第4話
「はい。なかったからこれで。あーんして」
「これも好きよ」
「美味しいよね。俺も好き」
エドはほとんど空になっていたテーブルを回りながら、私の食べたいと言ったものを直接フォークで刺して食べさせてくれた。
チーズもミートボールもキッシュも何もかも、新しいものを用意するというのを断って、残り物を次々と食べさせてくれる。
「ふふ。随分お行儀が悪いわね」
「いいよ。どうせ残ったら捨てられるんだろ? セオが食べないなら俺が食べる」
彼は突き刺したマスカットの実を、自分の口に運ぼうとしていた。
私はそれを取り上げると、今度は私が彼の口に運ぶ。
「はい。あーん」
エドは一瞬戸惑ったものの、軽く微笑んでからパクリとそれを平らげた。
「もうお腹いっぱいになった?」
「うん。エドは?」
「俺はもうとっくに満足してるよ」
エドの顔が近づく。
彼は私のおでこにキスをすると、軽やかに手を取った。
「それでは、ダンスはいかがですか? お姫さま」
「悪くないわね」
エドは私を広間の中央に誘い出す。
エスコートする手に導かれながら、私は足を止めた。
「セオネード? どうかした?」
「エド。真ん中じゃなくて、隅っこがいい」
「隅っこ?」
「うん」
エドの手を引いて、会場端のバルコニー前に移動する。
灯りの届かない薄暗い空間で、私はエドの胸に顔を埋めた。
「ここでずっとこうしていて」
「……。了解」
彼の腕が、優しく私の腰と肩に回る。
遠くに聞こえるゆっくりとした音楽に合わせて、体を揺らした。
月明かりと、参加者の見て見ぬフリをする背中たちが私たちを見守る。
「今日は……。来てくれないかと思ってた」
「どうして?」
「だって、このあいだのことがあったから」
「……。国王陛下の、お茶会のこと?」
彼の腕の中で、小さくうなずく。
彼は人目から私を隠すように背中で覆った。
「ごめん。まさか本当に陛下に受け入れられるなんて思ってなかったから」
「大声でなじられるとでも思った?」
「その覚悟はあったよ。だから意外過ぎてびっくりした」
胸の中で笑ったら、彼の笑う振動も触れ合う肌から伝わってくる。
「父は、あなたのことを褒めてたわ」
「ほんとに?」
「本当よ」
だからこそ、私はこのまま、エドとの関係を真実にしたい。
「契約のことで、話があるの」
「そうだね。そのことをいつか、ちゃんと話し合わなくちゃいけないと思ってた」
「エド」
手を伸ばし、彼の頬に触れる。
エドはただされるがまま、じっと私を見つめた。
「私があなたを選んだのは……、偶然だったけど、この出会いは、運命のようなものだったと思ってる」
「そうだね。俺にとっても、すごく特別な出会いになった。遠くから見ているだけだった憧れの王女さまに、これほど近づけるなんて」
緊張に高まる胸を、夜の闇が包み込む。
これは私にとって、一世一代の告白になる。
私はエドと、本当の恋人になりたい。
「この契約は、ここで終わりにしましょう」
「……。かしこまりました。全ては殿下のお望みのままに」
エドは私を抱いていた腕を解くと、その場に片膝をつきひざまずいた。
手を取るとそこに口づける。
「最後まで役目を終えられたこと、感謝しております」
「エド。これからは演技としてではなく、本当の恋人として側にいてください」
「それは出来ません」
エドは私の手を取ったまま、静かに立ち上がった。
彼の冷たい表情が、月明かりに青白く浮かび上がる。
「私の役目はここまでです。殿下には殿下に相応しいお相手がおありです。私は長く……、殿下のお側に居すぎました。本来のあるべき場所に戻ります。どうかいつまでもお元気で健やかであられますように。殿下のことは、いつまでも忘れません」
「待って。どうして? まさかジェードに何か言われたの?」
「ジェードさまは……。関係ありません。ずっと考えていたことです」
エドはどこまでもゆっくりと落ち着いていた。
「俺では、あなたの邪魔にしかならない。君の願いは叶えられない。王になるための困難に、なりたくないんだ」
「私のことが、好きじゃなかったの?」
「好きですよ、とても。心から尊敬しております」
素っ気なく言い放った彼の頬を、私は右手で思い切り打ち付ける。
それでも彼は、微動だにしなかった。
「どれもこれも全部、演技だったというのね」
「殿下が始めから望まれたことです」
「私は信じたのに!」
「そうはならないというお約束でした」
エドの黒い目が、深く私を見つめる。
「だからもう、ここで終わりにしましょう。これ以上殿下が嘘を積み重ねていくことに、私は耐えられません」
「嫌になったのなら、はっきりそう言えばいいじゃない!」
「そうです。嫌になりました。周囲に嘘をつき続けるのも。自分自身にも。王女殿下の夫になんて、本気でなりたいと思うわけないじゃないですか。恋人だってゴメンです」
もう一度殴ろうとした手を、エドは直前でつかみ取った。
「恋愛ごっこ、楽しめましたか? 王女さま」
彼の顔が近づく。
キスされるかと思ったのに、その寸前で彼は私の唇に触れることなく離れてゆく。
「さようなら。俺もそれなりに楽しめましたよ」
エドは私をそっと押しのけると、迷うことなく背を向けた。
皆の注目を一身に集める中、広間から出て行く。
「セオネード」
すぐ近くでずっと見ていたジェードが近寄るのを、私は払いのけた。
「セオ!」
「疲れました。部屋に戻ります」
灯りのない長く暗い廊下に、私の靴音が高らかに響く。
長いドレスのスカートが足に絡みつき、心臓はどこまでも荒く乱れていた。
何がどうしてこうなったのか、私には全く理解できない。
突き上げる感情の渦で、全身が激しく燃えさかっていた。
このまま部屋に戻っては、自分で自分が何をするのか分からない。
ふと城壁から下をのぞき込むと、今まさにエドが、通用門から城外に一人歩いて出て行こうとしていた。
このまま行ってしまえば、本当に手の届かない人になってしまう。
彼は私の婚約者である証の、揃いの白い衣装でありながら、下級官吏の使う通用口へ立ち寄った。
彼はそこにいた門番に声をかけ、開けてもらった小さな扉をくぐる。
下ろされた堅固な鉄格子の向こうに、彼の背はすぐ見えなくなった。
エドは一度も城を振り返ることなく、本当に行ってしまった。
それでも朝日は昇り、夜明けと共に戴冠式の準備は始まる。
もうエドはいないのに、どうやって式をするつもりなんだろう。
別れたことは、もうみんな知ってしまっているのに。
それでも戴冠式をしようというのなら、早急に新しい婚約者を選ばなくては間に合わない。
戴冠式のためだけに、私は結婚するの?
あのエドでさえ嫌がった婚約者役を、誰が引き受けてくれる?
彼にフラれた今だから分かる。
彼は、弱った父や素直に祝ってくれる城の人たちや市井の人々を、裏切るような行為をしたくなかったんだ。
彼にとって、彼らを騙し続けることをお金で強要するような人間を、好きになるはずもなかった。




