呪われ王子と異国の姫⑤
『え……あの禁書を、燃やしてしまったんですか……?』
緑茶に似た香りがするカップが置かれ、使用人たちを下がらせて四人だけになると、私とリオネルは頷き合ってから蕾玲たちに打ち明けた。
──禁書は燃やしてしまった、と。
あの書物が危険であると判断した私は、庭で焼却することを決めた。正確には、旅商人から買い取ったイザベルが「燃やして」と強く望んだからだ。
しかし、イザベルのことを除いて正直に話したものの、蕾玲は顔色を失った。
あの禁書は、盗人が蕾玲の屋敷に忍び込み持ち出した品だという。つまり盗難品だった。
蕾玲たちは盗人を捕まえ「旅商人に依頼されたんだ!」と白状させたものの、数ヶ月かけて旅商人を捜し出すことには成功したが、盗まれた禁書はすでに他国の貴族令嬢の手に渡ってしまった後だった。
その旅商人曰く、レクラム国の公爵令嬢イザベルは他国の風習に精通し、とりわけ恋愛成就の呪具や装飾を好んで買い求めていた。
イザベルの傍若無人な性格から、満足するものを提供していかなければ簡単に切り捨てられると思い、珍しい品物を差し出さなければならなかった。
ただ、旅商人は相当イザベルに惚れ込んでいたようで、「愛」ゆえの犯行だったらしい。
……その話を通訳しなければいけない私の身にもなってほしい。
イザベルを死に追いやったフェランドは判決が下されても尚、イザベルは男を虜にする魔性の女だと暴言を吐き続けていたようだ。
だが、彼の言葉を完全に否定することはできない。
リオネルにも事情を説明すると、彼も額を押さえて小さく呻いた。
『あの禁書は、母方の部族に代々受け継がれてきた書物です。それが、私の代で……絶えてしまうなんて……』
蕾玲はショックのあまり放心状態になってしまった。
私たちもまさか盗まれた物だとは思わず、落ち込む彼女にかける言葉が見つからなかった。沈黙だけが、重く空気を満たした。
『まぁ、悪用されるよりは良かったじゃねーか』
その沈黙を破ったのは、軽食を手当たり次第に平らげていた昊然だった。指についたソースを舐めながら、彼は無邪気にそう言った。
今のがフォローになっているのかは怪しいが、場の緊張が和らいだのも確かだ。
蕾玲は小さく頷き、「そうですね」とだけ呟いて頭を下げた。
刹那、彼女の長い黒髪が肩からするりと滑り落ちた。
「あのさ、ベル。彼女に、弁償の代わりに何かできることはないか、訊いてみてくれないか……?」
リオネルが私の肩を軽く叩き、そっと耳元で言ってきた。
彼にしては珍しく、他の女性を気にかけている。
悪いのは禁書を盗ませた旅商人であって、弁償をするなら彼らが行うのが筋だ。けれど、燃やしてしまった以上、罪悪感がまったくないわけではなかった。
それとは別に──蕾玲の長い黒髪を見ていると、どうしても放っておけなかったのだ。
きっとリオネルも、彼女の姿に「もう一人の私」の面影を重ねてしまったのだろう。
私は複雑な思いを飲み込み、肩を落とす蕾玲にリオネルの言葉を伝えた。
すると、うなだれていた彼女は静かに顔を上げ、気持ちを押し殺したような表情で口を開いた。
『──我が国は三カ国から独立こそ許されたものの、ひとつの国として認められていないのが実状です。後ろ盾となっている国も、友好を結んでいる国もありません。他国に攻め入れられたら、すぐでも明け渡さなければならないでしょう』
てっきり禁書を焼失させた弁償の話になるのかと思えば、蕾玲は至極真面目な顔で自国の状況を語り出した。その横では、昊然が相変わらず口をもぐもぐさせていたが、話は聞いているようだ。
まっすぐにこちらを見つめてくる蕾玲の瞳に、私は思わず寒気を覚えた。その顔は、自分を犠牲にしてでも、何かを得ようとする覚悟を宿していたからだ。
『戦争回避や経済支援を目的とした同盟を結ぶのに、最も有効なのは王族同士の婚姻です。……レクラム国では今、王位継承権を巡って問題が起きていると聞きました。もし、もし公子様が新たに王位を継がれることになれば、婚約者の選び直しが必要になるでしょう』
「──それは」
最初は突拍子もない話だと思った。だが、少しずつ蕾玲が何を求めているのか理解するにつれ、胸の奥がざわついていく。
それでも、後に引けないのは蕾玲も同じだった。
彼女は強い決意を持って言葉を紡いだ。
『公女様、リオネル公子様にお伝えください。弁償する代わりに公女様との婚約を解消して、私と婚姻してほしい、と──』
その瞬間、時間が止まったようだった。
蕾玲は本気だった。
本気で、私に今の婚約を解消しろと迫ってきているのだ。そして、リオネルと結ばれることで、自国の存続を図ろうとしていた。
禁書を取り戻すために、レクラム国の現状を調べたのだろう。国内でも一部の貴族しか知らない情報を口にしていた。
どこかで情報が洩れていることを危惧すべきなのに、今の私にはそれすら考えられなかった。
胸が締めつけられ、息が詰まる。
それでも、リオネルに正しく伝えなければならない。彼女は、こちらの言葉を理解している。嘘やごまかしは通じないはずだ。
「……ベル、どうした?」
「あの、ね……王女殿下がリオネルに、私との婚約を解消して……自分と結婚することを、望んでいるの……。他国からの侵入を防ぐために、同盟を結んでくれる国を求めていて……」
禁書を焼いたことが、まさか国の行く末を左右するほどの事態になるとは思わなかった。
けれど、今の私にリオネルと別れることができるだろうか。
何も決まっていないのに動揺するなと頭では分かっているのに、また一人になってしまうんじゃないかという恐怖で体が震えた。
その時、スカートを握りしめる私の手を、リオネルが強く握りしめてきた。
『──俺には、彼女がすべてだ。その提案は、断る』
拙いながらも、私を介さずにウ・ランカ語で答えたリオネルに、思わず目を見張った。
口笛を吹いて茶化してくる昊然にも一切動じず、真剣な顔で蕾玲と向き合っている。
その姿に、私の震えはいつの間にか止まり、代わりに耳まで熱くなっていた。
『……考える時間もとってくれないんですね』
きっぱり断られたことで、王女としての誇りが傷ついたのだろう。蕾玲の瞳から光が消え、ゾッとするほどの視線が私たちに向けられる。
それでも、禁書の弁償としてできる限りのことをしたいという思いに偽りはなかった。
けれど、リオネルだけは──彼だけは、私も渡すわけにはいかなかった。
『申し訳ありません、王女殿下。……ですが、私も彼だけは譲れません』
リオネルがきっぱり断ってくれたのを見て、私もはっきり答えた。自然と握りしめていた手に力がこもると、リオネルは「大丈夫か?」と顔を覗き込んでくる。
昊然はケラケラと笑っていたが、蕾玲の反応を見るのが怖かった。
私たちの気持ちは伝えた。
だが、禁書の代価に国同士の同盟を求めてくるほどだ。それに見合うものを提示できるだろうか。あったとしても、我々の力で用意できるだろうか。
私は他に良い案はないか、必死に頭を働かせた。
『王女殿下は我が国との同盟をお望みですが、婚姻のお相手は「王位を継ぐ者」であれば問題ないとお考えでしょうか?』
レクラム国は王太子のオーティスに問題が起きたことで、王位を巡って揺れているのは間違いない。けれど、両公爵家を含めた国王派は変わらず、オーティスを支持していた。なぜなら、皆そろって王位に就くことを拒否しているからだ。……個人的な理由で。
蕾玲たちがどこまで情報を掴んでいるのかは分からないが、今ここで確認しておくべきだ。
『ええ、他に有力な王位継承者がいるなら、私はそちらを選びます。取り計らっていただけるなら、公子様のことは諦めましょう。──ですが、彼が王位を継ぐことになった暁には、私を妻として迎えていただきたく思います』
リオネルが王位を継げば、蕾玲が伴侶として迎え入れられる。
考えただけで、胸が締め付けられる。
だが、ここで怖気づくわけにはいかない。
私はリオネルにも包み隠さず伝えた。すると彼は小さく息を吐き、「どちらにしろ、オーティスの野郎を何とかしなきゃいけないってことだな」と言って笑った。
その一言で、肩の力が少し抜けた。彼の気持ちが一瞬たりとも揺らいでいないことに安堵したのだ。
『王女殿下のお気持ちは理解いたしました。王位に関しては、まだ何も決まっていないため一旦保留にさせてください。……それとは別に、すぐの国交は難しいですが、我が国との交易はいかがでしょうか?』
この世界では、政略結婚は貴族にとって常識だ。婚姻は同盟であり、取引であり、時に戦略でもある。だが、他国との関係を築く手段はそれだけではない。貿易、投資、文化交流──方法はいくらでもある。ただ、ウ・ランカ国の内情を知らない内は、探っていくしかない。
すると、蕾玲は静かに首を振った。
『ウ・ランカ国は多くの部族を抱えているため、国としてまとまったのはここ十年の話です』
十年であれば、彼女の子供時代はあまり良くなかったのかもしれない。リオネルにも伝え聞かせると、その表情がわずかに曇った。
王女として義務を果たそうとしている一方、生まれ育った国に未練がないどころか、早く離れたがっているようにも見えて、なぜか手を差し伸べたくなった。
外見が前世の私に(アキ)に似ているから、だけではない。
蕾玲が、自分自身を物として扱っている節があったからだ。
自分を大切にできない人の気持ちは、私も経験がある。けれど、自分ではどうすることもできなくて、抜け出すことは容易ではない。──だが、蕾玲の何気ない一言で、事態は一転した。
『それに、交易できるものといえばこのような柄の衣装や装飾品、白米という穀物ぐらいのものです……』
……白米?
蕾玲が深いため息をつき、冷めたお茶を口に運ぼうとしたその時──私とリオネルは、ほぼ同時に立ち上がっていた。
『お米ですか!?』
『米だって!?』
コミカライズ・講談社マンガアプリPalcy▼
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