嫌われ者令嬢とアキの終わり④
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後頭部に衝撃を受けてから──つまりイザベルが死んでから、この体は一週間ほど眠り続けていたようだ。
医者とニーナから事故が起きた後の話を聞かされた。
王宮で意識不明の重体になったイザベルを、連絡を受けた公爵が連れ帰ってきたという。
公爵は軍務大臣として生活の大半を王宮で過ごしていた。
主に戴冠式や国葬など、王族の行事全般を取り仕切り、忙しさは王宮内でも一位、二位を争う。
その彼が、問題児の娘のために仕事を投げ出してきたとは思えないが、公爵はイザベルを抱えて戻ってきた。
けれど、イザベルの容態は想像以上に悪く、危険な状態だった。
……もっと健康的な体だったら、持ち堪えられたかもしれない。だが、イザベルには生きるのに必要な気力も、体力も残っていなかった。
三日三晩水も食事も与えられず、暗闇の中に閉じ込められていた恐怖と、好きな人に拒絶された絶望がイザベルの全てを打ち砕いてしまったのだ。
──しかし、イザベルは目覚めた。
そう話しながら、医者とニーナは安堵の表情を浮かべたが、私は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
それから半月という時間を、私は部屋の中で過ごした。
体力の回復や、日常生活に戻るためのリハビリをして、徐々にイザベルの体に馴染んでいった。
後頭部の怪我も良くなり、包帯が取れた時はニーナのほうが喜んでくれた。
早速、イザベルの真っ赤な髪を結い上げてくれたが、それがニーナの数少ない楽しみだったようだ。これからは、彼女の仕事を奪わないように気をつけなければいけない。
それにしても、だ。
髪を結ってもらいながら、私は大きな鏡に映るイザベルを見つめた。
金色の瞳に映るのは、ファンタジーの世界に出てくる妖精や天使のような儚げで可憐な少女の顔だった。
もちろん、気が強そうな猫目も魅力的だ。
この子が皆から嫌われていたなんて、私には到底考えられなかった。
──こんなに可愛いのに。
その一方で、イザベルの孤独が痛いほど良く分かった。
まさか、憑依した自分が一番の理解者になってしまうとは思わなかったけれど。もし、イザベルが目の前にいたら抱き締めて、慰めてあげたくなった。
そこへ見覚えのない執事がやって来て、淡々と用件だけを述べていった。
「イザベルお嬢様。本日の夕食ですが、旦那様が同席されるとのことです」
「…………」
──どうして?
ニーナは「良かったですね!」と喜んでいたが、全然良くない。
確かに月に二、三度、食事を共にすることはあったが、王宮での不祥事も含め、公爵家に泥を塗った娘とは二度と顔を見せることはないと思っていた。
その時、体に寒気が走った。
やはりイザベルも嫌がっているようだ。
彼女の魂はなくても、体に染み付いた本能や感情が私にも伝わってくる。
だからと言って断れるようなものでもない。
私は「分かったわ」と答えるしかなかった。
「そうだ、お嬢様! 暫く部屋の中で過ごされていたので、庭に出てみるのはいかがですか?」
「……庭に?」
「はい! 折角包帯も取れて髪も結い上げたことですし、お嬢様の元気な姿を見せたら皆喜びますよ」
ニーナの本音を代弁すれば、綺麗に結い上げたイザベルの髪型を皆にも見てもらいたい! なのだが、彼女は持ち上げるのが上手だ。
ただ言われた通り、私の行動範囲は未だイザベルの部屋だけだ。記憶はあっても、実際自分の足で歩いてみるのでは違うだろう。
それに夕食の時間まで、憂鬱な気持ちで過ごすのはごめんだ。
「そうね、散歩でもしようかしら」
庭に出るだけなのに、ニーナは張り切ってオレンジ色に黄色のレースやリボンのついたドレスを着せてくれた。
仕上がりを見て思わず親指を立てそうになったが、それはやめておいた。
イザベルはまるで花の妖精だ。
予想以上の仕上がりに、いけないことをしている気分になる。
私は平常心を保ち、ニーナに案内されるがまま部屋を出て、中庭へ足を運んだ。
「わぁ、凄い花……」
さすが公爵家と言うべきか。
イザベルの母親がいなくなって女主人は不在のままだが、門まで続く広い敷地には国営公園にあるような噴水や東屋があり、綺麗に整えられた花壇には彩りの花が咲いていた。
それだけ多くの庭師を雇っているのだろう。
自然と胸が弾んで、足取りが軽くなるところをみると、イザベルはこの中庭を気に入っていたようだ。
美しく咲き誇った花を見ていると、一時だけでも孤独を忘れさせてくれる。
私はイザベルの記憶を辿るようにして、ゆっくりと中庭を歩いた。リハビリの運動には丁度良かった。
歩き疲れてくると、ニーナが東屋にお茶と軽食を用意してくれた。
こうやって花を愛でながらお茶を嗜む余裕があれば、イザベルは誰かの執着することも、嫌がらせをすることなかったはずだ。
一体、何がイザベルを追い詰めてしまったのか。
愛に飢えていたことは分かる。
けれど、それは他人を傷つけてまで得たいものなのか。
最初から独りだった私には理解できなかった。
淹れたてのアップルティーに心を落ち着かせ、もう一度イザベルの記憶を辿ろうとした。
その時、複数の足音が近づいてきた。
「ご機嫌麗しく、姉上」
「────」
数人の使用人を引き連れて現れたのは、イザベルの弟だった。
ダミアン・ギル・グラント。グラント公爵家の長男で、イザベルと同じ赤い髪と瞳が特徴的だ。顔立ちも良く似ている。
ただ、ダミアンの表情は、血の繋がった姉に向けられるにしては険しかった。
「どうやら生死をさ迷っている間に、挨拶の言葉も忘れてしまったらしい」
その冷たく放つ視線さえなければ、美少年として感動すら覚えただろう。
だが、ダミアンの眼にイザベルを姉として思いやる気持ちは微塵も感じられなかった。それどころか、イザベルを嘲笑う使用人に気を良くし、軽蔑の色を浮かべていた。
「……どうして?」
「何がですか?」
一人で座るイザベルの前に、ダミアンは断りもなく腰を下ろした。
しかし、使用人の一人がダミアンの分のお茶を用意しようとすると、彼は手をあげて断った。長居するつもりはない、という意味だ。
私は持っていたカップを受け皿に戻し、顔を上げてダミアンに視線を向けた。
「なぜ、わざわざ嫌っている相手の前に現れるの?」
「……いけませんか?」
ほんの一瞬、私の言葉と態度にダミアンは眉根を寄せた。
これまでグラント公爵家の姉弟は、何度も衝突しては言い争ってきた。
とくにイザベルは気が短く、突っかかってくるダミアンに喚き散らすのが常だった。
──でも今は、違う。
その微妙な変化に、ダミアンは初めて戸惑いを見せた。彼が怪しむのも無理はない。肉親なら気づいて当然だ。だから私は先手を打つことにした。
「死んでほしいと思っている相手に、いちいち話しかける意味が分からないわ」
「な……っ」
──ストレートすぎたかもしれない。
けれど、回りくどいのは苦手だ。
私の人生は、好きか嫌いか。必要か必要じゃないか。敵か、味方か。はっきり白黒つけることで、自分の身を守ってきた。
曖昧な関係を築くと碌な目に遭わないことを、身をもって知っていたからだ。
「この際だからはっきり言うわ。貴方の姉は──死んだの」
嘘は言っていない。
本当にイザベルは死んだのだ。
今、ダミアンの前に座っているのはイザベルの皮を被ったまったくの別人だ。
「だから、貴方が気に掛ける必要はもうないわ。イザベルは、生死をさ迷っている間に死んだのよ。……そう思って過ごしてくれて結構よ」
「なに、を」
「これからは姉上と呼ばなくていいし、私も貴方のことは存在しないものとして過ごすわ。それがお互いのためよ」
憎しみを込めて「姉上」と呼ばれるたびに、イザベルは嫌な思いをしてきた。そしてダミアンもまた、問題ばかり起こす姉を「姉」とは思いたくなかったはずだ。
これが最善の方法だ。
私は言いたいことを伝えると椅子から立ち上がった。
もう少し庭を見て歩きたかったが予期せぬ邪魔が入ってしまった。でも、屋敷にいればいつでも見に来られる場所だ。
私は言葉を失っているダミアンを置き去りにして東屋を離れた。
刹那、柔らかな風が頬を撫でる。
花の香りがして心地が良い。
こんなにすっきりした気持ちになるのは久しぶりだ。
イザベルも心の中で喜んでいるような気がして、私は口元を綻ばせた。