嫌われ者令嬢を愛した者たち③
イザベルの裁判は二日後に開かれた。
牢屋で過ごしている間、見張りに立っていた兵士が気遣って声を掛けてくれた。運ばれてきた食事も、初めはカビの生えたパンを想像していたが、皿の上に載せられた肉や果物を見て驚いた。
これも上級階級の貴族令嬢だからか、それとも軍務大臣であるグラント公爵のおかげか。
ただ、トイレだけは排せつ用の壺を渡されて涙を飲んだ。牢屋で清潔さを保つのは無理な話だ。それだけに、異例の早さで裁判が開かれると知ったときは、神に感謝した。
毒殺されそうになったフィオーナは、幸い命に別状はなかったようだ。しかし、次期王太子妃になる娘の暗殺未遂に、マウロ伯爵家では悪女イザベルを激しく批判し、早急に裁判の開廷を要求したと聞く。
裁判当日、私は両腕に鎖のついた手枷をつけられ、宮廷裁判所に連れて行かれた。
三権分立のないこの国では、国王がすべての権力を握っている。現代の裁判とは異なり、最高裁判官である国王次第で裁量が決められ、政治利用の一つとして使われてきた。
決定した処罰を軽くしてやることで寛容さを見せつける国王もいれば、裏取引で私腹を増やす国王もいたようだ。
オーティスが「悪いようにはしない」と言ってきたのも、彼の父親である国王によって、いくらでも処罰を変えることができるからだろう。
だが、長らく争いごとには無縁だったレクラム国の王室は随分と衰退していた。
軍事力や財力のあるグラント公爵家や、ストラッツェ公爵家のほうが王室を凌ぐ。王室はここしばらく、両公爵家の顔色を窺いながら過ごしてきたのだ。
それだけに、今回の裁判では公爵家の権力をそぎ落とす、またとないチャンスだ。イザベルの処罰を軽くする代わりに、莫大な賠償金を要求するとも考えられる。その一方、誤った判決を出せば王室側が崖っぷちに追いやられるため、今回の事件では慎重にならざるを得ないようだ。
そう思うと、身分だけで言えば王太子の婚約者として申し分なかったイザベルが選ばれなかったのは、彼女の性格や態度だけが問題というわけではなかった。
足を踏み入れた会場では多くの貴族たちが詰めかけ、末席には記者らしき人もいた。
イザベルが姿を見せると、彼らの鋭い視線が全身に突き刺さる。背筋に冷たいものが流れて体が硬直すると、視界の端に見慣れた顔が映った。
敵意をむき出しにして睨んでくる席の反対側──まるで、全員がイザベルの味方だと言わんばかりの表情が、そこに並んでいた。
──大丈夫だ、堂々としていろ。
その中の一人が、口だけを動かしてそう伝えてきた。リオネルだ。彼は自分の左胸を拳で叩くと、口の端を持ち上げた。それだけで、本当に大丈夫だと思えてしまうから不思議だ。
私は軽く頷き、吹っ切れた顔で被告席に着いた。
壇上の椅子に座った国王が裁判の開廷を告げる。次に宰相と思われる人物が、淡々と起訴内容を読み上げた。
その時、頬にチリッと焼けるような痛みを感じて振り返った。視線を向けた傍聴席で、フィオーナの兄フェランドの姿を見つけて息を呑んだ。
一瞬目が合うと、彼がにたりと笑って全身の毛が逆立った。オーティスとはまた違い、イザベルの罪を確信している顔だった。
私はすぐに視線を背けた。
ちょうどそこへ、兵士たちに両脇を抱えられるようにして若いメイドが入ってきた。
酷い拷問を受けた後なのか、全身ボロボロの彼女は震えながら証言台に立った。
彼女はマウロ伯爵家に仕えるメイドで、事件当時フィオーナにお茶を運んできた人物だった。しかし、イザベルの記憶を細かく辿っても、彼女と面識があった記録はない。
「わ、わた、しが……公爵令嬢に頼まれて、フィオーナお嬢様に……毒を、盛りました……」
嘘だと分かっていても、私は悔しさのあまり唇を噛んだ。彼女のような弱者を痛めつけて偽りの証言をさせている真犯人も、イザベルならそんな罪を犯しても当然だと納得している傍聴者も……。
私は、イザベルでなくても大暴れしたくなるのをぐっと堪えた。
メイドによる証言が終わると、今度は証人尋問が行われた。
私の弁護を引き受けたのは、ストラッツェ公爵家の顧問弁護士だった。ひょろりとした青年で、一見頼りなさそうに見える。だが、眼鏡を押し上げて証言台を見つめる目は、埃が出るまで叩いてやるぞという気迫が伝わってきた。
「公女様に依頼されたと言いましたが、どのようにして頼まれましたか?」
「あ、……て、手紙で」
「直接ですか?」
「い、いいえ、使いの方が……」
「それでは貴女自身は、公女様と面識がないと?」
「それは……」
「一度も会ったことのない貴女を、公女様はなぜ利用しようとなさったのでしょう? 下手をすれば、ご自身の命も危険に晒すことになりますよね。──にも拘わらず、敢えて自分側の使用人ではなく、面識もない貴女のような使用人を使った、と」
気弱に見えた青年の良く回る口に驚かされていると、周囲もまたあの嫌われ者の令嬢をしっかり弁護する彼の存在に目を瞠っていた。
イザベルの弁護をまともに引き受ける者は誰もいないだろう。そう思われていたのかもしれない。
「グラント公爵家の、公女様は、大変恐ろしい方だと……逆らえば、平民である私どころか、家族にまで危険が及ぶと思い……」
「なるほど、それで貴女はお世話になっている家門のお嬢様に、毒入りのお茶を運んだわけですね」
「──っ、私は、命じられたままに、実行しただけです……っ!」
矢継ぎ早に尋問していたかと思えば、急にゆっくりとした口調になって、罪の重さを認識させるような言い方だった。メイドはさらに冷静さを失い、その場の感情で反論していた。
その容赦のない尋問に、横で聞いていた私は口の端をひきつらせた。
「では、貴女に手紙を渡してきた使いの方は、グラント公爵家の者でしたか?」
「……いいえ、公女様が個人的に雇っている方だと」
イザベルにそのような使用人はいない。しかし、公爵の使用人と答えていれば、簡単に嘘であることがバレてしまうため、真偽の分からない架空の人物を作り出したのは悪くなかった。
弁護士の青年は呆れたように溜め息をつくと、苛立った様子で尋問を続けた。この馬鹿げた裁判を一刻も早く終わらせたいという態度を見せると、メイドはなぜか安堵の色を浮かべた。
それこそが、彼女の、強いては裏で操っている人物が望んでいた光景だったのだろう。
「最後にですが、その使いの者は公女様がどこにいると仰ってましたか?」
しかし、それはこちら側も同じだ。
僅かな綻びがメイドの気持ちを軽くし、口を開かせた。
「はい、使いの者は公女様が……公爵領で過ごされていると仰ってました」
まともな思考だったら、こんな尋問に引っかかることもなかったはずだ。イザベルがどこへいようとも依頼を受けた側はどうでも良いことなのだから。
けれど、はっきり公爵領と答えるメイドに、弁護士の青年は眼鏡を押し上げて口元を緩ませた。
「──それは妙ですね。私が聞いたところによると公女様は公爵領ではなく、旅行のため湖の美しいルーアナ街に滞在されていたようですが」
「な……っ、そんなはずは!」
実際のところ公爵領で過ごしていたのは、イザベルに変装した侍女のニーナなのだが。それでも首都を離れて公爵領に向かったことを知っているのは一部の人間だけだ。
一方、本物のイザベルがルーアナ街で滞在していたのは、多くの者たちが目撃している。
すると、青年は振り返って、傍聴席にいたリオネルと目を合わせると頷いた。合図を受け取った彼はその場で挙手し、発言する許可を国王に求めた。
「ルーアナ街にはストラッツェ公爵家の別荘もあり、イザベル公女がそこへ滞在していたことは、私リオネルが証言します。他にも、街の者たちに尋ねてくだされば証言するでしょう」
リオネルが立ち上がって証言すると、皆の顔色が変わった。
孤立していたはずのイザベルに、ストラッツェ公爵家が味方についた形だ。内心穏やかではないだろう。
そこへ追い打ちをかけるように、リオネルは証言を続けた。
「また私リオネルは、グラント公爵に公女の監視と護衛を任され、片時も離れず一緒に過ごしておりました。公女は侍女の一人も連れず我が別荘に滞在し、その間に手紙を書いていたことも、送った形跡もありませんでした。それについては、別荘の使用人たちを尋問してくださって構いません」
周囲の視線などお構いなしに言葉を並べていくリオネルに、私は顔が熱くなった。
「片時も離れずにか」
「ええ、彼女が眠りにつくまで共に過ごし、朝は私のほうが早く起きておりましたので」
明らかに誤解を招く言い方に、案の定会場内がざわついた。
得意げに語るリオネルのそばでは、グラント公爵とダミアンが鬼の形相で彼を睨んでいるのだが、味方ではなかったのか。
「公女、ストラッツェ公子はそう言っておるが、相違はないか?」
「その……」
国王に真相を尋ねられて答えに詰まった。リオネルの話を肯定しなければいけないのに、羞恥心が邪魔をして素直に頷けなかった。
と、そこへ割って入るように、リオネルがさらに口を開いた。
「つい数日前も、お互いに朝を迎えました」
「ちょっと! あれは眠るのが怖かったからで……っ」
至急の伝達があった夜のことだ。あの時は眠れなくなって、リオネルと話しながら朝を迎えた。彼が言ったことは嘘ではない。ただ、周囲の考えているようなことは何もなかった。
しかし、男女が一緒に一晩を過ごしたとなれば、誤解されるのも当然だ。おまけに、首まで真っ赤になって言い返すイザベルの姿に、周りは妙な雰囲気になった。
「そういうわけですので、今更公女が伯爵令嬢を毒殺するなど考えられません。──以上です」
ただ一人、リオネルだけは落ち着いていた。そして、彼の発言はとくに国王の傍に控えていたオーティスへ向けられていた。
イザベルに暗殺する動機がないことが証言されると、会場の空気は一変した。
「違います、私は本当に頼まれて! だって、そうでなければ私は……っ」
追い詰められたメイドは、半ば自暴自棄になったように訴えた。
「もし貴女が何も知らされずに毒を運んでいたとすれば、それは罪になりません。ここに立っている以上、貴女は安全です。ですが、貴女が本当に依頼されて毒を飲ませたというなら、話は別です。平民である貴女にはすぐに死刑の判決が下ることでしょう」
「あ、ああ……わた、私はっ!」
弁護士の青年がメイドを追い詰めていく。けれど、メイドが助かる方法は一つしかない。真犯人を晒して、命の危険を取り除くことだ。
「……私の淹れたお茶に、毒が入っていることは、知りませんでした……。公女様の仕組んだことにすれば、命だけは助けてやると……お坊ちゃまに、フェランド様に命じられて……」
観念したメイドが力なく白状すると、その瞬間皆の視線が一点に集中した。





