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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

かさばなし

作者: 麦茶

葵は立ち尽くしていた。雨音の鳴りやまぬ下駄箱の前で。

「…はあ。」

決して寂しくはない。ただ傘を分け合うほど親しい友人も、乱雑に忘れ去られた誰の物とも分からない傘立てからそのひとつを何ともない顔で引き抜くほどの図太さも持ち合わせていないだけだ。

「おい、邪魔だよ。…あれ、同じクラスの奴じゃね?…なんて言ったっけ?あー、葵くん?だっけ」

葵は肩をすくめたまま、ゆっくりと顔を上げた。声の主は、体育の時間によく前に出てふざけている男子グループの一人だった気がする。名前は、たしか…伊藤。

「…うん、葵だけど。」

「え?」

「葵で、合ってるよ。」

「あーやっぱそうか。なに、誰か待ってんの?それとも、傘持ってないの?」

一瞬、何かを試されている気がして、葵の喉奥がつまる。親切心? それとも、からかい?

「……うん。」

「そっか。」

それだけ言って、伊藤は傘立てから自分の傘を取り出した。銀色の骨がわずかにきしんで、雨の気配が強まった気がした。

ふと、伊藤の手が止まり、もう一度振り返る。

「……一緒に帰る? 結構降ってるし、濡れるとだるいっしょ。」

「え…」

すぐに受け入れるべきだった。引き延ばせばのばすほど、気まずさは増していくとわかっているのに。ただ、その返事をすぐに言えるなら、そもそもこんな状況になるような人間関係ではなかっただろう。

「なんだよ、めんどくせえな。黙ってるくせに入れてほしいみたいな顔して。どっちだよ。」

自分の心情をなぜ伊藤が読み取れたのか疑問を抱きながら、今度こそすぐに、

「あ、ごめん。うん、お願い。…ありがとう、じゃあ駅まで。」

伊藤は「おぅ」と気の抜けたような声を漏らしながら、傘を少しだけ傾けて葵の肩側に空間を作った。葵は一歩近づいて、その傘の下にそっと身を寄せる。少し濡れた制服の袖が、伊藤の腕にかすかに触れた気がして、慌てて距離をとった。

「別に、そんなに離れなくていいだろ。どうせ狭いんだし。」

伊藤の言い方には、からかいのような響きがあった。でも、それ以上の含みは感じられなかった。だからこそ、余計に葵はどう振る舞えばいいのか分からなくなる。

歩き出した二人の足音と、傘を打つ雨音だけが、帰り道を埋めていく。

「……俺さ、お前が喋ってるとこ見たことなかったから、声のイメージ全然違ったわ。」

突然の言葉に、葵は視線を上げた。

「え?」

「なんか、もっと……冷たい声かと思ってた。勝手なイメージだけど。」

「……ごめん。」

「なんで謝んの。別に悪口じゃねえし。」

伊藤は苦笑しながら、前を向いたままそう言った。雨はまだ降り続いているけれど、さっきまでより少しだけ音がやわらかくなった気がした。

「…あ、ごめ、じゃなくて、ありがとう。伊藤、くん。」

「また謝ろうとした?…変わってんな、お前。あと、伊藤じゃなくて透でいいよ。伊藤って普通過ぎて好きじゃないんだよ。」

「あ、わかった。透くん。」

付け足した一言に思わぬ気づかいを感じ、本当に普段おちゃらけなあの人なのかと透の顔を見る。

横顔だけど、笑っていない透の表情に、葵はわずかに息を呑んだ。ふざけていないときの透は、どこか大人びて見える。目元にほんの少しだけ疲れのような影があるのも、意外だった。

「何、見てんの?」

透がちらりと視線を寄越す。

葵はあわてて前を向き直し、口ごもる。

「…なんでもない。」

「ふーん。まあ、俺がイケメンすぎて見惚れたってことにしといてやるよ。」

結局ふざけるのかと思いきや、そのあと透は小さく笑って黙った。

それがなぜか、安心できた。傘の下、共有される沈黙が、葵にとっては初めて心地よく感じられる時間だった。

しばらくして、透がぽつりと呟いた。

「…俺さ、前に一人で濡れて帰ったことあるんだよね。傘なくしてさ。でも、誰にも声かけられなくてさ。」

葵は思わず透の横顔をもう一度見た。

「だから、まあ…見てらんないっていうか、放っとけなかったってだけ。」

雨の音が、一瞬だけ遠のいたような気がした。

「…ありがとう。優しいんだね。」

当たり障りのない言葉を選びながらそれでもなんとか心からの感謝を伝える。

「まあ、女子だったら流石に遠慮するけど、男子だし、なんかお前っていつも一人じゃん?だから少し、その、気になってて。」

陽キャからの心なくも順当な評価に傷つきながら、後半の言葉に引っかかる。

「…え?前から?」

透は一瞬だけ沈黙し、足元の水たまりを避けながら歩調を緩めた。

「……うん。てか、別にずっと見てたとかそういうのじゃなくてさ。」

視線は前を向いたまま。でも、その声の調子がほんの少しだけ低くなる。

「昼休み、屋上行くとたまにいたりするじゃん、お前。俺もたまにサボってそこ行くからさ。で、見かけて、なんか気になって。」

屋上。たしかに、あの場所は誰にも邪魔されない静かな場所だった。透のような人間が来るなんて、考えたこともなかった。

「…話しかけようとかは思わなかったの?」

思わず出た言葉だった。

透は笑って答える。

「いや、思ったよ。でも、タイミングなくて。お前、壁高そうだし。」

「壁…」

「…なんていうか、近づいたら避けられそうって思った。」

言葉の端に、ほんの少し照れ隠しのような苦笑がにじむ。

葵の胸の内に、知らず波紋のように広がっていく何かがあった。自分は、そんなふうに見られていたのか。そんなふうに“気にされて”いたのか。

信じられなかった。でも、嘘には聞こえなかった。

「話してみてもさ、なんか普段つるんでる奴らと違っておとなしいって言ったらそれだけなんだけど、なんか、しっとりしてるっつうか。」

「しっとり?」

「あ、いや悪口じゃねえよ?寧ろ褒めてるっつうか。…遠くから見てた時も、こんだけ近くても、まあ、そのー、簡単に言えば、綺麗っつうか。」

「…え?僕が?」

思いもしない話の方向に動揺を隠せない。全力で彼から隠している顔も、それでもしっかり傾けている耳も、雨水によく映える差し色に染まっているだろう。あつい。

「うん、お前が。」

透はそっけない声のままそう言ったが、視線は前を向いたまま、決して葵を見なかった。

「まあ、男子に言われて嬉しいかって言われたら微妙かもだけど。なんか、気になるってそういうことなんじゃねーの、って最近思ってさ。」

葵は足を止めそうになるのを、なんとか堪えた。

この体温の上昇が恥ずかしさからなのか、突然向けられた好意のようなものへの戸惑いなのか、自分でもわからない。ただひとつだけ確かなのは、風も通らないこの傘の下が、今はあつすぎるということ。

「……なんで、そんなこと言うの。」

声は震えていた。思わず絞り出したような問いに、透がようやく足を止めた。

「え?」

「なんでそんな…やさしくするの。」

息をのんだのは、たぶん透のほうだった。

さっきまでの珍しい恥じらいが嘘のようにじっと葵を見つめる。

葵は視線を落としたまま、続ける。

「僕、そんなふうにされたことないから。…嬉しいけど、どうすればいいか、わからない。」

雨の音が、さっきまでと違って、どこか遠くに感じられた。傘の内側だけが、まるで時間が止まったように静かだった。

「…察しが良いのか悪いのか。優しくする訳も察してくれよ。」

その理由なんてもうわかりきっていた。いつから自分は明白な答えを言ってほしいメンヘラのようになってしまったのか。しかしここでも、すぐに返事ができるほど決断力があるわけでもない。

「その、嬉しいってことはたしか。でも、それ以外はよくわからないや。…うん、ありがとう。」

透はしばらく何も言わなかった。ただ、静かに葵の言葉を飲み込むように、じっと立ち尽くしていた。

「……そっか。」

その一言には、失望も怒りもなかった。ただ、どこか力を抜いたような柔らかさがあった。

「無理にわかろうとしなくていいよ。お前が、そうやってちゃんと考えてくれるなら、それで十分。」

葵は顔を上げられなかった。

それでも透の声は、まっすぐ胸に届いた。自分でも理由のわからないものが、喉の奥で詰まりそうになる。

「俺さ、好きなもんにはちゃんと好きって言うことにしてるんだ。そっちがどう思ってるかとか、まだわかんなくても。」

葵は目を見開いた。透は初めて、真正面から葵の顔を見て、まるで普通のことのようにそう言った。

「雨やんできたな。」

そう言って透は傘を閉じた。パチン、という音がやけに響いた。

「……駅、もうすぐだし、ちょっと歩こうぜ。濡れても、たぶん、もう大丈夫だろ。」

差し出された手ではなく、ただ隣を歩く余白のようなその歩幅に、葵は自然と足を合わせた。

それからの会話はあまり覚えていない。多分記憶に残らない他愛もないものだったのだろう。

『…来週からは季節に見合わず全国的に晴れ模様が続きます。もう傘の心配は要りません。さて、続いてのニュースは…』

気まぐれでChatGPTと書いたものを軽く修正しました

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