ダウチャヌイの苦悩 その1
中央にいる大公は、気遣わしげにナルファスト公国軍の動きを見た。左翼の状況も気になるが、皇帝軍の前に迫っている敵の赤い長槍隊への対処が先決だった。鎧も兜も槍も赤い。「ロメルト・クリズル来たる」という圧力を感じる。戦場では見た目で圧倒することも重要な要素だ。
「先に矢が来るぞ。前列は盾で防げ。弓兵は矢をつがえよ」
大公は戦闘準備の指示を出すと、以降の指揮を現場の指揮官たちに委ねた。もはやナルファスト公を援護している余裕はない。
「レミターロック伯に伝令を出せ。前進して敵左翼に圧力をかけろ、とな」
レミターロック伯軍は1200人程度だが、この隊が先行して左側面に迫るだけで敵にとっては脅威になるはずだ。
ダウチャヌイは舌打ちした。皇帝軍の右翼から小部隊が突出してきたからだ。あれを放置すると自軍の左翼が脅かされる。1000人程度の部隊とはいえ、側面から横槍を入れられたら致命的だ。
皇帝軍の正面に展開した長槍隊を指揮するトスレニエーイ・カチェトメトに進軍停止の伝令を走らせようとしたが、その前に長槍隊は自ら停止した。
「さすがトスレニエーイよ。命じるまでもなく状況を判断したか」
ダウチャヌイは伝令を待機させて成り行きを見ることにした。後ろから口出しするよりも現場のカチェトメトに任せた方がよいと判断したのだ。
「お前の兄はどう動くかな?」
ダウチャヌイは横に控えているカエトニェイ・カチェトメトに話しかけた。カエトニェイは長槍隊を指揮しているトスレニエーイの弟である。彼も前線で部隊を指揮することもあるが、今は副官としてダウチャヌイの本陣にいた。
「突出してきた部隊を、左翼を伸ばして半包囲しようとするかと」
「ふむ、堅実だな。トスレニエーイらしい」
「しかし、その前に敵の突出部隊は下がるでしょう」
カエトニェイの指摘通り、トスレニエーイの部隊が左翼を伸ばし始めるのと同時にレミターロック伯は手勢を後方に下げた。
「さすが帝国軍。よく動く」
「感心している場合ではありません。トスレニエーイ隊が前進したらまた敵も突出して側面を突こうとするでしょう。中央は手詰まりです」
レミターロック伯が進退の頃合いを巧みに読んで兵を動かしているのは確かだが、トスレニエーイも無能とは正反対の部将だ。敵の突出に合わせてそれをたたくくらいの手腕は十分にある。
だが……。
「いくらなんでも消極的過ぎますな……」
カエトニェイもトスレニエーイ隊の動きは兄の能力に似つかわしくないと感じ始めたらしい。
「私の厭戦気分が悟られたか」とダウチャヌイは自嘲した。
ダウチャヌイにとって、帝国軍との戦いは不本意極まりないものだった。戦略的に何の意味もない。大貴族どもの政争から生まれたあだ花だ。東方戦線を切り上げて帝国軍を迎撃せよと命じられたときは、こめかみの血管が破れるのではないかと思うほど激しい憤りを覚えた。
共に東方戦線を戦ってきたカチェトメト兄弟は、ダウチャヌイと想いを共有している。ダウチャヌイと同じく帝国軍との戦いに意義を見いだしていない。兵を死なせることをためらっている。




