嫌われ者令嬢を愛した者たち①
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グラント公爵家とストラッツェ公爵家の騎士たちに囲まれた高級馬車は、王宮に向かって走っていた。その厳かな雰囲気に、道行く人々はさっと身を隠した。
確かに、これなら誰も近寄れない。──王室の騎士ですら。
乗っているのが指名手配された令嬢であっても、両家を敵に回す気はないようだ。
実際のところ、王室の騎士たちはイザベルの引き渡しを求めたが、両家の騎士を率いて「我々が護送する」と凄むリオネルに恐れをなし、尻尾を巻いて逃げていった。
とても現実とは思えない異様な光景に、私はため息をついた。
カーテンが閉め切られた窓の端から外を見れば、騎士の格好をしたリオネルが軍馬に乗って並走していた。
ふと視線に気づいて目が合うと、どうかしたのかと口だけを動かして尋ねてくる彼に、首を振ってシートに座り直した。
一昨日の夜、至急の報告を受けたリオネルは、なぜか私の足元に片膝をついた。
「リオネル……?」
「アキ、落ち着いて聞いてくれ」
リオネルは深刻そうな表情を浮かべ、報告にあった内容を教えてくれた。
グラント公爵家の長女イザベルが、王太子オーティスの婚約者であるマウロ伯爵令嬢フィオーナの暗殺を謀った、と。次期王太子妃の暗殺は、犯行が立証されれば死刑は免れない重罪だ。当然、その家族や親族も罪に問われる。
自分の知らないところで何かが起きている──私は恐ろしくなって唇を震わせた。
「わ、私は、そんなことやってないわ……っ」
「当たり前だ。入れ替わっているのを知っている俺が、お前を疑うわけがないだろ」
イザベルの無実をあっさり受け入れたリオネルは、指先まで氷のように冷たくなった私の両手を握り締めた。
「怖いよな……ごめんな、こんなことに巻き込んで。二度と起こらないようにするから、少しだけ手を貸してくれないか?」
両手を優しく包み込んできたリオネルは、そこへ額を軽く押し当てた。
──悪いのは彼ではない。
けれど、本気ですべての責任を負うつもりなのだと理解できた。
「分かったわ、でも必ず守って。……貴方を信じるから」
「ああ、約束する。今度こそ、絶対に守るから」
私はリオネルの言葉を信じ、彼の手を握り返した。
不思議と落ち着いていられたのは、リオネルの態度に焦りや戸惑いがなかったからだ。彼は最初からこうなることを予測していたようだった。
それでも眠れない夜を過ごし、私たちは翌日の早朝から動き始めた。お世話になった使用人たちに見送られ、美しかったユヒ湖に別れを告げた。
リオネルの馬に乗せられるのも慣れてきた気がする。ただ、猛スピードで走り抜けてきたせいか、景色を見る余裕はなかった。
そしてたどり着いたのは、あの料理が上手い女将さんのいる宿だった。離れた場所で馬を降りた後、 二人は裏口から宿の中へ入った。
他人の家へ勝手に上がり込むような罪悪感を覚えたが、キッチンに立っていた女将さんと目が合っても、彼女は気づかない振りをした。
「ここの女将は元々ストラッツェ公爵家で料理人をやっていたんだ」
「……そういうことは早く言ってほしかったわ」
それなら料理が美味しかったのも頷ける。
本当に最初から何もかも計画されていたのだと思うと、怒りを通り越して呆れてしまう。公爵邸から離れられると浮かれていた自分を、過去に戻って叱りたいぐらいだ。
けれど、リオネルたちがなぜ秘密にしていたか、その理由を知っているせいか文句も言えない。
……私が、自分らしく過ごせるように。
私は「悪かった」と言ってきたリオネルの謝罪を受け入れ、女将さんの料理で手を打っておいた。
宿に入った私は、リオネルに案内されるまま前回使用した二階の部屋へ向かった。
ドアを開けて中に入ると、一人の少女が立っていた。
「イザベルお嬢様……っ」
「──……ニーナ?」
こちらの世界へ転移して一番見てきた顔なのに、思わず語尾が上がってしまった。
しかし、目の前には真っ赤な髪に、派手なドレスを着た少女がいたのだ。後ろ姿だけ見たらイザベルと勘違いしてしまいそうなほど、外見がそっくりだった。
「ご無事で何よりです、お嬢様。旦那様と公子様の命で、お嬢様になり替わって公爵領で過ごしておりました。お傍を離れてしまったこと、深くお詫びいたします」
「それは、全然……いいの、よ」
ニーナは被っていた赤髪のウィッグを外し、深々と頭を下げた。
まさかニーナまで、自分の知らないところで働いていたなんて眩暈がしそうだ。一体、何人の人たちが自分のために動いてくれたのか。
「アキ、大丈夫か?」
「……今なら、ルーアナ街にいた人たちも皆グルだって言われても信じるわ」
倒れ込みそうになったところを受け止めてくれたリオネルにそう言うと、彼は不自然に視線を逸らした。
嫌な予感がしてリオネルの胸倉を掴んだが、宿の外が騒がしくなって反射的に振り返った。
「王室の騎士が、私の乗ってきた馬車に気づいたのでしょう。時間がありません」
「イザベルの支度を頼む。王室の騎士は俺が話をつけてくる」
とても話し合いをしてくるような表情ではなかったが、私はドレスアップのためリオネルを止めることはできなかった。
久しぶりに専属侍女の手によって身支度を整えられると、イザベルに戻った気分だった。ラフな洋服ばかり着ていたせいか、ドレスが鎧のように重く感じる。
だが、これから戦いの場に赴くなら、この鮮やかなドレスも戦闘服であることは間違いない。
私は胸元に拳を置いて静かに目を閉じた。
昨晩リオネルと話しながら、誓い合ったことがある。
「イザベルの無実は俺たちが証明する。……それから、彼女の名誉を取り戻したいと思っている」
「イザベルの、名誉……」
地に落ちたような評価を一気に覆すことができる、と語るリオネルの目は真剣だった。
「ただ、それにはアキの協力も必要だ。こんな状況でお願いするのも気が引けるが」
「本当に……? 本当に、イザベルの名誉が取り戻せるの?」
イザベルは自ら破滅の道に転がり落ちていったが、それが取り戻せると聞いて私の胸は高鳴った。
彼女自身も諦めていた悪評を無くし、公爵令嬢としての名誉を挽回することができるなら、執着していたオーティスとの縁を切り、他の者を好きになってもイザベルは許してくれるだろうか。
「──協力するわ。イザベルの名誉が取り戻せるなら」
手を貸すことに、怖くないと言ったら嘘になる。けれど、今更引き返すことはできない。起きてしまったことは、過去にでも戻らない限り向き合うしかないのだ。
支度を終えた私は、リオネルたちと共に首都にある王宮へ向けて出発した。
休息は最小限に、ひたすら走り続ける馬車の中で、私は今一度己を奮い立たせた。





