番外編①
※外伝に入る前のお話です。
グラント公爵邸に、一台の馬車が飛び込んできた。
門番の制止を振り切り、暴走しているかに見えた馬車は、しかし玄関前で急停車した。火急の知らせだろうか。集まった使用人たちが不安そうに出迎えると、馬車のドアが勢いよく開いた。
すると、中から現れた青年に、使用人たちの表情が崩れた。安堵というよりは呆れに近い。一瞬で状況を察した使用人は、殺気すら漂わせる青年に向かって頭を下げた。
「──公女は」
「今でしたら中庭で過ごされております」
普通なら怒りを含んだ声色に恐れを抱くものだが、青年が何に対して怒っているのか理解すれば、何ということはない。
教えられた場所に向かって駆け出す青年に、使用人たちは生暖かい視線を送った。
「姉上、それは卑怯です」
中庭の東屋でダミアンと向かい合った私は、手元のカードを差し出した。一枚は、ジョーカー。もう一枚はハートのエース。ジョーカーのほうをわざと上にスライドさせて、取りやすいようにすれば、ダミアンは伸ばしかけた手を止めて顔をしかめた。
「真剣勝負に卑怯も何もないわ」
勝つためにはハートのエースを引かなくてはいけない。けれど、大好きな姉を想うなら、差し出されたジョーカーを取ってくれるはずだ。好意を逆手に取った作戦に、ダミアンは観念した様子でジョーカーを引いた。
こちらの世界でもカードゲームがあることを知ると、私はダミアンを誘った。アキだった頃に唯一知っていたババ抜きを教えると、彼は意外にも夢中になってくれた。以来、二人で過ごすときはカードゲームをすることが増えた。
「次は、姉上の番──」
手元に二枚しかないカードを何度もシャッフルして差し出してきたダミアンに、可愛い一面もあるものだと見てしまう。
私は二枚のカードをじっと見つめ、勝利の匂いがするほうに手を伸ばした。
刹那、こちらに向かってくる足音がして、控えていた使用人たちがざわつく。私も気になって振り返ろうとしたが、相手のほうが早かった。
「ベル……っ」
背後から大きな体にぎゅっと抱きしめられ、窒息するかと思った。鍛えられた二の腕が首に絡みつき、金髪の頭を顔に押し付けられ、飼い主に飛びつく大型犬よりタチが悪い。
「お前に会えなくて死ぬかと思った」
「……おおげさだわ。先週も会ったじゃない」
私にこんなことをできるのは、リオネルを置いて他にいない。ダミアンだって呆気にとられて、口が開きっぱなしになっていた。
「やっぱり今すぐ結婚しよう。そうすれば毎日だって一緒にいられるだろ」
「何を言っているの。婚約してから、まだひと月も経ってないわ」
その婚約だって、色々あってようやく認められたぐらいだ。結婚となれば、新しく父親となった公爵が許してくれるかどうか。
「それより良いところなんだから邪魔しないで」
べったりと抱き着くリオネルを押しのけ、私はダミアンの手元に集中した。けれど、邪魔者扱いされたリオネルは、それが気に入らなかったらしい。
「ババ抜きか。なら、こっちだな」
「ちょっと、リオネル!」
私の頭上から覗き込んできたリオネルは、止める間もなく二枚のカードから一枚を抜き取って渡してきた。──スペードのエースだった。一瞬の出来事に口元を引きつらせる。なのに、肝心の本人は再び私にくっついて、泣き言を漏らした。
「ベルは俺に会えなくて寂しくなかったのか。俺は寂しかった……っ」
ナツキの頃から勝負事には強かったけれど、迷うことなく勝ちカードを引いてしまうあたり、リオネルになっても変わらないようだ。
私はスペードとハートのエースを重ねて、テーブルに置いた。
「……病んでるわね」
「恋は人を狂わせるそうですよ」
「それ、私に対する嫌味にも聞こえるわ」
「まさか。ただ、以前のリオネル公子から比べると、かなり変わった気がするだけです」
ダミアンは最後に残ったジョーカーを、悔しそうに握りしめた。
これで十勝五敗だ。
最初は連勝していた私も、ゲームに慣れてきたダミアンに負けることが増えてきた。表情のコントロールが上手くなってきたからだろう。彼もまた公爵家の跡取りとして、厳しい教育を受けていると聞く。敵に回すと厄介な相手だが、味方にすれば心強い。
「それで、王太子殿下のほうはどうなったの?」
それでも、私の過去を知っているリオネルほど頼もしい味方はいない。
しかし、私がオーティスの話題を出すと、リオネルは唇を尖らせて不機嫌になった。嫉妬をする必要はもうないのに、あからさまに表情を歪めた彼は、それでも渋々話してくれた。
王室が過去の出来事を公にしたことで、グラント公爵家の長女イザベルは王太子を守った勇敢な英雄として取り上げられた。記事では、王太子に執着していたのは彼を守るための演技だった、と書かれ、これまでイザベルを批判してきた記者たちは、こぞって手のひらを返した。
イザベルを称賛する言葉が並ぶと、嫌われ者だった彼女の名誉は回復した。社交界での立場も変わり、舞踏会やパーティーに参加すればたちまち人に囲まれてしまう。
リオネルとの婚約を発表したことも大きい。今回の事件で王家より力を持った両公爵家から、睨まれるのだけは避けたいだろうから。
婚約する前からイザベルに好意を寄せ、呪いによって自我を失った王太子オーティスから身を挺して愛する人を守ったリオネルの話は、すでにいくつかの物語になっていた。なぜ広まったのか分からないが、逃げ道を完全に断たれたことは確かだった。
一方、オーティスはいまだ過去のイザベルに囚われ、空想の世界から抜け出せずにいるようだ。
「とりあえず今は、治療ができそうな神官や魔法使いを探して、他国にも要請しているところだ」
その中には、禁術を扱う魔術師や魔女も含まれていることだろう。
近くの椅子を引き寄せて真横に座ってきたリオネルは、私とダミアンに現在の状況を教えてくれた。
オーティスに刺されて大怪我を負ったリオネルは、療養生活もそこそこに仕事へ復帰すると、多忙な毎日を送っていた。
王太子が不在の今、傾く王室を支えているのは両公爵家だ。公爵は相変わらず家を空けていることが多く、近頃ではダミアンも夜遅くまで帰ってこないこともある。
「王太子殿下を廃嫡にして、リオネル公子を王室に迎える話も出ていましたね」
ストラッツェ公爵家の当主が国王の従弟になり、リオネルにも王族の血が流れていることは、ルーアナ街で話した時に教えてくれた。あの時は、こんな結末を迎えるなんて思っていなかったから、突っ込んで聞くことはなかったけれど、今は大きな悩みの種になっていた。
「勘弁してくれ。……あいつのしたことは許せないが、王太子としてのオーティスはどんなに忙しくても公務を疎かにしない、完璧な王子様だったんだよな。そういう意味では尊敬していた」
子供の頃から一緒だった無二の親友。イザベルのことがなければ、彼らは今も親友として肩を並べていたに違いない。
短い沈黙が訪れると、ダミアンが席を立った。
「現状は分かりました。ひとまず、王太子殿下の件はリオネル公子たちにお任せします。それでは仕事が溜まっているので先に失礼します。姉上もまた夕食のときに」
「ええ、分かったわ」
以前の関係から比べると、私たちは変わった。仲の良い姉弟と言われてもピンとこないが、相手の前に壁をつくることも冷たく接することもやめると、心が軽くなった。ここで生きていくと決めたおかげだろうか。流れるように様々なことを受け入れると、肩の力が良い感じに抜けた。
私がホッと息をつくと、リオネルが「大丈夫か?」と言いながら頬に触れてきた。
「少し疲れているんじゃないのか? ここでの生活もまだ慣れてないだろうし、無理はするなよ」
「リオネルこそ、働きすぎよ」
「心配してくれるのは嬉しいけど、お前と一緒になれるためならいくらだって頑張れるんだ。それより、公爵夫人がここへ来たって聞いたけど……」
ごつごつした指で目元を撫でられると、恥ずかしくなって顔が熱くなる。前に増してスキンシップが増えた婚約者に、全身が蕩けそうだ。
「ええ……お父様が帰ってくる前に追い返してやったわ」
「公爵がいたら無事では済まなかっただろうな。元公爵夫人は命を救われたな」
冗談っぽく言ってくるリオネルに、私は小さく笑った。それを見て、リオネルが物欲しそうに見つめてきた。
人前での過度な接触は控えるように言ってあるのに、好きな相手に求められると、どうしようもなくなってしまう。
恋をすると誰しもこうなるのか。ダミアンの言葉を思い出して苦笑した。
それから私は、リオネルの口づけに応じた。視界の端で、専属メイドがそばかすの顔を緩ませて見守っている姿が映った。
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