第13話 エマ、突然、お店にペネロペ皇女、現れる
エマ、突然、お店に現れた珍客
ディアスの屋敷を辞した帰り道、エマは馬車の窓から流れる街並みを、ただ静かに眺めていた。
屋敷で出会った幼い娘――アメジスト。
淡い紫を帯びた瞳と、柔らかな桃色の髪。
笑ったときの表情は、驚くほど自分に似ていて、かつての自分自身の面影を思い出させた。
胸の奥に、名づけようのない感情が沈殿している。
後悔でも、未練でもない。
だが、完全に切り離すこともできない、過去の名残。
――それでも。
屋敷に滞在してほしいというディアスの申し出を、エマははっきりと断った。
今の自分には、戻る場所がある。
守りたい日常がある。
赤レンガの工房兼店舗の前に立ったとき、エマは小さく息を吐いた。
扉を開ければ、パワーストーンの静かな気配が迎えてくれる。
それが、今の彼女にとっての「帰る場所」だった。
◇ ◇ ◇
午後。
店内にはいくつかの客の姿があった。
冒険者ギルドの隣にあるお店なので、人の流れは以前よりも明らかに増えている。
エマはカウンター奥で、アクセサリーの紐を調整していた。
集中を要する作業だが、不思議と心は穏やかだった。
――そのとき。
店の外が、ざわりと騒がしくなる。
重厚な車輪の音。
複数の馬の足音。
明らかに、一般客のものではない気配。
窓越しに見えたのは、豪華な装飾を施された馬車だった。
金と紺を基調にした紋章が、陽光を反射している。
「……これは、一体?」
エマが立ち上がった、その直後。
扉が開き、きびきびとした所作の男性が一歩前に出た。
年の頃は二十代半ば。
短く刈った青い髪をきっちりと整え、護衛の装束に身を包んでいる。
「失礼いたします。オサスナ=ビジャレナルと申します」
低く、よく通る声だった。
「本日は、この店をしばらく貸し切りにしていただきたい」
「……申し訳ありません。現在、他のお客様もいらっしゃいますので」
エマは即座にそう答えた。
だが、視線の端で、オサスナの後ろから店内に入ってきたロドリゲスが、ゆっくりと首を左右に振るのが見えた。
――断れない。
無言で、そう告げている。
エマは一瞬だけ唇を噛み、すぐに決断した。
「……わかりました。本日は、ここまでとさせていただきます」
客たちに丁寧に説明し、店の扉を閉める。
外には、さらに数名の護衛が配置されていた。
やがて、馬車の扉が開く。
護衛に囲まれながら降り立ったのは、十八歳ほどの若い女性だった。
月光を思わせる銀髪。
淡い色のドレスに身を包み、気品と快活さを同時に纏っている。
その女性は、ロドリゲスの姿を認めると、目を細めて微笑んだ。
「あら。ロドリゲスじゃない。久しいですわ」
「……ご無沙汰しております」
ロドリゲスは深く一礼した。
「皇女様」
その呼びかけに、エマの心臓が、ひとつ跳ねた。
――皇女?
銀髪の女性は、楽しげに笑いながら、エマのほうを見た。
「はじめまして。わたくし、スペイラ帝国第三皇女
ベネロペ=スペイラですわ」
「……エマと申します」
エマは静かに頭を下げた。
その様子を見ながら、心のどこかで考える。
(ロドリゲスさん……やはり、ただの冒険者ではありませんのね)
元貴族――あるいは、それ以上。
皇女と旧知の間柄であるという事実が、それを物語っていた。
◇ ◇ ◇
応接室に場所を移すと、ベネロペはゆったりと腰を下ろした。
「では……例の物を」
その一言で、オサスナが一歩前に出る。
大切そうに抱えていた箱を、二人の間のテーブルに置いた。
「開けるのですわ」
箱が開かれた瞬間、室内の空気が、きらりと震えた。
中央に配されたのは、見事なエメラルドの首飾り。
深く澄んだ緑。
不純物を感じさせない、透明感。
「あ……」
エマは思わず声を漏らした。
「ノンオイル……」
ベネロペは満足げにうなずく。
「ええ。この素敵な宝石を提供してくれたあなたに、お礼を言いに来たのですわ」
「……なぜ、わたしだとわかったのですか?」
「調べましたのですわ」
ベネロペは、悪びれずに微笑む。
「フライセ王国の王女マリーナ様が、自慢げに身につけていたエメラルド。
それを供給していたのが、エマ=モナコラ伯爵元夫人であることをですわ」
エマは、静かに頷いた。
「これから、フライセ王国の舞踏会に参加しますの。
……ニ年前、一年前と、あの方ばかりが注目を集めて、正直、悔しかったですわ」
くすり、とベネロペは笑う。
「でも、今回は違うですわ。このエメラルドは特別ですもの、わたくしが主役ですわ」
「このエメラルドはノンオイル。特別な加工は、必要ありません」
エマは、ゆっくりと言葉を選びながら語った。
「エメラルドは本来、崩れやすく加工しにくい鉱物です。そこでシダーウッドオイルの出番です――杉油を使って加工処理します。前世……いえ、過去に知った知識が役に立ちました」
そして、続ける。
「伯爵家での売り出し方にも、計画がありました。
一年目は小さなもの。
二年目は中程度。
三年目に、最大で最高品質のノンオイルを提供する予定でした」
「……三か年計画ですわね」
ベネロペは感心したように目を細めた。
「ですが、それは……離縁されるまで、でした」
エマは淡々と告げる。
「離縁の際、あの領地で最も価値のある原石を持ち出しました。
鑑定士も、その価値を理解していましたから」
ベネロペは、小さく息を吸い、そして、にこりと笑った。
「ノンオイルが採れる確率はどれぐらいなのですわ?」
「……そうですね、過去の記憶によると、十万分の一、ほどです」
その答えに、皇女は嬉しそうに頬を緩めた。
「まあ! それは素敵ですわ。
これで、マリーナ王女にやり返すことができますですわ」
満足そうに立ち上がり、去り際に、エマへ告げる。
「お礼に、わたくしができる範囲で、あなたを手助けしますわ」
そして、ちらりとロドリゲスを見て、意味ありげに微笑んだ。
◇
豪華な馬車が去った後。
店内には、静寂が戻る。
エマは、そっと息を吐いた。
過去は、完全には切り離せない。
けれど――今の自分には、未来へと繋がる道が、確かに用意されている。
ノンオイルのエメラルドを巡って、どんな舞踏会になるのか……
そのことを、エマは微笑みながら静かに考えていた。




