第15話 ペネロペ皇女視点 婚約破棄される。
皇女ペネロペ 婚約破棄される
ざわめきが、まだ完全に収まらぬ中だった。
会場の奥――王族席へと続く赤絨毯の上を、ゆっくりと歩いてくる影がある。
「……あれは」
「第二王子殿下……?」
フライセ王国第二王子、
フェリップ=フランセ。
端正な顔立ちに、金糸を織り込んだ正装。
だが、その腕には――
「……誰?」
「見慣れない少女ですわね……」
金色の髪を持つ、まだあどけなさの残る少女が、ぴたりと寄り添っていた。
淡い黄色のドレス。
豪奢ではないが、丁寧に仕立てられている。
視線は伏せがちで、怯えと期待が入り混じったような表情。
――ジュリエット。
その名が、ひそひそと会場を巡り始める。
ペネロペは、フェリップの姿を認めた瞬間、わずかに目を細めただけだった。
驚きも、動揺もない。
「……あらあらですわ」
まるで、遅れてきた招待客を見るような声音。
一方で、フェリップの顔には、露骨な苛立ちが浮かんでいた。
歩み寄るにつれ、その視線はまっすぐ、ペネロペへと突き刺さる。
やがて、二人の距離が数歩に縮まった、その時。
「――いい加減にしてもらおうか」
低く、しかしはっきりとした声が、舞踏会場に響いた。
ざわり。
音楽が止まり、会話が消える。
全員が、固唾を呑んで成り行きを見守る中で――
フェリップは、ペネロペを睨みつけた。
「帝国の皇女殿下ともあろうお方が、妹をここまで貶めて、恥ずかしくないのか」
「……妹、それはどういう意味かしら?」
ペネロペは、わずかに首を傾げる。
「言いがかりですわ?」
「白々しい!」
フェリップの声が荒くなる。
「マリーナに対して! お前は、あの子の誇りを踏みにじった!
宝石を使って、嘲笑って……!」
会場の視線が、一斉にペネロペへと集まる。
だが彼女は、涼しい顔で答えた。
「事実を申し上げただけですわ」
「……っ!」
「宝石の価値を語るのは、舞踏会ではごく普通のこと。
それを屈辱と感じられたのであれば――」
にこり。
「それは、妹君ご自身の問題ですわ」
フェリップのこめかみに、青筋が浮かんだ。
「……その尊大な態度だ!
帝国の血筋だか何だか知らないが、ここはフライセ王国だぞ!」
彼は、ぐっとジュリエットの肩を引き寄せる。
「私は、もう決めた。
お前のような女とは、結婚など考えられない」
会場が、どよめく。
「なにを……」
「まさか……」
フェリップは、さらに声を張り上げた。
「妹を傷つけ、王国の面目を潰すような女より――
私は、このジュリエットと結婚する。そう、彼女を愛している!」
突然の告白に、ジュリエットはびくりと肩を震わせた。
「フェ、フェリップ様……」
「彼女は、純粋で、優しく、誰かを踏みにじって笑うような真似はしない!」
そして――
「よって、ここに宣言する。
ペネロペ=スペイラとの婚約は――破棄する!!」
その瞬間。
会場は、凍りついた。
王子による、公開の婚約破棄。
しかも相手は、帝国皇女。
外交的に、致命的な一言だった。
――だが。
ペネロペは。
次の瞬間、扇子で口元を隠し、くすりと笑った。
「……まあ」
そして、はっきりと。
「それは、光栄ですわ」
「な、に……?」
フェリップが、眉をひそめる。
ペネロペは、ゆっくりと扇子を下ろし、真っ直ぐ彼を見据えた。
「浮気を公衆の面前で正当化なさる殿方など――
こちらこそ、願い下げですわ」
ざわっ、と空気が揺れる。
「あなたが愛しているというその方。
婚約者のいる男性の腕にすがることを、恥とも思わないのなら――」
視線が、ジュリエットへと向く。
少女は、青ざめてうつむいた。
「……随分と、お似合いですわ」
フェリップが、怒鳴る。
「侮辱するな! 彼女は被害者だ!
お前のような女に、怯えて――」
「被害者って面白い冗談ですわ?」
ペネロペは、静かに首を振った。
「選んだのは、彼女自身ですわ」
その声は、冷たく、鋭い。
「そして、あなたも。
自ら王族としての責任を捨て、感情に溺れた。
――それだけのことですわ」
数秒の沈黙。
やがて、会場のあちこちで、ひそひそ声が再び立ち始める。
「……皇女殿下の方が、正論では?」
「王子殿下、さすがに軽率すぎる……」
「帝国との関係は……?」
フェリップは、周囲の反応に気づき、顔色を変えた。
「黙れ……!」
だが、もう遅い。
ペネロペは、最後に一礼した。
「本日の舞踏会、大変楽しませていただきましたわ。
ですが――」
視線を、王族席へ向ける。
「この婚約破棄、正式な手続きは、後日。
帝国としても、相応の対応を取らせていただきますわ」
その一言で、事の重大さを理解した者たちは、息を呑んだ。
外交問題。
王国と帝国の関係悪化。
すべてが、この夜から始まる。
ペネロペは、背を向け、静かに歩き出した。
その首元で――
ノンオイルのエメラルドが、変わらず、誇らしく輝いている。
――そして。
この夜を境に。
フライセ王国を揺るがす、
婚約破棄の余波が、本格的に幕を開けるのだった。




