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短編小説

雪見酒 ──土方歳三と中島三郎助

作者: 歌池 聡


※武頼庵(藤谷K介)様主催『街中に降る幻想の雪』企画参加作品です。

※家紋武範様主催『約束企画』参加作品です。

※コロン様主催『酒祭り』企画参加作品です。


 宴もたけなわ、座はかなり乱れてきた。声高に時局を論ずる者、横になって高いびきをかく者、こっそり妓女を連れて別室に消えていく者もいる。

 そろそろ、自分ひとりが脱け出しても気づかれまい。

 土方(ひじかた)歳三はひっそりと座敷から廊下に抜け出すことにした。そろそろ、この茶番めいた宴席に嫌気がさしていたのだ。






 慶応5年(明治2年)正月。ここ箱館(現・北海道函館市)の妓楼では、近在の豪商たちを招いて蝦夷(えぞ)共和国の幹部たちの宴が催されていた。


 ──半月ほど前、旧・徳川幕府軍は蝦夷地を制圧して『蝦夷共和国』の建国を宣言した。だが、その前途は決して明るくない。

 明治新政府は蝦夷共和国を『国』と認めず、あくまで国内の内乱として武力鎮圧の方針を崩してはいない。

 そこで、いずれ襲来する新政府軍に対抗する戦費を調達するため、地元の商人たちの協力を求めて、盛大な接待の場が設けられたのだ。


 その必要性は土方にもわかる。勝ち目が充分にあると商人たちに信じさせるために、景気のいい話をする必要があるということも。

 だが、総裁の榎本(武揚(たけあき))や大鳥(圭介)が土方を不敗の将であるかのように語り、新選組時代の話を武勇伝のように誇張して吹聴しているのを聞いていると、土方は自分が道化にされてしまったような、ひどくいたたまれない思いに苛まれるのだった。






『──そういや、中島さんもいつの間にかいなくなっていたな』


 さすがに兵舎に帰ったのでは後で文句を言われそうなので、土方は妓楼の別室で休んでいるはずの中島を探すことにした。


 中島三郎助。元は浦賀奉行所の与力(下級役人)で、砲術と洋式軍艦の専門家である。その学識の高さから幕府の海軍操練所の一期生に抜擢され、その後も洋式軍艦の造船などの大きな仕事を歴任してきた。

 その中島ら優秀な海軍士官たちと、最新鋭艦『開陽』をはじめとする数隻の軍艦。これこそが、蝦夷共和国軍の頼みの綱だった。

 中島らが艦砲射撃で海沿いの道を封鎖し、土方らが内陸の狭隘な進軍路を防ぐ。この形なら、新政府軍がどれほど大軍だろうと半年は時が稼げたはずだ。

 その間にいくつかの大国と交渉して、和睦交渉の仲介を依頼する。榎本たちの思い描く最善の筋書きはこうだったろう。


 だが、肝心の『開陽』はもうない。『開陽』と2隻の船は蝦夷地の激しい冬の嵐で座礁し、あえなく沈没してしまったのだ。


 その落胆からか、中島はこのところ持病の喘息が良くないらしい。

 いつも宴席の端で、小さな咳をしながら静かに呑み、咳がひどくなったら別室で休む。これが最近の中島の常だった。






 中島は、中庭に面した小さな座敷にいた。

 この寒さのなか障子を開け放し、雪が静かに降り積もる庭を眺めるように居住まいを正してひとり座っている。

 その凛とした佇まいに何か侵しがたい空気を感じて、土方はしばし声をかけるのを躊躇っていたのだが、逆に中島の方が土方に気づいて話しかけてきた。


「やあ、土方さん。ちょっといい句が浮かびそうな気がしたのでね、庭を眺めてたんですよ」

「──そいつはいいな、『木鶏(もくけい)先生』」


 ちょうど通りかかった女中の膳から徳利(とっくり)猪口(ちょこ)を拝借して、土方も中島の隣に腰を下ろした。


「なら、ともに『雪見酒』と洒落こもうじゃねぇか」

「いいですね、『豊玉(ほうぎょく)先生』」


 歳は土方の方がひと回りも下なのだが、土方のほうがぶっきらぼうな口調だ。だが中島はまったく気にする風もなく、穏やかな声で丁寧に返す。

 中島は歴とした武士で、学識によって出世してきた英才なのに対して、土方は百姓出身の学のない剣術屋だ。水と油ほどに境遇も性格も違うふたりだったが、どうしたことか不思議と馬が合った。

 実はこのふたりには、俳諧(後の俳句)という共通のたしなみがあったのだ。


 中島は和歌や漢文にも通じ、『木鶏』の名で俳人としても広く名を知られていた。

 一方、『豊玉』と号する土方は自由気ままな作風で、出来不出来の差も大きい。

 つい先日の大晦日にも、ふたりは十数人の同好の士を集めて句会を催したところだったのだ。


「で、どうですか。今日はいい句が出来そうですか」

「いえ、あまり上手くまとまりません。どうも蝦夷地に来てからは、肩に力が入ったようなものばかり浮かんでしまって──趣きが足りませんな」

「そいつはいけねぇ。先日の句会でも、やたら血気に逸るような句が多くて、どうもなぁ。

 やっぱり風流を忘れちゃならねぇよ」


 しばし酒を酌み交わしながら、俳諧談議に花を咲かせる。やはり榎本たちの話を聞いているよりこちらの方がずっといい。


 やがて酒がなくなり、女中に声をかけて持って来させる。

 ちょうど会話が途切れたところでもあったので、土方は前から気になっていたことを聞いてみることにした。


「なあ、中島さん。俺ぁ前から聞いてみたかったんだがな」

「何でしょう」

「あんた、何で息子二人を連れてきちまったんだ?」


 ──中島は、浦賀奉行所の同志たちと榎本艦隊に合流する時に、二人の息子を伴っていた。

 だが、もし親子三人ともに亡くなるようなことがあれば、中島家は絶えてしまう。親としては、せめてひとりは残るよう説き伏せるべきだったのではないか。


「いえ、息子はもうひとり残してきましたから」

「そいつはまだ、生まれたばかりの赤子だって話じゃねぇか。

 せめて二人のうちひとりだけでも残してくるべきだったんじゃ──」


 そう土方が言った時、中島が急に激しく咳き込んだ。いつもの乾いた咳ではなく、妙に湿った鈍い音だ。


「お、おい、大丈夫か?」


 それにも応えず、中島は手で口を覆って咳を続けていたが──やがて、意外な行動に出た。

 やおらに立ち上がると、足袋のまま庭の雪の上に飛び降りて、両の手を積もった雪に突っ込んだのだ。


「土方さん、たまには童心に帰って雪だるまでも作りませんか? なかなか風流でしょう?」


 明るい声を作ってごまかそうとしているが、土方は見逃さなかった。雪の中に隠すように埋めた中島の両の掌が、大量の血にまみれていることを──。


「その血は──中島さん、あんた労咳(ろうがい)(結核)なんだな?」






 土方は力なくうなだれてしまった中島を引き起こし、座敷に上がらせた。ついでに、女中に火鉢を持ってくるように頼んでおく。


「──ったく、無茶しやがって。労咳には身体を冷やすのが一番よくねぇんだ。俺は(沖田)総司(そうじ)の時に医者から色々教えてもらったからな」


 気ぜわしく身体を拭いてやっていると、されるがままだった中島がやがて弱々しく口を開いた。


「これが先ほどの質問の答えですよ、土方さん。

 私は労咳で、おそらくそう長くはない。そして息子たちにもうつってしまっている。

 私たちは、他の家族に労咳をうつさないために家を出たんですよ」

「馬鹿じゃねえか。労咳ったって、すぐに死ぬわけじゃねぇ。

 ちゃんと滋養のあるものをとって養生すりゃ、進行を遅らせることだって──」

「でも、いずれは衰弱して死ぬ。そうでしょう?

 私はね、病で死ぬのだけは願い下げなんです」


 そう言って、中島は壁にもたれるように力なく腰を下ろした。


「──思えば、子供の頃から喘息に振り回されっ放しの半生でした。

 せっかく重要なお役目を任せていただいても、喘息が悪化して辞めざるを得なくなって──その繰り返しです。

 せめて、死ぬときくらいは病に殺されるのではなく、戦いの中で華々しく散りたい。それが私のせめてもの望みなんです」

「い、いや、だから──」


「息子たちも同じ考えです。──きっと、沖田さんもそうだったんじゃないでしょうか」


 ──それは、土方にはもっとも刺さる痛いひとことだった。

 若き頃からの友であり、弟のようにも思っていた沖田は、労咳に苦しみながら必ず治して土方たちと合流するのだと強がっていた。

 江戸を離れる際にやむなく小石川の養生所に預けてきたのだが、衰弱して誰かに看取られることもなくひっそりと亡くなったのだという。

 だが、本当にそれでよかったのか。労咳が発覚してからは沖田を隊務から外し、ひたすら養生するように強いてきたのだが、本当はいくさの中で死ぬことを許してやるべきではなかったのか。──自分は沖田から、死に様を自分で選ぶ権利を奪ってしまっただけだったのではないか。


 そんな後悔にも似た疑問が、今も土方の心の奥底でずっとくすぶり続けていたのだ。


「──無論、私とてそう簡単に命を捨てるつもりなどありませんよ」


 土方が暗い想いに沈みかけたのに気づいたのか、中島が冗談めかしたように明るい声を発した。


「薩長との戦いの前にくたばったのでは、死んでも死に切れませんからね。春までは出来るだけ養生に務めて、決戦には必ず加わりますよ。

 徳川の侍の意地を、あいつらに思い知らせてやります」






 ──何て強い男なのだろう。土方は改めて驚嘆する。

 温厚で冗談好きなこの男に、こんな強い想いがあっただなんて。


 それに比べて自分はどうだ。


 当然、常に勝つことを目指して戦ってきたし、負けてもいいなどと思ったことはないが、どこかに『いつ終わってもかまわない』という捨て鉢な気持ちはなかったか。

 不治の病に侵された中島が、それでも運命に抗うべく死力を尽くしているのに、自分にはそれほどの覚悟はあったのか。

 こんな中途半端な覚悟のままでは──自分は目の前のこの男にも、戦う場を奪ってしまった沖田にも顔向けできない。


「──中島さん、来年もまた『雪見酒』をやろう」


 土方の口から、自分でも思ってもみなかった言葉が出る。


「──えっ?」

「大晦日の句会も、だ。

 悪いが、あんたたちに華々しく散る舞台は与えてやらねえ。新政府軍の箱館侵攻は、俺が意地でも食い止めてみせるさ。

 だからあんたには、半年やそこらでくたばられちゃ困る。次の句会でこそ、俺が最優秀を取って、あんたの悔しがる顔を(さかな)に雪見酒だ。約束だぜ?」


 そうだ、まだ自分は死力を尽くしてはいない。もっと全身全霊で勝つ策を考えろ。

 軍艦が足りないというなら、奇襲をかけて新政府軍から奪ってやろうじゃないか。


 ──この雪見酒と句会の約束が果たされる可能性は、かなり低いだろう。だが、そんなことはどうでもいい。

 大事なのは、土方がこの約束を必ず果たすという覚悟を定めたということなのだ。


「──いいですね、約束しましょう」


 中島もそんな土方の思惑を悟ったのか、明るい声で返す。


「受けて立ちますよ。次の句会も、私が最優秀を取りますからね」


 そう言った中島の透き通るような笑顔に、土方は沖田の面影を見たような気がした。


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