番外編③
「傷はもういいの?」
がっしり掴まれたリオネルの手を握り返し、私は尋ねた。会わない内に婚約者の心配性が悪化していて嘆息する。
「ああ、平気だ。普段から鍛えていたおかげだな」
「昔から運動神経だけは良かったものね」
「だけって何だ、だけって」
運動も勉強も平凡だった私には、自分の体を自由自在に操れる幼馴染が羨ましかった。クラスの人気者で、自然と人が集まってくる中心的な存在だった。私とは何もかも違った。
そんなことを思い出していると、頬を軽くつねられた。
「ひひゃい(痛い)……」
「なんで貶された俺より暗い顔してんだ。反応に困るだろ」
他の人だったら気づくことはなかっただろう。それなのに、リオネルは悪口ではなく、私の微妙な変化を逃さず叱ってきた。
これでは、この先も隠し事はできそうにない。
私は頬をつねってくるリオネルの手を取り、おもむろに口を開いた。
「……私ね、きっと良い妻にはなれないと思うの」
今抱えている不安な気持ちを、素直に吐露した。
以前の私だったらなかったことだ。けれど、リオネルが、新しくできた家族が、どんな些細なことでも耳を傾けて聞いてくれることを知ったから。
すると、リオネルは私の手を持ち上げて、手のひらに口づけてきた。
「良い妻の基準は分からないけど、俺の傍にいてくれれば十分だ」
「でも、もし……私たちの間に子供が産まれて母親になっても、うまく育てられるか分からないわ」
「こど……っ、ごほごほっ! そ、そうだな! あー……公爵家の跡継ぎのことだったら考えなくていい。必要になれば傍系の奴らに譲ればいいことだ。……ただ、そういうことに関係なく、俺たちの間に子供ができた時は、俺がお前の分まで愛情を注ぐし、大切にするよ。──約束する」
リオネルは誓うように、私の指先にひとつずつ唇を押し当てていった。
「……ワガママを言って困らせるかもしれないし、嫉妬だってするかもしれないわ」
「それは大歓迎だ。ベルはもっと自分の気持ちを表に出したほうがいいからな」
どこまで甘いんだろう。
人を好きになると、ここまで盲目になってしまうのか。今ならどんな願い事も簡単に引き受けてしまいそうだ。騙すつもりはないが、熱を孕んだ瞳で見つめられるとそれほどの危うさがあった。
けれど、リオネルに願うのは後にも先にもひとつだ。
「それでも、私を愛してほしい……っ。嫌いに、ならないで……っ」
押し殺した感情が一気に爆発して、涙が溢れた。
懇願にも似た言葉に、リオネルは切なげに眉尻を下げて私に両腕を伸ばした。
「ああ、二度と突き放すような真似はしない。絶対に、嫌ったりなんかしない。愛してる……愛してるんだ、ベル」
リオネルは何度も耳元で「愛してる」と言ってきて、力いっぱい抱きしめてきた。
私は涙と、きつく抱きしめられた息苦しさに喘いだ。
気づけば周りにいた使用人たちはいなくなっていた。さすが、公爵家の使用人たちだ。しっかり空気を読んでくれたようだ。
気を遣われたことがかえって恥ずかしくなり、リオネルの肩口に顔を埋めた。
鼻をすすると、リオネルは優しく背中を撫でてくれた。ふと顔を上げると、リオネルは満ち足りた表情を浮かべていた。
「……顔が緩んでるわよ」
「ベルが、俺との未来をそこまで考えてくれていたことが嬉しくて。やっぱり今すぐ結婚しよう」
「まだ駄目よ。もっとこっちの生活に慣れなきゃ」
「くそ、なんで俺だけ先にこっちに来ちまったんだ。ベル、なるべく早くしてくれよ。知ってると思うけど、俺はそんなに我慢強くないんだ」
事故に遭ったのもせっかちな性格が原因だ。
生死をさ迷って一時的に本来の体に戻ったリオネルは、ナツキだった頃や、憑依する前のリオネルの記憶を取り戻していた。だからと言って、何かが変わったわけでもない。呼び方や外見が違っても、私たちは「アキ」と「ナツキ」で出会った頃と同じだ。
「努力はしてみるわ。……それより、向こうの二人もうまくやっているかしら」
「それなら大丈夫だ。あっちのリオネルなら問題ない。──イザベルがなんで俺を嫌っていたのか、今なら分かる気がする」
大丈夫だと言いながら、最後は申し訳なさそうに言葉を紡ぐリオネルに、私は「どうして?」と首を傾げた。
すると、リオネルは「それは秘密だ」と肩をすくめ、もう一人のリオネルについて語られることはなかった。
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