呪われ王子と異国の姫⑦
通訳というのは、思ったより疲れる仕事なのかもしれない。
リオネルとあんなことがあったのに、気づけば朝だった。
目を覚まして昨晩のやり取りを思い返した私は、気になってソファーへ向かった。
けれど、そこにリオネルの姿はなかった。私が起きるまで待っていてくれると思ったのに、拍子抜けしてしまう。
それとも、昨日のことが原因だろうか。
思い出すと、奪われた唇の感触まで蘇ってきそうで首を振った。
「今は、そんなことを考えてる場合じゃないわね……」
リオネルが王位を継承すれば、婚約を解消しなければいけなくなるかもしれない。それを解決しない限り、私たちの未来も曖昧なままだ。
私はまず起きたことを知らせ、ニーナに支度を手伝ってもらった。
「……リオネルは?」
日課のように同じ質問ばかり繰り返していると気づいて、少し恥ずかしくなってしまう。
けれど、ニーナは慣れた様子で微笑む。
「昨日お越しになったお客様と、屋外の訓練場で手合わせしておりました」
どうりで部屋にいなかったわけだ。要注意人物と一緒にいるなら、護衛をする必要はないのだから。
納得するものの、もやもやが消えず私は部屋を出た。──だが、どこに向かっていけばいいのか、気持ちが迷っていた。
食堂に行って朝食をとるべきか、それとも訓練場にいる二人を迎えにいくべきか。でも、リオネルと顔を合わせるのは気まずい。
「ニーナ、この建物から訓練場を見学できる場所はないかしら」
「距離はありますが、二階の窓からでしたらご覧になれます」
ニーナは以前、私の身代わりになってこの公爵邸で過ごしていたことがある。おかげで、他の使用人たちとも仲が良く、邸宅の構造も私より詳しかった。
私はニーナに案内してもらい、訓練場が見える二階廊下の窓に近づいた。
そこから見下ろす訓練場は、ちょうど朝日に照らされて輝いていた。
リオネルの金髪と、この国では珍しい黒髪の昊然──二人はすぐに見つかった。
確認する必要もない。手合わせをする彼らの周りには騎士たちが集まり、こちらまで聞こえるほどの歓声を上げている。
「……何よ、こっちの気も知らないで」
しばらく窓際に座って訓練場を眺めていると、使用人たちとは違う気配を感じて振り返った。すると、蕾玲が使用人に案内されながらやって来た。
『おはようございます、公女様』
『おはようございます、王女殿下。よく眠れましたか?』
『ええ、皆さんとても気遣ってくださって、旅の疲れが癒えました』
禁書さえ盗まれなかったら、蕾玲自ら回収するために動くこともなかったはずだ。
しかし、なぜ王女である彼女がたった一人の護衛だけを連れて他国までやって来たのか、知りたいことは山ほどある。
私が立ち上がって挨拶を済ませると、蕾玲も窓に近づいてきた。それからすぐ、私が何を眺めていたのか気づいたようだ。
『……昊然が、こんな時間に起きているなんて。私がいくら叩き起こしても、昼近くまで寝ている男なのに』
そう言って蕾玲は、元気に剣を振り回している護衛の姿にショックを受けている様子だった。さらに『彼がこれまでの旅路で朝から動いてくれたら、燃やされる前にたどり着けていたかもしれないのに』と悔しさをにじませたぐらいなのだから、余程だろう。
私は蕾玲を朝食に誘おうとしたが、彼女は私が座っていたように、窓際に腰を下ろした。その行動に、私は近くにいた使用人たちを下がらせ、蕾玲の近くに立った。
けれど、彼女は「公女様も」と手を差し出し、同じく座るように促してきた。私は戸惑いつつも、向かい合うように腰を下ろした。
『公女様は、私たちの言葉を流暢に話されますが──我が国のことは、どこまでご存じですか?』
『国の成り立ちは知っておりますが、内情までは……』
閉ざされた国ではあるが、公爵家の力を使えばある程度の情報は得ることもできるだろう。
それでも正直に打ち明けると、蕾玲はふっと微笑んだ。
『公女様は高貴なお方なのに、どこか貴族らしくありませんね』
私だって公爵令嬢らしく振る舞ってきたが、やはり庶民として生活してきた人生のほうが長いせいか、本物のイザベルには程遠かった。
少なからず落ち込んで見せると、蕾玲はクスクスと笑いながら、首についたチョーカーに触れた。
『……ウ・ランカ国では、強い者に付き従うという掟があります。無法地帯だった我が国で、陛下が打ち立てた制度です。私たちはそれを「群れ」や「ハーレム」と呼んでいます』
『ハーレム、ですか……』
今までの人生であまり聞き慣れない言葉に、思わず反応してしまう。ハーレムといえば、多くの女性を囲う男性のイメージがあり、ライオンの群れがまさにそれだった。
『一夫一婦制の国からは受け入れ難いかもしれませんが、我が国では弱者を守るために作られた制度です。争いで犠牲になるのは、いつも弱い者たちですから。けれど、どちらも失えば国は繁栄しません』
国が栄えても次の世代がいなければ、また無法の地へと逆戻りする。
とくにウ・ランカ国は孤立しており、後ろ盾となる他の国を持たない。
『そこで陛下は、認めた者に宝珠を授け、群れを作らせました。弱者をその群れに加えることで守り、争いが起きれば群れの長同士が話し合い、あるいは決闘によって決着をつける。そうして血を流す数を最小限に抑え、国はようやく安定したのです』
部族同士の衝突が絶えなかった地が、一国として形を成していったのは喜ばしいことだ。
けれど、話してくれた蕾玲の表情は、これまで以上に冴えなかった。
気になったのは、話している間もずっと首元のチョーカーについた金色の珠を弄っていたことだ。
『それが宝珠なのですか……?』
『これは……商品札のようなものです。私の場合は、金の宝珠を持つ陛下の所有物であることを示しています』
『親子なのに、ですか……?』
教えてもらったものの、違和感を覚えて聞き返してしまった。親子なのに「所有物」という言葉が引っかかって、無視することができなかった。
ライオンのメスも子を産めば、その子も自然に群れの一員になる。それと同じことなのに、彼女はまるで意思を持たない品物であるような口ぶりで話す。
『このように保護を受けて、安全を保障される代わりに、私は父である陛下に逆らうことができません。王女とは名ばかりで、実際は宝珠を持つ者のほうが立場は上です』
『それは、あの護衛の彼がそうなのですか?』
王女の護衛でありながら、昊然の行動には目に余るものがあった。
すると、蕾玲は小さく笑いながら口を開いた。
『昊然は、ある日ふらりと現れ、陛下に決闘を挑みました。何時間にも及ぶ戦いの末、陛下が辛うじて勝利したのです。それ以来、昊然は陛下の群れに加えられ、最側近の地位を得ました。そして最近、陛下より黒の宝珠を下賜されたのです』
私は昊然の胸元で揺れていた黒い珠を思い出す。同時に、彼が王女に対して見せていた無遠慮な態度の理由も理解した。
ウ・ランカ国では、宝珠を持つ者が強者なのだ。
『ですが、昊然は誰にでもあのような態度ですから、気にしていません』
蕾玲は軽く笑った。
国王に挑むほどの男なら、それくらいの無礼は許されているのだろう。
でなければ、とうの昔に首が飛んでいる。
『それに昊然は、陛下にも秘密にしている私の能力を知られてしまいましたから』
そう言って蕾玲は右手を持ち上げると、私に近づけてきた。
刹那、彼女の手のひらから青や緑色に輝く蝶々がいくつも飛び出した。私は驚きのあまり動けなかった。
『これ、は……』
『幻影術です。私が最も得意とする術のひとつです。……母方の一族は、呪術師の家系になります。他国では「黒魔術」とも呼ばれ、迫害されてきた者たちです』
逃れてきた者たちがこの地でひっそりと生き延び、やがて国の一部となったのだろう。
だが、部族の争いに巻き込まれ、多くは滅び──唯一残ったのが、蕾玲の母だった。
『……他国では、男性がたった一人の女性を愛し、生涯を誓うと書物で読んだことがあります。私はその物語に出てくる王子様に憧れ、いつか自分もそんな国に嫁いでみたいと考えたことがあります。この能力と禁書があれば、いつか自由になれるかもしれないと──』
『王女殿下……』
『母から受け継いだ能力と禁書の存在が知られれば、私は陛下が決めた相手と結婚させられ、二度と自由に外へ出ることも叶わなくなるでしょう。ですから、あのような提案を……』
自らを救うために他者を犠牲にしようとした行為は、決して気分の良いものではない。
けれど、彼女も追い詰められていたことだけは痛いほど分かった。「王女」という肩書きの裏に、ひとりの少女の願いが押し込められていた。
蕾玲がなぜ、実の父にも秘密にしている能力を私に見せたのか。
それは同情を買うためだけではない。
心の奥底で、彼女は助けを求めていた。異国の公爵令嬢という地位にある私に、救いを求めているのだ。
『あの、王女殿下は呪術も使えますか……? たとえば、特定の記憶だけを消すような、好意を抱いている感情だけを取り除くようなことは』
思わず声を潜めながら尋ねると、蕾玲は小さく目を見開いた。
けれどすぐに、伏し目がちに答えた。
『精神干渉は相手の負担も大きいですが、呪術師の血を引いている私なら可能です。ですが、その術を記した禁書も……』
『──その呪術の禁書だけは残っているとしたら、行っていただけますか?』
私は禁書を燃やしていく中で、リオネルが「呪術書」だけは燃やさないでいたことを思い出した。
呪われた王太子を元に戻すために必要だったからだ。
『教えてくださったのは、私を信用してくださったということでしょうか。けれど、一体誰に呪術を……まさか、公子様に?』
『いいえ、違います』
突然このような話を持ち出され、蕾玲が不安に思うのも無理はない。
でも私は、問題解決の糸口を見つけた気がして、彼女の両手を掴んでいた。昔の私だったら、他人と触れ合うことも、面と向かって提案を持ち出すこともできなかったのに。
──少しは成長したのかもしれない。
『王女殿下、私たちは協力し合えるかもしれません。そのためには、貴女の能力が必要です。どうか私と、取引していただけませんか──』
コミカライズ・講談社マンガアプリPalcy▼
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