外伝⑧
グラント公爵領にある公爵邸は、王都にある屋敷とは比較にならないほどの豪邸だった。広大な敷地にあるのは、もはや城だ。歴史を感じさせる建造物に、感嘆の声を漏らしてしまう。
とても一日では回りきれないと率直な感想を口にすると、出迎えてくれた使用人たちが目を丸くしていた。
また公爵令嬢らしくないと思われたかもしれない。
慌てて貴族令嬢らしく振る舞おうとすると、公爵邸を総括する家令が「お待ちしておりました、イザベルお嬢様」と温かく迎え入れてくれた。
他の使用人たちも一斉に頭を下げ、私とダミアンの到着を歓迎してくれた。
後になって聞けば、我儘で傲慢なイザベルの話は有名で、領地の隅々まで知れ渡っていたようだ。
けれど、過去に起きた事件が公になったことで、イザベルは暗殺者から王太子殿下を守った「英雄」に格上げされ、これまでの振る舞いも演技だったという記事まで出回った。おかげで、イザベルに対する評価は見直され、悪いイメージは払拭されつつあった。
今日まで半信半疑だった使用人たちも、実際に会ったことで嘘の記事のほうを信じてしまったようだ。
中身が違うのだから仕方ないことだとは言え、ホッと胸を撫でおろす使用人たちを見ると申し訳なくなる。本物のイザベルは、絵に描いたような我儘で傲慢な公爵令嬢で間違いなかったからだ。
ただ、イザベルに対して好意的な印象を持ってくれたのは良かった。領地へ来るまでうまくやれるか不安を抱えていただけに、取り越し苦労だった。
滞在している間にさらに皆と打ち解ければ、領地に拡がったイザベルの悪い噂も消えるだろう。
──そう思っていたのに、慣れない長旅のせいで熱を出して、一週間ほど寝込んでしまった。
ここへ来るまで、あれこれ考えすぎてしまったのが良くなかったようだ。医者から「心理的なストレスからくる発熱です」と言われた時は、恥ずかしくなって布団の中に潜った。
ダミアンやニーナには、これまでの疲れが出たのだと労わってくれたが、何もかもが台無しだ。おまけに、心因性発熱は解熱鎮痛剤の効果もいまひとつで、治るまでに時間がかかってしまった。
ようやくここ数日は熱も落ち着き、医者から「もう大丈夫でしょう」と許しをもらったばかり。
不甲斐なさと、迷惑をかけてしまったことに落ち込んでいると、ダミアンが散歩に連れ出してくれた。
イザベルだったら熱を出そうが、迷惑をかけようが、堂々としていたのだろうけど。
「こういうときだけは、彼女の性格が羨ましくなるわね」
……自分には決してできない。
イザベルになったことを受け入れたからと言って、彼女と同じ振る舞いをするつもりはないけれど、他人の影に隠れるようにして生きてきた身からすれば、羨ましく思うこともある。
そんなことを考えたら「また悪い癖が出ているぞ」と、婚約者に言われそうだ。
今は遠く離れたところにいる、この世界で唯一の拠り所──。
「……ベル! ベルっ!」
そんな彼の姿を思い浮かべてしまったせいで、幻聴が聞こえるようになってしまったか。
やはり、まだ寝ていたほうが良いかもしれない。
と、屋敷に戻って二階にある部屋へ戻ろうとした時、廊下の先からバタバタと走ってくる足音がした。
「ベル、大丈夫か……!?」
「……なんで、どうして」
今度は幻覚まで見えるようになってしまったか。
それもそうだ。
他人の屋敷にも関わらず髪はびしょ濡れのまま、今にもはだけそうなバスローブをはおり、全力で走ってくる変態が、自分の婚約者であるはずがない。
けれど、息を荒くしたリオネルは近づいてくるなり、私の肩を鷲掴みした。
「お前、公爵領に来るなり体調崩したって!? 毎晩うなされて、俺の名前まで呼んでいたっていうじゃないか……!?」
「え、そんなことは、ない……」
「嘘つけ、こっちはしっかり報告受けてんだぞ! だから、俺から離れても平気なのかって訊いただろーがっ!」
あまりの必死な様子に、リオネルのほうが倒れてしまうんじゃないかと心配になる。
けれど、不思議なことに彼の姿を見た瞬間、息苦しさから解放されて呼吸が楽になった。そして、言い様のない安心感に包まれる。
この世界で一番の安全地帯。
私の、領域。
私の、居場所。
離れて過ごすには、もっと時間が必要なのだと悟る。
刹那、心配そうな表情で顔を覗き込んでくるリオネルの髪から、ぽたぽたと水滴が落ちてきて頬に当たった。
「リオネル、冷たいわ……」
気恥ずかしさで火照った頬にはちょうど良かったけれど。
それから過保護なリオネルに抱えられて、部屋に運ばれたことは言うまでもない。
忘れてないと思いますが、コミックスは今日発売です。
公式サイト→https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000398999
嫌われ者令嬢のコミックス①が10/30発売です(漫画:藍原ナツキ先生)
詳しくは公式サイト、活動報告をご覧ください。





