会を立ち上げる。
エマ、戦争へのカウントダウン
エマのパワーストーン店がある建物は、元商会跡を改装している。
一階は商会跡と同じように店舗や応接室があり、
そして、現在はその奥が倉庫兼工房である。
さらに、その奥には料理スペースやお風呂などの施設が並んでいる。
また二階は商会時代のままで、
使用人やオーナーの部屋がそのまま使えるようになっていた。
フエルテとその従者フェルミンが宿泊するようになり、
お店の警備力が、恐ろしいほどに増した。
剣聖フエルテは、名を聞くだけで盗賊も傭兵も震え上がる存在だ。
店の護衛というより、もはや“城塞”に近いイメージだ。
皇女のペネロペ様を守るのに最強の護衛施設の誕生である。
◇
翌日、ランチを食べ終えた、昼下がり
エマは、パワーストーン店の応接室にいた。
紅茶の香りが静かに漂う。
向かいに座るのは、ディアス=ランス伯爵。
出入口には、護衛としてロドリゲスが立っている。
エマは、いつもの落ち着いた微笑みを浮かべながら、ディアスの報告を聞いていた。
「……国境沿いの設置は、すべて完了した」
ディアスは、ゆっくりと告げた。
「魔物の動きはどうでしたか?」
「目に見えて減った。偵察兵の報告では、境界線手前で引き返す個体が多い」
ロドリゲスが腕を組み、低く唸る。
「さすがだな、錯覚とは思えねぇ効果だ」
「ええ、私も驚いているわ」
エマはうなずいた。
「天眼石――アイアゲートは、予想以上に土地と相性が良かったようだ」
ディアスの表情は、明るい。
「領民も安心している。農地の被害が止まっただけでも、今年の収穫は守られる」
それは、領地経営において何より大きい。
「感謝している、エマ」
「お役に立てて何よりです」
エマの声は穏やかだが、そこに慢心はない。
しかし――。
ディアスは、少し言いづらそうに咳払いをした。
「……それで、だ」
空気が、わずかに変わる。
「この天眼石の話が、周辺貴族に漏れた」
ロドリゲスの眉が動く。
「早ぇな」
「魔物被害が止まれば、噂になるのは時間の問題だ」
ディアスは、率直に続けた。
「欲しがっている。かなりの数を、だ」
エマは目を伏せ、少しだけ考えた。
「個人護符ではなく、ま、まさか結界規模で、ですか?」
「その通りだ」
つまり――自宅単位ではなく、領地単位。
かなり大きな取引になる。
「そこで、他領にも販売してみるのはどうだろうか?」
ディアスの視線は、真剣だった。
エマは、ゆっくりと紅茶を置く。
「……と言うことは、単なる商品として売るのではなく」
静かに続ける。
「ランス伯爵領の特産品として売り出したいということかしら?」
ロドリゲスが口笛を吹く。
「囲い込みってやつか」
「伯爵家の産地と設置方法を限定することで、市場を独占できますね」
ディアスの目が鋭くなる。
「さすが、エマ、話が早い――」
ディアスは感心するように軽くうなずいてから続けた。
「伯爵家と、エマの店の共同出資で商会を立ち上げようというのはどうかな」
応接室に、わずかな静寂が落ちる。
「商会……」
「かなりの量を必要とする領主もいる。それに個人商会のままだと、無理を言う貴族も出る。
だが、ランス伯爵家の名があれば、無理をする貴族もそうそういないだろう」
確かに。
結界規模で導入するなら、石の選定、付与、設置指導、保守。
かなりの量の石と人材が必要になる。
「共同出資なら利益は折半」
ディアスは続ける。
「原石の採掘と準備、流通経路の確保は伯爵家が担う。
付与と品質管理は、エマに任せる」
合理的だった。
エマは、少しだけ視線を落とす。
「……責任も大きくなるのでは?」
「このまま帝国で暮らすなら、ある程度の覚悟は必要になる」
エマの不安にディアスは即答する。
その言葉に、エマは悩みながら答える。
「そうなると、覚悟に条件があります」
「何かな」
「乱用は禁止。攻撃目的への転用は不可」
「当然だな」
「そして、販売相手の最終決定権は私に」
ディアスは、ほんの一瞬だけ驚き、そして笑った。
「商人の顔になったな」
「ええ、これでも潰れそうな伯爵を立て直した経験がありますから……」
大変だったあの三年間の経験が、ここで生かされる。不思議な縁である。
「あくまで聖女の力は守るための力ですから」
「わかった、それで了解した」
ディアスは深くうなずいた。
「では、商会設立に動こう」
ロドリゲスが肩をすくめる。
「忙しくなりそうだな」
「ロドリゲスには護衛強化をお願いしますね」
「任せろ」
話はまとまりかけた――その時。
ディアスの表情が、ふと曇った。
「……あと今日、訪問した議題は、もう一つある」
空気が、冷える。
「きな臭い話だ」
エマの指先が、わずかに止まる。
「皇帝陛下が、動くかもしれない」
その一言で、室内の温度が下がったように感じた。
「皇帝か……」
ロドリゲスの声が低くなる。
思わずエマが聞き返した。
「確かなのですか?」
「断定はできないが、それらしい動きを見せている」
ディアスは続ける。
「我が領地に、備蓄の食料の量についての問い合わせがあった」
エマの瞳が揺らぐ。
「まさか……王国との戦争になるのですか……」
脳裏に浮かぶのは、あの元夫である。
フランセ王国のアンドレオ=モナコラ伯爵。
「モナコラ伯爵の件で、隣国フランセ王国へ正式な抗議を行ったが、返信が未だにない」
ディアスの声は重い。
「それだけではない。皇帝は皇女が面前で婚約破棄されたことでかなりご立腹のようだ。
その流れで、剣聖と王女との婚約解消となった……そうなると
同盟から侵略へと政策が変わることも考えられる」
――同盟から侵略へ。
重い言葉が落ちたあと、しばし沈黙が続いた。
やがてディアスは、静かに懐から黒い革張りの箱を取り出した。
ぱちり、と金具が鳴る。
中に収められていたのは、鈍く光る銀の首輪だった。
内側には細かな魔術刻印が施されている。
ロドリゲスが眉をひそめる。
「……それは」
「奴隷の首輪だ」
エマの視線が、静かにそれへ向く。
「え、私に……付けろと?」
「まさか、違う」
ディアスは首を振った。
「店の秘密保持のためだ」
空気がわずかに和らぐ。
「これから商会を立ち上げ、規模を広げるなら、人を増やす必要が出てくる。
工房、設置班、護衛補助……いずれ人手は足りなくなる」
エマは小さく頷く。
それは理解していた。
「だが今、エマの店は注目されすぎている」
ディアスの声は低い。
「上位貴族、他国の商会、あるいは敵対勢力。間者を送り込みたい者は多くいそうだ」
ロドリゲスが腕を組む。
「確かに、ここはある意味、目立ちすぎている」
「そこでだ」
ディアスは首輪を指で軽く叩いた。
「しばらくの間、新規に雇う人員は、奴隷契約下にある者に限定することを勧める」
エマの瞳が揺れる。
「奴隷を購入するか……あるいは奴隷契約付きで雇う、ということですか」
「そうだ。奴隷契約には魔術的拘束がある。情報漏洩や裏切りに対しては、強い抑止力になる」
ロドリゲスが低く唸る。
「裏切らねぇ保証にはなるな」
「完全ではないが、通常の雇用よりは遥かに安全だ」
エマは首輪を見つめた。
冷たい金属。
だがそこに刻まれた術式は、強制支配ではなく、契約遵守に特化したものだとわかる。
「……自由意志は?」
「奪わない」
ディアスは即答した。
「命令強制型ではない。あくまで契約違反に対する罰則型だ。待遇も賃金も、通常の従業員と同等にすればよい」
エマは静かに息を吐いた。
「奴隷を雇って安全を守る、ということですね」
「その通りだ」
ディアスの目は真剣だった。
「エマの店は、今や帝国に影響する存在だ。油断は命取りになる」
ロドリゲスが肩をすくめる。
「嫌な時代だな」
「ええ……」
エマは微笑んだが、その奥に決意が宿る。
「ですが、奴隷を雇うにも条件があります」
「条件を聞こう」
「契約奴隷であっても、尊厳は守り、働きに応じて、いずれ自由を選べる道を用意したいです」
ディアスは一瞬、目を細め――そしてうなずいた。
「エマは優しいな」
「そして」
エマは続ける。
「最終的な採用判断は、私が行います」
「当然だ。店主はエマなのだからな」
ロドリゲスが笑う。
「結局、全部エマの裁量だな」
「守るための石を売る店ですから」
エマは静かに告げる。
「働く人も、守られる存在であってほしいわ」
ディアスは箱を閉じた。
「では準備しよう。信頼できる筋から、問題のない者を選別する」
「お願いします」
帝国がきな臭く動く中。
戦は剣だけで起きるのではない。
情報。
裏切り。
内部崩壊。
それらから店を守るための、ひとつの選択だった。
応接室の外では、剣聖フエルテの気配が静かに満ちている。
城塞のような店。
だが真に守るべきは、石でも建物でもない。
ここに集う人々と――エマの選ぶ未来だった。




