第28話 剣聖フエルテ VS 師匠ロドリゲス
剣聖フエルテ VS 師匠ロドリゲス
店の扉が閉まり、鈴の音が遠ざかる。
初夏の風が、ふわりとカーテンを揺らした。
エマはしばらく扉の方を見つめ、それから静かにロドリゲスへ視線を送る。
「……止めないの?」
黒髪の大男は、腕を組み、苦笑した。
「昔から変わらねえな、あいつは」
そう言って、ゆっくりと店の外へ出ていく。
◇
通りには、馬車が来たときの状態のままで待機していた。
御者がすでに手綱を握り、フェルミンとフエルテが乗り込もうとしている。
「おい」
ロドリゲスは、低い声でフエルテたちの背後から声をかける。
フエルテが振り返って、ロドリゲスと目が合う。
「……師匠」
「腕は鈍っていないのか?」
唐突な問い。
フエルテの目が鋭くなる。
「鍛錬は積んでおります」
「そうか」
ロドリゲスは、にやりと笑った。
「帝国の剣聖が王国の剣士に敗れたとあっては帝国の恥だ。少し確かめさせろ」
空気が、変わる。
フエルテの血が湧いた。
「いいですよ、望むところです」
ロドリゲスは懐から腕輪を取り出した。
「エマが作った護符付きの腕輪だ。どんな攻撃からも一撃だけ守る」
銀に淡い光が宿るそれを、フエルテへ放る。
「……聖女エマ様、秘伝の護符ですか」
「ああ、そうだ。ところで武器はどうする? 木刀か? それとも」
挑発。
フエルテは不敵に笑った。
「こんな便利な護符があるのに木刀は、ないでしょう。剣でいざ勝負です」
ロドリゲスの口元が楽しげに歪む。
「そうこなくてはな。冒険者ギルドの修練場でやろうぜ」
◇
隣の建物――冒険者ギルドの修練場。
石造りの広い空間に、瞬く間に人だかりができる。
「剣聖と師匠の戦いだってよ」
「これは見ものだぞ」
人々の中でざわめきが広がる。
審判はフェルミン。
「始め!」
空気を裂く音。
フエルテの剣が消えた。素早い閃光がロドリゲスを襲う。
だが。
ロドリゲスは、さらりと避ける。
紙一重。
続けざまの連撃。
閃光のような剣筋。
しかし、すべて紙一重でかわし、空を切る。
「速くなったな」
ロドリゲスが笑う。
次の瞬間、今度はロドリゲスの剣が唸る。
重いのに、速い。
フエルテもまた、紙一重で避ける。
二人は距離を取り、同時に笑った。
「腕を上げたな」
「それでも師匠にはかすりもしない」
観客が息を呑む。
次で決まる。
フエルテは構えを変えた。
必殺の型。
地を蹴る。
渾身の一撃。
だが――
ロドリゲスの剣が、その刃に吸い付いた。
流れる。
絡め取る。
鍔へと滑り込み――
跳ね上げた。
キィン!
剣が宙を舞う。
地面に突き刺さる。
その瞬間。
ロドリゲスの刃が、フエルテの首筋に触れていた。
「そこまで!」
フェルミンの声。
静寂の後、歓声が爆発する。
ロドリゲスは剣を引き、フエルテの肩を叩いた。
「強くなったな」
「まだまだです。さすが、師匠です」
フエルテは悔しさを飲み込み、深く頭を下げる。
◇
反省会だとロドリゲスに言われ、そのまま三人は冒険者ギルドに併設された酒場コーナーへ移動した。
木の椅子に腰を下ろし、酒が運ばれる。
フエルテは一気にあおった。
「……ペネロペ様は、今、静養が必要だ」
ロドリゲスが静かに言う。
「エマもな。三年結婚していた相手に、子ができないと言われ離縁された」
フエルテの目が揺れる。
「最初に会った時は辻馬車だった。元伯爵夫人がだぞ? 信じられるか?」
苦笑しながらロドリゲスが語る。
「俺がその辻馬車を護衛依頼で引き受けたのが縁で、今に至る」
酒を口に運ぶ。
「辛かったと言っていた。ペネロペ様も同じだ。働いて気を紛らわせているが、
一時期は人生に絶望してかなり落ち込んでいた」
フエルテの拳が握られる。
「……ペネロペ様に、私ができることは何かないのでしょうか?」
「今はない」
即答。
「ただ、そっと見守れ。自分で立ち上がろうとした時、そばにいてやれ。それまで待ってやれ」
フエルテはやけ気味に笑い、酒をあおる。
「私は無力ですね」
「俺もだ」
ロドリゲスは天井を見上げる。
「心の傷は簡単には治らん。一生かかるかもしれん」
静かな沈黙。
「今はエマがそばにいる。あの二人は、同じ傷を持っている同志だ」
フエルテはゆっくり息を吐いた。
「……フランセ王国に行くのはやめます」
顔を上げる。
「今は、ペネロペ様のそばに付いています」
ロドリゲスが頷く。
「それでいい」
しばらくして。
「ところで師匠はどこに住んでいるのですか?」
「エマの店の二階だ」
「……え?」
「メアリーも、エマも、ペネロペ様も泊まってる」
フエルテの目が光る。
「ならば、私も二階に住みます」
「は?」
フェルミンが噴き出す。
「本気ですか、剣聖様」
「本気だ」
ロドリゲスは額を押さえる。
「……まあ、部屋は余ってるがな」
こうして。
パワーストーン店の二階に、輝くようなイケメンとその従者が、
新たな住民として増えることになった。
初夏の夜風が、そっと街を包む。
恋はまだ始まらない。
だが。
見守る覚悟は、静かに芽生えていた。
◇
【おまけ】二人の戦いを見ていた兄妹
冒険者ギルドの修練場は、試合が終わったあとも興奮の熱を残していた。
石床には、つい先ほどまで剣閃が走っていた余韻が漂っている。
「……すげえ」
ぽつりと呟いたのは、若い冒険者の青年――マークだった。
まだ二十歳そこそこ。革鎧も新しく、剣の柄には使い込まれた跡よりも緊張の汗の方が多い。
隣で、妹のライムが両手を胸の前で組み、きらきらした目をしている。
「ねえお兄ちゃん、見た!? 見た!?」
「見たに決まってるだろ……」
マークは頭をかきながら、深く息を吐いた。
剣聖フエルテの一撃。
あれほど速い剣を、初めて見た。
だが。
それを、まるで風のようにかわし続けたロドリゲス。
そして最後の一太刀。
絡め取り、弾き飛ばし、首元に刃を添える――あの技。
「格が違う……」
マークの声は震えていた。
「ロドリゲス様、やばい。あれ本物だ」
「うんうん! でもね、フエルテ様も本物だよ!?」
ライムは興奮冷めやらぬ様子で、ぴょんと跳ねる。
「イケメンなのにあの強さってどういうこと!? 反則じゃない!?」
「そこかよ」
「だって! 銀の剣がきらって光って、髪がふわってなって、汗ひとつかいてなくて!」
「いや汗はかいてただろ」
「かいてないもん! あれは輝き!」
マークは呆れながらも、少し笑った。
妹は昔からこうだ。
強くて格好いいものに弱い。
「結婚したい……」
「は?」
「フエルテ様と結婚したい」
真顔だった。
マークは思わず吹き出す。
「無理だろ」
「なんで!?」
「相手は帝国の公爵で剣聖だぞ? 皇族と並ぶ存在だぞ?」
「それなら愛人でもいいわ。愛に身分は関係ないの!」
「どこで覚えたその台詞」
だがライムは本気だ。
「だってさあ……あんなに強いのに、ちゃんと師匠に頭下げてたよ?
悔しそうなのに、素直でさ。ああいう人、絶対誠実だよ」
その言葉に、マークは少しだけ黙る。
確かに。
敗北を認め、深く頭を下げる姿は格好よかった。
「……まあ、わからなくもないけどな」
「でしょ!?」
「でも俺は、やっぱりロドリゲス様だ」
マークの目が真剣になる。
「強いのに、驕らない。あの余裕。あの目」
試合中、ほんの一瞬見えた鋭い視線。
あれは命を預けられる目だ。
「俺、弟子になりたい」
「え?」
「ロドリゲス様の」
ライムが目を丸くする。
「本気?」
「ああ」
拳を握る。
「今のままじゃ、俺は一生Dランクだ。今日の戦い見て思った。上には、あんな世界があるんだって」
自分の剣が、急に軽く感じた。
甘い。
遅い。
未熟だ。
「ロドリゲス様の剣、無駄がなかった。全部意味があった」
「お兄ちゃん……」
「俺、あの人に教わりたい」
しばらく沈黙。
そしてライムは、にやりと笑った。
「じゃあさ」
「なんだよ」
「弟子入りして、フエルテ様とも仲良くなればいいじゃん」
「は?」
「そしたら私、紹介してもらえるかも」
「何をだ」
「愛人!」
「話し飛びすぎだろ!」
修練場の端で、兄妹の声が弾む。
周囲の冒険者たちも、まだ興奮気味に戦いを語っている。
「しかし本当にすごかったな……」
「帝国の剣聖もすごいが、師匠はさらにな」
「いや、すごい戦いが見れて良かった」
噂は瞬く間に広がるだろう。
パワーストーン店の二階に、剣聖とその師匠が住むらしい――そんな話まで出ている。
「なあライム」
「ん?」
「もし本当に弟子入りできたらさ」
「うん」
「俺、もっと強くなれるかな」
ライムは即答した。
「なれるよ」
「なんで言い切れる」
「だって今のお兄ちゃん、目が本気だもん」
マークは照れくさそうに笑った。
「……まずは挨拶からだな」
「うん。私はフエルテ様に!」
「お前はやめとけ」
「やめない!」
初夏の夜風が、修練場の扉から吹き込む。
強者たちの背中を見た夜。
兄は志を抱き、
妹は恋を夢見る。
まだ何者でもない二人だが、
胸の中には確かに火が灯っていた。
――いつか、あの舞台に立つために。




