第17話 エマ、お姉さまになる
エマ、お姉さまになる。
しばらくの間、応接室には、静かな嗚咽だけが残っていた。
やがて、それも次第に小さくなり、ペネロペの呼吸は、ゆっくりと整っていく。
「……っ」
最後に、鼻をすする音。
ペネロペは、そっとエマの胸元から顔を上げた。
涙で濡れた睫毛。
頬は赤く、目元はまだ腫れている。
「……失礼いたしました.ですわ」
小さな声で、そう言う。
皇女としての礼儀が、ようやく戻ってきたらしい。
「服を……汚してしまったかしら」
「気にしないでください」
エマは穏やかに微笑んだ。
「泣くときは、こういうものですから」
その言葉に、ペネロペは一瞬、きょとんとする。
「……泣くときはですか?」
「はい」
エマは、肩をすくめた。
「ちゃんと泣くと、少し楽になります」
その、あまりにも自然な言い方に。
ペネロペの胸が、きゅっと締まった。
「……変ですわ」
ぽつりと、呟く。
「わたくし、泣いてはいけない場面ばかり、教えられてきましたのですわ」
指先が、ドレスの裾を掴む。
「泣くのは、弱さだと。
皇女が人前で涙を見せるなど、あってはならない、と」
「それで……」
エマは、優しく促した。
「泣ける場所が、なかったのですね」
その一言で。
ペネロペの胸の奥に、温かなものが広がった。
「……はい、ですわ」
小さく、うなずく。
「これからは、楽しいことをしましょう」
「楽しいことしたいですわ」
「では、まずは、皇女様にパワーストーンをプレゼントしますね」
良いことを思いついたとばかりに、エマは立ち上がる。
「ちょっと待ってください。今、工房に取ってきますので」
そう告げて、エマは席を立ち、工房で道具を揃えてから応接室に戻るのだった。
◇
「お待たせしました」
エマはテーブルの上に薄紅色の石を並べた。
「これは、ローズクオーツです」
「まあ、綺麗なストーンですわ」
ペネロペは、石を眺めながら笑顔を浮かべた。
「この石は女神さまに捧げられたストーンです。そして、石言葉は、真実の愛です。
新しい出会いを引き寄せると言われています」
「新しい出会い……まさに今がそうですわ」
「では、これで腕輪をお作りしますね」
それからエマは絹の糸を通し、ローズクオーツの腕輪を作るのだった。
「素敵ですわ」
ペネロペはエマの作業を、まっすぐ見つめる。
「はい、これで完成です。皇女様、左手を出してください」
ペネロペは笑顔で左腕をエマの前に差し出す。
エマはその左手に腕輪をそっとつける。
「左手は、癒しの効果があると言われています」
左手の腕輪を見つめると、ペネロペの目が、きらりと光る。
「素敵な色ですわ」
「よくお似合いですよ」
すると、ペネロペは今後はおっとりとした目で、エマを見つめるのであった。
「素敵なお姉さま、まさに……理想的ですわ」
「え?」
エマが聞き返した、その瞬間。
「これからはエマお姉さま、とお呼びしてもいいかしら!」
ぱっと、顔を紅くさせた。
先ほどまで落ち込んでいたとは思えないほど、生き生きとした表情。
「……え、ええと」
エマは、完全に虚を突かれた。
「それは、さすがに……」
「決まりですわ」
にっこり。
「わたくし、決めましたの、ですわ」
そのまま、ぎゅっと抱きついてくる。
「……ちょ、ちょっと、皇女様」
「皇女ではなく、ペネロペと呼んでください、ですわ」
「ぺ、ぺネロぺ様」
「様はいりませんわ、ペネロペですわ」
「ペネロペ」
エマは恐る恐る呼び捨てにする。
「そうですわ、お姉さまの妹のペネロペですわ」
そこへ。
「ペネロペ様」
冷静な声が割り込んだ。
隣に座って二人の様子を見守っていた侍女メアリーである。
「さすがに、それは節度というものがございますよ」
「節度?」
きょとんと首を斜めにする。
「お姉さまに甘えるのに、ちょうど良い節度ですわ」
「そんなこと、ありません」
即答だった。
「……ペネロペ様」
メアリーは、深くため息をつく。
「皇女としての威厳は、どこへ行ったのですか」
「さきほど、全部泣いて流してきました、ですわ」
晴れやかな顔で言い切る。
「今は皇女ではないの、ただのお姉さまに甘える妹のペネロペですわ」
「妹って……」
メアリーが額を押さえた、その横で、
「いや、ちょっと待て」
ロドリゲスが、出入り口で腕を組んで立ったままの状態で口を開く。
「皇女様。
いくら何でも、初対面に近い相手にそこまでは――」
「初対面とか関係ないですわ」
ぴしり。
「新しい出会いなのですわ」
「さすがに、皇女を呼び捨てにしろとか……」
ロドリゲスは、思わず苦笑した。
「重いぞ」
「わたくし、重くありませんわ」
きっぱり。
「わたくしの体重は軽い方ですわ」
「そういう意味じゃねえよ」
エマが、思わず吹き出した。
その笑い声に、ペネロペはぱっと振り向く。
「……笑ってくださいました、ですわ」
「え?」
「さっきまで、誰も笑える雰囲気ではなかったの。ですわ」
それは、何気ない言葉だった。
笑うという言葉が、場の雰囲気を優しい気持ちに変えた。
「……ですから」
ペネロペは、少しだけ声を落とす。
「わたくし……居心地が良いので、少しここに居てもよろしいかしら」
命令でも、わがままでもない。
お願い。
「もう少しだけ……皇女でなくて、いい時間を……ですわ」
「そ、それは……」
エマは、すぐには答えられなかった。
ちらりとメアリーに視線を送ると、彼女はため息を吐いていた。
そして、柔らかく微笑む。
「ええ。わかりました。いいですよ」
「メアリー、ありがとう、嬉しいですわ!」
「はい、貧相なところで良ければ、いくらでも滞在してください」
エマもうなずく。
「ペネロペが、落ち着くまで」
その瞬間。
「……エマ姉さま!」
再び、全力で抱きついてきた。
「……まったく、警備が大変だぞ」
ロドリゲスが、天井を仰ぐ。
「これは……面倒なことになったな」
「まあ、それも私たちの仕事です」
メアリーが、肩をすくめた。
「ペネロペ様……心を許した方には、固執するタイプですから」
ペネロペは、エマの腕の中で、満足そうに目を閉じる。
初めて得た。
無条件で優しく甘えられる場所。
――新しい出会い。
ペネロペはその温もりを、手放すつもりは、なかった。




