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結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。  作者: 山田 バルス


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第26話 剣聖のペネロペ皇女への片想い

剣聖フエルテ=マドリーレ視点


 ――初夏、サンジャンの街へ向かう



 初夏の風は、思っていたよりも柔らかかった。


 帝都を出て三日。

 石畳の街道から土の道へと変わり、馬車の揺れも少しだけ穏やかになった。

 窓の外には若葉が揺れ、遠くに見える丘は淡い緑の絨毯のようだった。


 こんなに静かな旅路になるとは思っていなかった。


 ◇


 皇帝からマリーナ王女との婚約解消の話をされた後、私はすぐに公爵邸に戻り、

 そのことを夕食の席で両親に告げた。

 

 皇帝の弟である父リチャード=マドリーレ公爵も妻である母ジュリアも、

 婚約解消については、すでに承諾済だったようだ。

 

 しかし、私がペネロペ皇女に告白する許可を得たことを知ると、

 驚きの表情を浮かべた。


 母は、金髪の美しい長髪をなびかせながら、嬉しそうに笑った。

「まあ、まあ、ペネロペちゃんが娘になったら嬉しいわ」

 

 父は、伯父によく似た銀髪に筋肉質な体格で、驚いた顔をしていた。

「よく、兄上が許可したものだな。【しばらくは、

 誰とも婚姻させない】と言っていたのだが……」


 母は、うなずきながら私に微笑んでくれた。

「マリーナ王女との婚約解消は政略だから仕方ないけど、

 これを良い機会にあなたの片想いが実るといいわね」


「母上、そ、それは、その……」

 図星過ぎる母の言葉に私は一瞬、戸惑いを見せると、

 父はそんな私を見て愉快そうに口角を上げた。


「ジュリアにかかったら、さすがの剣聖も形無しだな」


 ◇


 そんなことを思い出していると、正面からの心配げな声に私は我に戻った。


「剣聖様、少しお休みになりますか?」


 向かいに座る青髪の青年――フェルミン=ソシエナが、気遣うように声をかけてくる。

 二十三歳。

 ソシエナ伯爵子息三男。

 私よりも年上だけあって、判断力も剣の腕も確かだ。

 私が唯一、腹を割って話せる従者でもある。


「いや、大丈夫だ」


 短く答えながら、指先が無意識に剣の柄を撫でていた。


 国宝級のミスリル製の剣。


 伯父上――皇帝陛下から預かったものだ。


 ロドリゲス師匠に渡せ、と。


 そして伝言の言葉が「死ぬな」と。


 ……本当に、あの方は不器用だ。


 怒鳴り散らしながら、最後に出る言葉はいつも心からの心配だ。


 轍に入ったのだろうか?

 馬車が大きく揺れる。


 その拍子に、遠い昔の記憶が浮かび上がった。


 ◇


 ――五歳の私。


 そして、三歳ほどの小さな銀髪の少女。


 あれが、記憶の中では初めての出会いだった。


 帝城の庭園。春の日差しの下、用意された誕生日祝いの席。


 私はすでに「美しい公爵家の跡取り」として周囲に持ち上げられていた。

 どこへ行っても、令嬢たちが群がり、大人たちは褒めそやす。


 子供ながらに、それが当然だと思っていた。


 だが――。


 銀髪の少女は、私を見なかった。


 彼女が見つめていたのは、小石サイズのエメラルドの宝石。


 皇帝陛下から贈られた誕生日の品だ。


 両手で包み込むように持ったり、空に向けて石を光にかざしたりと、きらきらと目を輝かせていた。


 私は、初めて「無視」された。


 それが、どうしようもなく衝撃だった。


「……そんなに、その石が好きなのか?」


 子供の私は、そう問いかけた。


 少女はこくりとうなずく。


「きれい。すき」


 舌足らずな声。


「この石、つよいから好き。色がやさしくて好き」


 そして、ふいに私を見上げる。


「あ、あなたもきれいね?」


 小さな手が、私の頬に優しく触れた。


 撫でるように。


 無邪気に。


 あの瞬間。


 胸の奥が、妙に熱くなった。


 恋だったのかどうか、五歳の私にはわからない。


 だが、確実に――心を奪われた。


 ◇


 それから五年後。


 十歳になった彼女は、姉の真似をして「ですわ」口調になっていた。


「フエルテさま、ごきげんよう、ですわ」


 少し背伸びしたような声音。


 必死に淑女を演じている姿が、可愛くて、愛しくて。


 笑いそうになりながら、必死でこらえたのを覚えている。


 だが、運命は残酷だった。


 私には隣国マリーナ王女との婚約が決まり、


 ペネロペ様にはフランセ王国の第二王子フェリップとの婚約が成立した。


 政略。


 それが全てだった。


 公爵家の跡取りとして、拒む理由などなかった。


 私は、恋心を封じた。


 家のために生きると決めた。


 それでも、彼女に会う機会はあった。


 変わらず、綺麗なものが好きで。


 強くて優しいものが好きで。


 石を愛し、人を想い、笑う少女。


 だから私は――彼女の好む強さと美しさと優しさを求めた。


 鍛錬に鍛錬を重ね、帝国で二番手まで剣の腕を磨いた。


 剣聖の称号も得た。


 師匠には遠く及ばないが、それでも頂に近づいた。


 そして。


 彼女の「きれいね」に応えられる男になろうとし、身だしなみにも気を付けた。


 その結果、帝国一の美男子と呼ばれるまでになった。


 ◇


「……剣聖様?」


 その声で再び顔を上げると、フェルミンが訝しそうに私を見ていた。


「随分と、穏やかな顔をされていましたが……」


「そうか?」


「ええ。剣を握る人の顔ではありませんね」


 その言葉に苦笑する。


「実は、ペネロペ皇女様のことを思い出していた」


「なるほど、だから、穏やかな顔をされていたのですね」


 フェルミンの指摘に私もうなずく。


「そうだな、これは恋だ」


 ぽつりと言うと、フェルミンは目を丸くした。


「……確か初恋でしたか、叶うといいですね」


「うるさい」


 馬車がゆっくりと減速する。


 それと同時に、前方から御者の声が届く。


「サンジャンの町が見えてまいりました!」


 窓の外に、小さな町並みが広がった。


 石造りの家々。


 花の香り。


 どこか穏やかな空気。


 さらに、しばらく馬車は進む。


 町中を通りながら目的地に向かう。


 そして、馬車がゆっくりと止まる。


 目的地に到着したのだ。


 赤いレンガの外壁の建物、聖女エマのパワーストーン店だ。


 ここに、彼女がいる。

 私は深く息を吸った。


 ――覚悟は、決めたはずだ。

 だが、心の準備はまだできていない。


「剣聖様?」


「花屋はどこだ」


 遠い視線の先に、色とりどりの花が並ぶ店が見えた。


「フェルミン」

「はい」


「……プロポーズに向いている花束を買ってきてくれ」


 フェルミンの口が、ぽかんと開く。


「ほ、本気、でございますか?」


「本気だ」


 人生最大の重い決断かもしれない。


「派手すぎず、だが情熱は伝わるものを頼む」


「承知しました」


 フェルミンは軽く笑い、馬車を降りた。


 私は一人、座席に背を預ける。

 心の準備をするために、深呼吸をしながら考える。


 もし断られたら。

 伯父上はきっと喜ぶだろうな。


 母上は残念そうに慰めてくれるだろう。

 父は、どちらにしても難しそうな顔をしそうだ。


 だが私は――。

 もう、この恋心を封じたままにはできない。


 婚約解消となった王女マリーナには悪いが、これは私にとって最大のチャンスだ。

 婚約破棄された皇女ペネロペ様が落ち込んでいる今こそが、狙い目なのだ。


 たとえ姑息と言われようと、彼女の心が私に向けられるのなら、

 どんな手段でも使おう。


 そんなことを考えながら待っていると、しばらくして、フェルミンが戻ってきた。


 手には、白と淡い桃色を基調にした花束を抱えている。


「この純白のアナベルの花言葉は、ひたむきな愛です。

 そして、淡桃の花はペチュニアの一種で桃色吐息といいます。


 花言葉は、あなたと一緒なら心がやすらぐです。

 告白に向いている花束に仕上げてもらいました」


「……素敵な花たちだな」


 馬車を降りる。

 そして、花言葉にも花束の完成度にも満足し、貴重な花束を受け取る。


 だが、剣を握るよりも、手が震える。


「剣聖様」


「なんだ」


「勝算は?」


 私は小さく笑った。


「わからない?」


「……正直ですね」


「だが、戦わずに諦める気はない」


 初夏の風が、花の香りを運んでくる。


 視線の先。


 おしゃれな看板。

 ――エマのパワーストーン店。


 扉の向こうに、愛おしい銀髪の皇女がいる。

 幼い日に私の頬を撫でた、その手で。


 今日は私を選んでくれるだろうか……。

 花束を抱え、ゆっくりと歩き出す。


 剣聖としてではない。

 一人の男として。


 心臓の鼓動が、戦場よりもうるさい。


 そして私は――


 店の扉の前に立った。

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