外伝③
『いや……、やだ、リオネル……っ、リオネル、いやあぁあぁっ! ダメ、こんなの……私を、ここで一人にしないでっ、リオネル……っ』
イザベルの甲高い悲鳴が響いた時、オーティスは首を傾げた。
親友の血で赤く染まった剣は、両手から落ちて床に転がっていた。
「……イザ、ベル? ……リオネル……」
二人はオーティスの馴染みだった。
子供の頃は、同じ時間を一緒に過ごせるだけで良かった。
広い王城の中で感じる寂寥感や、後継者教育の厳しさに逃げ出しそうになっても、彼らと遊んでいるとそんなことも忘れてしまうぐらい楽しかった。
しかし、無敵だと感じていた関係も、砂上の楼閣だったのかもしれない。
目の前にある繋がりを大切にしたいと思う一方、成長していくにつれ、それだけでは満足できなくなっていった。
相手を傷つけてまで想いを偽ることも、真逆の態度をとって己の気持ちをひた隠しすることも、もはや限界だった。
壊れることを恐れず、手に入らないと知った時点で完全に突き放していれば、今回のようなことは起こらなかったのに……。
──それでも、最後の最後まで諦めきれなかった。
「ストラッツェ公爵家の公子様と、グラント公爵家の公女様の婚約が決まったようです」
王城の一角。
貴族裁判でリオネルを刺したオーティスは、王命によって自室で軟禁されていた。
普段は廊下で立っている護衛の騎士が、今は部屋の中に必ず二名、交代しながら一日中見張りに立っている。王太子自ら命を絶つような真似を、未然に防ぐためだろう。
国王夫妻の子供は、オーティスただ一人だ。
そのため両親はもちろん、周囲の期待は彼だけに向けられてきた。王位継承者として絶対の立場にいたからこそ、出来て当たり前だと見られることも多く、頼れる者は誰もいなかった。
けれど、イザベルだけは違った。
「オーティスは抜けているところもあるし、絵も可哀想なぐらい下手だけど、それでも私には完璧な王子様よ」
どんなに失敗して無様な姿をさらしても、イザベルはそれすら受け入れてくれた。彼女の前だけは、物語に出てくるような王子様でいられたのだ。
イザベルがいれば、つらい教育も耐えられた。出来て当たり前だと思われることも、彼女だけは目を輝かせて凄いと褒めてくれたから。
これまで歯を食いしばって過ごしたことも無駄ではなかったと、目頭が熱くなったのを覚えている──。
従者から報告を受けたオーティスは、窓辺に座って頭を抱えた。
「私だって、イザベルが好きだった。リオネルに負けないほど、愛していたんだ……」
それなのに、どこで間違ってしまったのか。
──今なら、イザベルの気持ちが痛いほどよく分かる。
あの時、イザベルは必死の思いで会いに来てくれた。世界のすべてを敵に回しても良いと。彼女の瞳には自分しか映っていなかった。
なのに、イザベルとは違って自身に課せられた責務や立場を捨てきれず、彼女を拒んでしまった。
あれが最後の選択だと知っていれば、突き放すことはしなかった。次に会った時、まるで別人のように変わってしまったイザベルに、体の芯まで凍り付くようだった。
もし、イザベルの気持ちに応えられていたら、すべてを投げ出して彼女の手を取っていたら、こうして何もかも失うことはなかっただろう。
少なくとも、心から愛する人だけは腕の中に閉じ込めておけたはずだ。
──今からでも、イザベルに本当の気持ちを伝えたい。
リオネルではなく、自分を選んでほしいと。愛していると告白して、抱きしめたい。傷つけるような真似をしてすまなかったと謝りたい。
閉じ込められた部屋の中で、考えることはイザベルのことばかりだ。
夢の中まで彼女の幻影を追いかけて、頭がおかしくなりそうだ。食事は喉を通らず、ゆっくり眠りにつくこともできない。
辛うじて保っている理性は、罪悪感と後悔で押しつぶされそうになっていた。
今すぐこの苦しみから解放されるなら、悪魔にもなんでも身を委ねてしまうだろう。
──……誰でもいい。
この悪夢から救ってくれるなら何でもいいと、オーティスは窓に映る己の変わり果てた顔を見て顔を歪ませた。





