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【幕間】―グラント公爵②―

 王宮で、王太子であるオーティスの誕生日を祝うパーティーが華やかに行われた。

 公爵は王城の警備からパーティーの参加者まで問題ないか目を光らせ、パーティーを楽しむ余裕はなかった。

 だがそこに、慌てた様子の部下が公爵を呼びに来た。

 娘のイザベルがメインホールで大変なことになっていると。

 急いで駆けつけると、そこには多くの令嬢に囲まれたイザベルの姿があった。


「公女様は今まで、次期王太子妃になられるフィオーナ様に嫌がらせをしておりましたわ!」

「それにオーティス殿下の後をついて回って、なんて迷惑な! 貴女の身勝手な行動で、国の品格すら疑われかねませんわっ!」


 令嬢たちの後ろでは、オーティスに抱かれる一人の少女の姿があった。

 マウロ伯爵家の長女で、王太子の婚約者に選ばれたフィオーナだ。

 またフィオーナの傍には彼女の兄で、王太子の専属護衛であるフェランドと、公爵の息子であるダミアンが二人を守るように立っていた。

 しかし、イザベルを擁護する者は誰もいなかった。

 騒ぎを聞きつけて人が集まっていく中、公爵もその場に足を踏み入れる。

 一瞬、誰かの視線とぶつかった気もするが、公爵は今にも倒れ込みそうになるイザベルだけしか見えていなかった。

 言い様のない怒りを堪えて近づいていくと、公爵の姿に誰もが押し黙り、人だかりが左右に分かれた。文句を言っていた令嬢たちも顔を青くし、彼女たちの両親がそそくさと娘たちを連れて行く。


「イザベル、来なさい」

「お父様、私は……っ」


 公爵は躊躇するイザベルの手を掴み、強引に引き寄せた。

 まだ床に崩れ落ちる前で良かった。

 公爵令嬢たる者が皆の前で両膝をつくなど、決してあってはいけない。たとえ、原因がイザベルにあったとしても。

 ただ、公の場でこれほど多くの者達がイザベル一人を断罪してくるとは思わなかった。まるで、示し合わせたかのような計画性を感じたが、今は大人しく引き下がるしかなかった。

 公爵は、王太子と並ぶダミアンを鋭く睨みつけたが、顔を背けるだけで此方に来ることはなかった。

 イザベルの手を取った公爵は、そのままホールを突っ切り、グラント公爵家の紋章が入った馬車に乗り込んだ。御者は目を丸くしていたが、只ならぬ雰囲気に息を呑み、大人しく馬車を走らせた。


「お父様、何故です!?」

「いい加減にしないか。王太子殿下の婚約はすでに決まった事だ。お前一人がどうにか出来るものではない」

「ですが、私の方がオーティスを愛して……っ」


 向かい側に座ったイザベルは、身を乗り出す勢いで己の気持ちをぶつけてきた。

 その姿に、他の男を愛した妻の姿が重なる。


「──愛していれば、何をしても許されると思っているのか?」

「それ、は……っ」


 公爵夫人でありながら浮気をして駆け落ちするなど、妻の行動は決して許されるものではなかった。

 イザベルのしている事もまた、自分の都合しか考えていない身勝手な行動だ。

 オーティスやフィオーナだけでなく、多くの者たちに迷惑をかけている。最悪の場合、公爵家と王家に亀裂が入っても可笑しくない。

 公爵家を危険に晒す行為に、父親として許せるものではなかった。

 馬車が屋敷に到着し、公爵はイザベルの腕を掴んで中に入った。


「──娘を物置部屋に」

「お父様……っ!?」


 突然帰宅してきた公爵とイザベルに使用人たちは慌てて集まってきたが、異様な光景に口を開く者はいなかった。

 何より、これまでイザベルが何をしても叱ってこなかった公爵が、長年使われていない物置部屋に、イザベルを連れて行くよう命じたのだ。

 それは当然イザベル本人も驚き、信じられない表情で父親を見つめていた。

 だが、公爵の命令に逆らうことはできない。執事と、数人の使用人がイザベルに近づき、半ば引き摺るようにして屋根裏にある物置部屋へと連れて行った。

 すぐ横から「あんまりです、お父様!」「お許し下さいっ!」と、イザベルの悲痛な叫び声が響き渡る。

 しかし、何もしなければイザベルはまた同じことを繰り返すだろう。

 それこそ自身が破滅するまで。

 娘に対する仕打ちとしては行き過ぎているかもしれないが、執着するオーティスから無理やりにでも引き離す必要があった。


「私はまた王宮に戻る。いつものように数日は帰って来られない」

「畏まりました」

「あれも一晩経てば反省するだろう。早朝には物置部屋から出して、ベッドで休ませるように。私の許可があるまでは屋敷から出ないよう見張っておけ」


 イザベルを物置部屋に閉じ込めてきた執事が、表情ひとつ変えず戻ってきた。

 どんな感じだったか訊ねたい気持ちもあったが、公爵は開きかけた口元を閉じて踵を返した。

 刹那、後ろ髪を引かれる思いに足を止めたが、一度背を向けてしまった以上、戻るような真似はできなかった。

 公爵は拳を握り締め、足早に屋敷を後にした。




 数日、王太子の誕生日を祝うパーティーで任務にあたっていた公爵は、ふとイザベルのことを考えるも、次々に入ってくる仕事に忙殺されていた。

 その合間に、イザベルの引き起こした騒ぎを謝罪するため国王夫妻の元に訪れたが、今回は公爵自らイザベルを叱責したということで咎めはなかった。

 公爵本人は気づいていないが、イザベルを連れ出す公爵は身が竦むほど恐ろしかった。あの姿を目にした者は、公爵の怒りだけは買わないようにと胸に刻んだようだ。それは王室も同様に。


 だが、その公爵にも恐れるものはある。

 屋敷を留守にすること四日。

 ようやく帰宅すると、執事を始めとする使用人がいつものように出迎えた。

 今日のように帰りが遅くなる日は、イザベルとダミアンには伝えないようにしている。

 期待はしていなかったが、あんなことがあっただけに、イザベルの姿を一番に見たかった。

 少しは反省してくれただろうか。

 考えを改めてくれただろうか。

 ──それとも、酷い父親だと怒っているだろうか。

 娘のことになると途端に気弱になってしまう自分が情けなくなる。

 子供たちに嫌われ、失うことを何より恐れていたのだ。

 その時、奥の扉が乱暴に開き、走り込んでくる足音が聞こえてきた。


「公爵様っ! どうか、ご慈悲を!」

「おい、お前! やめないかっ!」


 公爵の前に現れたのは汚れたメイド服に、短い髪を振り乱した少女だった。

 すると、少女は緑色の瞳に涙を浮かべ、公爵の足元に跪いて額を床に押し付けた。


「旦那様の前で何事ですか」

「……どういう事だ?」


 少女はイザベルが一番可愛がっているメイドだった。

 レクラム国では貧困民の救済制度により、貴族に対して、法律で定められた期間や人数を貧困民から選んで雇用することを義務付けている。

 とくに孤児院から働き手を雇うことは多く、少女もその一人だ。

 確か、ニーナと言ったか。

 叱られるかもしれない恐怖と戦いながら、必死に訴えてくるニーナの様子に、公爵は顔を顰めた。

 見ていた使用人はニーナを連れ出そうとしたが、ニーナは床にへばり付いてでも激しく抵抗した。


「どうか、公爵様……っ、イザベルお嬢様をお助けくださいっ! このままでは、お嬢様が死んでしまいますっ!」

「なんだと……? イザベルが……」


 ──死ぬ?

 ニーナから信じられない言葉が飛び出し、その場にいた使用人の表情が固まった。

 どういう意味か分からずにいると、信頼を置いている執事が近づいてきた。


「イザベルは、どうした?」

「──ご安心下さい。私が旦那様に代わり、今も物置部屋で過ごさせています」

「な、に……?」

「暫く泣き叫んでおられましたが、この三日間ご飯も水も与えずにいたので、公女様も反省なさったのでしょうか。今は大人しくされております」

「────」


 何を、言っているんだ……?

 イザベルはすでに物置部屋から出て部屋で過ごしていると思っていたのに、今もあの部屋にいるというのか。

 なぜだ、と考えるより先に公爵は屋根裏に続く階段を駆け上がっていた。

 執事は他に何と言っていた?

 食事どころか、水も与えずに放置していたのか。

 ニーナというメイドが知らせてくれなかったら、さらに放っておくことになっていたかもしれない。


「イザベル、イザベル……っ!」


 物置部屋に辿り着いた時、部屋の鍵を持っていないことに気づいた。

 だが、鍵を探している余裕はない。

 公爵は何度もドアに体当たりし、無理やり押し入った。

 ドアが倒れて光が差し込むと、埃臭い部屋に汚物が混じった悪臭のする暗闇の中で、イザベルがあの時着ていたドレス姿のまま床に転がっていた。

 慌てて駆け寄り、娘の名前を呼ぶが反応はない。

 両手に抱き上げてもイザベルはぐったりとして動かなかった。


「なぜ、こんなことに……っ!」


 公爵はイザベルを抱えたまま物置部屋を出て、医者を呼ぶよう命じた。

 使用人は公爵の怒鳴り声に弾かれたように動き出し、ニーナだけはベッドに横たわるイザベルの傍で泣き崩れた。


「どういうことか説明しろっ! 私は、翌朝には出してやれと命じた筈だ!」

「旦那様はお嬢様に優しすぎなのです。前公爵様もそうでしたが、旦那様はグラント公爵家を背負っているお方です。時には無慈悲になることも必要でしょう」

「……ふざけるなっ! 貴様は私の娘を殺しかけたんだぞ!?」

「私は公爵家の為に──」


 執事に説明を求めると、返ってきたのは信じられない言葉だった。

 公爵家に長く仕えてきた執事は、イザベルに行った仕打ちを当然だと言い切ったのだ。

 怒りを堪えきれず、公爵は執事の胸倉を掴み、壁に投げ飛ばした。

 激しい物音に、その場にいた者達にも戦慄が走る。


「誰か、剣を持ってこい。公爵家の者を危険に晒す使用人など、この屋敷には不要だ」


 しかし、他の使用人は身が竦んで動けなかった。

 剣を持ってくれば確実に一人は殺されるだろう。その状況に、従う者はいなかった。

 その間に医者がやって来てイザベルの診察を行う。

 公爵は舌打ちし、執事を部屋に監禁するよう命じた。

 部屋に残った公爵はイザベルの傍に寄り添い、娘の様子を見守った。



 幸い、イザベルは軽い脱水症状で済み、命に別状はなかった。

 監禁していた執事は、翌日使用人が呼びに行くと着ていた衣類を首に巻いて自殺しているのが見つかった。

 公爵は自分の手で処罰できなかったことを悔いたが、執事の行いを黙認していた使用人も同罪と判断し、執事の件と併せて治安部隊に引き渡した。

 彼らには公爵令嬢の命を脅かした罪で、死刑を免れたとしても強制労働の処罰ぐらいは受けるだろう。

 一度に多くの使用人を失った公爵家は、新しい使用人を雇い入れることになった。

 入ってきて間もない彼らはイザベルの顔すら知らなかったに違いない。


 イザベルが人目を盗んで公爵家から抜け出せたのは、その隙を突いたからだと言われている。




 三日三晩、飲まず食わずで暗闇に閉じ込められていたイザベルは、公爵の呼び掛けにも反応しないほど深い眠りについていた。

 こんな状況でも、翌日には王宮で働いている己が馬鹿らしくなってくる。

 今すぐにでも屋敷に帰って娘の傍にいてやりたい。

 一晩だけ入れておけば反省するだろうと思っていたのに。

 執事はイザベルに何も与えず、数日に渡って閉じ込めていたのだ。

 見つけた時、イザベルは泣き腫らした顔をして、両手は内出血により青く腫れ上がっていた。

 閉じられたドアを叩き続けながら、必死で助けを求めていたのだ。もしかしたら、自分の名を呼んでいたのかもしれない。

 首謀者は執事だったが、最初に命じたのは自分だ。

 恨まれてもおかしくない。

 イザベルが起きたら謝罪して、二度とこんなことが起きないように誓おう。

 しかし、公爵にはさらに、絶望へと突き落とす出来事が起きた。



 屋敷にいるはずのイザベルが王宮で倒れていると知らせを受けた時、公爵は血の気が引いた。

 急いで向かうと、そこには頭から血を流してぴくりとも動かないイザベルの姿があった。

 すでに誰かが王宮医を呼びに行き、目の前で適切な応急処置がされていく。

 なぜここに屋敷で寝ているはずの娘がいるのか。

 頭が真っ白になって、周囲に気を配る余裕すらなかった。

 公爵は騒ぎが大きくなる前にイザベルを抱いて屋敷に連れ帰り、担当の医者に見せた。

 だが、返ってきたのは「助かるかどうか分からない」という残酷な言葉だった。

 同時に、「覚悟してほしい」とも言われたが、何を覚悟しろというのか。

 最悪な状況が頭を過ぎったが、イザベルを失う未来など考えられなかった。

 自分がもっとイザベルと向き合っていたら。

 一緒に過ごす時間を作っていたら。

 こんなことにはならなかっただろうか。

 公爵は目を覚まさないイザベルの手を取り、命だけでも助かってほしいと必死で祈った。


「どうか、お前まで私から離れていかないでくれ……っ」


 この声が聞こえているなら。

 娘を連れて行かないでくれと声に出していた。


「父上……?」


 その時、使用人から報告を受けたのか、ダミアンが部屋に入ってきた。

 公爵はイザベルの手を握り締めたまま、振り返らずに口を開いた。


「なぜ来た」

「……私は、その……姉上が重症を負ったと」

「それで今にも死にそうな姉の顔を見に来たのか。──イザベルが亡くなれば、お前は満足か?」

「そっ、そんなわけ……!」


 息子に対して冷たい口調だったに違いない。

 しかし、オーティスたちと共にイザベルを見下すダミアンを見ていた公爵は、とてもダミアンが姉を心配して訪れたとは思えなかった。

 出来ることならこのまま死んでほしい、と願われたら息子であっても手を出してしまそうになる。

 なんとか怒りを押し殺し、公爵は出て行くように命じた。


「出ていけ。イザベルの容態が落ち着くまで部屋から出てくるな」

「……父上、私はっ」

「聞こえなかったのか。──お前にとっては厄介者の姉でも、私には愛する娘だ」


 公爵が言い放つとダミアンは踵を返して部屋から出て行った。それに安堵するも、イザベルの容態が良くなるわけではない。

 医者にはどうにかするよう何度も言い寄り、他にも医者を呼んでくるよう命じた。

 イザベルが助かるなら何でもしよう。

 結果的にイザベルは一週間目覚めることなく、誰の顔にも悲愴感が漂っていた。


 ──このまま目覚めなかったらどうすればいいのか。


 心が折れそうになっている時、イザベルが目を覚ましたという報告を受けた。

 すぐに駆けつけたが、イザベルはまたすぐに眠ってしまったようだ。

 けれど、生きていてくれた。

 それがどれほど嬉しかったか。公爵は熱くなる目頭を押さえて泣くのを堪えた。

 廊下では、ニーナというメイドが喜びのあまりわんわんと泣いている姿があった。

 彼女だけは執事の行いに反対し、イザベルを助けようとして見つかり、別の部屋に監禁されていたと聞く。

 公爵が帰宅したのを知って監禁部屋から逃げ出してくれなければ、もっと大変なことになっていた。

 彼女だけはイザベルの味方でいてくれる。それがとても心強かった。


 目覚めたばかりのイザベルは頭を強く打った衝撃で混乱している様子だと言われたが、数日経つと徐々に戻っていったという。

 それでも暫く部屋から出さないように命じ、公爵は王宮で溜まりに溜まった仕事に手をつけた。

 イザベルの起きている姿を見たかったが、自分を見て具合が悪くなっても困る。

 万全の体調になってから顔を合わせる機会を窺い、イザベルと夕食を取る日程を調節した。

 まずは何と声を掛けるべきか。

 朝から、イザベルと過ごすことを考えていたせいか、仕事は何も捗らなかった。

 これからはもっと時間を取って一緒に過ごせるようにしよう。

 そう決めながら急いで帰ってきた。

 ……だが、期待を膨らませて玄関ホールに入った時、いつもなら出迎えてくれるはずの位置に、イザベルの姿はなかった。


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漫画担当:藍原ナツキ先生
配信:講談社マンガアプリPalcy(パルシィ)・pixivコミック
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