嫌われ者令嬢と語られる真実⑨
「──悪いけど、私は貴方を許すことはできないわ。貴方から言われた言葉は一生、忘れることができないから」
幾度となく忘れようとしても、忘れることはできなかった。数々の嫌な記憶をかき消してしまうほど、今でも鮮明に覚えている。
長かった付き合いが、一瞬にして崩れてしまう出来事だった。幼馴染みはその場しのぎの言葉で、私の信頼を裏切り、一生癒えることのない傷を負わせたのだ。
それは大人になってからも、私を苦しめた。
「そう、だよな……謝って済む話じゃないよな……」
私の返答に、リオネルは深く傷ついた表情で頭を垂れた。謝罪の言葉ならいくらでも口にできるのに、彼はそうしなかった。
謝って許される期間はとうに過ぎてしまった。仮にここで許してしまったら、これまで何度も苦い思いをしてきた自分が報われないではないか。なかったことにだけは、したくなかった。
しかし、一方で整った顔に影を落とすリオネルを見ると、胸が締め付けられた。
「少しでも信じた私が馬鹿だったの。貴方だけは違うと、思いたかったのかもしれない。他に仲良くしてくれる人がいなかったから……」
死んでも尚、同じ相手に惹かれてしまうなんて、こんな馬鹿げた話があるだろうか。優しくされだけで、簡単に心を許してしまうなんてつくづく救いようがない。
自嘲気味に笑うと、突然大きな手に肩を掴まれた。
「ダメだ、アキ。……そうやって自分が悪いなんて言わないでくれ。全部、俺のせいなんだ。だから、自分を責めるような真似はしないでくれ」
「──……」
腫れ物にでも触れるように置かれたリオネルの指先から、彼の熱が嫌でも伝わってくる。
どうして許さないと言われたときより、今のほうが悲しい表情をしているのだろう。
私はこれまで、自らを蔑むことで自分自身を守ってきた。
皆から疎まれているのは可愛くない容姿のせいで、両親からも見放された子供だから。他人と仲良くできないのも、コミュニケーションが下手だから。
そうやって自分の殻に閉じこもって、これ以上傷つけられないように息を潜めて生きてきた。諦めと恐れが体に沁みついてしまっているのだ。
「そういう貴方だって、私のせいで命を落としたんだから、恨んでいるでしょ……?」
体に触れるリオネルの手を振り払うと、彼はそれすら当然の報いだと受け入れているように見えた。
「──俺は最期の瞬間まで、お前に謝れなかったことを悔やんだ。こうして生まれ変わっても、その記憶だけが残っていたのは、一生後悔しながら生きろと言われた気がしたんだ」
強い未練と激しい後悔が、リオネルとして生を受けても消えることはなかった。けれど、生まれ変わった世界ではもちろん謝りたい相手は存在せず、それが余計に彼を苦しめたことだろう。
まさか、幼馴染みにそんなことが起きていたとは知らなかった。もしかしたら、私だけが知らなかったのかもしれない。誰も、知らせてくれる人がいなかったから。
確かに彼の裏切りは許せなかった。名前を口にするのも、思い出を振り返ることもしたくなかった。
でも、幼馴染みの死を望んだかと言われたら、答えは「いいえ」だ。もし、事故当時すぐに知らされていたら、心にもっと深い傷を負っていたかもしれない。
それが自分のせいなら尚更──嬉しかったことも、楽しかったことも、悔しかったことも、悲しかったことも、それらをすべて教えてくれたのは幼馴染みだった。
認めたくはないけれど、彼が初恋だったから。
「でも、リオネルは……イザベルのこと……」
なぜそんなことを口走ってしまったのか。言葉にした瞬間、私は思わず自分の口を押えていた。
これではまるで、嫉妬しているようではないか。あれだけ許さないと言っておきながら、彼の気持ちを訊ねるなんてどうかしている。
しかし、リオネルは肯定するように「ああ」と頷いた。イザベルに想いを寄せていたことを否定しない彼に、私は唇を噛んだ。
一生、私への後悔を背負っていくのではなかったのか──と、声を荒げそうになって首を振った。イザベルに憑依しなければ、お互いそれぞれの世界で、それぞれの人生を送っていたのだ。
いっそ知らずに、気づかれずにいたほうが幸せになれただろうか。
「……初めてイザベルに会った時、まったく似てないのに、なぜかお前の顔が浮かんできたんだ」
「え……?」
「おかしいだろ? 性格だって全然違うのに、一緒にいればいるほどアキの姿が重なって。……俺がそうであってほしいと思ったせいかもしれない」
耐えられない罪悪感から逃避するために、同じ境遇にいたイザベルを私と重ねただけかもしれない。
「ただ、オーティスに執着して自暴自棄になっていくイザベルが見ていられなかった。二度目の人生で……俺に償う機会が与えられたとしたら、イザベルなんじゃないかって……」
幼馴染みという間柄で、皆から疎まれていたイザベルを、リオネルは放っておけなかったのだ。前世で同じ境遇にあった私を思い出さずにはいられなかったから。
「だから、イザベルがどんな状況に陥っても、守ってやりたかった。俺は……俺だけは、最後まで味方でいようと思った。嫌われようが、疎まれようが、一緒に落ちるところまで落ちても構わなかった」
イザベルの記憶の中で、リオネルは冷たく突き放しても、離れていくことはなかった。
いつもしかめっ面で不機嫌そうにしていたのは、叶わない恋に溺れて自滅していくイザベルを止められない自身に歯痒さを感じていたのかもしれない。彼は本気で心配してくれていたのだ。
けれど、イザベルはそんなリオネルに見向きもしなかった。愛に飢えていたはずなのに、リオネルの気持ちには気づかなかった。
「私は、そんな貴方からイザベルを……奪ったのね」
「それは違う……! またそうやって、自分を悪者にしないでくれ」
リオネルは必死な様子で言ってきた。
何度も違うと説得してくる彼に、最初は聞く耳も持たなかった私も、次第に耳を傾けるようになった。
「お前に気づいたとき、俺は自分のせいだと思った。俺がアキを呼び寄せたんじゃないかって。だから、お前が責任を感じる必要はないんだ。グラント公爵も、悪いのはすべて自分だと言っていた」
「まさか、公爵様も……?」
「実の父親が変わった娘に気づかないわけがないだろ?」
イザベルの変化に気づいたということは、公爵は娘の死を知ったことになる。魘される私の傍についていてくれた公爵の姿を思い出し、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
私の両親なら、娘が命を落としても何も思わなかったはずだ。
けれど、公爵は違った。
彼は心の底から娘であるイザベルを愛していた。その娘の死を知って、公爵はどう思ったのだろうか。イザベルの身体を乗っ取った私を、公爵は憎まずにいられただろうか。
考えれば考えるほど蒼褪めてくる私に、リオネルはそれらを否定する形で言葉を続けた。
「イザベルを守れず死に追いやってしまった責任は俺たちにある。──だから、アキは何も悪くない。誰もお前を責めることはできない」
「──……っ」
イザベルに憑依してから今日まで、本来は彼女が受けるはずだったものを、すべて奪ってしまっている気がした。後ろめたさと罪悪感で、イザベルに責められる夢も見た。
けれど、リオネルの言葉を聞いた瞬間、私の目から涙が零れた。ぽたっと流れた雫は、次から次に溢れて止まらなくなった。
突然泣き出した私に、リオネルはどうして良いか分からず両腕をばたつかせた。抱き締めたくても、今の自分にそんな資格はないと思ったのか、最後は冷たくなった私の両手をそっと握り締めてきた。
本当は誰かに言ってほしかった。たった一度でもいいから。
お前は悪くない──と。
生まれ持った外見も、両親から見放されたのも、人付き合いがうまくいかないのも、お前は悪くないと背中を押してくれる人がほしかった。
味方になってくれる人が一人でもいてくれたら、私の人生はまた違ったものになっただろう。
「……日が暮れそうだな。暗くなる前に帰るか」
泣き止むまで手を握っていてくれたリオネルが、薄暗くなってきた空を見上げて言った。
優しさと気遣いのこもった言葉に、私は突き放すことができず、帰ろうと言ってくれたリオネルに小さく頷いた。





