嫌われ者令嬢と語られる真実⑪
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「……グラント公爵令嬢。私と一曲踊ってくれませんか?」
「冗談はやめて。私は唯一の公爵令嬢よ、身の程をわきまえなさい。不相応な求婚もお断りだわ」
大勢の貴族が集まったパーティーで、ダンスに誘ってきた相手を容赦なく突っぱねた。
未婚女性の中で最も高貴な存在だったイザベルは、評判は悪くても手を差し伸べてくる男性は後を絶たなかった。
しかし、それらはイザベル本人ではなく、グラント公爵家の後ろ盾を期待してのことだった。彼女自身を想って婚約を申し込んでくれる男性は一人もいなかった。
……少なくとも、イザベルはそう思っていた。
オーティスに執着して、彼だけしか見てなかったイザベルは、他の男性に興味を示さなかった。
もっと早くオーティスとの関係に見切りをつけて、他の人にも目を向けていたら──声を掛けてきた彼らの中にも、好意を持って接してくれた人がいたかもしれない。
何より、次から次に恨みを買うことはなかっただろう。
『いい加減、諦めろ。王太子殿下は、お前なんか愛さない』
今ならはっきり思い出せる。
赤みのかかった瞳に、激しい怒りと憎しみが込められていたのを。イザベルが覚えていないだけで、そうするだけの理由が彼にはあったのだ……。
「……キ、……アキ?」
「──……っ!」
肩を軽く揺すられ、私はハッと我に返った。
目の前には心配そうにのぞき込んでくるリオネルの顔があった。一方、私の手には食後のデザートを食べようとするスプーンが握られていた。
「大丈夫か……? 呼んでも反応がなかったから」
「……何でもない。ちょっと眠り過ぎて頭がボーッとしていたみたい」
用意されたデザートのリンゴシャーベットが、器の中で溶け切っていた。
これはスプーンで掬って食べるより、ジュースのように飲んでしまったほうが早いのでは、と見つめていると、有能なメイドがさっと新しいものに変えてしまった。
「そうか。食事は口に合ったか?」
「いつも美味しくいただいているわ。リオネルは、朝食これからよね?」
「ああ、後で……」
一瞬目を泳がせたリオネルは、次に「調子はどうだ?」と尋ねてきた。
いつもなら一緒に食事をとっていたのに、変な気遣い方をされているようで気に入らない。
「今、ここでとればいいじゃない」
「でもお前が……いや、なんでもない。アキが良いならそうする」
「私は気にしないわ」
過去の出来事を許せないとは言ったが、彼を避けるほどもう子供ではない。あの頃とは年齢も、周りの環境も違う。
それに昨日の告白より、今日の告白のほうがずっと気まずかった。リオネルが、私をもう「イザベル」とは呼ばなくなったことも。
私の許可を得たリオネルは、定位置に座って食事の準備をメイドに伝える。
緩み切った顔を隠そうともせず。
恥ずかしくなってシャーベットを運んだスプーンを咥えたまま、視線を逸らした。
先に食べ終わった私は、暖かな紅茶を飲みながら一息ついた。その横では、リオネルが皿に載った食事を平らげていく。その食べっぷりに、見ているこちらまでまた腹が空いてきそうだ。
「……アキ、よかったらお前の話を聞かせてくれないか? 俺が転校してから、アキがどんな場所で、どんな生活を過ごしてきたのか知りたいんだ」
「楽しい話なんて何もないわ」
「それでも……お前の話なら、なんでも知っておきたい。大人になった姿を見られなかったのは残念だけど」
飾り気のない言葉だからこそ、リオネルの気持ちがそのまま伝わってくる。こちらが照れてしまいそうになって、私は必死に平静を装った。
「いいわ……その代わり、この世界やリオネルの話も教えて。私はイザベルの記憶を辿るしか方法がないから」
「ああ、もちろんだ」
リオネルは安堵から頬を綻ばせ、嬉しそうに笑った。
関係が修復したわけでもないのに、この瞬間でさえ幸せであるような笑顔に、私は熱くなる顔を手で扇いだ。
その日一日は、お互いの空白時間を埋めるように、それぞれの過去を教え合った。最初はダイニングで、それから中庭、テラス……と移動しながら、二人の会話は途切れることなく続いた。
私がこれまでの日々を話し始めると、リオネルは私の両親や学校や職場の人間に対して苛立ちを露わにした。
ただ、話していく内に、彼らと良い関係を築くために何か努力しただろうかと、自分自身を振り返る場面もあった。
もっと周囲に心を開いていたら、過去に囚われず自ら変わろうと踏み出していたら。その勇気があれば、今と違った場所で笑っていただろうか。
「さすがに話し疲れたよな?」
夕食をとった後も部屋には戻らず、客間のソファーに座って話し込んでいた私は、いつの間にかウトウトしていた。
早々に使用人を下がらせ、温かい飲み物を作って運んできてくれたリオネルは、私の隣に腰を下ろした。
「これ飲んだら部屋に戻って休むか」
「そうね」
渡されたハーブティーの香りに心が落ち着く。
リオネルのおかげで、ここの世界や国のこと、身分社会での暮らしなど、イザベルの記憶だけでは補えなかった情報を得られたことは、私にとっても大きかった。ここで一生過ごさなければいけないなら、知識はあったほうが有利だ。
「……なぜリオネルは転生で、私は憑依だったのかしら」
「そうだな……転生とは言ったけど、正直本当にそうなのか俺にも分からないんだ。もしかしたら俺も憑依だったかもしれないし、アキだって最初からイザベルだったかもしれない。ただ前世の記憶が最近になって蘇ってきただけで」
ただ、それを知っているのは、自分たちがいくら手を伸ばしても届かない存在だけだ。
「イザベルと私が同じ、か……」
「初めから俺たちはこっちの住人だったんじゃないかって、そんな風に思うこともある」
「でも、答えはないのね」
知ったところで、以前の体に戻れる保証もない。でも、不思議と罪悪感や絶望に陥ることはなかった。リオネルの何気ない言葉が、小さな救いになったのかもしれない。
しばらく無言が続いたが、嫌な沈黙ではなかった。離れているのに、横からリオネルの体温が伝わってきて、意識した途端また落ち着かなくなった。
「リオ……」
「アキ……」
妙な気分になる前に部屋へ戻ろうと声をかけた私は、しかし、ほぼ同時にリオネルも振り返ってきた。
刹那、二人の唇が軽く触れてどちらも固まった。
時間にすれば、ほんの僅か。
一瞬の出来事とはいえ、予期せぬ事態に二人は声にならない悲鳴を上げていた。
「ごめっ……!」
「わ、わたし、こそ……っ」
素早く離れた二人はソファーの端と端に避難した。
最初は驚きで心臓が跳ね上がり、次に何が起きたのか理解すると鼓動が激しく脈打った。私は破裂しそうな胸元を押さえ、体を丸めた。
真っ白になった頭の中で、文字にできない言葉が羅列になって流れていく。何事もなかったように取り繕うとしても、顔を上げるのも怖かった。
ちらっと視線だけを上げてリオネルを見れば、彼もまた頭を抱えて「こんなはずじゃ……っ」と、自己嫌悪に陥っていた。私も唇にしっかり残った感触に、今すぐベッドに転がって暴れたい気分だった。
けれど、それは叶わなかった。
「公子様、王宮から火急の知らせです!」
何とも言えない雰囲気になった空気を壊すように、部屋の外が騒がしくなって一人の使用人が飛び込んできた。そこへ続くように、ストラッツェ公爵家の騎士が数名入ってきた。
事態を察したリオネルは先ほどまでとは違い、厳しい表情を浮かべて彼らを迎えた。
私は何が起きたのか分からず、ただ呆然と彼らの動向を見つめているしかなかった。
すると、リオネルは騎士から渡された書簡を受け取り、さっと開いて目を通した。
「……やはり動いたか」
書簡を読むなり苦々しく呟いたリオネルは、そのまま紙を握りつぶした。その様子に、悪い予感がした。
良くないことが起きたのだ、と、
リオネルは書簡を投げ捨て、その足で私の元へ戻ってきた。
彼が握りつぶした書簡には、王太子オーティスの婚約者であるマウロ伯爵令嬢を毒殺しようとした疑いで、グラント公爵令嬢の捕縛と連行を命じる指示が書かれていた──。





