【詠龍譚】ブック・ドラゴン
神代より龍はどこにでも棲んでいた。
天に吹く風と共に、雷をまとって。
火山の中、燃えたぎる炎として。
深海の底、鱗に覆われて。
ならば本の中に棲む龍もいて構わないだろう。名を「書龍」という。
書龍はもちろん龍だから暴れん坊だ。暴れるのは書の多い場所。
特に朝廷の書庫などは、書龍にとって格好の遊び場だった。
書龍は紙の身体、墨の雲に乗って、書の天空を自在に飛び回る。そして文字の息を吐いて、本の文字列をぐちゃぐちゃの、誤字脱字だらけにしてしまう。
ある時期以前の歴史が残っていないのは、全て書龍の仕業だ。
このままでは役人も国家を運営できない。人々が困り果てていたところ、ある者が龍を退治すると言い出した。
それは一人の史家。彼は仙道に魔道も心得がある。自分なら龍を封じてみましょうと言うのだ。
そこで時の大君は彼に龍退治を一任する。
まず彼が向かったのは、とある洞窟。
まだ人々が服を着ることも、家を建てることも知らない、「ましら」のような生活をしていた頃。
ここに住んでいた者たちが描き残した壁画があった。間違いない、書龍はここから生まれたのだ。
史家は確信する。
それから史家は旅をした。
最初の文字は石に刻まれていた。だから書龍の身体も石でできていた。
それが粘土板に、木の板に、竹に、人間が文字を描くたび。書龍の身体も様々に変化する。
そして、とうとう紙の軽やかな身体を得た。
以来の書龍による被害は大変なものだった。
英雄の記録が失われた。
奸雄が英傑扱いされるようになっていた。
税の計算ができなくなった。
田舎の母へ手紙が届かない。
善王は名を忘れられた。
書龍の悪さを、史家はつぶさに記録する。それは大層な熱意を込めて書かれた本となった。
そんな熱意を込めて書かれた本が、書龍は大好物だ。書龍は史家の書いた本へ、ふらふらと引き寄せられる。
そして龍がまんまと本の中へ入ったと同時に
「よし完成だ」
史家は本に「書龍の記」と題名を書き込んだ。
この本は書龍の歴史そのもの。ならば書龍の肉体に同等の存在となりうる。
そこへ呪でもって龍を封じたのだ。もう龍は本そのものと化して逃げられない。
かくして書龍の被害はなくなり、人々は歴史を残すことができるようになったのだった。
だが今でも書龍は本から出ようと、あがいている。
……と語る古本屋のオヤジは
「その本がこの中にあるだが。欲しけりゃ探してみな?」
背後にある本の山を指さし、ニヤリを笑った。




