第3話 エマ、盗賊に襲われる
エマ、盗賊に襲われる
馬車は、きしむ音を立てながら、ゆっくりとスペイラ帝国を目指して進んでいた。
舗装の甘い山道は、左右を深い木立に挟まれている。空は高いはずなのに、なぜか息苦しい。
エマ=モナコラは、馬車の中の乗客たちをそっと見渡した。
中年の母娘。寄り添う老夫婦。若い商人風の男。
そして、馬車の外を警戒するように座る護衛の男が一人。
「わたしたちはね、サンジェルア伯爵領から来たの」
老婦人が、にこやかに声をかけてきた。
「孫の結婚式の帰り道なのよ」
幸せそうな話に、エマは微笑みを返す。
やがて話題は、この馬車の目的地――スペイラ帝国国境の町、サンジャンへと移った。
「露店のような商売を考えているのですが……」
そう切り出すと、老夫が頷いた。
「それなら商業ギルドだな。登録して屋台を借りるのが一番だ。商売のことも、だいたい教えてくれる」
親切な助言に、エマは深く頭を下げた。
それからは、孫の結婚式の話や、旅の世間話。
穏やかな時間が流れていた。
――峠道に差しかかった、そのとき。
空気が、わずかに変わった。
進行方向の道の中央に、不自然なほど大きな丸太が転がっている。
「……止まれ!」
御者の叫びと同時に、馬車が急停止した。
馬がいななき、車体が大きく揺れる。
次の瞬間、木立の陰から男たちが躍り出た。
顔を布で覆い、手には短剣や剣。
――盗賊。
悲鳴が上がり、馬車の中は一気に混乱に包まれる。
エマの喉が、ひりついた。
(こんなところで……)
「俺たちはアストロ盗賊団だ!」
赤髪の中年男が叫ぶ。
「命が惜しけりゃ、有り金全部置いていけ!」
横から、茶髪の男が下卑た声を上げた。
「女は置いていけよ。男は逃がしてやるからさぁ!」
乗客たちの顔から血の気が引く。
そのとき――。
「皆さん、ここでじっとしていてください」
低く、落ち着いた声が響いた。
馬車の外に立ったのは、護衛の男だった。
黒髪、日に焼けた肌。無駄のない体躯。
――ロドリゲス。
そう名乗っていたはずだ。
赤髪と茶髪の盗賊が、嘲るように近づく。
「たった一人で何ができる」
「俺たちをなめてるのか?」
次の瞬間。
――見えなかった。
気づいたときには、茶髪の男が地に伏し、剣を取り落としていた。
(……え?)
血の匂いが、ふわりと鼻を突く。
「な、なんだ、この野郎!」
赤髪の男が剣を振り上げる。
だが、ロドリゲスは軽くかわし、電光石火の一閃。
赤髪の男も、崩れ落ちた。
二人倒しても、盗賊はまだいる。
だが、ロドリゲスに焦りはなかった。
一歩、半歩。
舞うような剣筋。
盗賊たちは次々と倒れ、やがて――。
「お頭がやられた!」
「逃げろ!」
蜘蛛の子を散らすように、森へ消えていった。
ロドリゲスは剣を収め、静かに振り返る。
「怪我はないか?」
「……大丈夫です」
エマはそう答えながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
助けられた安堵。
それ以上に――あの、美しい剣技。
今まで、自分は「守る側」だった。
領地を、家を、支えてきた。
だが今は、守られる立場。
その事実が、歯がゆく、そして――どこか嬉しかった。
伯爵夫人だった頃には、決して味わわなかった感覚。
一人の、か弱い人間として守られたことへの、静かな安堵。
◇
盗賊から解放された安心感もあって、馬車の中は次第に賑やかさを取り戻していた。
「……本当に、命拾いしましたね」
最初に口を開いたのは、落ち着いた雰囲気の青髪の母親だった。膝に手を置きながら、ほっと息を吐く。
「ええ……心臓が止まるかと思いました」
エマがそう答えると、隣に座っていた同じく青髪の5歳ぐらいの娘が大きく頷いた。
「ユキナ、すっごく怖かった……」
「こら、ユキナ。もう大丈夫だから」
母親は娘の頭を撫でてから、エマに向き直った。
「わたしはアンナと言います。この子は娘のユキナ」
「エマです」
「エマさんも、スペイラ帝国まで?」
「はい。国境の町サンジャンへ」
それを聞いて、アンナは目を丸くした。
「あら、じゃあ同じね。うちはサンジャンに住んでいるの」
「そうなんですか?」
「ええ。フランセ王国に住む母――この子のおばあちゃんのお見舞いの帰りだったのよ」
ユキナが元気よく付け足す。
「おばあちゃん、もう元気になったんだよ!」
「それは良かったですね」
自然と笑みがこぼれる。
そこへ、向かいに座っていた紫髪の若い男が会話に加わった。
「いやぁ、それにしてもさっきの護衛さん、すごかったですね」
商人風の男は肩をすくめて笑う。
「僕はエンリケって言います。サンジャンの店で、買い付けを担当してるんです」
「買い付け、ですか?」
「ええ。フランセ王国まで仕入れに行ってまして。え、荷物がこれしかないって?」
彼は声を潜めて、にやりとする。
「実はマジックバック持ちなんですよ」
「まあ……」
「内緒ですよ?」
エンリケは人差し指を口に当てた。
少し間が空いて、今度はアンナがエマに尋ねた。
「エマさんは、どうしてスペイラ帝国へ?」
エマは一瞬迷ったが、正直に答えることにした。
「……フランセ王国で離縁しました。ですから、これを機にこちらで商売をしようと思って」
「まあ……」
アンナは同情するように眉を下げたが、すぐに力強く言った。
「でも、スペイラ帝国はそういうの、気にしない国だよ」
「本当ですか?」
「本当。本当。腕があれば、それでいい」
紫髪のエンリケも頷く。
「うん、身分なんて商売じゃ関係ないですね」
エマは、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
「あの……ひとつ、お聞きしてもいいですか?」
「なあに?」
「女性一人でも安心して泊まれる宿は、ありますか?」
アンナは、ぱっと顔を明るくした。
「あるとも。というか――」
彼女は、親指で自分の胸を指した。
「うちがやってる宿があるよ」
「え……?」
「猫耳亭っていうの。古いけど、清潔さとご飯には自信がある」
ユキナが誇らしげに言う。
「ねこみみ亭はね、ごはんおいしいよ!」
「それは……とても心強いです」
エマは、思わず深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「縁があったってことだね」
アンナは、にっと笑った。
馬車は揺れながら、国境の町サンジャンへ向かって進んでいく。
エマは窓の外を見つめながら思った。
(……一人じゃない)
スペイラ帝国での第一歩は、思いがけない温かさとともに始まろうとしていた。
◇
その後、馬車は何事もなく進み、スペイラ帝国へ入国した。
国境の町サンジャンは、人で溢れていた。
露店が並び、布、香辛料、金属細工、野菜、果物が所狭しと広げられている。
商人たちの声が飛び交う。
身分を問わず、誰もが値を交渉し、笑っている。
(……ここなら自分らしく生きられそうだ)
胸の奥が、ふっと軽くなるのを感じた。




