嫌われ者令嬢とアキの終わり③
吸い込まれるように眠りにつくと、私は夢を見た。
鏡で見たイザベルという少女が、私に向かって泣きながら叫んでいた。正確に言えば、私ではない誰かに。けれど、そのおかげでイザベルの感情や記憶が共有され、私は彼女が歩んできた人生の一部を知り得ることができた。
イザベルはあの時の衝撃で命を落とし、空っぽになった肉体に私の魂が入り込んでしまったようだ。
本来なら重なることのない世界線上にいた二人が、何かの拍子に交わってしまったのだ。
もしかしたら、私の肉体には別の誰かが入っているかもしれない。
だが、それを確かめる方法はなかった。
ここに存在しているのは、公爵令嬢イザベルという少女なのだ。
深い眠りから覚めた私は見覚えのある天井を見上げ、ため息をついた。
あのまま会社を無断欠勤すれば、いずれ実家にも連絡が入るだろう。死体がそのままなら腐敗するのも早そうだ。
真夏に、アキが死ぬなんて乾いた笑いしか出てこない。
両親は死んでいる娘を見て悲しんでくれるだろうか。
今まで見向きもしなかった娘の死体を見て、少しは何か感じてくれるだろうか。
そんなことを考えたが、すぐに興味を失った。
どうせ、元から両親の人生に「アキ」という存在は無かったのだ。今更死んでみたところで、両親の生活が変わることはない。
それなら今やるべきことは、この体をうまく動かすことだ。
私は全身に力を入れて、寝たきりになっている体を確かめた。
後頭部の痛みから比べれば、関節の痛みなど軽いものだ。
ゆっくり息を吸っては吐いて、固まっている足をシーツに滑らせ、肘をついて上半身を起こしてみる。
他人の体だけあって今までと違う感覚だが、脳から伝達された指示がしっかり届いているようだ。
なんとか上体を起こすことに成功した私は、枕元に並べられたクッションに背中を預けた。
第一段階はクリアと言ったところか。
起き上がるだけで一日の体力を使った気分だ。
その時、ふと自分の手を見下ろすと白い彫刻のような手があった。
それも細くて、小さい。
私だった頃のごつくて、太い指とは大違いだ。手首だって簡単に折れてしまいそうな脆さがあった。
イザベルの芸術的な両手に感動していると、部屋の扉がノックされた。
一瞬、どうしようか迷った時、口が勝手に「入っていいわよ」と答えていた。
「お嬢様、失礼致します」
声からして、メイド服を着たそばかす顔の少女だった。
名前は「ニーナ」──また口が勝手に動いた。
どうやらイザベルの記憶を得たことで、考えるより先に自然と出てしまうようだ。
ニーナと呼ばれた少女は昨日同様、カーテンから顔を覗かせてきた。
「お加減はいかがですか?」
「……もう大丈夫よ。心配かけたわね」
「そんなことありません! お嬢様が無事目覚めてくれて安心しました……っ」
そう言ってニーナは薄緑色の目に涙を浮かべた。
刹那、胸のあたりがじんわりと温かくなる。
屋敷では暴君のように振る舞い、多くの使用人をクビに追いやっていたイザベルだが、孤児院出身のニーナだけは大切にしていたようだ。年齢も同じぐらいだ。
ただ、余計なプライドが邪魔をして、ニーナに対しても素直ではなかった。
「あ、……ありがとう。おかげで生きていたわ」
「記憶も問題なくて良かったです。やはり昨日のお嬢様は混乱されていたんですね。すぐに担当医を連れてきますから、そのままお待ち下さい」
お礼を口にするとニーナは驚いた顔をしたが、表情を緩めた後もテキパキと動いた。
ベッドを囲むように覆っていたカーテンが開かれると、豪華で広い部屋が現れる。
記憶にある通り、イザベルの部屋で間違いないようだ。
モノトーンが好きな私とは違い、イザベルは赤や黄色などの暖色系が好きだった。まあ、鏡で見たあの顔だったら何を身につけても似合うだろう。
ニーナが部屋を出ていくと、すぐに医者が入ってきた。廊下で待機していたのだろうか。昨日の、今日で、気が気ではなかったのかもしれない。
医者は意識のはっきりしたイザベルを見て、ほっと胸を撫で下ろした。どういうわけか、今はやつれた彼のほうがイザベルより調子が悪そうだ。小太りしていた腹は引っ込み、頬は痩せこけ、顔色が悪い。
医者は包帯を取り替え、一通りの診察をした後、祈るような体勢で口を開いた。
「本当にご無事で何よりです、公女様。公爵閣下も心配されておりました」
──それはない。
堂々と嘘を吐く医者に疑いの目を向けたが、彼は嬉しそうに微笑んでいた。
公爵家から「絶対に治せ」という圧力があったのかもしれない。医者の笑顔に免じて否定はしなかったが、私は内心うんざりしていた。
自分の娘が生死をさ迷っても(正確には死んだのだが)、イザベルの父親は一度も見舞いに訪れていないはずだ。
……わざわざ訊ねなくても分かる。
「公爵閣下はお忙しい方ですから」が、ここでの常套句なのだから。