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第3話

「フン。まともに仕事もせず、お飾り人形だったんだ。そりゃ愛想尽かされて当然だな」

「んだと?」

「王女にとって、一番使い捨てしやすい相手だったんだよ。そんなことも分かんねーか」


 俺は馬の手綱を強く握りしめる。

平坦だった山道は、徐々に坂を急にしていた。

森の木は深く多い茂り行く手を遮る。

何も知らない兄貴に、殿下のことを悪く言われる筋合いはない。


「手紙で送ってあっただろ。俺はちゃんと一度は断ったんだって。それでも思い直して続けてたのは、この村と家のためじゃねぇか。俺が一生働いても稼げないような金が手に入ったんだ。文句言うなよ」

「はは。確かにそうだ。お前がその役目を引き受けたのは、カネのためだよなぁ!」

「当たり前だろ。他に理由なんてあるかよ」


 カネ以外の理由なんて、そんなものはない。

そんなもの、絶対にあってはならないんだ。

あの人が俺に本気になることはない。

俺が本気になってはいけないように、あの人も本気にはなれない。

彼女は俺と結婚するつもりなんて、最初からなかった。

アレは王女の遊びであり、俺はそれに付き合っただけ。

あの時もらった甘い言葉も、いつしか後悔することになる。

そうなる前に、終わらせようと思ったんだ。

思い出は綺麗なままの方がいい。

引き返せる最終ラインまで引っ張った。

だからもう未練はない。

婚約発表をしてから、どんな甘い誘惑にも、酷い脅しにも耐えてこられたのは、ただ殿下に笑っていて欲しかったからだ。

あの人の姿を見るだけで、全てが報われた。

なかったことに出来た。

俺のことなんかで、あの人をこの先も曇らせるつもりはない。

どうか幸せで! 

俺が望むのは、あの人の何一つ欠けることない完全な幸福だけ。


「可愛かったよ。セオネードさまは。だけど、俺じゃないだろ」

「当たり前だ。だから反対してたんだよ。そんな役目、お前にはぜってー勤まるはずがないって」

「そんなことねーし。それなりに頑張ってやってたし」

「どうだか! とにかく、その辛気くさい顔で家をうろつくな。飯が不味くなる」

「俺は昨日家に戻ってきて、一晩部屋に籠もってたんですけど?」

「それが辛気くさいと言っているんだ」


 兄貴は馬を下りると、手綱を部下に渡した。

天然の土手を川岸に下りて行く兄の後について、足を捻りそうなほど石だらけの河原を慎重に進む。


「で、元王城建築士さんの見解は?」

「……。もう少し川上の、川全体の流れが見えるところに行きたい」

「あの崖の上とかどうだ」


 兄貴は後ろを振り返ると、後方に見える崖上を指さした


「悪くないね。見晴らしよさそう」

「じゃ、そこまで行って昼飯だ」


 ここから先は馬を下り、徒歩で山道を進む。

日が当たり地面に染みこんだ雨が、むせかえるような蒸気を発していた。

俺は自分の足元をながめながら、一歩一歩ぬかるむ山道をすすんでゆく。

泥にまみれた靴なんて、ここ最近履いたこともなかったな。

殿下からパーティー用に送られた靴は、俺の足にぴったりで、こんなに柔らかくて履きやすい靴があるなんて知らなかった。

歩くのは敷かれたばかりの絨毯の上か磨き上げられた大理石の床の上で、汚れる心配なんて必要もない。

唯一汚されるとしたら、俺の下手なダンスで殿下に足を踏まれるくらいだった。


 もちろん俺が踊るのは殿下とだけで、彼女と踊るためだけに練習を重ねた。

まさかこの俺が、必死でダンスを覚えようとする日がくるなんて、人生何が起こるか分からないもんだ。

彼女の細い腰が、華奢な腕が、俺の体にピタリと寄り添う。

彼女に近づけばいつもいい匂いがして、俺は殿下に会えない時でも、その香りを思い出していた。

同じ香水が欲しくて、似たようなものを探してみたけど、結局見つからないままだ。

王都にいた頃はあれこれ忙しかったけど、今はもうたっぷり時間はある。

村の商店に頼んで、よく似た香りでも取り寄せてもら……。


「エド。足を踏み外すなよ」


 従者二人を馬の見張りに置き、俺と兄は二人で崖に登り始めた。

ゴツゴツとした岩肌にそって、這うように山頂を目指す。

先に登る兄の足元から、岩がぼろぼろと崩れ落ちた。


「お前こそ、こっちに落ちてくんなよ」

「お前だろ、さっきからずーっとボーッとしてんの」


 しばらくは登山に集中する。

とはいうものの、膝をつき苔むした段差を数段進めば、すぐに頂上にたどり着いた。


「ふぅ。さすがに見晴らしがいいな」


 ひんやりとした風が吹き抜ける。

黒々とした森の中に一筋の川が光っていた。

それは木々の間に見え隠れしながらやがて太さを増し、アーニングの村まで伸びている。

赤い屋根の我が家が、草原の中に小さく見えた。

案外他の民家から近いところに屋敷があるんだな。

歩けばそこそこの距離があると思っていたけど、そうでもない。

村を突き抜けるように、茶色の小道が細く長く続いている。

昨日俺が揺られてやって来た、駅馬車の通る街道だ。

それより先はさすがに遠すぎて見えないが、霞む霧の向こうには王都があり、フレザー城では……。


「氾濫は防げそうか?」

「ん? あぁ……。そうだな……。川が蛇行しているのが、氾濫の原因だ。流れを変えるか、緩やかにする工事が必要だな」

「川の流れを変えるのか。随分大がかりな工事になるな」

「それをしておけば、この先百年土地を守れる。やるなら早い方がいい」

「なるほど」


 兄は足元にあった岩に腰を下ろすと、ベルトに付けていた皮袋から干した味付け肉とチーズを取りだした。

それをナイフで薄く切り取るとパンに挟む。


「川のどの当たりか、目星をつけておけ。明日はそこを見に行くぞ」


 俺は胸のポケットから束ねた紙とペンを取り出すと、ここから見える風景を書き写し始めた。

ざらざらとした質の悪い黒炭が削られてゆく。


「なぁ、エド。この工事を、お前に任せたい。頼めるか」

「別にいいけど」


 俺にもくれるのかと思っていたパンを、兄貴は一人でかじり始めた。

目の前には深い緑の森が広がり、どこか遠くで鳥が高くピュウーと鳴いて、俺はゴツゴツした岩に腰掛け川のスケッチに専念する。


「正直な話、お前が戻ってきてくれてありがたく思ってる。俺一人じゃ手が足りないんだ。人手が欲しい。もちろん父さんも手伝ってくれてはいるけど、その、なんて言うか……」


 兄はボソボソと言葉を濁しながら、視線を逸らした。


「ま、お前の居場所はここだってことで。父さんと母さんも、実際心配してたしな。お前の顔が見られて、安心したと思うよ」

「……。俺って、そんなに頼りなかったかな」


 家族にすらそう思われていたのなら、やっぱりあの人の側になんてとても……。

ずっと溜め込んできた言葉が、口をついてあふれ出る。



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